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第26話 本能

「そういえば不思議なのだが」

「……」


 ミズクメは力のある巫女であり、長年、多くの地域を股にかけて人々を守り抜いて来た。


 ヒトの寿命は神力しんりきに依存する──それも、生まれついて持っていた神力の量に依存する。

 そもそも、神力というのは、生まれ持った最大値をそのまま死ぬまで維持するものと言われているので、いちいち『生まれついて持っていた神力の量』などという注釈は必要ではない。

 生まれ持った神力、あるいは魔力などの総量を、法則をゆがめるような苦行を行い地道に増やすような者など、この世にはいないのだから。


「蛇に『そういう生態』があるらしいことはなんとなく聞いたことがあるのだけれど、ヤマタノオロチは、あの巨体でほとんど完全に透明になっていた。あれはどういった術式によるものなのか、解析などは進んでいるのか?」


 夜の城塞都市外を駆けるミズクメと巫女たち。

 かなりの速度だ。ヤマタノオロチは完全に透明化する。……実際には透明化ではなく、もっと別な方法で『認識されない』のだけれど、ともかくその姿は完全に潜まれるとまったくわからず、ある程度行動してもその気配を察するのは困難だ。


 だから、ヤマタノオロチ襲撃警報が出たならば、そこからはもう拙速が尊ばれる。

 ちんたら歩いている余裕はない。巫女の全速力──今は隊を組んでいるのでどうしても『一番遅い者』に合わせての進行になるが、それでも、ただの人がついてくることができる速度ではない。


 なのに、


(なんでこの男は、わたくしに並走してるんですか)


 ディが普通についてくる。


 振り切ろうと思って速度を上げた。そのせいで、巫女の二割ぐらいが脱落した。

 だけれども普通に隣についてくるのだ。


 夜の暗闇。

 城塞都市外で、当然ながら灯りの整備もされていない。

 だというのにこの男、普通にミズクメの顔を見て話しかけてくる。


「……」


 ミズクメは無言のまま速度を上げる。


 背後から声が聞こえる。「ちょ、速い──」遠ざかっていく。だけれどミズクメは速度を上げ続ける。

 ……この男に言ったことだが、この世界の女は、男を前にすると、狂う。

 普段凛々しい者だって、男の前に出れば凛々しさを失う。普段、冷静にものを考えられても、男の前に来れば思考が乱れる。豪壮な巫女がもじもじした女の子になり、集中は乱れ、意識は男に吸い寄せられる。

 この世界の女にはそういう呪いみたいなものがかかっている。ミズクメの経験上、この『呪い』から逃れて、男を前にして完全に冷静さを保てた女というのは、存在しない。


 ミズクメ自身も、そうだった。


 持ち前の冷静さで懸命に抑えているが、男を前にして自分という存在が明らかに『普段通り』ではないことは理解していた。

 ただミズクメは他の巫女たちより多くの神力を持っており、それだけに長い時間を生きている。だから、男と接した経験もそこそこ多く、かろうじて冷静さをたもっていられる──たもっているように見せられる・・・・・だけにしかすぎないのだ。


 もしも横にいるのがうるさい女であれば、完全に無視し、遅い巫女に合わせたペースで駆け抜けることができただろう。

 だが、真横にいるのがよりにもよって男であるせいで、とにかく振り切って、『彼を戦闘に巻き込まないようにしなければ』という想いばかりが先行し、その速度は背後を振り切るほどになっていた。


 ……後ろから、遅い巫女たちが脱落する声がしている。


「いいのか? ペースが速すぎてついてこられない者がいるようだが」


 ディから指摘があった。

 その通りだ。普段のミズクメであれば、その指摘を冷静に認め、速度をゆるめて他の巫女が追い付くのを待つ。


 だが、今のミズクメは……


「構いません。どうせ、神力の少ない巫女はさほど役立たない」


 ……本心ではなかった。

 ただ、まったく思ってもいない発言、というわけでもなかった。


 ヤマタノオロチという脅威に対して巫女全員があたることは正しい。

 しかし、それでも力の弱い巫女の存在は『気になる』のだ。

 ……巫女は不死身ではない。殺されれば死ぬ。というか、妖魔相手で殺されるのはつまり、『食われて、相手の力を増す』ということだ。

 だからミズクメは『大妖魔が出現した際の通例』に従って大規模動員をかけるのではなく、各エリアから最精鋭のみを募って、犠牲が出にくいように立ち回るべきだと考えていた。

 とはいえそれで『選ばれた巫女』『選ばれなかった巫女』が出て、その二つの格差はきっと大きな問題と不満を生むのもわかるし、そういったことの調整は苦手なので、通例に従っているのだけれど。


「なるほど、この速度がふるいというわけか」

「……なんなんですかあなたは? しきが示したヤマタノオロチとの交戦地点まで間もないのですから、早く城塞都市に戻ってください」

「アレは俺が引き寄せたのだと思うから、責任をとる」

「いりません」

「ところであいつの透明化術式についてだが」


 ミズクメは大きなため息をついた。


(……心がかき乱されているのが、自覚できる。わたくしはもっと冷静に対処もできるはず。なのに……)


 この世界の力ある存在、ようするに『女』のルーツは、なんらかの外法によって生み出された愛玩動物だとも言われている。

 そのせいで男の前では平静を欠くのだ。

 ……くだらない俗説だと思っていた。心を落ち着ける力のない女たちの提唱するたわごとだと思っていた。

 だというのに。


(……これが、『本能』というもの、ですか。厄介な)


 ミズクメは舌打ちをこらえた。

 それよりも、優先すべきことが……


 優先したいことが、ある。


「あれは『透明化術式』ではなく、『大いなるものはすぐそばにあれど、意識にはのぼらじ』という概念を術式化したものです」


 ……優先したいこと、それは、男性の質問にお答えする・・・・・ことだった。

 ミズクメは自分の気持ちに気付いて、今度こそ舌打ちをこらえきれなかった。


 本能。


(厄介な)


 男性──ディは「ふむ」と顎に手をやって考え込むようにする。

 ミズクメはその姿をじっと見てしまっていた。


 高い身長。体の全部がごつごつして硬そうで、手足が太くて長い。

 腰回りから胸にかけてのラインが真っ直ぐだ。着ているものは、どこの施設が世話していたのだろう。変わった形状の、なんとも粗末な生成りの服だった。

 前で留める形式だが、帯ではなく、硬そうな丸いものを、合わせの反対側にある穴の中に差し入れて留める形式──ボタン式の服。

 脚絆きゃはんも両足のかたちがはっきりわかるようなもの──和服ではなくズボンであり、脚にフィットするような形状は、露出こそないのに奇妙に淫靡に感じられた。


 息が上がる。

 疲労ではなく、興奮だ。


「……厄介な」


 ミズクメは声に出してつぶやいた。

 ディが首をかしげる。……さらりと揺れる短い黒髪。ふくらんだ喉の形から、ミズクメは勢いよく顔を逸らした。


「確かに厄介な能力だが、戦闘時には発動していないように感じられた」


 そういう意味で『厄介な』と言ったわけではないのだが、勘違いを正してやる必要もない。

 ミズクメは舌打ちした。今度は、不機嫌だとアピールするため、わざとした舌打ちだった。


「川や山など普段意識しない大いなるものでも、それが牙を剥いてくれば否応なく意識せざるを得ませんから。…………いえ、待ちなさい。あなた、なぜヤマタノオロチの戦闘時の様子を知っているのですか」


衒学げんがく的な物言いになってしまうが」


 そこで彼とミズクメとの間ににゅっと割り込んで来たのは、真っ白い猫系人種のタマだった。


 今度は舌打ちをこらえた。一瞬だけ頭によぎった『彼との間に割り込まれた』という、本能に根差した考えがその舌打ちの原因だったからだ。


「彼は男の身でヤマタノオロチと真正面から戦っていた。これはともすれば、我々が『男性』という存在を見直す契機たりうる重要な発見であり──」

「ありえません」

「──本当にそう思うのかな?」


 タマの問いかけに、ミズクメは舌打ちをする。

 ……何度、彼の前で舌打ちをしてしまっただろう? イライラしてばかりの女だと思われないといいのだけれど──


(……違う。違う! この男からの評価など、どうでもいい! わたくしがすべきことは、ヤマタノオロチとの接敵までに、この男を振り切ること!)


 冷静になろうとしてことさら強く思った。

 すでにその思考が冷静ではないと、もうミズクメには気付けない。


「ミズクメ様、君も気付いているのだろう? 彼には大きな力がある。僕らからすれば認めがたい、信じがたいことだが、確かに『ある』と思って気を澄ませれば、彼には大きな力がある」

「それがなんです」


 ミズクメの物言いはもはや、彼に尻尾を振ろうとする本能をごまかすため、むやみに攻撃的で強かった。

 タマが仮にいつもの調子で反論でもしてこようなら、ヤマタノオロチ目前で、仲間の巫女と殺し合うことになってしまうかもしれない──そのぐらい感情がささくれ立っているのを、ミズクメは自覚した。自覚してなお、どうしようもなかった。


 だが、タマの返答は意外なものだった。


「まぁそうだな。君の言う通りだと僕も思うよ、ミズクメ様」

「……なんですって?」

「『彼には大きな力がある。それがなんだ』。そうなのだ。まったくもってその通りだ。大きな力があったとして、我ら巫女が男性を戦いの場に駆り出していい理由にはならない。これは戦力の問題ではなく、女の矜持の問題だ」

「………………ならば、彼を止めなさい」

「最初は『自分のために戦いに出てくれる男性』という状況シチュエーションがあまりにも良すぎてうっかり見送りかけただけだったが……」

「…………」


 タマという巫女、実力は確かなのだが、性質に難がありすぎる。

 男の前では巫女や女性はおかしくなるのだが、タマのおかしさは、それとは関係ない気がしてならない。


「よく考えたら、今の僕は、さっきヤマタノオロチ相手に符を全部使い切ったばっかりで、彼を止める力がないんだ」

「……まさかとは思いますが、本当にヤマタノオロチと交戦したのですか? その、あなたのいつもの冗談や比喩ではなく?」

「僕は常に本気で本当のことしか言わない」

「だとしたら、なぜ、真っ先に報告しないのです? ……まさか彼は、ヤマタノオロチに襲われていたのですか!?」

「ずっとそのように言っているのだが……どうして事実しか語っていないのに、まったく信用されていなかったのか理解に苦しむね」

「普段の自分の言動を思い出しなさい!」

「とはいえ先ほども、会話の中で『ヤマタノオロチと斬り結んだ』ということに少し触れたと記憶しているよ」

「報告をなさい! 『少し触れる』のではなく! どういうことがあったか! 報告を!」

「そんな暇なかった」

「あったでしょう!? 移動中! 門の前でくだらないことをしている時間! そういう重要な報告は──」

「で、君は信じたのかな?」

「……」

「そういう報告をされて、君が信じたか──君の今の様子を見ていると、たとえ形式ばった報告をしても、『一笑に付されるのがオチ』と思わざるを得ないね」

「……否定はしませんが、それでも報告はすべきです。真っ先に。何をおいても。少なくとも門前でくだらないことをしている場合ではなかったと思いますが」

「ふ。それはまあその、返す言葉もないが……」

「………………」


 ヤマタノオロチとか関係なく殴りたくなってくる女だった。


「とにかく」ディが声を発する。「気配は近い。俺は手伝える。俺の考えだと、あいつを城塞都市方面に引き寄せたのは俺だ。だから責任をとって戦う。いいな?」


 タマとの会話によるイライラ。

 ディに対して本能がうずくことによる、興奮。

 それらが上限に達して、ミズクメは、こう叫んでしまう。


「結構です! 男性は下がっていなさい!」


 得物──超長刀を鞘込めしたまま、ディに向けて突き出す。

 足は止まっていた。

 全員の足が、止まっていた。


 ……すでにそこは、目標地点。


 振り返ったミズクメの目には、巫女たちの姿はほとんどない。最初に引き連れていた三分の一ぐらいだろうか。

 舌打ちが出てしまう。……それは、男性との会話というだけで冷静さを失い、ヤマタノオロチ討伐という大規模な調伏儀式のまとめ役としてあまりにも軽挙を行ってしまった自分への舌打ちだった。


 兵力、三分の一以下。

 結果的に上澄みの巫女だけが残った状況で──


「────────────────」


 蛇が吠える。

 国のような巨体ゆえ、ただ息を吐くだけでも大音声。

 毒の吐息が広がる中……


 何もかも不十分。

 何もかも冷静で行えなかった……


 ヤマタノオロチとの戦いが、始まってしまった。

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