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第3話 イジメはありません

 口閉じろと睨むが、ソラは微笑むばかりだ。

 こいつ、わかったうえで言ったな?

 極力相手にすらしないようにしていたアオですら、今の発言にはカチンときたようで、妖精のように美しい顔を凍りつかせている。


「私とユイトの仲がよくないって、そう言いたいのかしら?」

「ははっ。そう言えたらどれだけよかったか」

 ちらりとソラが目配せしてきたのには、意味がないと思いたい。

「僕が言いたいのは、ただ幼馴染だからというのは甘えだという話だよ」

「……?」

 アオを責めるというよりは、痛みに耐えるような苦い顔だった。攻撃されたと思ったのに勘違いだった。そんな肩透かしにアオは訝しむようにソラを見ることしかできない。


 一呼吸の静寂。

 今日はやけに沈黙が重たいと思っていると、ソラの表情がいつもの爽やかな微笑みに戻る。

樋妖ひようさんとユイトが仲よくしてほしくない、という気持ちは本当だけどね」

「……きしょい」

 先ほどの俺の真似か、それとも心の底からの発露か。

 あまり聞かないアオの侮蔑。冷めた目も相まって、これが常人なら心を壊すくらいの破壊力があるのだが、ソラのスルースキルは達人並だ。柔和な微笑みが柳のようになにもかもを受け流す。


 げんなりしながら自動販売機で買ったペットボトルのお茶を飲む。冬にしても乾きすぎな喉を水分が通る。

 高校入学して、こうまで居た堪れない昼休みというのは初めてだ。次は絶対こいつら鉢合わせないようにしようと、視線をぶつけてバチバチ火花を散らしている美男美女を見て決意する。


 やけにヘイトを集める犬猿の2人からどうにか視線を外すと、パンを咥えたまま動かないセナが映った。

「どうした?」

「え、あ、はい。平気です」

「……いやどうした?」

 ハッと我に返った反応。なにを言われたかわからないまま咄嗟に返事をしたというのが丸わかりな態度に、もう1度尋ね直す。


 対面に座るセナは、正面からじっと見つめる俺の視線から逃げようもなく、無味簡素なコッペパンを両手で持ったままそわそわと顔をあちらこちらに向ける。

 挙動不審というのがこれほど適切な反応も早々ないだろう。

 視線だけを動かして隣を見ると、まだ犬猫が睨み合っている。全員顔見知りな俺でも食欲が失せるのに、アオと初対面のセナではこうもなるか。


「鬱陶しいよな、こいつら。そろそろ追い出すから安心しろ」

「私は静かにしてるわ」

「僕も大声は出してないよ」

「はいはいそうですねー黙ってれば静かですよねー」

 皮肉を込めて言うと、ソラは苦笑を、アオは叱れられた子どものようにしゅんっとして机の下で俺の袖を摘んでくる。

「……ごめんなさい」

「そこまで怒ってないから」

 そういう顔は卑怯だよなと思う。アオを怒る機会なんて、幼少の頃から数えても……いや、そもそも怒ったことないな?


 十数年一緒にいてそんなことある? と首を捻るが心当たりがなさすぎた。アオは指摘すれば反省するし、しょぼくれた顔を見せられると俺も怒る気はしなくなる。

 相性がいいのか、適切な距離を取れているのか。どっちもないかとすぐに結論が出る。そうであれば、1度も離れようとはしなかっただろうし、同棲こんなことになんてなってないだろうから。


 長いとはいえ十数年。人生から考えれば短い時間だ。そういうこともあるかと納得して、顔を上げたらぎょっとした。

「おいセナ、口、血」

「え、……あ」

 今気付いたとばかりにセナが唇に触れる。下唇から顎に伝うように赤い雫が流れていた。あまりの突拍子のなさに、俺も動揺して単語でしか説明できなかった。


 血の付着した指をセナが気の抜けたような顔で見下ろす。

「そう、ですね。出てますね、血」

「なんでそんな落ち着いてるんだよ」

 女の子は血を見慣れているとかそういう?

 ティッシュ……はないから、ハンカチとポケットをまさぐろうとしたら、はい、と横合いからアオがポケットティッシュを手渡してくれた。

 こういう所は気が利く。

 普段から周囲の目とかも気にして欲しいなぁと切なる願望も挟みつつ、1枚抜き取ったティッシュを差し出す。

 けれど、セナは力無く俺の手にあるティッシュを見るだけで、受け取ろうとはしなかった。


「制服に垂れるぞ」

「……樋妖さんのは、使いたくありません」

 明確な拒絶。

 隣で椅子が揺れる音がした。

「どうして」

「……高丈先輩とまだ仲よくできる樋妖さんが、信じられません」

 ぐっと下唇を噛む。ぷつり、と血があふれる。

 自然に切れたんじゃなくて、自分で噛み切ったのか。


 故意か無意識かはともかく、自傷して気付かないほど思い詰めているのか。そのキッカケはソラが口にした俺とアオの仲のよさなのは少々気になるが、今はソラの怪我が優先だ。

 ティッシュを持つ手を上下に振って、俯いて血を手の甲に落とすアオの注意を引く。

「いつから仲よくなったか、なんてのは俺も覚えてないけど、幼馴染ってのはそういうものだから」

「違います、そうではありません」

 だって、と顔を上げたセナの琥珀の瞳が涙で濡れていた。

 目の端からあふれる透明な雫と、唇から流れる赤い雫。虚を突かれて、だからその先の言葉を許してしまう。


「高丈先輩が虐められてたのは、樋妖さんのせいなのに……っ」


 空気が重い、なんてものじゃない。

 空気が死んだ。

 明確にそれを肌で感じ取る。


 誰かがひゅっと息を呑む。椅子の足が床をこする音がする。

 虐め、イジメ、いじめ、ねぇ。

 俺が。

 疼く額を親指で何度も叩く。それがなにを指しているかはハッキリとしている。だから、はぁぁっとこれみよがしにため息をいた。


「勘違いだ」

「かんち、がい?」

 そう。ただの勘違い。

 席から立って、対面に座るセナの隣に回り込む。椅子の向きをこちらに向かせて、幼子のように丸くなった瞳を覗き込む。

 へらっと笑って見せる。


「あれだよな、中学の時の。セナが勘違いするような場面に遭遇した時に釈明しとくべきだった。ごめんな」

「そんなはず――むぐっ」

 涙と血で濡れたぐしゃぐしゃの顔。どちらから拭うべきか迷って、よし唇だなとティッシュで塞ぐ。ティッシュ越しとはいえ、女の子の唇に触れるのは悪いと思うが、治療行為だから許してもらう。


 目をむぎゅっと瞑りもがもごするセナに目を向けつつ、残りの2人に声をかける。

「隣の保健室で治療してくるけど、どうする?」

「……待ってるわ」

「僕もそうするよ」

「わかった」


 ソラはともかく、アオは意外な返答だった。いつでもどこでも付いてくると言い出す幼馴染だ。それこそ男子トイレであっても。

 隣だからなのか、それとも空気を読んだのかはわからないが、アオが返答を翻さないうちにさっさと済ませようとセナの手を取る。


「っ、高丈先輩ごめんなさ――」

「謝る必要ないから」

 セナが謝る理由なんてない。

「すぐ戻るから先食べろ」

 まぁ、言うだけ無駄だろうけど。そう思いつつ、保健室に繋がる扉を開ける。


「急患でーす。診てもらえますかー?」

 軽口を叩きながら、保健室の先生にセナを任せる。任せて、はぁっとなる。

 ほんと。気にしすぎだ。

 よく言うだろ? って。


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