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第32話 岩山にて

 逃亡生活は、潜伏場所を変えながら続いた。


 狩場を変えるのは、『その土地で出てくる妖魔でこれ以上強くなれそうもない感覚』と、『ヤマタノオロチ捜索』のためだ。

 基本的には前者の理由で変えることが多い。ヤマタノオロチはさっぱり見つからないからだ。


 そのような日々がしばらく続き、だんだんと夜が冷え込むようになってきたある日──


「……」


 昼日中の日差しの中、ディは背筋にざわざわとした感覚を覚える。

 ヤマタノオロチの、感覚だ。


「……ディ、感じるかい?」


 タマも似たような感覚を覚えているらしい。


 ディは周囲を見回した。


 今、狩場にしているあたりは岩山で、ここらには鷲を思わせる妖魔が出現する。

 空気は奇妙に乾いており、ここら一帯から離れれば昼間でも微妙に肌寒いような気候なのだが、岩山のあたりは奇妙に熱がこもるような暑さがあった。

 太陽もなんだか他の土地で見るより厳しくギラついているような感じがある。


(視界のいい場所とは言い難い。それでも、あの巨体の姿どころか、息遣いさえ、わからない。だが……いる。ここか、この近くか、そこまでははっきりしないが……ともすれば接敵するぐらいの距離に、確実にいる。……そして)


 そして。


 ディはヤマタノオロチの気配を感じた。

 巫女であるタマもまた、その気配を察しているらしい。


 ……それはとりも直さず、他の巫女も同じように、『ヤマタノオロチの気配』を感じ取れるだろうということを予測させる。

 さらに、ディは、逃亡のさいに、『ヤマタノオロチ討伐に積極的だ』ということをミズクメに明かしている。


 ということは、だ。


衒学げんがく的な物言いをするつもりはさらさらないのだが──」

「捕捉されたか」

「最近、僕の発言を待ってくれなくなっていないか? これが倦怠期というものかい?」


 ──巫女たちが、ディを捕捉する。

 ヤマタノオロチの気配を感じた巫女たちが、そこに向かい、ヤマタノオロチより先に、ディを、見つけた。


 巫女たちの気配を感じ、ディはため息をついた。


「……精鋭らしい。これは……穏便に逃亡、というわけにはいかないか」


「見つけたぞォ!」


 巫女たちが岩山の陰から現れる。

 その数は十。五人組が二つ、という単位のようだなとディは分析する。


 巫女たちは誰もかれも非常に殺気だって毛を逆立たせており、ディらに向けられる目は血走っていた。

 怒りのあまり呼吸が荒く熱くなり、口から吐き出す気が白くけぶっているようにさえ見えた。


 手負いの獣を連想させる。


(……俺が逃亡した時は、ここまで狂気めいた様子ではなかった。『神』が何かしているのか?)


 だとしたらまずい、とディは思う。

 なんの罪もない人たちが神のせいで──自分を狙う神のせいで心を乱され、おかしくされているのだとすれば、それを放置するのは寝覚めが悪い。

 彼女らには彼女らの人生があるのだ。その日常を壊す意思はディにはなかった。


「ようやく見つけた。よくもコソコソ逃げ回ってくれたなァ……?」

「お前を探し続けて十七日。早く見つけたい、早く見つけたいと願い続けた……」

「ようやく願いが叶ったってわけだァ」


「ディ、気付いているかい? ……様子がおかしい」

「ああ。これは……」


「許さない……絶対に許さない……」

「殺してやる……」

「殺してやるぞ……」


「「「「「「「「「「タマ!!!!!!」」」」」」」」」」


「………………え、僕なの?」


「当たり前だろうがァ!?」

「男の子と二人で逃亡生活!? なんだそのうらやましい状況!?」

「あたしらが何百年、男の子と触れ合うどころか、視線を交わすこともない状況にあったと思ってる!?」

「そ、それを……一緒に逃げて、く、暮らした!? 暮らしたの!?」

「ご飯とか一緒に食べた!?」

「も、も、も、もしかして……一つ屋根の下で寝た!?」

「手料理をふるまわれた!?」

「許せねぇ……許せねぇよなァ……? こいつは、ぶっ殺しても文句言われねぇよなァ!?」


 ディが戸惑いを浮かべてタマを見る。

 タマはいつもの無表情で、うなずく。


「よかった。いつもの非モテ女どもの怨念だった」


「よくねぇよォ!?」

「破廉恥! 破廉恥です!」

「破廉恥なのはいけません! 死刑!」

「タマをぶち殺せ!」

「男のにおいがついたメスの皮を剥げ!」

「持ち物を奪え! 残り香がついてるかもしれねぇからなぁ!?」


「く、どうしようディ。やつら、本気だ……!」

「本気なのは伝わってくるんだが、戦いにくいタイプの本気だな……」

「僕がどうなってもいいと!?」

「いや、まあ、守る。守るが……」


「『守る』ゥ!?」

「男性が『守る』!?」

「なんだその言われてみたいセリフ!?」

「殺して皮剥ぐだけじゃ足りねぇよなぁ!?」


「ディ、君、火に油を注ぐ趣味が?」

「いや。火に油を注ぐ時は火力を求めてであって、趣味的にやっていたつもりはない」

「そういう意味じゃあない。そういう意味じゃあ、ないんだよ」


「なんかよくわかんねぇけど親し気な会話しやがってよォォォォ!?」

「殺せ!」

「殺せ!」


「すごく危機なのはわかるんだが、おどろくほどやる気がわかない……」

「ディ!? 僕の危機だよ! いやわりと深刻に!」


「殺せェェェェ!」


 かくして怨念に支配された非モテ巫女たちが、ディら、というかタマに襲い掛かる。

 ディは、


「まあしかし、タマが戻りたいなら元の場所に戻れるように努力するが」

「あそこに!? 嫌だよ!?」


 もう戦いが始まるというのに、まったくシリアスになれないでいた。



 倒した。


 あっさりと──ではなかった。

 しかし狙いがタマなのが明らかだったので、ディは悲鳴をあげながら逃げ回るタマに追いすがる巫女たちを、背後から気絶させていくだけでよかった。


 転がる巫女たちは意識を断たれており……


「さて。──やるか」


 ディの目標は、上空に集まり始めた妖魔へと変わっていた。


 巫女たちは妖魔を喰らって強くなる。

 妖魔もまた、巫女たちを喰らって強くなる。


 互いに互いをエサとするこの世界。

 気絶して転がした巫女たちが妖魔についばまれても面白くない。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……これが、人の、業……げほっ、げほっ……!」

「タマは休んでていい。上空の連中の相手は俺がやる。試してみたいこともあるからな」


 片刃の剣を構え、空を見据える。


 届きようもない位置。

 今のディが渡った『可能性』は神楽師。舞と音曲によって神を降ろし、『かくあれと望んだ。ゆえに、かくある』を成し遂げるモノ。

 この舞は奇跡を起こす。届かない距離に届かせ、斬れないものを両断する。


 だが……


(ヤマタノオロチとやった時、『足りない』実感があった)


 首二本を斬り飛ばした。

 だが、殺すには至らなかった。


 それは、『足りなかった』からだ。


 何が『足りなかった』のか?

 それは──


(解釈。あるいは、『中身』か。……舞は体が覚えている。だけれど、動作の意味を意識していなかった。ただ動いていただけで、舞を通して『神』へ捧げる願いが、どの動作がどういうメッセージなのか、それを認識できていなかった)


 仮に、それが認識できていれば、どうなったか?

 認識できていれば──


(──もっと効率よく、舞える)


 戦いを繰り返し、舞い続けた。

 その中で自分の動きを客観視して、その動きにこもるメッセージを読み解いた。


 舞とは、言語である。


 ヒトの身で神に捧げる言語。


 であるならば……


「『届かせる』『刃』『倒す』『敵』──いや、『倒す』『敵』まで縮めてやってみるか」


 動作一つ一つの正確性、そこにこもる『祈り』があいまいであるほど、多くの言葉を用いて装飾しなければならない。

 だが、『動きことば』の一つ一つを正確に、より強く意味を込めて行うことができれば、動作は最小でいい。


 ディは──


 刀を持ったまま両腕を左右に広げ、右足を高く上げたあと地面を踏んで音を鳴らす。

 そうして体ごと一回転し、片膝をつくようにしゃがみながら、剣を振った。


 たぁん、しゃん、という音が遅れて響き渡り、岩山に反響する。

 瞬間、空を舞っていた鷲のような妖魔どもが、バタバタと墜落し、息絶えた。


「……こうか。よし、つかんだ」


 動作の意味。舞の最小単位。ステップと回転。

 最小の単位で効果を発揮できるまで意味を込められれば、今度こそ、ヤマタノオロチの首、九本まとめて断つことができる。

 逃れられる前に、神を降ろして決着をつけることができる。

 ……まあ、『神を降ろす』というのは、ディとしては避けたいことではあるのだけれど。


 ディが落下した妖魔を拾っていると……


「ディ!」


 しばらく聞いていなかった声が、響く。


 そちらを見れば、息を切らせて姿を現した、ミズクメがいた。


 黒い巫女は呼吸を荒らげ、ディを見つめ、何かを言いたげにしている。

 しかし、言葉は出なかった。よほど遠くから駆けてきたのか、息が整う気配もない。


 ディは、


「周辺の妖魔は一掃したはずだが、討ち漏らしがいるといけない。ここで倒れている巫女たちを守ってやってほしい」


 そう述べて、妖魔を一体と、タマを両肩に担ぎ……


「できれば敵としては会いたくない。……どうか、考えてほしい。本当に俺を捕まえることが、地上の人々のためになるのかを」


 たぁんたんたん、と足音を鳴らす。

 次の瞬間には、もういない。


 縮地の歩法ステップ


 極まった舞は、ほんの最小の動作だけでも美しい。

 見惚れるほど──美しい。


 取り残されたミズクメは、呼吸をようやく整え終わる。


 ……急いで来た。

 なんのために?


 ディを捕らえるために。『発見』の式を飛ばされたから、急いで来た。

 ……でも、本当に、捕らえるためだったのだろうか?

 捕らえるためだったら、なぜ、自分は、ここに来た速度のまま、襲い掛からなかったのだろうか?


 本当は、捕まえたいのではなく──


「…………ッ!」


 ミズクメは近場にある岩場を叩いた。

 あたりが震動し、岩がひび割れ、崩れるほどの威力。


 完全に八つ当たりだった。


 まだ、わからない。

 ……ディが逃げ去ったあとにははっきりしていたはずだった。彼の主張を認めない。彼の存在を認めない。そう、決めたはずだった。

 だというのに、彼を発見したという報告を受けた途端に、頭がぐちゃぐちゃで、心もぐちゃぐちゃで、何かを言いたいのに、何も浮かばなくて。捕まえなきゃいけないはずなのに、体が動かなくて……


「……わたくしは」


 自分の考えと、気持ちが、わからない。

 狂わされている。


 ミズクメは奥歯を噛み締めた。

 ……そうして出てくるのは、


「認めない」


 何を認めないのか。どう認めないのか。

 それさえも不明な──


 溺れる者が口から吐き出す気泡めいた、なんの意味もない言葉だけ、だった。

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