パチパチと火が爆ぜている。
そのたび、熱されて溶けだした肉汁が弾け、焚火の勢いを強くしていた。
ディは木の枝に突き刺した肉にかぶりつき、目を閉じて咀嚼する。
夜であった。
この世界に来て、そして、街から脱走して、幾度目かの夜だ。
森の中での暮らしにもすっかり慣れた。
肉も食べ飽きるほど食べた──はず、なのだが。
「……美味い」
食べると強くなる妖魔の肉というのは、いくら食べても『体が欲している』というようにしか思われないほど、美味い。
「保存のために一回凍らせたあとに焼くと、美味さに深みのようなものが出るな……しかしそのままでも美味い。調味料を持っていないことが惜しまれる……」
ディは自分がこんなに食事にこだわる方だとはまったく思っていなかった。
だが、ここで肉を焼いて食べていたら、より美味い調理法を求め、凍らせてみたり、あるいは干してみたり、もしくは刻み方を変えてみたり、茹でる、焼くなど工夫してみたりということをしている。
そのままでも美味い肉なので『飽きたから工夫している』というわけでもなかった。美味いものをより美味くしたいという……言うなれば『美味いものに対する礼儀』として、
「この間の蛇肉ももう一度食べたい。イノシシ肉はあれに比べると歯ごたえがあって……どちらも美味いが、やはり強い妖魔の方が美味く感じるのかもしれない……」
『ヤマタノオロチの子供』。
タマによれば、ディが最初に遭遇したのはそういう存在だったらしい。
大妖魔の
その『子供』であれだけ美味かったのだから……
『親』はどれほどの味わいなのだろう?
「…………」
想像しただけで、唾液が分泌される。
この狩りも食事も強くなるため、可能性を広げるためにやっている、いわば『修業』のつもりだった。
だが、
「……こんなに美味いものを喰えて、いい気分になれてしまって、本当にいいのだろうか」
努力というのは苦境に身を置くことだと思っていたディは、少しばかりの申し訳なさも覚えてしまう。
たっぷりのアツアツの肉汁を閉じ込めた肉を噛み、染み出る脂の甘さと、木の煙による香ばしさ、噛めば噛むほどあふれてくる獣の、しかし鼻につかない香ばしくもかぐわしい匂いを目を閉じて感じ、長く息をつく。
見上げれば木々の隙間からは星空。……肉しか食べていないわけだが、体には不調はない。それどころか、人生でこれほどいいコンディションだった日々が存在しないというぐらい、指先の先端にいたるまで力が充溢しているのがわかる。
数日休みなく走り続けろと言われても、『ちょうどいい運動だな』と思うだけで済むだろう。
それだけ気力も体力も充溢しており、心も満たされている。
「いい世界だ」
景色は美しく、食事は美味い。
だが、
「でも、そろそろ、『人』に会いたいな」
……あの『施設』で見た男どもには我慢ならないところはあるが、タマとの会話は、こうして振り返るとまたしてみたいと思えた。
会話というか、なんだったのだろう、あれは? 不思議だ。不思議ではあるが、不思議なだけに、そろそろもう一回体験してみたい。言ってしまえばあの口数の多い人物がクセになっているのかもしれない……
自分がこうまで『人』を恋しがるなどと、少し前までは考えられなかった。
故郷世界の冒険者ギルドでの日々が、『人とのかかわり』というのの楽しさを実感させてくれたのだろう。
あくまでもこの世界には、女神イリスから逃げて来て、たまたまたどり着いただけ。
ここで行うべきことは、女神を完全殺害できる可能性の模索。つまり努力である。
だが、それでも。
「……この世界のことを、もう少し知りたい」
興味がある。
あるいは、知りもせず、法則だけ利用して、
だってここには色々な人が生きていて、それらすべてが、この世界に根差した『生活』をしているのだから。
それを知ろうともせず、おいしいところだけいただくというのは、ちょっと──礼儀知らずかも、なんて、思うのだった。
「しかし街に戻るとまた施設に案内されてしまうな。……あの施設は好きになれない。あそこで暮らす連中もあまり好ましくない」
勇者アーノルドさえも嫌わなかったディだが、あの施設の男たちには嫌悪寄りの苦手意識があった。
それはたぶん……
「……彼らは『生きていない』のか。必死じゃないんだ。だから、苦手なのかもな」
保護されて当たり前、保護された箱庭の中での上だの下だのにこだわっており、その狭い世界の中でのポジションにしがみついている感じが嫌、というか。
「……うまく言葉にならない」
考え……
腰かけた切り株から立ち上がる。
土をかけて火を消し、左手に刀を持つ。
……ばきばきと、静かに、しかし確実に、木々が砕け、倒れる音がする。
音の迫る速度は非常にゆっくりだった。
それはとりもなおさず、『ゆっくり進むだけで木々をなぎ倒すほどのモノ』が近づいてきていることを意味する。
気配は、極小。
だが、わかる。その存在は、巨大。
この世界に来た時に出会った妖魔、『ヤマタノオロチの子供』。
それよりもなお──巨大。
……ディは知らないことだが。
この世界で
それは、ディの世界で魔力と呼ばれ、また別の世界では別の呼び名があるもので、つまり、ディの宿す魔力も、巫女の宿す神力も、本質的には同じものなのだ。
巫女が『妖魔の毒』と称する『力の弱い者が接種すると危険なもの』もまた、神力や魔力と根幹を同じくするものであり……
この『力』を多く宿したモノは、それだけ美味い。
だから、薫っているのだ。
ディの全身から、妖魔であれば思わず食らいつきたくなるような、芳醇な香りが、薫っているのだ。
この世界で七日を過ごし、毎夜毎夜、妖魔肉を食べて己を強化し続けたこともあって、ディの香りは──
ついに、『そいつ』の興味を惹くに至った。
『そいつ』。
(囲まれている──いや、
この狭くはないはずの森をぐるりと取り囲み、それでもなお余りあるほどの巨大で細長い肉体を持っている。
(……熱だな。熱を感知されている)
視覚より聴覚より、触覚による熱源感知を得意とし……
(森ごと俺を締め潰そうという動きだ、これは)
その知性は狡猾。性格は用心深い。
さらに、
(……一体だけ、に感じる。だが……
一つの胴体に九つの頭を持つ。
……似た形状のモンスターは、ディの故郷にもいた。
だが、頭部の一つ一つが山を呑むほど巨大であり、ここまでの巨大さでありながらここまでの隠密性能を持つというほどではなかった。
『そいつ』はすなわち──
「ヒュドラ……いや。『ヤマタノオロチ』か!」
木々が同時に九つの方向からなぎ倒され、蛇の頭部が暗闇から出現する。
そいつらが舌をチロチロと動かしながら、ディを取り囲む。
真っ白い鱗のびっしり生えた頭を暗闇の中でゆらゆらと揺らしながら……
「──────────────────」
吠える。
否、それはただの吐息なのだろう。普通のサイズの蛇であれば、『しゃあしゃあ』と息を吐くような細い音のはず。だが、巨体さゆえに、ただの吐息が耳をつんざき背筋を不快感に震わせる大音声であり……
その息には、毒がある。
毒の中で、ディは舌なめずりをした。
芳醇に薫る『力』を感知していたのは、ヤマタノオロチのみではない。
ディもまた、ヤマタノオロチから薫る芳醇な『力』を──美味さを感知している。
喰うか喰われるか。
互いに互いを食事とみなす者が、夜の森で出会った。