シシノミハシラ。
この世界は真っ暗な世界に浮かぶ一つの『柱』であり、その世界の柱のような構造が特殊な『力』を発生させているという。
その『力』に適性がある者は、
そして、『力』に適性がない者とは、獣の力を宿さず、神力も扱えず、女に守られて城塞都市の施設で管理される存在──すなわち『男』である。
「ただ厄介なのは僕たちのような女の中でも、僕ぐらいの、つまり『巫女』に選ばれる者というのは貴重であり、さらに言えば、『妖魔』もまた、このミハシラの『力』に適性を持つということだ。だから僕が言いたいのはこうだね。『男性が城塞都市から出て一人でうろうろしてたら危ないだろ』。君の集落の管理者は何をしてるんだい? 僕という素敵な巫女さんが通りがかったからいいようなものの、僕がいなければ君は今頃ヤマタノオロチの子供の腹の中さ。まあ、男には栄養もないから妖魔を成長させることはなかっただろうがね。ただでさえ少ない男性が減るというのは君ね、世界の損失だよ。そこらへん、どう考えているんだい? 僕は真面目な話をしているんだ。君も真面目に答えたまえよ」
その真面目な話をしている少女が今どういう状態かと言えば、ディの膝枕で寝転がって、ディの腹部あたりを指で撫でているところだった。
表情に乏しい、どこか冷たい印象のする、白い毛に透き通った青い瞳の、猫耳の生えた少女。
巫女を自称する彼女の服装はいわゆる『巫女装束』ではあるのだが、袴の丈は短く、白い革製と思しき膝まであるブーツを履いていて、腕を持ち上げているので見えた袖の中には、びっしりと何かの文字が書かれた紙が貼りつけられていた。
おそらく術の媒体であろう紙にある文字はディの故郷のものとは違う。そもそも、少女の操る言語そのものが、ディの故郷のものとは違う。
それでも会話が成立しているのは──
(『未来』が増えているな)
この世界で過ごした未来が、自分の中に増えている。
どのぐらいの努力をしたかはわからないが、この世界に根を下ろし、この世界の人たちと会話し、この世界の文字を読み書きしていた経験があるのだろう。
相変わらず『知識』は流入しない、が……
(当たり前のように、『その未来で使っていた道具』を手にできるようにはなっている)
セヴァース大陸──ディの故郷大陸で、女神インゲニムウスと戦った際に、ディは『聖剣』を抜いた。
あの時だ。あの時から、『道具』を引き出すこともできるようになっている。
そして役割が終われば自然と『どこか』へと収めてもいるようで、ディは気付けば先ほど抜いていた片刃の剣がないことと、しかし、どこかに落としたり紛失したのではなく、『自分がいつでもアクセスできるどこか』へと確かに収納されている確信を得ていた。
(この能力は、まだまだ進化する。それに……さっきの肉を食べてから、明らかに自分が『変わった』ように感じる)
「もしかしてだが、先ほど食べた肉、何か、人を強くする作用があるのか?」
「君の知識欲については褒めてやりたいところだが、僕が聞かれたから『はいそうですか』と素直に答えるだけの便利な女だと思っているなら、その認識を改めた方がいい。そもそもね、僕ら『巫女』というのは無償で人々を助ける存在ではない。確かに、多くの女より優れた力を持っているのでそういった義務はあるが、なんでもかんでもを救済していれば、本当に大事な時に本当に大事なものを救済する力が残らないということもまた、少しでも知恵がある者ならばわかる話ではある。ここまで話した印象で、君がこのぐらいのことに思い至らないとは到底信じられないね。僕としてはやはり──」
「で、何をすれば教えてくれる?」
「はぁ、まったく君はそうやって聞けば教えてくれると思っている。だが膝枕までしておいて察しない君に対して、僕もある程度の妥協はしようじゃあないか。ここまで来たら次は僕の頭を撫でるんだよ。優しく、壊れ物を扱うように、しかし大事な存在に対する愛おしさを込めてね……耳の間とか、耳の後ろとかを適宜適切に刺激すると、僕は君を褒める言葉をまた探さなければならなくなるとも述べておこうか」
「こうか?」
「ふにゃあ、ふにゃあ」
合っているらしい。
基本的に口数が多く回りくどい言い回しを好むようだが、何かが極まるとこうして知能レベルが一瞬でゼロになる。
「ふにゃあ。ふにゃあ。にゃあ」
「悪い、言語を使ってくれ。さすがにわからない」
「ふ。やるじゃあないか。この僕を言語に絶する状態にするとはね。君は一級撫で撫で師の才覚があるとこの僕が保証しよう。ところでなんの話をしていたんだっけ」
「先ほどの肉の詳しい作用についてだ。これには、人を強くするような作用があるんじゃないか?」
「もちろん覚えていたとも。僕は
「それで?」
「妖魔の肉は人を強くする。僕ら巫女は、妖魔を狩って、その肉を喰らい、より強くなるのだ」
「なるほど。つまり──『狩って喰って強くなれる』と。……努力の方向がわかりやすくていい」
「何を思っているかは知らないが、先ほども言ったように、妖魔の肉というのは毒性が強いものなんだよ。本来、僕らのような巫女でもない限り、その毒性に打ち勝って『強さ』を手にすることはできない……のだが、君は平気そうだね。どうしてくれるんだい? 毒に苦しむ君を助けて『素敵!』ってしてもらう僕の計画がダメになったじゃないか」
「なんだ、もっと情報が欲しければ『素敵』と言えばいいのか?」
「君ねぇ。そういうのじゃあないんだよ。要求して言われる『素敵』という言葉に、いったいどんな価値が宿るというんだい? 言葉というのはね、おのずから、心から発せられたものでなければ価値はない。でもとりあえず言ってみてくれないか? こう、なんらかのでっかい脅威を僕が退けるのを目の前で見ていて、戦いを終えて大きな獲物を倒し、君を振り返った瞬間の僕にかける感じで一つ」
「素敵」
「なんでも教えちゃう」
「その妖魔っていうのは、歩いていれば出るのか?」
「基本的に人々は城塞都市にこもって暮らしているわけだが、都市を壁で囲まざるを得なかった理由がまさしく『街の外を歩いていると妖魔に出くわすから』だね。あの壁はただの壁ではなく、僕ら巫女が定期的に神力を流している結界の一種で、横からだけではなく下からも上からも侵入を阻む。そもそも、妖魔が『いきなり出るもの』であることは知っているかい? 君は常識がないからなあ。よほど箱入りの施設で育って脱走でもしたのだろう。僕が他者に知識を伝導することを好む性分でなければ、君の無知は歓迎されなかっただろうね」
「『いきなり出る』?」
「そもそも妖魔というのは、この
「それで──『ヤマタノオロチの子供』と言ったな。『ヤマタノオロチ』というのは?」
そこで少女(そういえば名前を聞いていない)は押し黙った。
どうやら、このおしゃべりな少女でも口をつぐむ、なんらかの情報であるらしい。
しばらくじっと、膝枕で寝転がる少女を見つめる。
少女の猫耳がぴくぴく動くので、頭を撫でてやる。
「く、僕はこのようなことで屈しないぞ。屈しないが口が勝手に動いてしまう。僕の理知が飛び出る、飛び出るぅ」
「で、『ヤマタノオロチ』というのは?」
「実は別に秘密でもなんでもないんだ。かかったな。……あ、待って待って、今いいところ。とてもいいところなんだ。このお楽しみも夕方までだし一秒が惜しいんだ。もっと撫でてくれたまえよ。……そうそう、それでいい。『ヤマタノオロチ』というのはね、いわゆる『大妖魔』だよ」
「『大妖魔』というのは?」
「通常の妖魔は巫女一人、多くとも五人程度であれば充分に調伏できる存在なのだが、大妖魔に分類されるものが出たと発されると、すべての地域のすべての巫女が集められ、これに対策しなければならない。僕がこのへんを回っていたのもそういった事情だね」
「さっきのは『子供』? しかし『子供』というのは……」
「君の言いたいことはこうだ。『妖魔の発生方法を知った今、妖魔に親子関係などはないようにしか思われないので、妖魔に子供というのが存在するというのはいかにも奇妙な話じゃあないか。タマさんかわいい』と。だな?」
「タマ?」
「僕の名を知らないのか!?」
「知らんが……」
「なんということだ。僕のような聡明で美しい巫女を知らないとは。君は世間知らずだと思っていたが、僕の想像をはるかに超えてこの世界の常識を知らないらしい。よほど厳重に管理された施設育ちなのだね。しょうがない、この僕が常識を教えてあげよう」
「頼む」
「まず僕のような巫女と出会ったら、顎を撫でながら『かわいいな』と言うのが正式なあいさつだよ」
「かわいいな」
「にゃあん、ふにゃああ、にゃあ!」
「なんだどうした。それがあいさつか?」
「他の巫女というか、他の誰にもやらないように」
「実は今のは嘘なのか?」
「嘘じゃない。僕は生まれてから一度だって嘘をついたことがないんだ。でも他の誰にもやらないように。……『子供』というのはね、もっと直観的ならざる正式な言い方を採用するならば『
「つまり見かけたら殺すべきものか」
「君の言い方は直接的で物騒だが、まあ言ってしまえばそういうことだ」
「しかもその肉でも食えば力が増すんだろう?」
「だが一方で、力ある者、特に巫女が万が一分御魂に食われると、逆に向こうに力を取り込まれる。僕らと妖魔は、互いに『食うか食われるか』の関係なのさ。まあ野生動物と人間との関係だね、まさしく」
「なるほど。だが、先ほどの様子を見ると、タマならばあれが何本束になっても食われそうになかったが」
「ふにゃあ……」
「なんだ」
「いや。な、なんだ君はその、巫女を相手に呼び捨てとは、無礼なやつだな! 君は知らないようだが、僕は本当に上澄みの巫女でだな、多くの人の尊敬を集める立場なんだぞ。そ、それ、それを、呼び捨てだなんて! いけないやつだ!」
「では『様』でもつけた方がいいのか?」
「いや! そんなもったいないことをされてたまるか! 僕のことはタマと呼びたまえよ。許そう。僕は寛大だからね。親しみを込めて、幼いころから近所で過ごしていた姉同然の相手に呼び掛けるようにタマと呼ぶんだ。いいね?」
「まあ呼び捨てでいいなら呼び捨てるが……どう考えてもこちらが年上だろうに」
「いや君、男性だろ? 男性は五十年も生きられずに死ぬじゃないか。僕はこれでも活動三百年目だぞ」
「……三百年?」
「もしかして神力の多寡が寿命の長さを決めることも説明が必要だったか。神力が多いほど長く生きるんだ。神力のない男性は短命に決まっているだろう。僕からすれば君は赤ちゃんさ」
その赤ちゃんに膝枕をされ、頭を撫でられて『ふにゃあふにゃあ』と生まれたての子猫のような声をあげている者の言葉である。
最低三百歳の淑女は「ああ、そろそろ時間か……」と名残惜しそうにつぶやき、
「では君を近くの城塞都市まで送ろうか。夜になる前に結界の中に戻らないといけないからね」
「戻らないとどうなる?」
「夜は妖魔の時間なんだ。僕が先ほど楽勝できたのは、まあ、僕自身が優れた強い巫女であるからという理由はもちろん大きく影響しているにせよ、今がまだ昼で、
「なるほど。夜は危ない、と。……夜に狩った獲物の肉を食べたら、昼に狩った獲物よりもより強くなれる、ということは?」
「僕は理知的にして歴史に学ぶ者ではあるけれど、寡聞にしてそのような効果の差異は知らないね」
「では単純に効率が落ちるだけか」
「……何を考えているか知らないが、街に戻るからな?」
「そうだな。街の様子も見ておきたい」
「いや、様子を見るというか……うん、まあわかったよ。僕は決まりに従う。君は僕を慕う。これでいいね?」
「どうだろう、あまり慕えそうな人格ではないように見える」
「こんなに冷静で理知的で惜しみなく知識を伝導する上、強く美しいのに!?」
どちらかと言えば『クールで賢いお姉さん』ではなく『同年代に友達がいないので年下を捕まえて知識無双をしたがる近所のヤバいお姉さん』の文脈であり、見た目は十五歳はいってなさそうな感じなので、そもそもディの視点ではどうにも『お姉さん』にも思えない。
だがそういうことをはっきり言ってしまうと失礼かなと判断できるようになったディは、沈黙を選んだ。
そうしてタマの案内で街へ行くと……
「では君はこの施設で安全に過ごしてくれたまえ」
そう述べられて。
地下牢みたいなところへ、入れられてしまった。
がしゃん。
金属の格子が閉じた。