目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第40話 『神』

 音曲が鳴り響く。


 たん、たん、じゃきん、しゃらん。


 それは二人が足を踏み鳴らす音だった。

 それは、二人の刀が振られる音だった。

 それは──袖が、裾が、刀の飾り緒が、振るわれ、棚引き、揺れる音だった。


 金属と足音だけでここまでの音曲が奏でられるものなのか。


 真夜中だった。妖魔の時間の、はずだった。

 だが、二人が踏み込むたび、刃が交わるたび、世界に火花が散っていく。

 その火花は光の粒になってその場に残り、夜をわずかずつ朝へと変えていく。


「かけまくもかしこき──」


「畏きものなんかじゃない。神というのは、おそれるほどのものじゃない」


「『吠えたてるもの』。御柱のしし──」


「君の舞いは、神に捧げるためだけのものじゃない」


「大仙狐せんこアメノクリミコト」


「神を降ろさなくても、君自身の力でやっていけるはずだ」


「諸々の禍事、罪、穢れあらむをば、祓え給え、清め給えと申す事、聞こしめせと」


「神は頼る相手でもゆだねる相手でもない」


「かしこみ、かしこみ、かしこみ申す──」


 長い刃が毒々しく輝く。

 ミズクメの背後にうっすらと、九本の尾を備えた『ヒト』型の影が浮かぶ。

 まばゆいばかりの黄金の光でできたそれがミズクメにふうっと息をかけるような動作をすれば、ミズクメの超長刀が黒々とまばゆく輝きを発する。


 ……だが、それだけではない。


 ミズクメの黒かった髪や目が、黄金に変わっていく。

 一つきりだった尻尾が、九つに増えていく。


 顔つきが変わっていく。

 顔立ちが変わっていく。


 ──神が、降りてくる。


 ディは、舞う。

 激しく足を踏み鳴らし、あらあらしく刀で空を斬り、鋼を打ち鳴らし、下げ緒を棚引かせ、舞う。


「美しき舞い、じゃのう」


 ミズクメの口で、何者かが語る。

 その肉体はまだミズクメのものだった。だが、その存在に、神が重なり、覆いかぶさっている。

 金色の髪を持つ妖艶なる美女。


 大仙狐アメノクリミコト。


「これは神に捧げる舞いではない」


 ディは固い声で応じる。

 踊るように剣を交えながら、ミズクメの口で、神は笑う。


「いいや、いいや、見事な捧げものじゃとも。男はな、やはり、こうでなくてはならん。男はな、我が眼前にあり、美しく舞い、我が目を楽しませる。男は──『人間』は、我に愛玩を受ける、弱々しき者でなければならんのよ」

「お前にどういう『物語』があったかは知らない。きっと、知れば同情してしまうような、何かがあったのかも」

「ああ、そうさなぁ。語るも涙の物語、もちろんあるとも」

「だが、興味がない。……俺は、いや、人は──いいや。神さえも。すべての人の物語に耳を傾けて、すべての人の事情に最後まで完璧に寄り添うことなんか、できない」


 刃が鳴る。

 ミズクメの刀と、ディの刀がぶつかり合う。


「いいや、男よ。『神殺し』よ。神ならば、できるのじゃ。神であれば、ヒトの人生に、最初から最後まで寄り添うことができる。神だけが最後まで、人のよりどころであり、人を救うものなのじゃ」

「違う。お前たちがしていることは、最初に用意した型にはめて、細い丸木橋以外に道がないと誤認させ、その細い橋を揺らして落としかけた者を引き上げ、偽りの安心感を与えることだけだ。それは『寄り添い』でもなければ『救い』でもない。ただの詐欺だ」

「ほう、言うのう! で、あれば貴様がこの女を救うか!」

「そうだ」

「だから──動きに鋭さがないのじゃな?」

「……」

「見抜いておるぞ『神殺し』。そちが、わらわを殺せぬ理由。力が及ばぬからではなかろ? わらわを殺し、この女を殺してしまうことが、そちにはできん。ゆえにそちは、わらわに負けるのじゃ」


 ミズクメの肉体が舞う。


 鋭く幾度も振るわれる刃が、ディを攻めたてる。


 ディは防御に徹するのみ。

 その防御とて美しき神楽舞であった。……だが、攻撃をせず、防戦一方では、いずれ斬り捨てられる。神の振るう剣は鋭く、存在そのものを斬りつけてくるかのように強烈だった。


「いいのか? このまま、わらわを留め置けば、先にヤマタノオロチへ向かわせた女どもも、死ぬやもしれんなあ?」

「……」

「そちにできることはのう、ここでわらわに斬り殺され、この女をヤマタノオロチ討伐に向かわせることだけじゃ。それが、もっとも多くを救う。違うか?」


 ミズクメは殺せない。

 ……もう二度と、神の被害者を出さない。アーノルドを殺してしまったような失敗を、しない。


 だが、神を斬れば、神を降ろしてしまった者も斬ってしまう。

 それが、世界の定めたルール。


 ……だが。


いいや・・・。それは違うぞ、アメノクリミコト」


 異界渡りディメンション・ウォーカーのディ。

 彼は努力ジャンキーで、強くなることに喜びを見出す。

 可能性を広げることに──喜びを見出す。


「神楽舞というのは、神を召喚し、その力を受け取るための『言語』だ」

「そうじゃのう。そのように、わらわが定めた」

「だったら──召喚ではなく、『送還』にも使えるはずだ」

「それはない。そのようなこと、神たるわらわが許さんからのう」


 ない。

 アメノクリミコトはこのシシノミハシラで最も尊い神である。

 神というのは世界にルールを設定することができる存在だ。

 その神が断言する。神楽舞はあくまでも『神に助力を乞うもの』であり、『神にお帰りいただく』などという機能はない。

 この世界にはないのだ。呼んだら呼びっぱなし。帰るも留まるも神の自由。そういう不平等な契約を記すための『言語』こそが神楽舞である。


 ……だが。

 たとえば日本のお盆などの『迎え火』に対する『送り火』。

 コックリさん儀式の最後には必ず発する『お帰りください』という言葉。


 相手が神であろうが霊魂であろうが妖怪であろうが、あるいは西洋の悪魔であっても、おぞましき外なる神であろうが、召喚の呪文があれば、それとついになる送還の呪文というのは必ず存在する。

 この世界の神が定めなかっただけで、ここではない世界には存在する。


 ここではない世界に存在するならば──


 異界を渡って、可能性にたどり着けばいい。


 異界渡りディメンション・ウォーク


 世界のすべてが大きな差異を持つわけではない。『よく似た、少しだけ違う世界』というのも、三千世界──無限に存在する並行世界の中には存在する。

 ディがたどり着いた可能性。流入した知識によって補完し、ついに完全になった神楽舞。


 それは、神を送還する──


 否。


 もっと雑に、乱暴に。

 神を人から叩きだす、踊り。


「かしこみ、かしこみ、かしこみ申す」


 ディが歌う。


 アメノクリミコトは、『何か』を察した。

 ミズクメの肉体が加速する。

 ディが何かをする前に斬り捨てようと踏み込む。


 ……だが。

 この世界において、神楽舞とは、剣術の上位技術。

 舞いこそが至上であると、他ならぬ神が定めている。


 ディの舞いに、ただ斬りかかるだけでは、対処できない。

 音曲にも拍子にも乗らぬ斬撃など、すべて取り込まれ、神楽舞に利用される。


「かけまくも畏き者。『人の可能性』。諸々の禍事、罪、穢れあらむをば、祓え給え、清め給えと申す事、聞こしめせと。かしこみ、かしこみ、かしこみ申す──」


「何をしようとしている、男ォ!」


 アメノクリミコトが吠える。

 ディが、表情を緩める。


「俺は『神殺し』だ。──お前を殺そうとしているに決まっているだろう」


 舞いの中で、一閃。


 大振りだった。


 体を回転させ、飛び、ゆったりと手足を動かし、斜めに斬り捨てる。


 武術の心得があれば、いや、高い身体能力があれば、回避は簡単な、はずだった。


 だというのに、アメノクリミコトは、その一閃に、吸い込まれる。


 左肩から右の腰まで、刀が通り抜けていく。

 だが、痛みはない。

 痛みはないが、


「お、おお、おおおおおお……!?」


 追い出される。

 完全に憑依したはずのミズクメの肉体から、すさまじい勢いで引きはがされていく。


 ミズクメの体から、『黄金』が抜けていく。


「お、おろか、愚か者、めええええ! わらわを、祓って、ヤマタノオロチは、どうする!? わらわの加護なくば、巫女どもは、力を発揮できん、の、だぞ……!」

「だから、責任を取りに行く。それに──」

「……」

「──この世界には八百万やおよろずの神がいるらしいじゃないか。もっとマシな神が、もっとマシなことをしてくれるよ。だから、安心して死ね」

「このお、このおおおおお! 男! 人間の男め! わらわが愛してやったのに、わらわを肉と毛皮としか見なかった男めえええええ!」

「悪いが『そいつ』と俺は別人だ。……俺はわかってるよ、お前と違ってな。人にも神にも、いろいろいるってことをさ」

「おのれ、おのれええええええええ!!!」


 アメノクリミコトの『黄金』が、ミズクメから抜けていく。

 その黄金は、しがみつくようにミズクメの体にまとわりついていたが、


 ディが足をダンと踏み鳴らす。


 すると、そうして奏でられた音曲によって、完全に焼失した。


 シシノミハシラ最上位神、アメノクリミコト。

 これにて、完全殺害、完遂。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?