「あなたの存在は迷惑です。この危急存亡の時に、これ以上の騒ぎを起こさぬようにしていただきたく存じます」
ミズクメという少女、物腰は柔らかい。笑顔も柔らかい。どこか気弱な令嬢めいた容姿である。
だがしかし、態度も言葉も断固としていた。
そこにはくだらない陰謀や嘘はない。心の中にある真実を真っ直ぐに他者に伝える者特有の、透明な色をした言葉を発している。
ディからすると、好ましい。
城塞都市内。
ヤマタノオロチ対策本部という看板が立てられた庭園を持つ平屋──いわゆる日本家屋、武家屋敷めいた場所の客間。
四人が入って一つの卓を囲むことを想定された広さ、調度品のその部屋で、ディは正面にミズクメ、横にタマを控えたまま、極めてシンプルに要求をされていた。
不可思議だが美しい光沢のある木製のテーブルをなんとなく撫でて、そのなめらかさと冷たさを感じながら、ディは答える。
「騒ぎを起こすつもりはなかった。だが、騒ぎを起こさずにはいられないと考えている」
「理由をうかがいましょう」
「俺には『妖魔の肉を喰い、強くなる』という目的がある。そしてどうにもここらあたりでは、俺がそういった行動をとろうとすると騒ぎになるらしい。だから、俺が好きにやると、結果的に騒ぎが起こる」
「男性は大人しく安全な場所にこもり、女性を待つのが役割です」
確かにそれは、この世界の男としては正しいのだろう。
しかし、その言葉には、タマが反論する。
「ミズクメ様、彼は強いよ。ヤマタノオロチ討伐を考えるなら、彼は味方につけた方がいい」
「いいえ、いけません」
「……本当に強いよ。あのヤマタノオロチと『斬り結ぶ』ことができる人など、君か、彼かというぐらいだ」
「あなたの目撃したものが何かはわかりませんが、一顧だにする価値もない」
「なぜ? 君は理非がわかる女のはずだが」
「彼が男だからです」
「……だから、彼をそのへんの男と一緒にするのは間違いで──」
「その『間違い』という認識こそが間違いだとは思いませんか?」
「僕は理知的なので言葉遊びは好むが、今はしている気分ではないな」
「言葉遊び? 先ほどの状況を見てなお、彼は『そのへんの男と一緒にするのは間違い』な存在だとおっしゃるのですか?」
そこでタマが黙ってしまう。
ディは目の前に置かれた緑色のお茶を飲み、その渋さと苦さに一瞬眉をひそめてから、
「ミズクメ様だったか。あなたの理論に興味がある。聞かせてほしい。あなたの定義する『男』とは、なんだ?」
「『弱く、情けなく、力なく、戦う意思もない存在』です」
「だが俺には、」
「そして、『いるだけで女どもが余計な気を回し、注意が乱れ、目的を見失う存在』です」
「………………」
「先ほどの有様は覚えていらっしゃいますね? それ以前に、通常、夜には閉ざすはずの城塞都市の門が、ヤマタノオロチが出没しているこの状況だというのに、開かれていたことも」
「そうだな」
「あなたのせいですよ」
「……」
「我々は、恐らく男性が想像するよりも、男性という存在を大事にしています。それこそ、魂に刻まれた呪いのように、男性を守ろうとし、これと交流することを何よりも至上の目的にしてしまう。……そのような存在が前線に出たならば、多くの女はむやみに命を懸けて散っていくでしょう」
この世界の女性は、奇妙に男を見て興奮する。
この世界の女性は、男に見下されるような扱いをされても、嬉しそうにしている。
ここは、男に都合がいい世界──
でも、あるのだろう。
しかし、それ以上に。
「……男の前だと、狂うのか」
「ええ。……独特な神話解釈をする者の言葉では、そもそもこの我ら巫女の祖先は愛玩動物であったとされています。そして、今残る、我らのように『
獣の寵愛。
ようするに、この世界の女なら誰もが生やしている、獣のような耳と尻尾。
それから、
ミズクメは微笑を浮かべている。
その微笑は、強固な仮面のように、彼女の内心を覆い隠していた。
「もちろん、異端も異端の説です。我々こそが寵愛を受けた存在であり、男性は寵愛を受けられぬ弱い存在だから守るべき──こちらが広まっている起源説ですが。……先ほどの女どもの狂いようを見ていれば、我々の祖先が男性に飼育される愛玩動物であったという説にも、一定の信憑性を感じてしまうのも事実」
「つまり、『うろちょろされると邪魔だから引っ込んでろ』ということか?」
「表現を選ばないのであればそうなります」
「あなたの言いたいことは理解した。あなたが、多くの女と、それから、俺の身も案じているのは伝わった」
「……」
「だが、あなたの提案は受け入れられない。俺には俺の目的があるし、」
「ならば『ヤマタノオロチ討伐軍』の長として、あなたに懲罰を言い渡します」
「……」
「独房への監禁を申し付けます。ヤマタノオロチ討伐が成るまで、あなたはそこで大人しくしているように」
「嫌だと言ったら?」
「力づくで執行することになりますね」
ミズクメの微笑は、鎧のようなものだった。
内心をうかがわせない鎧にして、自らを奮い立たせる武装。
仮にミズクメの言うように、この世界の女がおしなべて男の前では狂うのであれば、彼女にだって、その心中には『狂い』があるはずなのだ。
だというのにおくびにも出さない。
鋼のような精神力だ。
その精神力で決意した懲罰の執行。
何がなんでもやり遂げるだろう。
……この世界にとって、今は大事な時期なのは、ディにもわかる。
目的のために多くを犠牲にするような選択をとるべきではないと思う倫理観もある。
だからこそ、
「その懲罰は呑めない。話を聞いてくれ。俺は……」
「あなたの話を聞くことはできません。あなたに何かを要求されれば、わたくしはそれを呑みたくなる欲求をこらえきれないでしょう」
「……そこまで、なのか」
「そこまで、なのです。その上で言葉を重ねようとするなら、無理やり口を閉じさせるしかありません」
呪い。
魂に刻まれた呪い。
確かにそうとしか言えないものが、ミズクメたちの心にはあるようだった。
……だからこそ、なのだ。だからこそ。彼女たちを生かすためにも、ミズクメの要求は呑めない。
ディが腰を浮かす。
同時、ミズクメが後ろに置いていた超長刀をつかむ。
……さらに、同時。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!!!
警鐘が、鳴り響く。
「……話は以上です」
「この警鐘は何を知らせるものだ?」
「答える義務はありません」
ミズクメが走っていく。
タマは……
「僕はなんでも答えるぞ」
「この警鐘は?」
「妖魔が近隣に出現した──いや、この
「……」
「直接的な物言いは避けたいところだが、」
「俺を追いかけてきたのか」
「君がたどり着いてしまったなら、僕はうなずくしかないね。で、どうする? 僕は引き続き役立たずだが」
ディは、刀を手にする。
タマが笑った。
「自分を守ろうとする男性を見送るというのは、僕たちの夢のうち一つなんだ。……ディ、どうか、愛する僕のために戦ってきてくれ」
「愛してはいないが……まぁ、『
戦わない理由はない。
むしろ、戦う理由は数多い。
ディもまた、部屋を飛び出した。
その後ろから、タマもなぜか続いた。