「……本当に待っていません」
セナが唇を尖らせて言う。
「俺の勘違いだった、悪かったよ」
拗ねる彼女を宥めつつ、店員さんにコーヒーを頼む。伝票に書き込みつつ、俺とセナを窺う視線が気になるが、とりあえずメニュー表をセナに渡す。
「ほら。なにか頼んで。奢るから」
「いえ、そんな」
途端、尖らせていた唇を戻し、遠慮するようにセナがぱたぱたと小さく手を振る。
「先日も奢っていただいたのに、申し訳ないです」
「前回は先輩だから。今回は詫びだからな」
「ですが」
普通、奢ってくれるとなったら喜びそうなものだけど、控えめなセナは遠慮するらしい。となると、適当に頼むべきか。
メニュー表を捲って、なにが喜ぶか検討する。やはり甘い物と思っていると、スッと白い指が割り込んできてメニューの1つを指差した。
見上げると、バリスタっぽい女性店員さんがにこりと笑っていた。
「セナちゃんはあまり甘い物は注文しないですね。デザートならコーヒーゼリーやお団子、つまめる物ならポテトがおすすめです」
「なるほど」
「なにを言って……!」
店員さんというのは客の好みも把握しているらしい。セナが非難の目を店員さんに向けるが、隙のない営業スマイルで躱されている。
「なら、ポテトとコーヒーゼリーは2つ。あと……」
ハンバーガーを頼もうとして、脳裏にムスッと腰に手を当てたアオの姿が蘇る。
「……以上で」
「かしこまりました」
復唱して優雅に去っていく店員さんの背中を、セナが恨めしげに睨んでいる。子どもっぽい反応に、思わず笑ってしまう。
「仲いいんだな」
「よく、来ますので」
決まりが悪そうなセナを見てさらに笑みがこぼれる。それが癪に障ったのか、珍しく俺を睨んでくる。そのまま琥珀の瞳を横にズラして、拗ねたように零す。
「……今日の先輩は意地悪ですね」
「詫びをしに来たのにそれは問題だな。控えるよ」
「いえ、それは」
セナがなにか言おうとして、すすすっと頭を鎮める。
「……なんでもありません」
「なんかある言い方だけど」
まぁ、指摘はすまい。頬が赤くなっているのも含めて。
そうやってからかったり拗ねられたりしていると、頼んだ品が届いた。「ごゆっくり~♪」となぜか語尾を上げる店員さんに噛みつきそうな顔で威嚇するセナを眺めつつ、コーヒーを飲む。
しばらくぐるぐる威嚇モードだったセナだが、俺が見ているのに気づくと、すっと会釈するように頭を下げた。
「いただきます」
「どうぞ」
コーヒーゼリーをセナがスプーンですくってぱくり。口を手で隠して、もそもそ食べる姿は女の子らしい。
「あの、見られていると食べづらいのですけど」
「すまん」
女の子の食事シーンを眺めるのは確かに不躾だった。デリカシーがないとも言う。一緒に届いたポテトを摘み、そんな感じで喫茶店でのひとときを過ごす。
「ごちそうさまでした」
お会計を済ませて店の外に出ると、深々とセナがお礼を言いながら頭を下げてきた。そうまでする必要はない、と止めようとしたが、気にしいな部分のあるセナに言っても余計に気にするだけか。前回もそうだった。
「詫びだから。むしろ付き合わせたな」
「……」
そう言ったら、顔を上げたセナにジト目で見られた。
「責任は全部自分、みたいな言い方、どうかと思いますよ?」
「あー、そう聞こえた?」
「はい」
否定してほしかったんだけど、素直に頷かれた。
意識的にそうしたつもりはなかった。でも、口にした言葉はそう取られてもおかしくはない内容だった。
「今日のことだって、
「違う」
そんなことはない。
あの時、悪かったのはセナではない。間違いなく俺だった。
「俺が決めたことに巻き込んだ。だから、俺のせいだ。セナが気にする必要はない」
「それは、虐めについて、ですか?」
「……そうだ」
真摯な瞳に射抜かれて、誤魔化すのをやめた。ここにアオがいないのもある。セナには一度現場を見られているから、どうあれこの釈明は必要だった。
気にかけているのなら、なおさらだ。
「中学の時、虐めはなかった。ないことにした」
頭の中にアオを思い浮かべる。
いつだって、俺の前では笑っている、俺の妖精。
「――幼馴染が泣くからな」
それがすべて。それ以外の理由はなかった。
今回、俺がセナに詫びる理由。あったことを、なかったことにしたから。気にかけてくれる彼女に、俺は謝らなけれならなかった。
「知ってるお前に口を閉ざせ、というのは酷なのはわかってる。終わったことだから、とも言わない。悪いけど、俺の我が儘に付き合ってくれ」
ソラのような爽やかな微笑みなんて俺には浮かべられない。きっと、固く苦い笑顔になっているだろう。
それでも、気にするなと俺には笑いかけることしかできない。
結局、最後には重苦しくなってしまった空気を変えるつもりで、踵を返して声を張る。
「さて、帰るか。遅くなったし、送って――」
行くか? と、尋ねようとしたら、背中にトンッと柔らかい物が当たった。振り返ると、セナが俯くように額を押し付けていた。
「…………ズルいですよ」
絞り出すような彼女の震える声に共振して心が波打つ。
「セナ?」
「……諦めようって思ってたのに。絶対に敵わないのがわかってるから。ただそれだけのために同じ高校を選んだのに、なにも変わってないんですから」
ズルい……ズルい……。
背中を叩くセナの震える声に、俺は戸惑うことしかできないでいる。
どうしてセナがこんなに過剰な感情を向けてくれるのか俺にはわからなかった。
たった1度。まともとも呼べない会話をしただけなのに。気にかけてもらうようなことなんて、してないんだけどな。
「……ごめんなさい、
俺の背中に隠れていた表情は笑顔だった。
けれど、その瞳は濡れている。
指摘するような真似なんてできず、「そうか」とただ頷くことしかできなかった。
セナは軽く会釈すると、いつもの明るい声音で別れを告げてくる。
「ありがとうございました。今日は、帰りますね」
軽く手を上げてバイバイと手を振る彼女を、俺は引き留めることもできず、最後までなにも言えないまま、その背中を見送ることしかできなかった。