(軍勢が左右に開いたな)
ディは違和感を覚える。
何かの罠か──そう思って検討するも、このタイミング、街の外の広い平原、相手が集団であるのにこちらが一人、さらに沈みかけとはいえまだ日もあって視界も悪くないという状況で、わざわざ軍を左右に開いて行う計略というのが思いつかない。
(……これは『軍師』の未来もあるのか)
だがこの能力、知識は流れ込んでこない。
将来至る技能および能力に至れるというだけで、知識だけは持ってくることができないのだ。
それでも、骨身につくほど学び続けた軍師的感覚は、この状況を罠ではないと捉えていた。
軍が開く。
勇者の背中が見える。
王宮の軍勢の後ろに展開していた、教会の軍勢へと逃げていく勇者の後ろ姿が、見えた。
そこまでの道が、開いていた。
「……」
ディは、自分の右側から視線を感じる。
そこでは、華美ではないが美しい歴史を感じさせる鎧を着た男が、馬上からディを見ていた。
(指揮官だな)
この用兵はあの男の手配だと感じ、ディは目礼をする。
これ以上軍勢を蹴散らしてもなんの学びにもならなさそうで、退屈をしていたところだったのだ。
ディが視線を勇者へ戻し、加速する。
……その一瞬あと、馬上の将軍が安堵の息をついたことを、ディは知らない。
今の視線の交錯の瞬間、将軍は一瞬あとに全軍の死を覚悟した。ディがもし暴力を好む者であれば、あるいは軍を左右に開いた用兵の意図を察しない者であれば、『自分に突撃してきてこちらの軍勢が壊滅するまでやる』という可能性もあったのだ。
その可能性が実現しなかったことに、将軍は胸をなでおろしていた。
加速し、勇者へと迫るディの耳に、勇者と教会の兵たちの会話が届き始める。
「勇者様、今こそお力を!」
「なんでだよ!? 僕は神に愛された勇者だぞ!? まずお前たちが行けよ!」
……どうやら『どちらが先にディの相手をするか』でもめているようだった。
くだらない問答だった。ディは終わらせてやることにする。
魔法剣を掲げる。
雷を呼び出す。
勇者の周囲にいる教会の兵たちを壊滅させる。
(少し雑な一撃だったか)
これだけの数を相手にすると、さすがに疲労感を覚えるらしい。
死者がいないかを見て、確認。……誰も死んでいない様子に安堵する。
そしていよいよ──
ディは、勇者アーノルドと、会話できる距離へと到達した。
「アーノルド」
「ひっ!? く、来るな! 来るな!」
「そうじゃないアーノルド。俺は──」
「ここからどうしようがさあ! お前はもう終わりなんだよ! ……は、はは、そうだ、終わり、終わりだ! だって……王軍や教会軍に手を出したんだからな! お前の生きる場所はもう、この世界のどこにもないんだよ!」
「……」
「そうだ、そうだよ! だから──僕が助けてやる。僕にはいつくばって謝罪しろ。僕に一生仕えると誓え。今なら、僕がとりなして、お前の居場所をこの世界に作ってやってもいい。だから……」
「……」
「僕に負けておけよ、無能者のディ!」
勇者が抜き放った剣を構え、突撃してくる。
速い。
強い。
その
逃げ足が速いばかりではない。きちんと戦っても強い。
勇者とは、世界を救うとされる才能だ。
世界が危機に陥った時、この『危機』と戦い、世界を救う。
神の定めた救世主。それこそが勇者。
これまで軍隊と戦っていたディからしても、勇者アーノルドの力は、頭一つ抜きんでていた。
だが……
頭一つ程度では、
「あ、ガッ!?」
「アーノルド。俺は」
……あっけなく、雷の剣に刺し貫かれるだけで、勇者の剣は、ディにかすりもしない。
それでも勇者の意地なのか。かすっただけで麻痺、痙攣を引き起こす雷の剣に腹部を貫かれ、勇者は膝から崩れ落ちるだけで済んでいた。
雷の刃を──魔力で編まれた非実体の刃を両手で握り、引き抜こうと、しているのだろうか? 握るだけで精一杯という様子ではあるけれど、確かに勇者は刃を両手で握り、口を開き、ヨダレをこぼしながらも──
ディを、にらみつけていた。
ディは、そのまま、話しかける。
「アーノルド、俺は、『お前』を見てなかった」
「…………」
「いろいろな人とかかわっていくうちに、お前にずいぶん失礼なことをしてたと気付かされたよ。……だから、話をしたいんだ。落ち着いて、話をしたい。でも、今は無理なようだから……また、冷静に話ができる時に、話そう。『お前』を見て、『お前』と話すよ。だから、お前も、『俺』を見て、『俺』と話してくれ」
その言葉に──
アーノルドは、笑った。
……自嘲するように、嗤った。
「そ、んな、こと、できる、もん、かよ」
今なお毒のように雷の魔力を受け続けている。
だが、足に力を込めて立ち上がる。
「お前、は、『無能者』で、『卑怯者』で、『裏切り者』だ」
「……違う。俺は、『そういうの』の前に、一人の人間だ。お前も……」
「できるもんか」
両足でしっかりと立つ。
腹に突き立つ雷の剣を握る手に、力がこもる。
「できるもんかよ。才能抜きで人を評価なんか、できない。『そういうの』なんて、そんな簡単に言うことなんか、できない。だって、僕は、『僕』である前に、『勇者』なんだぜ」
「……」
「生まれも才能も抜きにして人を見る? ハハッ。できるヤツはいるんだろうさ。でもさぁ、少ないよ。全然いない。そんなことができるヤツはさ。──自分の実力に自信があって、余裕があるヤツだけさ。なぁ、そうだろう、ディ」
「……そんなことは」
「お前はずっとそうだった。お前だけが、僕を『勇者』として見なかった。ムカついたよ。お前が『才能』以上の何かで人に褒められるのがさ、たまらなく気に入らなかった。だって僕には、才能しかないのに」
「……」
「お前は殺す。絶対に殺す。追い詰めて殺す。お前みたいなヤツが人に認められたら──」
アーノルドは、奇妙に眉をゆがませ、
「──僕の才能しか見られなかった人生は、なんだったんだよ?」
「それは、」
ディが答えを言葉にするまで、時間がかかった。
その隙に、
「我が勇者、アーノルド」
『誰か』が。
「あなたの人生の意味を、教えましょう」
アーノルドの身に降り注ぎ、
「あなたの人生は──」
勇者の体を光で満たし──
「──我が愛する者の魂を保護するために、あったのです」
──消えていく。
アーノルドの姿が、消えていく。
光に満たされ、消えていく。
「あ、ああ、ああああああ……?」
光の中から、声がする。
「嫌だ、いやだ、どう、どうして、どうして、僕を消そうとするんだ……どうして、ねぇ、どうして……お前が、お前が僕を勇者にしたんだろ!? お前が望んで、僕は勇者になったんだろ!? 僕を救えよ! 僕の人生を報われたものにしろよ! 僕を──」
声は、最後に、
「──認めてくれよ、『僕』を。女神インゲニムウス、あなたぐらいは」
……か細くなって、消えた。
光が晴れる。
そこに立っていたのは、勇者アーノルドではなく。
盾と剣を備えた薄絹の、金髪碧眼の女性。
「お初にお目にかかります、『神殺し』。ちょうどよい依り代があったものですから、あなたを殺しに参りました」
『才能を与えし者』。その名をインゲニムウスが、降臨していた。