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第31話 逃亡生活

衒学的げんがくてきな物言いをするつもりはさらさらないのだが、僕らはこれからの身の振り方について考える必要があるだろうね。これからどうする?」

「妖魔を狩って、喰う」

「いや、生活とか」

「問題ない。俺がどうにかする。だから……」

「だから?」

「悪いが、俺についてきてほしい」

「一生ついていく!」


 ということになった。



 逃亡生活だ。


 ディは、タマとともにあの城塞都市から逃れて、なるべく遠く、隠れられそうな場所を探した。

 その結果見つけたのが美しい渓流地帯だった。


 朝日がのぼると水面が真っ白にきらめき、周囲には木々が豊富にあって、そよぐ風を浴びるだけでかなりの爽快感がある。

 季節はやや暑い時期だった。だからこそ気持ちよさもひとしおなのかもしれない。

 上流へ向かえば滝があり、高い位置から落ち続ける水しぶきが、昼間ともなると虹を作り出す。

 美しい水は飲んでよし、浴びてよし。周囲にある植物を利用して簡単な拠点を作り、火は魔法で熾すことが可能。


 とても住みよい場所だった。


 ところで。


 このシシノミハシラという世界において、『人の手が加わっていない、美しい、自然豊かな場所』というのはすなわち──


 妖魔の領域である。


 昼──

 底が見えるほどに澄んだ水。くるぶしまでつかる程度の深さのそこから飛び跳ねるのは、体長十メートルはくだらない大きな大きな魚型の妖魔。

 明らかに川の深さが足りないが、そういった現実的な指標でものを考えるのはどうやら無駄らしい。妖魔というのはだいたい動物を模しているが、その基本的なところはエネルギー生命体である。この魚にしたって、飛び跳ねる時、つまり攻撃の時だけ実体化すれば、川の深さなどなんの問題にもならないのだろう。


 ただし妖魔にはそれぞれ『法則』というものがあるようだ。

 たとえばこの大きな魚の妖魔、攻撃の時だけ実体化するのだから陸地でも、なんなら空を泳ぐようにして上からでも襲い掛かれるはずだった。しかし、出現位置は『水のある場所』に限定される。魚、という形をとっている以上、どうしようもないのだろう。


 だがそれはそれで困る。水中・水面は向こうの領域。相手がそこから出て来ず、飛び跳ねてウロコや水しぶきを飛ばして攻撃してくるとなれば、一方的に攻撃され続けるのみ。


 そこでディがとった方法は……


『釣り』であった。


 周囲の木々を使って作った即席の竿に、植物をより合わせた糸を組み合わせ、針にするのは削った木材。

 十メートルを超える大魚を釣り上げるには到底丈夫さが足りないように思われるが、製作クラフトを極めた未来の自分であれば、そのあたりにある素材で神匠マエストロな逸品を作り上げることも可能。

 さらに道具に加護や強化をかければ、現地調達素材で大魚を釣り上げる道具も出来上がる、というわけだった。


 川に針を投げて待つ。

 ……ほどなくして、ぐぐっと引かれる気配。


 ヒット。


「タマ、かかったぞ! 動きを抑制してくれ!」

「しかし気付いてしまったのだが、こうして行動作業を当たり前のようにこなすと、いよいよ僕らも熟年の夫婦──」

「早く!」


 何か言いたそうなタマが符を投げて大魚の動きを抑え込む。

 だが相手は強力な妖魔。『時間を停止させる符』でも完全にその動きを抑え込むことはできない。


 つまりここからは、釣りの腕の勝負になる。


 妖魔大魚が暴れまわる。

 ディはその方向に合わせて引き、あるいは逆方向に引っ張るようにして相手を疲れさせようとする。

 しかし大魚もさるもの。知性が人間並みとまではいかなかろうが、野生のカンか、フェイントめいた動きを入れてくる。

 いかな『製作系』の道に進み、それを修めた自分の作った釣り竿とはいえ、さすがに絶対に壊れないわけではない。


 竿を壊さぬよう、糸を切らさぬよう。

 それでいて相手を疲れさせるよう……


 道具の耐久値と相手の体力との削り合い。

 水面が激しく波立つ。くるぶしまでの深さしかないはずが、現在の渓流は、概念的に海ほどの深さがあるようだった。


 昼の日差しの中、妖魔大魚の虹色の鱗のきらめきが尾を曳きながら、せわしなく水しぶきを立て続け……


「…………今!」


 ディが声とともに竿を勢いよく振り上げる。

 ざっばああああん! と派手に水柱が立って……


 陽光に鱗をきらめかせながら、大魚が宙を舞った。


 ずしいん、と重々しくディの真横に大魚が落ちてくる。

 そいつは二度、三度と跳ねたあと、動かなくなった。


「…………成功フィッシュ


 釣り。

 紛れもなく戦いだった。剣はない。互いに傷もほとんどない。しかし、熱い一戦を終えた不可思議な高まりがディの中には確かにあって、それはしばらく目を閉じて噛み締めるような、そういう気持ちだった。


 ようやく熱戦の余韻も覚めたころ、


「……そういえばタマはどこだ?」


 ディが何かをするたびぺらぺらとしゃべる、あの白い猫耳少女の姿が見当たらない。

 どこだろう、と探していると……


「……あ」


 釣り上げた魚の下敷きになって「うぐう」と苦し気にうなる少女を発見した。



 夕刻。


 焚火のそばにはタマの巫女装束が干してある。


「君は黙ってついてきた相棒に対して酷い仕打ちをしていることを自覚した方がいい」


 タマは言葉ではさっきからこのように怒っているのだが、自分の服の代わりにディのシャツを与えられているのが嬉しいらしく、羽織ったシャツを抱きしめるようにしたり、袖を噛んだり、においを嗅いだり、好き放題していた。


 ディはそれを一瞥して、自分のシャツへの扱いがやや気になった。

 しかし確かにタマのいない場所に大魚を落下させる調整もできたはずだった。それを怠ったのは、『釣り』という形式の勝負に熱中して周りが見えなくなってしまっていた未熟さのせいなので、甘んじて受け入れることにする。


「というか、タマ。服を乾かしたいなら、わざわざ火にあてなくとも、すぐにできるが」

「君には風情を楽しむ心が足りないね。焚火のそば、男性のシャツをまとっただけの裸の僕がここにいるんだよ。もう少しこの時間を噛み締めたいという気持ちはないのかい?」

「すまない、よくわからない」

「僕がわかるから、僕が勝手に噛み締めている。君は上半身裸のまましばらく過ごすといい。はー眼福眼福」


 現在まとっている布の面積だとおそらくタマの方が裸に近いのだが、なぜかディの方が辱められているような不思議な心地だった。


 ともあれタマとの会話にこれ以上の発展性がないことが理解できたので、もう食事に集中することにする。

 焚火のそばには木の枝に刺した、先ほどの大魚の切り身を突き立ててある。

 この世界での料理は『木の枝に突き刺して焚火で焼く』というスタイルに結局落ち着く。いろいろ手を加えてみようと思ったり、実際に、茹でたり蒸したりしたこともあったが、その辺に生えている木の枝を串にして直火で焼くのが、結局のところ一番おいしいのだ。


 大魚の切り身は脂がそれなりにあるようで、焚火のそばに置いていると、その真っ白い身から脂がこぼれ、なんとも言い難い、魚特有のいい香りがする。

 表面にうっすらと焼き目がつくまで熱したそれに、枝製の串を持ってかぶりついた。


「ぅ、お……美味い……」


 ディは魚をあまり食べてこなかった。

 出す店や食べる機会もあったが、肉と魚と同じ値段でどっちも選択できる状況であれば、必ず肉を選んできた。つまり、肉の方が好きだ。


 しかしこの魚は、故郷世界の肉と並べられたら、こちらをとってしまうぐらいにうまい。


 やはり枝。そのあたりに生えている木を削って作っただけの串だが、これに刺して焼くと、木の香りがほんのりあって、それがなんともいい香りを引き立てる。

 白身の川魚だ。泥抜きなどはしていないけれどその身は美しく、臭みもない。それどころか、ほんのりと甘みを感じさせるいい香りがした。

 枝に刺さっている時はしっかりとしていて、歯ごたえがありそうに感じられた。しかし、かぶりつくと、ホロホロと崩れる。

 崩れた身を噛んでいけば、塩も振っていないのにわずかな塩味えんみがあり、噛めば噛むほど魚の旨味が口いっぱいに広がっていく……


「……やはり、食事というのは楽しいものだったんだな」


 ディが魚を噛み締めながらつぶやくと、そばにいたタマが噴き出した。


「君、食事のたびにそう言っているよねぇ?」

「ああ、そうかもしれない。……なんだろう。まだ少し、夢見心地というか。世の中にはたくさんの『楽しいこと』があったけれど、それらはすべて、俺とは無縁だと思っていたから。自分がこのように『楽しい』と感じることが意外というか、そういう機会が生きているうちに来るとは思っていなくて」

「なんだか壮絶な人生が発言から垣間見えた気がするのだけれど」

「壮絶だろうか」

「……まあ、いいか。僕はね、あまり人の重い事情とかは知りたくないという方なんだ。自分が介入できない人の過去を聞き出して、それに同情したりするのは礼儀がなっていないと考えているからね」

「独特だな」

「よく言われる。……僕らが話し合わなければならないことが、もっと他にあるしね」

「なんだろう」

「いやミズクメ様のことだが!?」


 タマが大きめにリアクションしたので、ディ「ああ」とつぶやいた。


「そういえば、そうだった」

「『そういえばそうだった』!? 僕ら、ヤマタノオロチ討伐のために集められた巫女の集団から逃げている最中なんだが!?」

「いや、そう。重要なのはヤマタノオロチだ。……あれから襲っても来ない。一応、探してはいるが……見つからないな。本当に隠形が得意らしい」

「いやあ……まあ、確かにヤマタノオロチも重要だけれど……」

「ミズクメたちの問題は、ヤマタノオロチを倒せばほとんど同時に片付くと思っている」


 ディが考えているのは、ヤマタノオロチを倒してしまえば、また別の世界に渡ってもいいかな、ということだった。

 その時のタマの身の振り方については、ヤマタノオロチ討伐の功績みたいなものをタマに譲って凱旋させるか、いっそ、世界を渡る時に連れて行ってしまうというのもアリかな……というような感じだ。


 どうにもタマは『こちらの世界』にあまり根付いていない感じがする、というのか。

 迷いなく自分についてきたところから、あんまり里心みたいなものがないんじゃないか──というのがディの分析だ。


 だが、強いてミズクメの方で気にすべきことがあるとすれば。


「ところでミズクメは『神の言葉』に従って俺を捕らえようとした──みたいな話をしていたな」

「そうだね」

「やはり、巫女というのは、頻繁に神の言葉を聞くものなのか?」

「いや。というか、そもそも人生で一回でも神の言葉を聞いた者の方が珍しい。僕らの・・・世界・・の神というのはね、祈りに応じて息吹を吹きかけるものであって、交流する対象じゃないし、言葉を届けて巫女を直接導くこともしないのが普通なんだよ」

「……そうか」


『僕らの世界』。

 ……ディは自分が異世界から渡って来たことを話していない。

 これは秘密にしておいた方がいいという判断よりも、『そんなこと言われても信じられないだろうし、だからなんだと思うだけだろう』という考えに基づく秘匿だった。


 しかし、タマはどうにも、ディがここではない世界から来たものと認識している様子がある。


 知っているというか、普通に受け入れているというか。

 この世界の人たちにとって、『異世界転移』という概念はなじみのないもののように感じられるのだが……


「……まぁ、ともかく。ミズクメがおかしくなっていたとしたら、俺のせいである可能性もある」

「どうだろうなあ。ミズクメ様はなんていうか、普段からああいう感じの、管理癖というか、法順守癖というか、杓子定規なところがあるからなあ。神の声でおかしくなったという印象を、僕はあまり受けなかったかな」

「なるほど」

「ああ、ただ……ミズクメ様単体ではわからないけれど、発言に気になるところはあったよ」

「なんだ?」

「『同じ神を祀る巫女たち全員がお告げを聞いた』みたいなことを言っていただろう? お告げっていうのはさっきも言ったけれど、『一度でも聞いたことのある者の方が珍しい』んだ。それが、同じ時機に全員が聞いて、しかも同じ神からだろう? 神の作為というか、君を狙う意思みたいなものは感じるね」

「そうだな。……やはり、そうだな」

「まぁ、単純に、ミズクメ様がお告げを聞いたから君を拘束しようとするのにかこつけて、君を閉じ込めてお触りとかしたかった女たちが聞いてないお告げを聞いたフリして押しかけて来た可能性もあるが……」

「……」


 そんな馬鹿な、と言いたかったが、この世界の女性には確かにそういうところがあるな、と思ってしまい、何も言えなくなるディだった。


 タマは「これは理知的な僕だから呈することのできる議題だが」と前置きし、


「仮に君のせいでミズクメ様がおかしくなっていたとしたら、どうする気なんだい?」

「責任をとる」

「僕というものがありながら!?」

「タマを連れ出した責任についても考えているが、それとミズクメが俺のせいで神に悪いことをされている問題とはまた別だろう」

「うん、君はそういうやつだよ」

「?」

「なんでもない。責任をとるっていうのは?」

「神を殺す」

「……僕は案外、『畏れ』というものを大事にしているのだがね」

「というより、俺が目をつけられたとしたら、理由はそれだ。神を殺したから。そういう理由で神に絡まれたことがある。というかまあ、今も絡まれている最中というか……いつ見つかるか、気が気じゃない」

「規格外だね……」

「本当に『規格外』ならよかったんだがな。俺は、『俺』という『規格』の中で、やりくりしていろいろな可能性を探るしかない。だから、まだ神を完全に殺すのは難しい。……だが」


 ディは拳を握りしめる。

 戦い、倒し、食べる。娯楽のような楽しいことだけだが、それでも、確実に強くなっている。

 ディは努力と苦しみが不可分であるという認識から苦しみを負おうとしていたが、実のところ、それらは分けられるのかもしれないと最近思い始めていた。


「……だが。この先、この果てで……必ず、殺す」

「ふぅ……」

「どうした」

「君ってば普段、わりと穏やかな人じゃないか。それが『必ず、殺す』……なんていうのかな、頭に何かこう、クラッとしたものがね」

「ともかく」

「僕の言語化を待ちたまえよ」

「やることは変わらない。戦い、倒し、食べる。そして強くなる。そのためにも俺は、ヤマタノオロチを倒して、食べる。……邪魔はされたくない。ミズクメには悪いが、もう少し逃げ続けるか……最悪、ヤマタノオロチの前に、どうにかする必要があるかもしれない」

「……」

「でもまあ、あまり戦いたくはないな。俺は別に、戦いが好きなわけじゃないから」


 ディが好きなのは努力であり、その結果として己の可能性を広げることだ。

 だいたい戦いを経ないといけないので戦うことも多いが、戦いそのものが好きということはまったくない。


 まったくない、が。


(アメノクリミコト、だったか。……別に俺は、イリス以外を倒そうとは思っていないけれど。手出しをされて黙ってやられるつもりもないぞ)


 降りかかる火の粉を払うのを、遠慮するつもりはない。


 その顔を見て、タマが、


「いややっぱり君、戦いが好きな危険な男だよ」

「そうか?」

「うん。好き」

「そうか」

「僕の言葉の価値が軽んじられていないかい?」


 それは口数が多すぎるからだった。


 夕日はいつしか沈み、焚火だけが二人の影を映し出す。

 逃亡生活の夜が更けていった。

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