「……というわけで、本来はミズクメと協力していただきたかったのですが」
街での混乱を収めたあと、ディは正式に『ヤマタノオロチ討伐隊』の長に任じられた。
畳敷きの広い部屋で女たちがディの前に並んで正座しており、その一番前で、代表者と思しき者がディに申し送りをしているところだった。
ディは、どうにも連絡役というか、まとめ役というか、そういうのを押し付けられていそうな少女(年上だとは思うけれど)を見て、こんなことを述べる。
「……メガネはそこにかけるんだな」
この世界の女どもは
ようするに獣耳や尻尾といったものが生えているのだが……
どうにもいわゆる『人間耳』はなく、頭頂にある耳で音を聞くらしい。
なのでメガネのツルをひっかけるべき耳が上にあるから、その獣耳にメガネのツルをひっかけ、垂らすようにして目のところにレンズを配置しているようだった。
「え、いや、その……はい」
真面目な話をしているつもりだったメガネをかけた犬系緑色巫女、急に全然関係がないことを言われたので戸惑ってしまう。
いかにも生真面目そうな顔つきの少女だ。ディはついうっかり言葉を口に出してしまったことに「すまない」と謝罪し、
「ミズクメがどこかへ行ってしまった──というのはわかった。けれど、ヤマタノオロチを目指しているようだというなら、きっと、どこかで会うだろう。彼女は強いし、心配するのも違うと思う。そもそも……傷を癒して
前回がそうだったように思われる。
ヒトが強い妖魔を『美味そう』と感じるように、妖魔もまた、強いヒトを『美味そう』と感じる。
それでディは目を付けられ、結果として街にまでヤマタノオロチを『
だからヤマタノオロチは自分を目指すだろうし、それまでは隠れるのに専念し、ミズクメが単独でヤマタノオロチと会うことはないだろう──というのがディの理論であった。
……だがもちろん、この理論には
「ミズクメも、強い巫女です」
ヤマタノオロチと巫女を交えて戦った時。
ヤマタノオロチは確かにディに興味を示していた。
だが一方で、ミズクメらにも興味を示していた。
ミズクメもディも、ヤマタノオロチからすれば、迷うぐらいには美味そうな獲物なのだ。
ディはうなずく。
「だから、これからやることは一つだな」
「と、言いますと?」
「強くなろう。ミズクメより美味くなるために」
「…………いえ、ちょっと、その、表現……」
メガネ女子が言いにくそうにうめく。
そこに、割り込む声がある。
「
その声を発するのは真っ白い猫系の少女、タマである。
彼女が今どこにいるかと言えば、巫女たちの正面、一段高い場所であぐらをかいて座るディのふとももに頭をのせてごろごろしていた。
巫女たちにとって気が散るったらない様子のようで、さっきからものすごくチラチラ見られている。
当のタマは見られるのがむしろ気持ちいいと言わんばかりに、ディの周囲で寝転がったりにおいを嗅いだりやりたい放題だ。
「彼という一つの学問について君たちよりかなりの量の研究を積み重ねた僕の視点から言わせてもらえば、君たちはやはり、彼という生き物にまだまだ不慣れだと言わざるを得ないね。やはり体験というのは重要な要素だと、最近の僕は常々痛感するばかりさ。あるいはこれこそ──」
「手短にしないとそろそろ殺しますが……」
メガネ女性だけではない。
男性に好き放題触って、それを咎められることもなく、見せつけるようにしているタマ、巫女視点だと『ヤマタノオロチの前にこいつを殺して喰うか……』と思ってしまうぐらいのヘイトを集めている。
さすがにマジの殺気を感じたのか、タマの声がちょっとだけ固くなる。
「……まあつまり、いちいち彼の表現に突っ込んでいたら身が持たないぞとね、僕はこういうことを言いたかったわけだよ」
「そのようですね。……それで、男性様」
タマの狼藉を放置している(言っても無駄なので労力を省いている)ディは、「男性様……」と繰り返した。
「その呼ばれ方は慣れないな。……正直に言えば、こうしていかにも偉そうな位置に据えられてかしずかれるのも慣れない」
「しかし今のあなた様は長で、男性様でありますので……」
「ようするにパーティリーダーということだろう? パーティは便宜上リーダーがいるが、基本的には『指示役』『意思決定役』というだけのことで、別に身分が偉いというわけではないと俺は思う。それに、戦いの時にいちいち『男性様』などと呼ばれては長いし反応できない。『ディ』でいい」
「呼び捨て……!?」
巫女というのは妊娠すると力を失うと言われている。
そのため、巫女たちは強い神力で長生きしながら、ほとんどの者が男性と手をつないだこともない。
手をつないだこともないが、妄想だけはかなりたしなんでいるため、『呼び捨てでいい』という発言には、これまで静かにしていた他の巫女たちもざわざわし始めた。
ディは困った顔でタマを見る。
タマは無表情にうなずいた。
「僕はね、僕一人だけこうして君と触れ合い、すでに君を呼び捨てにしている現状について、『優越感半端ない』と思っているよ」
「……お前にアドバイスを求めるのは間違いだと、最近は俺にもわかってきた」
タマが不服そうに何かをしゃべろうとするが、顎を撫でてやるとふみゃあふみゃあ言い始める。
最近はタマを黙らせることにも慣れが出てきたディであった。
その様子を見て女どもが殺気立つのだが……
ともかく。
「多くを狩り、多くを食い、強くなる。この方針で、ヤマタノオロチが傷を癒し、姿を現したあとに倒す」
極めて脳筋に、そういう戦略をとることが決定した。
◆
「そういえばなぜ、巫女たちは妖魔狩りが控えめだったんだ? もっと積極的に探して狩ればよかったのに」
肉を、焼いている。
今回仕留めたのは二足歩行の牛だった。
いわゆる
二足歩行ということで食べるのに若干の抵抗はあったのだが、それでも実際に倒してしまえばその肉の味わいが気になって仕方なくなり、さばいて焼いてみれば、あふれ出る肉汁が陽光を受けて虹のきらめきを発するし、立ち上る香りもよく、我慢できずに普通にガツガツ食べてしまう。
味わいはイノシシや鷲の妖魔に比べると多少あっさりしていてタンパクな感じがするものの、香りが抜群にいい。やはりまともに下処理もしていないでただ焼いただけだというのに肉質はとろけるようにやわらかく、舌触りはシルキーで、味わいは他の肉より深いような気がした。
ディは巫女たちを何グループかに分けて狩りをすることにした。
その際に、誰がディと同じグループになるかというところでとてつもない争いに発展しかけたため、最終的にはくじ引きで決めた。
くじ引きの時の熱狂はすさまじかった……
あと結果が出たあと、くじ引きもしていないのに、当たり前のように同行する扱いになっているタマに対する殺意がすさまじかった。
そうしてディとの同行を勝ち取った中には、巫女連合のいわゆる『ナンバー2』というのか、下意上達役をしていた、緑の犬系メガネ巫女もいた。
タマに聞くより素早く有益な情報を返してくれる存在なので、ついついディも、質問責めにしてしまう。
迷惑かなとも思うほど質問をしてしまっているわけだが、当の彼女はディが声をかけるたび太い尻尾を振ってとても楽し気にするので、『この世界の男』と『巫女』との関係がなんとなく見えてきて、逆に気を使って質問を捻りだそうと思うことさえある始末だ。
緑の犬科メガネの彼女は、「控えめというか……」と述べたあたりで言葉を探し、
「……我々の自覚としては、決して『控えめ』というつもりはありませんでした。そもそも妖魔を倒すのは『必要に応じてすること』で……当たり前ですが、妖魔というのは、こちらを殺すこともありますし、殺されて喰われてしまえば、強い妖魔をわざわざ生み出すことになりますから。基本的には、『充分に安全を確保して、城塞都市の近くに出たものだけを狩る』というように活動をしてきました」
「ヤマタノオロチというのはどうにも、
「普通は『決戦になりそうだからなるべく休んでケガなどに気を付け、備える』となると思うのですが……」
「なるほど。むしろそっちが道理か……」
彼女の言葉は正しい。
ディは故郷世界で似たようなことが起こった場合、自分の意見と彼女のような意見、どちらが支持を集めるかを想像してみた。
彼女の意見だった。……自分の思考はおかしいのだな、と自覚する。
「……だがまあ、これだけ美味いし、わかりやすく力もつくのだから、もう少し積極的に狩りたがる者がいても不思議ではないな」
「いました。そういう者が肉に魅入られすぎて、迂闊な狩りの果てに殺され、妖魔を強化してしまい、今回のように巫女が連合を組んで対応せねばならない『大妖魔』が出た歴史があるのです」
「なるほど。君の言葉は端的でわかりやすくてありがたい」
「比較対象がタマだと思うと素直に喜んでいいのか……誰もがあいつよりは端的でわかりやすくしゃべります」
「タマは有名人なのか?」
「まあ、力の強い巫女ですから。ミズクメほどではなくとも、集められた巫女の中で……五指には入るでしょうね」
「それほどか」
「……今は、ミズクメと並ぶと思いますよ。あなたと過ごして肉を食べたからというか……恩寵を与える神の力の高まりを感じます。よほど熱心に礼拝をしていたのでしょうか?」
「…………さてな」
ディがなんとなく夜空を見上げつつ苦笑する。
そして、口の中で楽しんでいた牛頭肉を飲み込んだ。
その時──
「……!?」
不意に、ディの中に変化があった。
感覚が開いた、というのか。
これまでわからなかったことがわかる。これまで感じ取れなかったものが感じ取れる。
『可能性』が広がった。そういう感触だ。
(……これは。経験、技能だけではなく……知識、だ。まだ不完全だが、知識が、未来から流れ込んできている……?)
膨大な情報量はいちいち処理しきれるものではなかった。
だが、感じる。……これはすべてではない。ここより先に、分厚く経験を積んだ『未来の自分』。そのすべての経験・知識が流れ込んできているにしては少ない。
少ない、が……
「……充分だ」
可能性が広がった。
より強い自分に渡ることができる。
つまり──
療養中でも。
まだ傷が治りきっていなくても。
……斬り落とされた自分の頭さえ喰わねばならぬほどに追い詰められた状態から、まだ三本の頭を完全に生やすには到底足りない程度の時間しか経っていなくとも──
寝込んでいる場合ではなく、強烈に『喰いたい』と思うほど。
自分自身が
その自分のニオイが、ヤマタノオロチの隠形を解く。
「……出てきましたね」
強烈な気配だ。
殺意であり、食欲だ。
なんとしてもお前を喰う。斬り落とされた首の痛みをお前を喰らって
「行くか」
ディは片手に剣を出現させた。
「本当は夜には出会いたくなかったのですが」
メガネの彼女がため息をつき、そばに設置していたテントから、寝ていたタマと、同じグループになった巫女が跳ね起きてくる。
「『集合!』と号令をかける必要はなさそうだな。……行くぞ」
「……まぁ、朝まで待てそうな気配でもありませんからね」
肩をすくめる彼女に笑いかけ、駆け出す。
ヤマタノオロチとの決戦。
喰うか喰われるかの、互いに退くことのない戦いが、すぐそこに迫っていた。