目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第10話 託宣

 託宣。


 神と人とは直接言葉を交わさない。それは、神が人にかかわる際に守らなければならない不文律、神々の中の紳士協定があるからだ。


 しかし、その決まりにはいくつかの『まぁ、このぐらいなら』という目こぼし・・・・ポイントがある。


 そのうち一つが『託宣』、つまり『人と言葉を交わす』のではなく、『人に一方的に言葉を降ろす』といった方法だ。

 これもあまりやりすぎると他の神々からの白眼視をかうが、適度にやるぶんには『仕方ない』と扱われる。


 この方法で神は人に言葉を届けており……


 託宣は紛れもなく神の言葉であるため、教会はこの方法で届けられた命令をなんとしても達成しなければならなくなる。

 すべてを費やして。人も、金も、コネも、すべてを、だ。


『神殺しを殺せ』


 神から名指しで敵視された者がいる。

 この『神敵』を倒すため、教会は王宮へと応援を要請した。


 この『要請』は『これは神の言葉であるから、国家がもしもこれをないがしろにするのであれば、教会はすべてを挙げて王宮勢力と敵対する』といった『言葉の裏』を持つものだ。

 教会勢力は人々の才能スキル鑑定を始め、なくてはならない様々な役割──ある貴族とある貴族の領地の間を横断的につなぐ役割、才能鑑定による就職口の斡旋、冠婚葬祭など──を司っている。

 これ全部にストライキされたり、王宮へと神官の軍勢に攻め上られたりしてはたまらない。


「託宣でさえなければ」


 王宮にて軍事をあずかる者は、そのように嘆いた。

 たった一人を相手に教会と王宮が軍事力を集める。しかも、その旗を振るのは、最近素行不良が問題視され、姫との婚約を破棄したばかりの勇者なのだ。頭痛を覚えるなという方が無理だった。


 教会勢力も専横的に特権を行使するというわけではない。普段はバランスを気にし、ここまで断固とした要求はしてこない。

 その教会が『お前が協力しないなら、お前が死ぬか、我らが死ぬかだ』というぐらいまで断固とした態度で要求するようになる。それこそが『託宣』と呼ばれる『神の言葉』の力であった。


 かくして王宮は、たった一人の冒険者を国家の敵に認定せざるを得なかった。


 その敵の名は『神殺し』ディ。


 女神インゲニムウス名指しで定められた、神の敵にして、国家の敵。


◆ 


 冒険者ギルド──


 夕刻、ディがギルドに入ると、いつもの受付嬢がメガネをずり落としながら「ディさん!」と顔を青ざめさせて駆けてきた。

 ただならぬ雰囲気にディが首をかしげて言葉を待てば、受付嬢が一枚の羊皮紙を差し出してくる。


 それは、王家からの召喚状であった。


『召喚状』──被告人、証人などを召喚するために発する令状である。

 冒険者として活躍すれば、王宮に呼び出されて拝謁の栄誉を賜ることもありうる。

 だが受付嬢の様子はどう見てもそのような慶事を運んできたものではなかったし、書いてある文字を読んで、事情もわかった。


「……『処刑を行う』?」

「教会に託宣が下ったらしくって……」


 受付嬢の言葉は、大変な動揺が伝わるものだった。

 平時は事務処理を多くこなすだけあって話題が整理されているのだけれど、乱れた心を表すかのように、言葉が千々に乱れている。


 どうにか話している内容を整理すると……


「なるほど、教会に女神インゲニムウス直々の言葉が降りてきたのか。しかも、俺個人を殺せとご指名、と。それは確かに王宮も動きそうだ」

「納得してる場合じゃないですよ!?」

「しかし言っていることはわかるので……」

「ディさんもしかして、危機感がない人だったんですか!?」

「そんなことはないと思うが」


 実際、ディの行動は、あの女神イリスに婿としてとられないため、追いかけてこられてもいいように『神を完全に殺す方法』を探っているというものだ。

 神に娶られるという危機から逃れるための行動であり、危機感がない人間はこんなふうに備えたりしない──というのがディの考えである。


「と、とにかく、どうにかしないと……!」

「『どうにか』とはどういうことだろう。興味がある」

「逃げるとかですよぉ!?」

「教会はすべての領地に支部がある巨大組織だし、領主自治権が強い社会とはいえ王が捜しているとあれば、各地の領主も協力するだろう。逃げようと思って逃げられる場所はないように思えるが」

「そ、それはぁ……! それは、そう、かも、しれませんけど……!」

「だいたい、ギルドとしては、俺を説得するなり騙すなりして王へ差し出すのが一番安全だと思われる」

「そんなことできるわけないでしょう!?」

「どうしてだ? 王の御指名ということは、俺は犯罪者になるわけだ。犯罪者を差し出すのは、ギルドとして──」

「あなたが悪い人じゃないのを知ってるからですよ!」


 悪人ではないのを知っている。


 間違った動機だとディは思った。実際、王からの召喚状は届いているのだ。そして、社会での善悪を決めるのは権力者だとも思う。だから、自分は今、『悪人』になっている。


 けれど、ギルド職員の言いたいことも、なんとなくわかった。

 ようするに……


「……気遣ってくれているのか」

「当たり前じゃないですか!」

「ありがとう。…………思ったより、嬉しいものだな。ありがとう」

「…………あなたって人は、本当に…………」


「ディさん」


 いつもの受付嬢の後ろから、筋骨隆々の男が出てくる。

 シャツにギルド職員のバッヂをつけたその男は、このギルドの支部長。元冒険者でもある四十になる男だった。


「あなたが勇者パーティにいたころ、あなたの苦境を知りながら何も手を差し伸べなかった我々のことを信用できないかもしれません。けれど、我々は、今回の教会と国王の決定に逆らうことを決めました。つまり、あなたの味方です」

「なぜ?」

「……感覚的なものになりますが、このたびの教会の動きはどう考えてもおかしい。『勇者』がたきつけて、託宣が来たと嘘をついているのかもしれないと思っています」

「さすがに『託宣が来た』という嘘を教会がついているとは考えにくいが……」

「しかし、数日前に『勇者』が教会を引き連れてあなたを確保に来て失敗し、今、急に託宣が来た。これはあまりにも、勇者の願望を叶えすぎている。なんらかの取り引きがあったのではないかと思います」

「いや、案外、女神インゲニムウスが本当に俺を名指しで殺せと告げたのかもしれないぞ」

「神とはそのように俗な存在ではないと思いますが……神とはもっと超越的で、そして、人間の営みに関心を払わないものです」

「いやぁ……」


 そこでディは思わず笑う。


 ディがこのように笑みを浮かべるのは、実は珍しい。少なくとも、ギルド職員の前では、いつも仏頂面だった。

 だから周囲が驚きを浮かべる中、ディは鼻から息を抜くように笑った。


「神は案外、俗だと思う」

「……」

「超越的ではあるんだろう。でも、欲望だの、ひいきだの、そういうことも平気でしそうだと思うよ。だから案外、女神インゲニムウスが、何かの気まぐれで俺を殺そうと思ったというのは、本当にありえそうな話だと思っている。心当たりもまあ、ないではない」


『神殺し』。


 ディは神の世界については神話以上のことを知らない。

 だが、女神イリスや他の神々がある程度情報を共有できるものとしたら、神にとって神殺しは、殺しておきたい犯罪者だろう。


 まぁ、神殺しとはいえ、完全殺害はまだまだできないのが現状ではあるし、殺した当神に追いかけられているというわけのわからない事態になっているのだけれど。


「たぶん、託宣は本当に降ったんだと思う。王宮や神殿が何かの利害関係で陰謀を働かせているというより、本当に神に敵認定されたんじゃないかと、俺は思っているよ。……だから無理に庇わなくていい。どうか、自分の命を大事にしてくれ」


 ギルド支部長は大きく分厚い手で自分の口元を隠した。

 それから、


「ディさん」

「なんだろう」

「冒険者は調子のいい荒くれ者です」

「……そのようだな」

「酒を美味く呑むために『めでたいこと』をいつも探してます。それまで見向きもしなかったようなヤツが活躍すると、やっかみやら、尊敬やらを急に向けます。事務職をどこか見下してるくせに、調子いい時ばっかり泣きついてきます」

「まあ、そうだな……」

「勇者パーティにいたころのあなたに手を差し伸べられなかったこと、正直に申し上げて、後悔はしていません。あの時のあなたは、冒険者全員の眼中になかった。勇者の腰巾着。面倒ごと請負人。あいさつも返さない、一緒に酒も飲まない、何かわけのわからないことを陰でやってるやつ。助ける価値も感じない『知らない誰か』でした」

「なるほど、参考になる」

「ですが、今は違う」

「……」

「あなたは戦った。あなたは成果を出した。あなたはあいさつを返し、コミュニケーションをとる。あなたは、尊敬するに足る実力を示している。我々はあなたのことを、仲間だと思っているのです」

「…………そうか」

「手続きの締め切りを守らない。書類の書式を守らない。冒険者はそういう連中です。けれど、そういう連中でさえも、絶対に守るべきルールがある。何かわかりますか?」

「……なんだろう」

「『仲間を見捨てることはしない』んですよ。どんなにすごいヤツでも、仲間を見捨てた瞬間、クズに成り下がる。仲間を見捨てることだけは絶対にしてはならない。それが、我々冒険者のルールです」

「それは王やかみが布くルールより重いのか?」

「ええ、重い」

「その結果、王や教会に敵対することになっても後悔しないほどに?」

「ディさん、我々冒険者は調子のいい荒くれ者で、馬鹿です」

「……」

「そんなのちのちのことより、今日呑む酒が美味いかどうかが重要なんですよ」


 それは、本当に、馬鹿だった。

 馬鹿すぎた。

 生活だの、将来だの、そういうことを考えるべきなのだ。人間なら。


 だが……


 ギルド長の言葉の間に、周囲の冒険者が集まってきている。

 そいつらはどうにも、ギルド長の言葉にうなずいていた。『ディを差し出せ』などと言う者が、一人もいない。

 みな覚悟を決めた目で立っている。


 ディは、目を閉じて、笑った。


「本当に、想像していたより馬鹿野郎ばかりのようだ」


 調子のいい飲んだくれどもも、釣られたように笑う。


 だからディは、言った。


「だが、助力は断る」

「……ディさん」

「……だが。素直に捕まってやるつもりもない」


 ディの気配感知能力は、この街に接近する大軍を捉えていた。

 最初からディが召喚を呑むとは思っていなかったのだろう。実力行使をするつもりで、軍を連れている。

『託宣』の成せる業。ほんの数日しか経っていないというのに、これだけの軍隊を用意し、動かす。『神の言葉』がいかに強力かがわかるというものだ。


 その大軍から抜け出すように先んじて、この場所に近づいてくる者がいる。


 そいつは、ギルドの入り口から入って、


「ディ! 女神インゲニムウスから託宣が降った! だから、この僕が──」


 ディは振り返る。

 そこにいたのは、金髪碧眼の美男子。

 見事な鎧に見事な剣を帯びた、特別な才能と神からの寵愛を持つ者。

 その者の『特別な才能スキル』こそ──


「──勇者ブレイバーとして、お前を倒す。『神殺し』のお前をなァ!」


 絶対的優位に立っていると確信している。

 そういう笑みで、アーノルドはディを見ていた。


 ディも、笑っていた。

 その笑みの意味するところは、アーノルドの浮かべているものと同じだった。


 アーノルドには答えず、背後の冒険者ギルドの面々を振り返って、言う。


「ちょっと行ってくる」


「ディさん!」


 なじみの受付嬢が悲痛な声をあげる。


 ディは首をコキリと鳴らし、


「問題ない」


 背後の冒険者ばかやろうどもを見て、


「俺を信じろよ。仲間だろ」


 勝利を宣言する。

 ……神の気配がすぐそこに迫っている予感がある。


 すなわち、勇者アーノルド以下王軍と教会軍との戦い──


 ディにとって、前哨戦である。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?