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第15話 エンゲージ

 勇者ブレイバーアーノルドは──


 蘇る、ことはなかった。


「……」


 ディは手の中の『聖剣』を握りしめる。


 感覚でわかる。この剣は、『人以外』を斬ることに特化した剣だ。


 神殺しの方法を模索しているうちに、『かつて、神を殺した存在』にたどり着いた自分でもいたのだろう。

 その自分が手にした『可能性』。それこそが『超越存在殺し特化の剣を扱う勇者』であったのだろう。


 神殺しの可能性を模索している。

 単純な神殺しではなく、『より、神のみを殺せるように』と特化した自分の可能性を探っている。

 それはまぎれもなく、最近の努力が実を結んだ果ての『未来』であろう。

 神しか殺せない能力。神殺しに特化した剣。


 だが、それでも。

 ……神のみを斬る剣でも、依り代にされた勇者アーノルドは帰ってこなかった。

 人の身に神を宿すとは、それほどのことなのだろう。


「あー、その、『神殺し』よ」


 ……アーノルドのことを考えているうちに、接近を許してしまっていた。

 しかし、背後からかけられた声に敵意はない。


 ディが振り返ればそこにいたのは……


 先ほど、馬上からディを見ていた、歴史ある鎧に身を包んだ老年の男である。


 今は下馬し、武装らしい武装もない。

 話に来たのだろう。……わざわざ、武装解除までして。


 その気遣いに敬意を払い、ディは相手へ真っ直ぐ向き合った。


「俺の名前は『神殺し』ではなく、『ディ』だ。あなたは?」

「……申し遅れた。王軍の中で将軍という立場にある。貴族としては侯爵位の……まあ、このへんはどうでもいいか。『ヴォルフガング』という者だ」

「なるほど。ヴォルフガングさん、だな」


 貴族ではあるのだろうが、それを自ら『どうでもいい』と述べる彼は、『そういう付き合い』を求めてはいないだろうと判断できた。

 正解だったようで、ヴォルフガングは『貴族に対する態度』としては無礼極まりないディの様子に何かを言う素振りもなく、言葉を探している。


「……あー、その、ディよ。お前が人間を無差別に殺す、神話の世界の『魔王』じゃないことは、わかる。わかるが……これだけ多くの前で、明らかに『神』であるモノを殺しちまった。これはさすがに……『対応』をしないわけにはいかんのだ」


 あの神は人の可能性を狭め、人の未来を閉ざす、人類の敵であった。

 だがしかし、神なのだ。これまで崇められてきた神なのだ。託宣を降すそのものであり、あれを崇める形で興った宗教団体が、この国、この世界で重要な役割を果たすほどの、信仰対象なのだ。


 これを殺したものを目の前にして、放置はできない。


 ディはその理屈がよくわかった。

 だから、うなずく。


「では、やろうか」

「……いやいやいやいやいや。いやいやいや、いやいや……なんだ、お前さん、もしかしてかなり、血気盛んか?」

「『やらなければならない』というそちらの事情は察するところだ。しかしこちらも大人しく捕まるわけにはいかないので、やるしかないという判断になったわけだが……」

「そうじゃなくてな。……落としどころを探りたいんだよ、こっちは。教会の坊主連中はともかくな、俺らは『神のための戦い』なんていう馬鹿馬鹿しいもんで部下の命を散らしたくはないんだわ。神はあくまでも人のためのもの──残念ながら不信心者の集まりでな。信仰より命が大事だ」

「そうか」

「できればお前さんの名誉もどうにかしてやりたいところなんだが、神を斬られちゃどうしようもない。なもんで、折衷案で、どうだ? どうせ犯罪者扱いなんだし、俺を人質にして逃げないか? それとも、そういう情けないって言われそうなことはやりたくないタチか?」

「いや。そういうことにこだわりはないな。ただ……」

「ただ?」

「逃げるなら人質は必要ない。普通に逃げる」

「……ああそうかい」

「それと」

「?」

「今すぐこの場を離れた方がいい。来る・・


 ヴォルフガング将軍が不思議そうな顔をした、直後。


 ……時空そのものが、揺れる。


『才能を与えし者』インゲニムウス。その存在ももちろん桁違いであった。本来、地上にあってはならない強大な存在。神性である。


 だが、わかる。


 それよりはるかに上。


 時空が桃色にきらめき、宙がねじれて渦になる。

 きらきらと輝くその渦から──


「見ぃつけたあ」


 ──恋にときめく少女のような。

 あるいは、情に浮つく女のような。


 そういう声と、『手』が出てくる。


 その『手』は待ちきれないように渦を左右にこじ開け……


 顔が、渦の奥から出現する。


 その存在の名、『手を届かせる者』。


「……来たか」

「はい。あなたのイリスが参りました」


 女神イリスが、時空の壁をこじあけて、出現した。


 ……その時に、神の存在ならぬ理由で地面が揺れる。


 ディと将軍ヴォルフガングに視線を注いでいた者たちが、一斉にひれ伏したのだ。

 あまりにも位階の違う存在へ根源的に発生する畏敬が、彼らにそういう態度をとらせた。

 ひれ伏した者たちは、己の行動の意味がわからないように疑問符をいっぱいに浮かべた顔をしていた。……彼らの行動は思考によってではなく、ヒトが本来備えている神への畏れによって、体が勝手にとったもの。


 これに抗えたのは、神の出現があまりにも近い場所であったために自失し、結果としてひれ伏さなかっただけのヴォルフガング将軍と……


 神からの求婚を断るために行動を続ける、ディのみであった。


「ねぇ、ディ様」

「……俺は名乗っただろうか」

「愛しいお方のお名前ぐらい、少し覗けば・・・わかります。……ディ様、まさかもとの世界に戻っていらしたなんて。あなたを探して三千世界を回ってしまいましたわ。盲点でした。『犯人は現場に戻る』という言い回しがありますけれど、なかなか馬鹿にできないものですわね。……ああ、現場はわたくしの部屋、でしたかしら?」

「おしゃべりだな、君は」

「ええ、わたくしもこんなに言葉数が多いとは、意外なのです。……あなたの前だから、でしょうか」


 頬を抑えて体をくねくねとさせる女神は、間違いなく男性を、のみならず女性を、そのどちらもない性別さえも魅了するものだった。

 ピンク色の髪が振り乱されるたび光の粒が舞うのみならず、女神インゲニムウスの怒りにあてられ震えていた大地がその震えを止めて花を咲き誇らせ、空を覆っていた黒雲が遠のき、夕日は史上でもっとも美しく地面を照らし、女神イリスの足元にディの影を伸ばして差し出した。


「結婚しましょう。あなたが欲しいのです」

「返事はこうだ」


 ディは──


 斬りかかった。


 聖剣である。神殺し──超越存在を殺すのに特化した人生を歩んだディが振るう、超越存在を殺すのに特化した剣での一撃。


 女神インゲニムウスを一刀で斬り伏せ、完全殺害を成し遂げたその剣での一撃が、確かにイリスの身を真っ二つにする。


 イリスは……


 傷口から、きらめくピンク色の光をこぼし……


 頬を、染めた。


「まぁ、熱烈……!」


「……そんな気はしていたが。本当に殺せないのか」


 ……『才能を与えし者』インゲニムウスは、格の低い神ではなかった。

 その存在は一つの時代そのものにも等しい。しかも、神々が地上で荒れ狂っていた時代。実際、その当時の神々を習合したモノである。


 だが目の前の存在は、時空間を、世界をまたぐ『手を届かせる者』。

 インゲニムウスが『一つの時代』であるならば。


 女神イリスは『三千世界の全時代』である。


「もしかして君は、神の中でもかなりの『上』なんじゃあないか?」

「自身のことをあまり誇るのははしたないと思われないでしょうか? ……実はわたくし、神々の調整役などもやっておりますのよ。他の世界に魂を転生させる都合上の役割ですけれど──」


 時空が歪む。

 ピンク色の渦が、ほとんど無限に空間に発生する。


 その中心でイリスは、情欲に狂った目をディに向け──


「──自分より力なき者に、他の神々が『調整』されるなどということは、ありえませんの」

「……」

「そのわたくしを八百四十七回も殺したのです。いかにご自分が特別な存在か、おわかりになるでしょう?」

「案外少ないな」

「もっと二人で積み重ねていきたい、という意味でしょうか?」

「もしかして神っていうのは総じて『重い』のか?」

「まぁ、『重い』だなんて。そんな……」

「誉め言葉じゃないぞ、ちなみに」

「どのようなお言葉であろうとも、嬉しく存じます」

「……無敵だ」


 本当に、笑ってしまうほど、『無敵』だ。


 ……うぬぼれではないと思うが、自分はそれなりに強いと思う。

 強くなったあとも、神の完全殺害の可能性を模索して努力をした。だから、きっと、この女神イリスとの『付き合い』にも、なんらかの『進展』があるものと、そう思っていた。無意識に、そう思い込んでいた。


 甘かった。


 この女神を相手には、まだ──


「──逃げるしかないか」


 異界渡りディメンション・ウォーク


 あらゆる場所から飛び出してきた『手』が、ディをつかもうとする。

 だがそれを事前予測によって、もしくは『聖剣』によって打ち払い、逃げ出す。


 ディの姿がすうっと消え失せる。


 残された女神イリスは……


「ああ、お待ちになって! もう、本当に、本当に、本当に! あなた様は焦らすのがお得意で──大好き!」


 恥じらう少女のような顔でじたばたと身をゆすり、追いかけるようにその場から消えた。


 ……残された人々は。


「………………なんだったんだ、アレ」


 あまりの事態を目の前にした衝撃から、しばらく立ち直ることができなかった。

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