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第4話 好きな人に消えない傷を残したい

 セナの治療を終えて戻ったが、すでに昼食という雰囲気ではなくなっていたのは言うまでもない。丁度よく鐘が鳴って、手付かずのお弁当をしまう。

 それから放課後になって、夕飯になって。

 昼の残りのお弁当も摘みつつ、冬らしい鍋を食べるというのはなかなかにシュールだったが、やはりアオの手料理だからか味はいい。


 昼休みからそこそこの時間が経ったけれど、今日に限って言えば俺とアオの口数は比較的少なかった。

 一緒に帰ろう。わかった。ただいま。おかえり。それとって。うん。おいしい? おいしい。

 他にもあったが、だいたいにおいて短文同士のやり取りだった。熟年夫婦の阿吽の呼吸かな? と思う部分もあったが、そういうのとは違う距離があった。


 実際、身体しんたい的な意味でも今日は距離が遠かったなと、照明を消して、布団の中に潜りながら思う。

 手を繋いで帰ることもなく、家で体を密着させてくることもなかった。

 それを寂しく感じる心はあるけど、これが本来の距離感だよなとも思う。このまま、幼馴染としての距離を覚えて、いつしか離れていく。それが普通で、あるべき姿。

 ……まぁ、そうなるとも思えないけど、と『今日は』を主張する心が心臓を使って内側から叩いてくる。


 明かりの消えた暗い部屋。照明の白くて丸いカバーをぼーっと眺める。今日は寝付きが悪いかもなーと長い夜を予感していると、寝たと思っていたアオがぽつりと独り言のように呟いた。

「私は、ユイトと一緒にいてもいい?」

「好きにすればいいだろ」

 ――幼馴染なんだから。

 返事はなかった。

 ただ、頷くようにシーツをこす身動みじろぎの音が聞こえて、自分に辟易する。

 幼馴染という関係を、1番言い訳に使ってるのは誰なのか。


 やっぱり眠れそうにない。

 そう思いながらも、目を閉じて布団に潜る。月に光すら通さな暗闇に安らぐ。こうしていれば、いずれ寝られるのを知っているから。


  ◆◆side.樋妖ひようアオ◆◆


 私の眠りは酷く浅い。

 それがいつ頃からなのかは覚えていないが、生来ではないのはわかっている。周囲を警戒するように、眠っていても常に意識の膜が体の表面を覆っている感覚。安眠というのは、私には縁遠い言葉だった。


 今日も陽が昇る前に目が覚めた。

「……ねむぃ」

 体が起きたからといって、眠気がないわけじゃない。残念なことに、眠りが浅くてもショートスリーパーではなかった。

 明けない夜はない。

 そんなことはわかっていても、ベッドに潜って真っ暗な夜を1人で過ごすのはいくつになっても恐ろしい。

 常夜灯では紛らわせない根源的な恐怖が付き纏う。


 ベッドから上体を起こして隣を見る。

「寝てる、よね……?」

 布団に顔を向けると、山のようにこんもりしている掛け布団だけが目に映る。ユイトの姿はなく、丸まって潜っているのがわかる。

 暗闇を恐れる私とは逆に、ユイトは暗闇にこそ安心を覚えるのかもしれない。


 ベッドの横に両足を下ろして、そろりと立ち上がる。同棲を始めて20日はつか程。毎晩ベッドを抜け出していれば慣れもするもので、音を立てずにユイトがいるであろう布団の山の横に腰掛ける。


 掛け布団に手を伸ばして、そーっと捲るとユイトの顔が出てきた。昼間は険しくすらある顔は、寝顔ゆえに眉間の皺が薄れて、どこかあどけない表情をしていた。

「今日もかわいい」

 穏やかな寝顔に心がくすぐられる。しばらく堪能してから少しだけ離れる。手を伸ばすのはクローゼットだ。

 私の服もかけてあるけど、目的はユイトのワイシャツ。


「ふふっ」

 と、笑みがこぼれる。

 そのまま今着ている服を脱いで、洗面所にある洗い物籠に入れる。夏の残滓が部屋を温めているが、12月に入って夜の気温は下がっている。

 微かな寒さに身震いしながらも、普段ユイトが着ている服に包まれる安心感と喜びには変えられない。


 ユイトが寝ている布団の横に戻って座る。

 男性が寝ている部屋で、服を脱いで、ユイトひとの服を勝手に借りて、寝顔を眺める。

 言葉を羅列すると我がことながら犯罪臭が凄いなと思う。幼馴染だから、の一言で済ませるには色々と隠しきれない異臭が漏れ出ている。


 それでも、私はユイトがしょうがないと受け入れてくれることに縋って、何度だってあやまちを繰り返す。

 寝れない夜を心穏やかに乗り越えるために。


 ユイトの頭を膝に乗せて、前髪を払うように撫でる。

「……私は、自分が罪深いをの知っているのよ?」

 夢観ゆめみセナという、ユイトの後輩を名乗る少女への返答を、今頃になって返す。信じられなくて当然で、至極当たり前の感情だろう。

 ただ、彼女のその感情の出所を思うと、どろっとしたものが胸からあふれそうになる。寝ているとはいえ、ユイトの前でそんな醜いものを見せたくない。だから、動悸を抑えるように胸を押さえて、呼吸を整える。


「本当は、ユイトと一緒にいる資格なんてない」

 指先で払った前髪の内側には、私の傷がある。当時の生々しさを窺い知れる、一生消えない傷痕。

 私のせいで刻まれた傷。

 私の心の傷。


 儀式のように、私は今夜も傷痕に口づける。

「……本当に悪い女」

 なにより悪いのは、この傷に愛おしさを感じていること。

 後悔もある。罪悪感もある。

 でも、それに勝る愛がある。


 好きな人に消えない傷を残したい。

 そう思う私はどこまでも愚かで罪深かった。


  ◆第6章_fin◆

  __To be continued.



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