牢屋みたいな場所──
ディが入れられたそこは入り口に金属の格子があるが、その先には、『街』があった。
その『街』の中には多くの玩具があり、食事や飲み物の給仕場所が存在する、のだが……
(奇妙な感じ……ああ、そうか。ここは……)
タマの長い話を思い出す。
彼女によればこの世界の男は弱く、寿命も短く、戦力にならない。
だからたいてい『施設』で世話をされている──といった様子だった。
この『街』に見える場所こそが『施設』であり、ここは、『弱い生き物を世話しておく場所』なのだ。
だから、目抜き通りがあり、食事を給仕する場所があり、玩具などがあっても……
(『店』がないんだ。それに、『働いてる男』がいない)
給仕場所やアトラクションめいたもの──なんらかの、巨大な、そこにいる者が遊んでいるのだけはわかる玩具──の前には人がいる。
獣耳を生やした『女』がいる。
けれど、男は働く側には一切いない。……また、当たり前だがここは『地下』なので壁があり、天井がある。その壁や天井にはびっしりと、タマの用いていたような『符』が存在し、何かの結界めいたものを形成しているのがわかった。
壁と天井の中に作られた、街のミニチュア。
『ストレスなく暮らしてね』と食べ物、飲み物、玩具が配備されてはいるが、それらがみな『上位の者』から『下位の者』へ差し向けていることがなんとなくうかがえる、街全体の盛り上がりや希望のなさ。
(なるほど、『施設』か。……弱い生き物を飼っておくための施設)
「お兄さん、新しく入った人?」
あまりに異様な雰囲気の街を見ていると、横合いから声がかけられる。
その気配は、ずっとディに視線を注ぎ、しかし注ぐだけでなかなか行動せず、けれど立ち去ることもしなかった集団のものだった。
……ようするに、『気にはなるけれど声をかける踏ん切りがなかなかつかずにいた人たち』がようやく声をかけてきた、とそういう様子だった。
歩いて近寄ってくるのは三人の少年だった。
ディより背が低く顔立ちがどことなく幼い。……一見すると年下にしか見えないのだけれど、奇妙なことに、ディの感覚はその三人を年上であると捉えていた。
『経験』が告げているのだろう。
この世界の男は、全体的に、実年齢より幼い、と。
三人の男たちは「ねぇねぇ怖い人かもよ」「そんなことないって」「そうだよ、失礼だよ」とディの目の前まで来たのに三人だけで……
きゃぴきゃぴ、という感じで話をしている。
なんとなく不快な感じを覚えるものの、自分が押し黙ったまま返事もしないのは悪かったなと思い、ディは口を開く。
「ああ、そうだ。ついさっき来たばかりでな。よかったら、ここのことを教えてくれないか?」
そう述べると男三人組は互いに互いの目を見て忍び笑いをこぼす。
(なんだか、俺に話しかけにきているというのに、俺との話をするのがメインの目的ではない、という様子だ)
居心地が悪いというか、不愉快というか。
怒り出すほど無礼なことをされているというほどでもないが、人に声をかけておいて、それをネタに三人の中で何かを
やはり三人が話しかけてくるわけではなく、ひそひそと仲間内で相談というのか、押し付け合いというのか、「君が言いなよ」「えー、君が言いなよぉ」みたいなやりとりを挟んだあと、一人が代表して話しかけてくる。
「ここのことって言われてもなぁ。ここは、僕たちの楽園だし、あんまり言えることはないかな」
「楽園?」
「うん。あ、僕はね、『外』で見つかったんだけど、『外』は大変だよ。でも、ここなら、食べ物も飲み物も、遊ぶ場所もたくさんあるしずっとそれだけしてればいいから」
「そのようだな」
店らしきものはあるのだが、そこに『対価』を支払っている男は一人もいない。
店頭に立つ女に『これをちょうだい』と言えばそれで済む、という様子だ。
だからこそ奇妙で異様な雰囲気なのだが。
「あ、でもそういえば、このあいだ『お呼ばれ』に行った時に、ここの施設は他の集落の施設に比べて大きいって話を聞いたな」
「『お呼ばれ』?」
「……わかるだろ?」
「いや、知らない」
ディが述べると三人組はひそひそと、仲間内でまた話を始めた。
しかしひそひそ話とは言っても、目の前でされている会話だ。ディの耳には、声は聞こえる。
「えー、この人なんなんだろ。普通、そういうこと聞く?」
「本当に『お呼ばれ』の経験がないのかもよ」
「確かになんだか線が太い感じだよね」
「ねぇ、僕、気分悪くなっちゃったよ」
「なんだかねぇ。すごく嫌な目だ」
「うん、行こう行こう」
(なんなんだこいつらは)
この連中の総評、『微妙にイラつく』である。
そんな折……
「そこのお前!」
今度は別な方向から声をかけられる。
なんだかここの人たちに対してあまりいい印象を抱けていないディは、ちょっとばかりうんざりした気持ちになってしまった。
しかしかけられた声に『なんだかこの空間で最初に接した人が不愉快だから、お前たちも不愉快に決まっているので、無視する』というのも失礼な話だろう。
ディが仏頂面で声の方向を振り向くと同時に、先に話しかけてきた三人組がそそくさと立ち去っていく。
視線を向けた先にいたのはただ一人の男だった。
(そういえばここの男たちは不思議な恰好をしているな)
一枚の布に袖をつけ、それをかぶって布のベルトで留めたもの……
いわゆる『和服』を着ている。
色合いはどれも綺麗に染めたはっきりした色だが、暖色系で目にちかちかするものがどうにも流行のようだった。
しかし、怒鳴るように話しかけてきた男は真っ青な着物を着て、腰に棒きれを差している。
「新入りだな! 我らの一党に入れ!」
ずんずん歩いて来てディに近寄ってくる男、やはりどこか幼げな印象を受ける。
ただし先ほどの三人組より体格がよく、眉が太く、声にも勢いがある。
何より真っ直ぐに自分を見て、自分に対して話をしているのは、先ほどの三人組より好印象だ。
だからディも向かい合って話をすることにする。
「『一党』とはなんだろう」
「我らはこの施設から抜けて、自由を志す集団である!」
「……この施設は女性が運営し、男性を管理する目的で存続している。この認識に間違いはないか?」
「ああ!」
「そしてそこらで食べ物だの飲み物だのの
「そうだ」
「……だというのに、『この施設から抜けよう』という誘いを、こんなに大声でするのか? すぐそこで女性が聞いているようだが」
「構わん! 連中はな、男に手を出せんからな!」
ディは微妙な顔にならざるを得なかった。
タマからされた話、この施設の状況、男たちとの会話などを経て、この世界で男がだいぶ、立場も力も弱いのは察した。
つまり弱いからこそ保護されているのだろうが、その保護から抜けようという話を、今、目の前にいる男はしているつもりのはずだ。
だからディは疑問を発する。
「『手を出せない』というのはようするに歯牙にもかけられていないということではないか? どうして施設から抜け出そうという者が歯牙にもかけられていないことを自慢げに語る?」
「違う。そうではなく──」
男はさらに何かを語るのだが、忍耐強いディをして、頭に情報が入ってこなかった。
言葉が空虚なのだ。どうしようもない現実から目を背けるために、様々な装飾をこらしているようだが、そのすべてに意味がなさすぎて、言葉が頭の上を滑っていくのだ。
ディは目を閉じて考える。
(まず、タマが俺をここに入れたのは、それが『常識』であり、『善意』からだった)
この世界では男がだいぶ弱い。だから、保護施設に入れて世話をするという『常識』。
タマもまた男のことを弱いと認識していた。だが、見下してはいなかった。というか、なんなんだろう、あの態度は? 男と触れ合うことはかなり嬉しそうではあったし、『害しよう』とか『監禁しよう』とかの意図ではなく、『弱い男は施設で保護される』という常識に基づく『善意』から、ディをここへ案内したのだろう。
(最初に話しかけてきた男たちが、『普通の男』だった)
たぶんこの世界の男は『ああ』なのだろう。
保護され、世話されるのが当たり前。働かないのが当たり前。
何かのお勤めはある様子で、それは彼らにとってデリケートな話題なのだろうけれど、おおむねこの暮らしに不満はなさそうだった。
(そして今、目の前で話してる男が『特例』に数えられるのだろう)
施設からの脱走を目指す! などと語り……
『弱い男しかいないコミュニティ』の中で、そういう『ごっこ遊び』をしている変わり者。
だがその実態は、弱さゆえに保護されており、弱さゆえに相手にもされていない状況から目を背けたいだけで、『施設から出る』という言葉になんの実行力も感じさせない。
「なるほど」
ディはうなずく。
すると、べらべらと何かを語っていた男が、「わかってくれたか!」と興奮した様子で語る。
ディは首を横に振る。
「いや、そちらの話についてではない」
「では、いったいなんだ?」
「ここにいる理由がないことを納得した。だから」
ディは振り返る。
──一閃。
背後にある金属格子が、目にも止まらぬ斬撃によって斬り裂かれ……
がしゃあああん、と大きな音を立てて、無理やりに開いた。
ディの手にはいつの間にか、片刃の刃が握られている。
男たちが目を見開いてディの方を見ていた。
獣のような耳や尻尾を生やした女たちもまた、同じように驚いた顔をしていた。
ディは彼らを振り返り、
「俺は自由にやらせてもらう。入り口は開けてしまったので、脱走をしたいなら今すればいい。ではな」
価値のない楽園から飛び出す。
あとに残された男は……
ただ愕然としたまま、一瞬で姿を霞ませて消えたディのいた場所を、いつまでも見ていた。
見ているだけで、しばらくすると、気まずそうに顔を背け……
ディを追いかける女たちが格子から出て行くのを、横目で見るだけ、だった。