アオに誘われるままアパートの外に出ると、夜の冷たい空気が肌を刺した。昼間の暖かさが嘘のように、吐く息が白くなって宙に消えていく。思わず首をすくめ、手を擦り合わせて暖を取る。
すると、不意に横から華奢な手が伸びてきて、俺の手をそっと包んだ。そのまま、指を絡めて、ぎゅっと握られる。
肩越しに隣を見ると、アオが楽しげに笑っていた。
「暖かい?」
「寒くはなくなったな」
「素直じゃない」
「十分素直だ」
否定しないだけマシと言える。否定による肯定。意味は同じだが、そういうところが素直じゃないと言われてるのだろう。
それもどうかなぁと思ったので、少しだけ素直になってみようと試しに手を握り返してみる。すると、アオは目を丸くしてこっちを見た。星よりも煌めく瞳に俺が映り込む。
「……なに?」
「なんでもないわ。なんでもないの」
その声にはどこか嬉しそうな響きが混じっていた。繋いだ手を大きく振って歩くアオは、まるで機嫌のいい幼子のようだった。
「散歩って言ってたけど、どこ行くか決まってるのか?」
「? 決まってないわ」
「……なんで『当たり前でしょ』? みたいに首を傾げられるんだよ」
悪びれもしないで。
「どこでもいいわ。目的地なんて必要ない。ユイトがいるなら、それでもいいもの」
「さようで」
また恥ずかしいことを臆面もなく言う。
さっきまで感じていた夜風の冷たさが、今は涼しく感じた。
「なら、適当に歩くか」
「そうね」
目的地のない夜の旅に出る。
終着駅はどこになるのか。きっとアオの気持ち次第なんだろうと、雲に隠れた月を仰ぐ。
繋いだ手が離れたのは学校に隣接する自然豊かな公園だった。裸の木々が並んでいるせいか、昼間と違って夜に見ると不気味に見える。
木々の間の小道を抜けて、大きな広場に出る。大きな時計の長針と短針がまもなく12時で重なろうとしている。
そんなだからか、公園に人の姿はなかった。
校庭のトラックのような形をした芝生。その周囲の道をゆったりと歩いていると、アオがそっと口を開いた。
「私、前の学校で崇められてたんだ」
崇める、なんて。
現実ではまず聞かない言葉をアオが平然と口にする。それを驚きもせず、俺は「そうか」と受け止めた。そうだろうな、という納得があった。
「なにもしてないのに、周囲が誤解していく。
こんにちはは、あなたが好きです。
さようならは、あなたが嫌いです。
言葉以上の意味なんて込めてないのに、知らない受け取り方をされて、それが私として広がっていくの」
アオの横顔が、自嘲するように笑った。
「生徒会長になんて立候補してないのに、知らない間に祭り上げられてた。
会議で私は座ってるだけなのに、話が決まっていく。
全部私が決めたことになって。
さすがは樋妖様ですって、彼女たちは私の知らない私を作り上げた」
アオが俺の正面に出る。
くるっと踵を支点に回って、俺の反応を窺ってくる。
「どう思う?」
「そうだろーなーって」
「あはっ、そうだよね」
「そうだな」
あぁ本当に、そうだろーなーって思うしかない。
だって、中学の頃からアオの周囲はなにも変わっていなかったのだから。
アオの周りはいつもそうだった。
中学、それどころかもっと前から。出会った時から変わらない。
毛先に向かうほど青くなる髪に、恒星のように煌めいて見える青い瞳。整った容姿も合わさって妖精を彷彿とさせる見た目は取っ掛かりでしかない。
たぶん、1番ダメなのは雰囲気だ。
「人に見えないんだよ」
「じゃあ私はなに?」
「妖精」
「よく言われるね」
「あぁ、だから尊敬という形で排斥される」
アオの笑みが深くなる。
その表情はあまりにも神秘的で、幼馴染の俺ですら人外と思わせる魅力があった。
「尊敬してるのに排斥?」
「アオが1番わかってるだろ。自分と違うものを人は拒絶する。同じコミュニティに存在してほしくない。だから、上に祭り上げるか、下に蹴落とすか。コミュニティからの排除という意味ではどっちも同じだろ」
中学でもそうだった。
アオを崇拝して、アオの
過程に違いはあるが、自分と同じ立ち位置から追い出すという意味では一緒だ。
「ユイトにとって、私はなに?」
「幼馴染」
端的に事実を伝えると、あはっとアオは声を上げて笑った。その笑顔はどこまでも純粋で、心の底から喜んでいるように見えた。
「やっぱり本当の私を知っているのはユイトだけだった」
雲間から月光が差し込む。
自然を背景にキラキラと輝くアオは、童話に出てくる湖の妖精のように見えた。
月明かりの下で、微笑む妖精が告げる。
「私はユイトが好き」
その一言が、月の光よりも強く俺の胸に突き刺さる。
光の舞台から抜け出すように駆け寄ってきたアオが、勢いよく胸に飛び込んでくる。
「……好きなの。ユイトのことが。大好き。一緒にいてほしい。離れないでほしい。だって、ユイトがいれば、それだけで私は幸せだから」
胸の中でアオが顔を上げた。
熱っぽく、潤んだ瞳に思考が焼かれる。
「私のせいで傷つけた。だから離れないといけないと思った。でもダメだった。だって、本当の私を知っているのはユイトだけだったから」
アオは顔をくしゃくしゃにして、だから、と泣くように笑った。
「ユイト……」息を詰めたアオが、涙を滲ませながら続ける。「私のことを好きって、言って?」