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第3話 12時の鐘。夢の終わり。

 縋るように俺の服を強く握りしめるアオの手から、緊張が伝わってくる。俺も同じだ。心臓が喉元まで跳ね上がり、呼吸が浅くなるのを感じる。

 好き。

 好意の表れ。

 そうした気持ちをアオが俺に向けているのは知っていた。鈍感を気取る気はない。けど、それと返答はまた別問題だった。


 弱々しく、潤んだ瞳。

 地上で輝く星の視線から逃げたくなる。それでも、これは大事なことだからと、腹を括ってアオの肩に手をかける。

 密着していた体を少しだけ離して、アオを見返す。


「アオは幼馴染だ」

 誤解のないよう、一言一言丁寧に伝える。

「家族だと思ってる。そうした意味での、好意はある」

「……うん」

 アオの気持ちを知っていたから答えを用意していたわけじゃない。ただ、ずっと抱えていた気持ちを赤裸々に吐き出しているだけだ。


「私を、女としては見れない?」

「……あぁ」

 尋ねられて、口から零れたのは肯定ではなく嘆きだった。1番、アオに訊かれたくない言葉だったから。

 これが、日常での出来事だったら適当に誤魔化していた。見れるわけねーだろおかしなこと言うなって、焦りはしても否定はできる。


 でも、今はアオが告白してくれた大切な時だ。これまで、言葉にすることはなかった気持ちを、俺に聞かせた。なのに、俺だけが本音を隠して、上っ面の言葉を口にすることはできない。

 してはいけないって、そう思う。


 絶対に死ぬまで口にしないと決めていた。墓の下まで運んでもなお不安になる、誰にも知られたくない俺の恥部だ。

 そんな気持ちを抱くことすら罪で、誰かに懺悔しようものなら首を切って死にたくなる。


 息が苦しい。

 ふっ、ふっと呼吸の感覚が短くなる。

 アオの涙が移ったように、視界が霞む。そのまま溺れてしまえれば、どれだけよかったか。アオの肩を掴む力が強くなる。痛いほどに力を込めてしまっているのに、アオは顔色一つ変えないで、俺の返答を待っている。

 だから俺も、恐れを呑み込んで告白する。

 言葉にすれば、全てが壊れるとわかっていても、俺は醜い心の内を晒さないといけない。


「俺はアオを、抱きたいと思ってる」

 言った。

 言ってしまった。

 吐き気が喉に上ってくる。それを堪えて、次の言葉を舌の上に乗せる。


「幼馴染なのに、家族なのに。アオをそんな目で見てしまう自分が嫌だ」

 気持ち悪い。

「唇に触れたい。胸に触れたい」

 怖気がする。

「アオを押し倒して、俺の物にしたくなる」

 死にたくなる。


 おりのように深い深い心の底に沈ませて、ずっと溜め込んでいた。

 どろりとした汚泥のような感情がせきを切って口から吐かれる。

 止めたいのに、一度吐き出すと蛇口が壊れた水道のように止められない。


 衝動的に顔に爪を立てる。痛みで自分を取り戻したいのに、痛覚が麻痺しているようになにも感じない。

 アオを抱き寄せて、泣きつきたくなる。でも、それだけはしないと、最後の一線だけは守ろうと俺は自分だけを傷つけ続ける。


「俺が高校に上がって家を出たのもそれが理由だ。アオに手を出したくなかった。怖気すらする俺の低俗な部分を、見せたくなかった」

 アオも、セナも、ソラも。

 本当の俺を理解していない。家族と思っている幼馴染に手を出したくなるクズだってことを。


「それは、好きとは違うのかしら? 異性として好きなら、そういう気持ちを抱いても、不思議ではないでしょう?」

「俺はアオの幼馴染だ」

 それは俺の中にある明確な線引。

「家族なんだよ。そんな相手に抱く情欲が、純粋な好意なわけないだろ?」

 好意の延長線上にある欲じゃない。出発点から欲だった


「だから、俺は――」

「いいよ」

「え」

 断りの言葉を吐こうとした口を、セナが指で押さえてくる。両手で俺の頬を包んで、唇の端から端を親指が伝う。

 吐き出した欲を刺激するような行為に、背筋が震えた。


「やめろよ。そんなことされたら」

「いいよって、私は言ったわ」

 全てを許すようにセナが笑った。

「性欲、情欲、色欲……なんでもいい。ユイトが私を受け入れてくれるなら、なんだって嬉しいわ」

 するりと蛇のように俺の手をセナが絡め取ってくる。そのまま蛇が口で咥えるように手首を取って、自身の胸に押し付ける。

 コートの上からでも沈む、ふくやかで柔らかい胸。触りたいという衝動を必死に押さえてきたのに、実際に触れる時はあっさりしたものだった。

 手のひらで感じる刺激に脳が壊れそうになる。ギリギリで留めている理性が、今にも崩壊してしまいそうだ。

 ひび割れた理性を壊すように、アオが唇を寄せてくる。


「ユイト……私を、犯して?」

 ぷつりと理性の糸を断ち切る囁きだった。

 頭なんて働いていなくて、ただただ近づいてくるアオを見つめ返すことしかできないでいた。

 唇が触れたら、終わる。

 そんな予感だけが胸の中にある。でも、俺は繋ぎ止めていた理性はもう切れている。


 輝く青い瞳が艶やかに細まる。深海のように底の見えない青い暗闇。底のない青に沈んで行こうとして俺は――アオの肩をぐっと押して突き放した。

「俺は……」

 アオの両肩に手を置いたまま、項垂れるように地面を見下ろす。

 きっと傷つけた。

 そのことに深い罪悪感を抱きつつも、俺はアオを受け入れることができなかった。


「俺は……ちゃんとアオのことを好きになりたい」


 情欲に負けて、ただ気持ちよさを求めてアオを抱くなんてしたくなかった。

 そうした低俗な欲望なんて抜きにして、愛おしさによってアオに触れたかった。


「今、アオを抱いたら、他の奴らと一緒になる」

 見た目や雰囲気で、アオはこういう人なんだと決めつける人たち。俺はそんな奴らと一緒にはなりたくなかった。

「そういう関係になるなら、情欲じゃなく、ちゃんとアオを好きになって、先に進みたい」

 だから悪いと謝る。


 アオの告白を無下にした。

 顔を伏せているから、アオがどんな顔をしているかわからない。泣いているのか、ただ悲しい顔をしているのか。

 それでも、断ったのは俺だ。

 息を吸って、吐き出す。覚悟を決めて顔を上げると、そこにあったのは俺の予想に反して、泣きそうに瞳を潤ませながらも、嬉しそうに笑うアオだった。


「ユイトって、意外とロマンチストよね」

「そんなこと、ないが」

「あるよ」

 とんっと地面を蹴って、アオは俺の手から離れる。後ろ手を組んで、踊るようにくるくると回る。

「うーん」

 悩むような声が聞こえてくる。

 そうやって一頻り回っていたアオが、俺の方を向いてピタリと止まった。腰を曲げて、下から覗き込みように見上げて、にこっと微笑む。


「うん、待ってる」

 その表情は声音はいつものもので、俺は密かに胸を撫で下ろす。小さく「ありがとう」と零して、今できる精一杯の笑みを浮かべる。

 ポーンポーンと公園の時計が静かに夜を告げる。

「……12時の鐘」

 夢は覚め、魔法は解ける。

 でも俺たちは変わらない。けれど、変わらないままでいられるはずはなかった。


「寒くなってきたし、帰りましょう」

「そうだな」

 隣に並んで、アオが手を繋いでくる。当たり前のように恋人繋ぎ。いつも以上に繋いだその手を意識しながら、今はこれでと俺からも握り返す。

 応えるようにアオは握り返して、そっと頭を俺の肩に乗せてくる。


 近すぎる距離。でも、超えることのなかった最後の一線。

 しばらくはこの距離のままかと、影を1つにして帰路についた。

 この距離が縮まるのか、離れるのかはわからない。けれど、今はただ、この手の温もりを感じていたかった。


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