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第37話 変化と歴史

 ミズクメをとりまく状況は変わってしまった。


 彼女が街を襲った大火と、その原因である『男性脱走』について知ったのは、すべてのことが終わって、街の復興が始まったあとのことだった。

 数日のタイムラグをもって与えられたその情報は、ミズクメにとって『あの時に感じた騒ぎがそれほどのことになっていた!?』という驚きをもたらすものだ。


 ……想像できるわけがない。

 ミズクメが軟禁状態にあったのは領主屋敷。ヤマタノオロチ対策本部ほどではないにせよ、多くの巫女に守られた、権力者のお膝元。そもそも暴動の発生場所がここと距離があったのもあるが、正気を失った暴徒とはいえ、本能的に、この『危険地帯』は避ける──

 というか、騒乱がミズクメに見つかって、この最強戦力が謹慎を解かれて出てくることを避ける。


 しかも大火の規模が街の区画一つがすっかり焼け落ちるぐらいであり、その原因が男性で、その男性に感化された女どもが、巫女までいたのに、真っ二つに思想で割れて争い、その結果の火事などと、想像が及ぶはずがないのだ。

 説明されてもわからない。何がどうしてそうなったのか、事実のすべてを把握している者でさえ、うまく伝えることは難しかった。


 ……とにかくミズクメに知らされたことは。


「あなたが強硬に『捕獲』を試みた男性ですが、このたび正式にヤマタノオロチ対策組の頭目になりました」


 という、『ありえないこと』だった。


 冷静なミズクメをして、言葉が出ないほどのことだった。

 ……冷静だったころ・・・・・のミズクメをして、返す言葉と理解に苦労しただろう。


 今のミズクメは、


「そのようなことが許されるはずがありません!」


 伝令役の巫女に対し、立ち上がってつかみかかるということさえ、してしまう。


 襟をつかまれた巫女は、「お、落ち着きなさい!」と恐れるように声を出す。

 そこでミズクメはハッとして巫女の襟を放した。


「……申し訳ありません。しかし……男性が、ヤマタノオロチの討伐に加わる……加わるどころか、頭目に……? そ、そもそも、頭目はわたくしのはず……」

「……ですので、その」


 巫女はミズクメから距離をとる。

 明らかに、これから、先ほどよりもミズクメが狂態をさらすような言葉を言うつもり──というか。


 わかるはずだった。

 ミズクメが冷静なら、言われるまでもなく、伝わるはずのことを、


「あなたは、頭目から降ろされました」

「……」

「二度もとり逃したことから、実力的にあなたより上と判断されたこと。そしてこのたびの混乱を収めるのに多大な功績を挙げたこと。何より……」


 ……だが、この巫女は見誤っていた。

 今のミズクメには、『あなたは頭目から降ろされました』と言うよりも、


「……男性であること。それが理由での、抜擢です」

「…………男性で、ある、ことが、理由…………?」


 こちらの方が、より、ミズクメの正気を奪う。

 ……今まで築いてきた価値観。守ってきた規範。律してきた常識。

 これ以上崩されては、ミズクメは、もう、ミズクメでいられない。


 とうに壊れかけた彼女の存在証明アイデンティティは、さらなる痛手に耐え切れない。


 ミズクメの声は、震えていた。

 数百年、誰も聞いたことのない、動揺しきった声だった。


「だ、男性は、守るべき、者です。我ら巫女は、しし様よりそのための力を授かり──」

「我ら巫女が男性のみならず・・・・・すべての力なき者を守るのは、その通りです。けれど、彼は『力なき男性』ではない」

「それでも、いえ、だからこそ……」

「ヤマタノオロチの首、あなたは一つを断った。けれど、彼は、二つまとめて断った」

「……」

「それに、あなたよりも、彼の『まい』の方が……魅力的だった。知らぬ音曲を自然と奏でてしまうほど、我らは、彼の舞に魅了された。あなただって、見惚れていたでしょう?」

「…………」

「彼とヤマタノオロチの戦いを見た時にはすでに明らかだったことを、今、ようやく世間が認めたというだけなのです。……そもそも、あなたは今まで多くの責任を負いすぎてきた。別に『頭目』という肩書に価値なんかないでしょう? ミズクメ。あなたは本当によくやってきた。だから……もう、一人で舞うことはないんですよ。これからは──」

「…………め、ない」

「──ミズクメ?」

「認めない」


 長い黒髪がばらばらと踊る。

 その漆黒の美しい髪に、小窓から差し込む朝日のせいというだけでは説明がつかないほど、黄金のきらめきが混じっている。


「認めてなるものかッ! わたくしは! 女は! 男になど負けていない!」

「勝ち負けではなく、」

「わたくしはシシノミハシラに恥じることなき巫女として生きてきた! すべてを守ってきた! 百年、二百年……何百年も、多くの同胞が死ぬ中! 守ってきた!」

「ミズクメ、落ち着いて……!」

「わたくしから役目を奪わないで」

「……ミズクメ、だから──」

「証明します」

「ミズ──ぐっ……!?」


 一瞬での接近。

 当て身により意識を奪う。


 その目はすでに正気ではなかった。

 漆黒の瞳に黄金の輝きがくゆっている。


 その身は細かく震えていた。

 揺れる黒髪、垂れた黒い尻尾に、黄金の光がまとわりついている。


 その立ち姿は幽鬼のようだった。

 けれど、生気はなくとも、迫力があった。

 鬼気迫る──何かが、あった。


「わたくしは、巫女です。この世界を守る、巫女です」


 彼女には語るべき理論があったはずだった。

 何せ、神たるアメノクリミコトから直々に『あの男を殺せ』と言われている。『神に殺せと言われている男性をヤマタノオロチ対策の頭目にするのは反対です』。こう言うだけでよかった。こう言うだけで、ミズクメの意見には『聞くべき理由』ができたのだ。


 だが、狂乱したミズクメには、『男を殺す』という選択肢はなかった。


「守ってみせる」


 狂乱した彼女は、これまでずっと続けてきた通りの行動を繰り返す。

 つまり、『守る』。


 女を。男を。この世界を守る。

 守る、ためには──


「妖魔をうち滅ぼし、みなを守ってみせます。だから、どうか、どうか……」


 刀を握りしめ、


「──わたくしの生きた日々を、否定しないで」


 ……役目に追われて生きてきて、役目以外の存在理由を喪失した巫女が、飛び出していく。

 黄金の──神の輝きをたなびかせながら、彼女は城塞都市の外を目指す。


 どこかは、わからない。

 ただ、『何』を目指しているかは、わかっている。


 ヤマタノオロチを殺す。

 一人で殺す。

 ディよりも早く──殺す。


 ……世界は否応なく変化していく。

 だが。


 変化は何かを取りこぼしながら行われるモノだ。


 それは、変化前の場所に適応していた者ほど残酷にふるい落とす。

 ……あるいは、ふるい落とされるというのは、本人の頭にしかない未来予想図なのかもしれないが。


 狂乱した女にとってはまぎれもなく真実。


 ミズクメが飛び出していく。

 あるいは──


 時代から振り落とされて、不格好に、飛んでいく。

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