「……お前たちの文化に介入したくはないが、ここまで来たら、何もしないのも、申し訳ないか」
ディは出来ればこれ以上目立ちたくはなかった。
あまりに『社会』というのを意識しなさすぎる行動だったと反省している。だから、これより多くの影響を与えたくない──
そう考えるのは、自然なことだった。
自然で、
「それはあまりにも、保守的な考えだね」
「……タマ、お前には『革新的』な考えがあるのか?」
「世界を君色に染めてしまえばいいじゃないか」
「嫌だ」
「どうして?」
「俺はいつか去る異邦人だからだ。自分の色に染めるというのは、その世界を背負う覚悟ありきでやることだと思う」
「はははは。なんだい君、案外傲慢な男だね」
「傲慢か?」
「ただの一人が世界なんか背負えるわけがないだろう」
「……」
「その理屈で言うと、すべての技術者は自分の生み出した技術に責任をとる能力が必要だと、
「違うのか?」
「違うに決まってるじゃないか! おかしなやつだな」
そこでタマは、表情の乏しい顔に(撫でられてふにゃふにゃ言っている時も、声を大きくしている時も表情が変わらないので、一種の奇妙さがある)、あくどい笑みを浮かべた。
「人は自分の命の責任さえとれないよ」
「……」
「僕ら巫女の死はようするに『喰われて、妖魔を強化する』ということなんだが、強化された妖魔を責任をとって倒すことはできない。死んでるからね、その時には」
「それはそれ、これはこれでは?」
「いいや、『どれもこれも』だよ。理知的な僕は理解しているのさ。社会というのは責任を他人になすりつけることで回っているのだと。金を払って団子を食う。団子を食うなら本来、材料をそろえ、調理し、提供するという責任を果たさねばならない。そうだろう?」
「飲食店の話か? 代わりに金を払っているはずだが」
「だから、やったことをそのまま無にする必要なんかない。金を払うという形で、団子を食べるという行為の責任はとれている」
「……」
「損失を与えてしまったと思うなら補填すればいい。なかったようにしようとしないでね。最後は喰われて死ぬとしても、その前に多くの人を守って、巫女たちを導けば、自分のやらかし以上のものを他者に与えられるのさ」
「……タマ、お前、いいことも言えたのか」
「僕への評価が不当に低いな?」
「改めよう」
「否定してほしかったな。……だから、まあ、『補填』しておいで」
「……」
「世界が敵に回っても──僕だけは、君の味方だ」
今がいつで。ここが、どこで。どういう、状況か。
今──
瑠璃色に染まる空の下には、焼け跡も生々しい都市がある。
ディがいるのは焼け落ちた大きな瓦礫の真後ろで、その瓦礫の向こうには、たくさんの人が集まっていた。
男性がいて、女性がいる。
火を点けた者がいて、点けられた者がいる。
ディの影響で男性が調子に乗った──というのは『さすがに無理筋だろう』とタマは言うけれど、ディの自認では、それに近いことが起こったという印象だ。
自分という異文化の影響での、被害。
街一つが焼け落ちるという、被害。
……死者が確認されていないのは
そもそも弱い男性はいわゆる『実行部隊』におらず、安全な場所できゃあきゃあ騒いでいただけ。女性は巫女ならずとも
(『異文化』の俺の影響で出た損失・損害だ)
バタフライエフェクト──と述べるよりは、近い。
だが、道義的・法的な責任を問われても無罪になるだろうぐらいには遠い。
そもそも
この世界は男性に甘い。……甘すぎる。『同じ生き物』とは扱っていない。いいところ、子供。あるいは飼い犬。そういう扱いだ。
男性が罪に問われないというのも、そういうことなのだ。『保護管理責任者』の責任であれど、当人には責任能力がない──幼く弱い生き物とみなされている。だから、あらゆる罪に問われない。
(補填。……与えた損害以上のものを、補う。……簡単に言うなよ。難しいに決まってるだろう)
でも、横を見れば、タマは『さ、早く』という顔をしている。
この真っ白い、猫耳の生えた、無表情な少女の感情が、すっかりよくわかるようになってしまっていた。
ディがこれから行うこと。
真っ二つに割れた『男』と『女』の──
あるいは、『街を壊そうとした者』と、『被害に遭った者』との、架け橋。
暴力でぶん殴って『いいから言うことを聞け』と言う──これもきっと、できるし、それはそれで許されるのだろう。
だがそういう手段はとりたくなかった。
(人には暮らしがあり、個性があり、願いがあり、目的がある。……俺は、そういうものを、ないがしろにしたくない)
したくないからこそ、罪の意識を覚えている。
だからこの罪を、言葉で償おう。
……どうやって?
まだ、わからないけれど。
ディは跳び、瓦礫の上に着地した。
視線が集まる。
(絶対に、こういうことに向いた性格じゃないよな)
この自己分析は正しいと思う。
演説。……そういうことをする『可能性』を探った。だが、渡ることができなかった。
現在あるあらゆる可能性において、自分は『一人』で戦ってきたようだ。
だが、『軍師』はあるように感じた。
戦術を知り、指揮をできる『可能性』はある。
その未来に至った自分は、いったいどうやって『兵たち』とコミュニケーションをとっていたのだろう?
この口下手で不器用な自分が、口八丁で立ち回っている姿は想像できない。
どうやって──信頼を得たのだろう。
どうやって、話を聞いてもらったのだろう。
(そもそも、どうすれば『補填』になる?)
焼けた街を元通りに直す。
……可能のような気がする。だが、壊れた形あるものの形を整えるだけでは、補填にならない。もっと重要なものが変化し、失われているように感じるのだ。
何が変化し、失われているのか?
(関係性──)
今回の事件。
一人の陰謀論が浸透した結果、人々が二つに割れて、争いが生まれた。
妖魔との戦いにようも悪くも注力していて、巫女という戦力以外は戦いと無縁だったこの世界に、『妖魔』以外の敵が生まれてしまった。
すぐ隣にいる人が、急におかしなことを言って襲い掛かってくるかもしれないという、不安が生まれてしまった。
(俺は、政治家じゃない。だから、法を布く約束はできない。俺は、支配者じゃない。従えと言うだけで従わせることはできない。そもそも、俺は旅人だ。いつかここから去るだろう。そんな俺に、どんな補填ができる?)
人の心の問題に答えなんかあるはずがない。
知識があれば、そういうメソッドもわかるのかもしれないけれど。
だから……
今のディにできるのは、『演説』ではなかった。
「俺は、ヤマタノオロチを倒す」
急になんだ? というどよめきが広がっていた。
混乱の渦中にある街の火を消し、騒ぐ人たちをとりあえず集め、何を言い出すかと思えば、急に『ヤマタノオロチを倒す』。
それはまあ、すごいことだ。巫女たちが集まって成そうとしている悲願だ。
だが、今、それが一体なんの関係があるのか──
「この言葉に責任をとる。この責任を他者に押し付けない。……それと同じことをしてくれ。『誰かが言ってたから』『誰かに言われたから』という理由で行動しても、結局、やったことの責任をとるのは自分だ。だから」
ここから先。……間違っていると自分でも思う言葉を言う。
だからなかなか出て来ない。
でも、言わなければならない。
「俺は、この街の破壊とは無関係だ。俺に責任はない」
「でもッ!」
そこで叫ぶのは、人々が集められた中央にいる、眉の太い男だった。
この騒ぎの原因。彼は、
「あなたの行動に勇気をもらった! あなたがいたから、俺は、男性の可能性を信じて、あの地下から出てきた! あなたが──お前がいなかったら、ここまでのことにはならなかった!」
「そうかもしれない」
「なら!」
「でも、それはお前の行動で、お前の責任だ。だから、お前が償う罪になる」
「なんだよそれ!? そんな、そんなの、おかしいだろ!」
「ではお前の思う責任は『どこ』だ?」
「お前だよ!」
「俺の行動に影響されたから、俺が悪い?」
「そうだ!」
「じゃあ、お前の行動に影響されて街を破壊した人たちの責任は、お前がとるのか?」
「……」
「その根幹も俺に責任があるから、すべての責任を俺が負うべきだと、そう言うか?」
「そ、そうだ!」
「その責任は具体的にどのように負うことになる?」
「……閉じ込められたり……?」
「そうか。閉じ込められるわけにはいかない事情がある。だがきっと、『閉じ込める』と決めたなら、全員が俺を捕まえようとするんだろうな」
「そうだ!」
「そうか」
そこでディが思わず笑ってしまったのは、タマの言葉を思い出していたからだ。
完全に受け答えの流れで言うことになる言葉なので、まさかタマもここからの発言を予測してあんなことを言っていたわけではなかろうが、でも、タマならなんだか予測してそうな気もして、笑ってしまうのだ。
ディは、笑いを収めきれないまま、言葉を続ける。
「全員が俺を捕まえようとするなら、この世界は俺の敵だな」
「…………は?」
「俺には目的がある。これを邪魔されたくはない。可能な限りで補填はしよう。文化も破壊したくはなかったよ。だが、うん。『そのまま元に戻す』なんていうことは不可能である以上、確かに別な利得をもたらすしかない。そういう配慮はしよう」
「……」
「だが、俺の目的を邪魔するなら、敵だ。力の及ぶ範囲で抵抗しよう」
「何、何言ってんだ、お前?」
「捕まえるのだろう? では、やろう」
「……」
「言葉の責任をとれよ」
眉の太い男は、周囲を見た。
だが……
女性から逃げきり。
ヤマタノオロチの首を二本斬り落とした──ことはまだ、一部の巫女しか知らないが。
ミズクメから、逃げている。
……ミズクメが男ごときをとり逃している、なんて嘲笑できたのは、その『男』も『ミズクメ』も自分から遠い場所にいたからだ。
今、目の前で、牙を剥こうとしている男がいる。その男の牙が自分にも及ぶとなれば、意識せざるを得ないのだ。
この男は、最強の巫女でさえもとり逃がしてしまうほどの、強者であると。
「俺に影響されたんだろう? 俺がお前の立場なら、戦って俺を倒す」
「……」
「都合のいいところだけ切り取って勝手気ままに解釈して、そのせいでやらかしたことの責任を擦り付けられるのは、不愉快だ。……ああ、うん。ようやく、腑に落ちる表現が見つかった。『俺はこの状況に責任を感じている。でも、その責任をお前に「とれ」と迫られるのは不愉快だ』」
そこでディは、こらえきれずに噴き出した。
面白かった。あまりにも、タマが予言者めいていて。
「……俺は案外、傲慢だったんだな」
「……」
「だから、そうだな、下手なことを思い悩んでいないで、こう言えばよかったのか」
軍師に至った自分が、どのように兵を従えたのか?
口下手だからきっと、口八丁によってではないだろう。
だからきっと、こんなふうに。
「俺の戦いを黙って見ていろ。損はさせない」
根回しでも説得でも利害関係の形成でもない。
……すぐれた
踊ればいい。
極まった舞は、神さえ魅了するのだから。
手拍子──
否、拍手がどこからともなく聞こえ始める。
極まった感情を、人は音を立てることで表現する。
拍手は広がり、大きくなった。
……全員がディの言葉にプラスの感情を抱いたわけではないだろう。
それもそうだ。まだ、見せていない。ディが舞うのはこれからで、今の言葉の真価が問われるのは、この先だ。
ヤマタノオロチを倒せなければ最悪の嘘つきに成り下がる。
「……負けられない理由が増えたな」
小さくつぶやく。
ニュッと視界にタマが割り込んでくる。
「負ける気なんかないくせに」
「よくわかるな」
「君の相棒だからね」
「…………」
「え、相棒だろう?」
「なるほど」
そうかもしれない、とディはつぶやく。
けれど、大きくなった拍手の音で、その声はタマに届くことはなかった。