進むディたちの前に最初に立ちふさがった者。
それは、『ヤマタノオロチの子供』ではなく、ヤマタノオロチ本体でもなかった。
髪の長い、黒い巫女。
びっちりと顔以外に巫女装束を着こんだ、狐耳と尻尾を生やした──
身の丈より長い刀を扱う、巫女。
ミズクメだった。
その威圧的な気配に、ディは足を止める。
ディに随伴していた巫女たちも足を止める、が。
「行くといい。彼女は俺に話があるようだ。……タマ、俺が行くまで、ヤマタノオロチを止めておいてくれ」
にゅっと横から顔をのぞかせたタマが、「ええ、僕にできるかなぁ?」と、『できない』と思っている様子ではなく、『もっと言い方があるんじゃないかな』みたいな声音で言う。
だからディは笑い、
「お前だから頼める。俺のために力を尽くしてくれ」
「わかったよ。でもあまり遅いと、僕も嫉妬するからね」
タマが行く。
他の巫女たちは戸惑うようにディとタマを見比べ、ミズクメにも視線をやる。
だが、ディが「行ってくれ」と述べれば、その言葉に従った。
ディは、巫女たちを見送ったあと、ミズクメに視線を向ける。
「君は『ヤマタノオロチを倒す』ために飛び出したと聞いたが」
「ええ、そのつもりです。けれど……その前に、あなたの安全を確保しに参りました」
「手柄を独占したいということか? 俺は肉さえもらえればそれでいいが」
「手柄?」
ミズクメは、笑う。
目に力がこもったまま、口を閉じたまま、肩を揺らし、頭を揺らし、笑う。
その夜の闇に溶けるような漆黒の瞳や髪に、黄金の輝きが混じり、ミズクメの体が笑いに揺れるたび、鱗粉のように黄金が舞う。
「手柄など、いりません。我々巫女は、世界に……
「……」
「わたくしの願いはいつだって、守るべきものを守ること。……そのために、あなたを戦場に立たせるわけにはいきません」
「俺はお前に守られるほど弱くはない」
「強いとか、弱いとか、そういう問題ではないのです。……男が戦場に立つことなど、認めない。これは、わたくしの役目です」
「強く生まれついたというだけで、すべての責任を負うことはないと思う。……『生まれつき持っている才能』なんていうものに縛られないでくれ。それは、君自身を形成する一部ではあっても、君自身ではないのだから」
「いいえ。いいえ。これは、わたくしの役目です。わたくしが、守る。あなたを、みなを、この世界を、守る。わたくしが、妖魔を倒す。わたくしには、それ以外にない。わたくしは、それ以外のすべてを捨ててきた。わたくしは──あなたに、『わたくし』を、奪わせたりしない」
ミズクメの長大な刀の、紙でできた鞘がほどけていく。
その目は狂乱していた。
その顔は泣いているのか、笑っているのか、わからないものだった。
その気配は──
「……
──『神』が強く、薫っていた。
ディの脳裏によぎるのは、『
狂乱していた。錯乱していた。
……たとえばあの世界に『
アーノルドは、あそこまでにはならなかった。
「『神』『生まれつきのもの』……俺は、そういうのにいい思い出がまったくない」
「神に愛された我々は、神を奉じ、神に与えられた使命をこなす。わたくしは、それだけをしてきた。それだけが、わたくしだった」
「違う。君にはもっと可能性がある。自分で自分の可能性を閉ざすな。どこからかこちらを見下ろす神ではなく、正面に立つ俺の声に、どうか耳を傾けてくれ」
「可能性」
ミズクメが、笑う。
「あるのでしょう。ええ、あるのでしょう」
「ああ、ある。君はもっと、なんでもできるし、なんでもしていい」
「それは、どういうものだと言うのです?」
「……どういう、もの?」
「可能性というのは、どういうものなのです? 無限の未来、自由。閉じていない可能性。……それは、どのような道をわたくしに示してくださるのでしょう?」
「……示してはくれない。己で光を当てて、発見するものだ」
「八百年、役目に従ってまいりました」
「……」
「今さら、そんなことを言われても──わかるわけ、ないじゃないですか」
示された才能というのは、道しるべだ。
それを放棄して無限の可能性に目を向けるというのは──自由というのは、『道しるべのない暗闇の中を進むこと』だ。
暗闇を手探りで進んで、新しい道を発見するのを好む、ディのような者はいる。
……だが。その暗闇の重苦しさに耐え切れない者も、いる。
「お願いだからわたくしから、わたくしが積み重ねてきたものを奪わないで」
「……」
「ただ一つ、約束してくださればそれでいいのです。『手を出さない』と。あなたを、守りますから。命懸けで守りますから。どうか、安全な場所にいてください。どうか、わたくしの人生を、価値観を、否定しないでください。どうか、この世を変化させないでください。わたくしの安寧は今まで積み上げたものの中にしかないのです。わたくしの生命はその変化に耐え切れないのです。わたくしは──未来が、怖いのです」
「俺が言えた義理じゃないが、変化は必ず、どんな場所にも訪れる。俺のやったことは拙速に世界を進めてしまったし、『進む』というのがいいことじゃないのも知ってる」
「で、あれば」
「だけれど」
「……」
「俺は俺のために、ヤマタノオロチを狩る。……そして、君の悩みを完全にフォローすることはできない」
「…………そうですか」
「そして、君を『神』に奪わせたりもしない」
「……」
「残酷なことをする。君から神を奪う。君から、君が築き上げてきた『常識』を奪う。その上で、君を生かす。絶対に生かす。……もう二度と、神に好き放題やらせない。俺の目の前で、神の被害者なんか出さない」
「被害など被ってはおりません。導かれることこそが幸福なのです」
「だからさ」
ディもまた、剣を構える。
「君を守って、君を不幸にする」
「……」
「君を不幸にして──君に幸せを示したい。俺の価値観を押し付けて、俺のせいの変化にさらして、その先にきっと幸せがあるという予感を、君に与えたい。そのために、邪魔するなら、君自身さえ、倒す」
「わがまま。傲慢」
「そうだ。多くの価値観、知らない文明。こういうものに配慮なんかしきれない。だから俺は、俺が奪ったもの以上を与えることに決めた。まあようするに……」
「……」
「責任をとるよ。君を叩きのめして、幸せにする」
「あなたを守るため、あなたを倒します」
長刀が振りかぶられる。
ディも片刃剣を立てるように構えて応じる。
足音が、踏み鳴らされ──
二人神楽が、始まった。