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第29話 神と巫女

 ヤマタノオロチには逃げられた。


 まだまだ夜も深い時間だというのに、首を三本も飛ばされたせいか、本気で隠形しているらしい。

 警報が反応できるぐらい明確だった気配──殺意、食欲などもすっかり隠し仰せ、あの巨体がどこにいるのか、つかめなくなってしまっていた。


 ミズクメは……


 湯編みをしている。


 巫女たちの戦いは『神楽を舞う』というものだ。

 このシシノミハシラには八百万やおよろずと呼ばれるほどの数の『神』がいるとされており、巫女たちはそれぞれ違った神の加護を受けているとされている。

 そうして自分を加護する神の力を降ろすのが、いわゆる『奥義』とか『必殺技』に相当するもの、というわけだ。


 であるからして、巫女たちの戦いは神事であり、神事相当の準備が必要になる。


『身を清める』『なるべく清潔な服を着る』などは神事に必要な準備であり、それだけに、城塞都市には『身を清める』ための施設──すなわち『大浴場』が存在する。


 そして上位の巫女には専用の風呂まであり、ミズクメが使っているのも、そういった『専用の風呂』だった。


 足を伸ばせる大きさのひのき製の湯船に身を沈める。

 手ですくう液体は乳白色であり、肌を滑る感覚には若干の粘性があって、なんとも言えず気持ちがいいものだった。


 巫女たちは神事を行うからという以上にみな綺麗好きであり、入浴を趣味とする巫女も多い。

 ミズクメもまたそういった『入浴を趣味とする巫女』のうち一人ではあるのだが……


(雑念)


 ミズクメは普段の行動すべてを神事の一種だと考えているから、入浴も鍛錬も、生活そのものすべてを『神にしっかりと顔向けできるよう、真剣に行う』というようにしている。


 だからそれぞれの行動をとる時には、それぞれの行動に集中するようにしている。


 しかし今日は集中できない。


(……あの男)


 ディ。


 どういう文化圏にいたのだろう? ディ。なんとなく呼びにくいし、なんだか適当な気がする名付けだ。

 この世界の女は男性を前にすると狂う。大事にしすぎる。欲望を抑えきれない。だから男はたいてい、とても大層な名前をつけられるものだ。

 しかし、『ディ』。


「でぃ……でぃ……ディ」


 何度も名前を呼ぶ。

 名前を呼ぶたび、あの神楽が頭によぎる。


 素晴らしい神楽だった。

 剣の冴えも、見事だった。

 何より、男だというのに弱さがない。あれほど力強い男など見たことがない……


(…………彼ならば、一緒に戦うこともできるのかも)


 戦力的にはむしろ、味方につけて、お願いして、一緒に戦ってもらうべきだとさえ、思う。


 けれど、本能的に言えば……


(男性に戦わせるなんていうのは、いけない。あの貴重で美しい男性がもしも死んだら……いえ、死ぬ可能性さえ、あってはならない)


 女は男の前だと狂う。

 しかし前提としてこの世界の女は男より圧倒的に強いので、その狂いかたも強者から弱者へのものになるのが普通だ。


 たとえば、男性というのは、どこの街でもたいてい、シェルター施設に入れられて管理される。

 これは万が一にも傷付いてはならないから、どこの街からともなく始まった管理方法だ。自由にさせてあげたい。日の下を歩かせてあげたい。そういう気持ちもあるけれど、それでも、『弱いから傷つけないように守りたい』というのが一番重い気持ちになる。


 それで言えば、ヤマタノオロチの首を二本も斬り落とす男性というのは、守る必要がない。

 ……そう思う。誰かにそう指摘されれば『その通りだ』とうなずくだろう。


 でも、やはり、強く貴重だからこそ、守りたい気持ちは強くて……


(……わたくしは、ヤマタノオロチ討伐隊の隊長として、どうすべきなのか)


 きっと他の女たちの中にも、彼の強さを目の当たりにしてなお、あの見事な神楽を舞い、ヤマタノオロチを斬った貴重な・・・男性を保管・・したいと考えている者が多いはずだ。


 女としての本能は、彼を閉じ込めて守れと言っている。

 だが隊長としての判断は、彼に協力を要請し、ともに戦えと言っている。


 ミズクメは己の思考・経験では答えが出ない問題に直面した時、神に祈るということをしてきた。

 これは神楽舞によって神を降ろす戦い方をする巫女にとって一般的な行動で、『祈る』というのは、神の声を聞くよりむしろ、『神への祈祷』という形式で思考を整理し、自己や自分の置かれている状況を言語化して客観視しようという試みだ。


 この世界の巫女たちと神との距離は近いけれど、それでも、神が直接言葉を降ろすのはごくごく稀なのだ。


 ……だが。


 今は、条件がそろってしまっていた。


 神はあらゆる世界におり、神の世界はあらゆる世界を見下ろせる場所にある。


『神殺し』という存在を知るのは女神イリスだけではない。

 ……ディが、イリスほどの女神を殺した事実は、神の世界に激震をもたらしたのだ。


 だから、神々はディを探している。


 そして神は、ディの真横に降りてしまっており……


「……え?」


 その視線は、神殺しを捉えていえた。


 ミズクメの脳裏に、自分のものではない声が響く。


 その声は確かに、ミズクメに力を与える神のものだった。


 ……その声が、ミズクメの考えを肯定する。

 肯定し、誘導する。


「……やはり、そうお考えになられるのですね」


 ミズクメは、目を閉じて神の声を受け止めた。


 目を開けて、


「かしこまりました。わたくしは……女のつとめを、果たします」


 ……神とは強大なものであり、人に力を貸し、人のために魔を祓う存在である。


 そうやって神と馴染んできたこの世界の巫女たちは、神とは正義であると、戦いの人生を通して無意識のうちに刷り込みを受ける。


 ……だが、神は正しくないのだ。

 必ず正しいことをするわけでは、ないのだ。


 けれど、ミズクメは、気付けない。


 気付けないけれど……


(……いけない。神のお言葉まで降ったのに、迷いがある。わたくしは……使命を果たすのみ。余計なことは考えなくていい)


 かすかな違和感。

『本当にそれでいいの?』という気持ち。


 それらを押し込めて、ミズクメは動き出す。

 神の言葉を実行するため。この世界に生きる女として──


 神の保証する『正しい行動』をするために。



 ヤマタノオロチとの接敵の翌日。


衒学げんがく的な物言いをするつもりはないのだが……」


 そろそろタマとのやりとりにも慣れて来ていて、タマがこういう前置きをする時は、『これから賢そうなことを言うので力いっぱい讃えて欲しい』という意味であるというのもわかっていた。


 このあたりの『空気読み』は勇者アーノルドとの付き合いを通じて慣れたものだ。

 ただしアーノルドはディが褒めても褒めなくても不機嫌になったので、褒めるコストがまるまる無駄だなと思って、実際には最初の数回しか褒めたことはない。

 むしろ褒めた時の方が激しく喚き散らした男だった。今思い返しても本当に気難しいヤツだったなと思う。


 その点、タマは『聞く姿勢』を作ってやるだけで機嫌よさそうになる。


 今もあぐらスタイルで床に座ったディのふとももに頭を乗せ、何か簡単なことを複雑な言い回しでぺらぺらとしゃべっていた。


 ……場所は、『ヤマタノオロチ対策本部』の一室だ。


 この世界において男性というのは、格子の向こうの地下の部屋──タマらに言わせればあれは地下牢ではなく、物理的にも魔法(神力)的にも丈夫なシェルターらしい──に閉じ込められ、特別なお役目でもない限り、そこで一生を過ごすものらしい。


 しかしディは、ヤマタノオロチ対策本部の一室に、『自分の寝床』を用意されることになった。


(ヤマタノオロチも──まあ、首を三本落とされて、さらに妖魔が強いらしい夜の時間だというのに、逃げた。しばらくは怪我を癒すのに集中するだろうから、俺がいても突撃されることはない、とは思う。が……)


 心配はそれだけではなく……


(とはいえ、リーダーらしいミズクメの許可はもらった記憶がないな)


 タマと一部巫女がなんかあれよあれよというまに……みたいなのが、部屋を得た経緯としては正しいように思う。

 ミズクメは神楽舞かぐらまいの反動が酷かったのか、なんとか帰れたがすぐに休息に入ってしまった。

 その隙を突くようにタマが扇動して……みたいな、なんとも非公式感あふれる流れを思い出す。


(あとできちんと許可をとった方がいいだろう)


 そう思いながらタマの話を聞き流していると、素早い足音が複数、近づいてくる。


「なんだいなんだい、僕が気持ちよくしゃべっているのに無粋だなあ。理知的な僕の推理によれば、ミズクメ様に無許可で勝手に一部屋使ってるからこれから怒られるものと思われるよ」

「やっぱり無許可だったのか……」

「そりゃあ、許可とる暇なんかなかったからね」


 会話はゆるい。

 だが、足音は剣呑だ。


 ついに部屋の前まで来た足音が止まり、障子が大きく開かれた。


 そこにいたのはミズクメと複数の巫女。

 どうにも『精鋭』の五名を含む、上位の巫女の様子だった。


(表情が険しいな)


 ディはよくない予感を覚える。


 その予感は、


「ディさん、あなたについて、神からお告げがありました。──あなたはやはり、保護されるべき男性です。ですから、施設に入っていただきます」


 どうやら──


「……嫌だと言ったら?」

「実力行使で、入っていただきます」


 ──半分当たり、という様子。


 ……『神』の気配の濃さを感じる。

 ミズクメの背後で、ミズクメのものではない黄金の尾が九本、揺れていた、気がした。

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