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第41話 ラストダンス

 ミズクメは……


 常にともにあった『何か』が消え失せているのを感じた。


「……」


 神だ。


 生まれた時から自分を見守り続けてきた神。

 八百万いると言われる中でも最上位なるアメノクリミコト。その気配が消え失せているのを、感じていた。


「どうして」


 ミズクメの口から出てきたのは、それだけだった。


 男は──


 ディは、答える。


「価値観の押し付け。俺の自己満足。それ以外の何物でもない」


 どうして、自分を生かしたのか。

 どうして、自分から奪ったのか。


 彼の主張は、向き合った時と変わらなかった。


 何か言い訳めいたことをするかなと思っていた。

 自己弁護を始めるかなと、思っていた。

 あるいは、あれだけ『奪われたくない』と言ったにもかかわらず、『君のためだ』なんていうふうに、押し付けがましくされるかなと、思っていた。


 何も、なかった。


 こうまで堂々とされては──笑うしかない。


「……わたくしは、人生を始めるしかないのですね」


 それは重苦しい絶望だった。

 いっそ死んでいられればよかったと思う。そうすれば、自分の命を自分で断とうかどうかなんていう悩みも発生しなかったはずだから。


「可能性を広げるのを、俺は楽しいと思う。このために生きている。だから、俺はどうしても、『誰にも縛られない人生』を、肯定的にしか語れない」

「……」

「でも、それが心細いという気持ちも、理解を示しているつもりではいる」

「理解を示しながら、否定したのですか?」

「ああ。君を神に殺されたくなかったというのも、ヤマタノオロチをあきらめる気がないから立ちふさがる君を倒すしかなかったというのも、全部こっちの都合だ。もしも君がただ騒いでるだけなら無視できた。でも、君は強かったし、死にそうだった。それが嫌だから、こうした」

「……」

「立ち上がる力はあるか?」


 彼の問いかけは、体調の話なのだろう。


 けれどミズクメには今の問いかけが、もっと他の……

 これからの人生についての問いかけに、聞こえた。


 だから、答える。


「今は、まだ」

「そうか。じゃあ──」


 ……ぬるりとした気配が高速で近づいてくるのをミズクメは察知できた。


 神とのよすがが消え去っただけで、いまだにこの身には神力しんりきがある。

 ……酷い話だ。神が消えても、まだ、立てるし、戦える。

 今は、まだ。立てない。でも──立って歩く力が、言い訳もできないほど、この身には備わっている。


「──君が立ち上がれるまで、俺が君を守る」


 暗闇へと戻った深夜。

 その中でびょうびょうと風を引き裂きながら迫り来て、夜の濃い闇を引き裂く真っ白い大蛇──ヤマタノオロチ。


「すまないディ、ちょっと止めきれなかった」


 タマが遅れて現れ、ディの横に立つ。


 ディは、


「被害は?」

「まあ多少ケガはね。ほら見たまえよ、僕のこの腕に擦過傷が」

「大丈夫そうだな」

「あとでぺろぺろしてもらえば」

「人間の唾液に治癒効果はない」

「そういう問題じゃあないん──」

「戦えるか?」

「──君のためならね」

「そうか。じゃあ、俺のために少しだけ頑張ってくれ」


 ディが刀を構える。


 巫女たちの気配が遅れて近づいてくる。


「少しだけ、お前たちに寄り添った戦いをしよう。……俺は神は嫌いだが、神を降ろす戦いもまあ、人が選ぶ可能性の一つではあるべきだと思う。だから……」


 足を踏み鳴らす。


 大蛇が吠える。


 巫女たちが立ち止まり、ディの姿を見て、列を成す。


 音曲が、始まる。


 夜という妖魔の時間で、ディの刀が、全身が、白い光をまとうように暗闇に浮かび上がる。


「……この舞いは、不本意だが、神に捧げることにしよう」


 最後の舞いが、始まる。



「かしこみ、かしこみ、かしこみ申す」


 音曲が奏でられ、鈴の音が響く。


 ミズクメの前で、ディが舞っている。


 タマが呪符をばらまき『神域』を形成する。


 ヤマタノオロチが吠え、飛び掛かる。


 ……強敵を前に、決戦をしているはずなのに。

 敵であるヤマタノオロチまでもが、演者であるかのような、舞い。


 ……ミズクメは、思い出した。


 狂乱していた。錯乱していた。

 自分の人生がまるごと否定されたかのような感覚に追い詰められ、神のささやきにすがるしかない状態になっていた。


 その原因こそが、ディの舞い。


 だが、そもそも……


 ディの舞いに、そこまでの衝撃を受けた理由は。


(……なんて、美しいの)


 魅了されたから。

 あまりにも、美しかったから。


 力強くて、綺麗で、見惚れるしかなくて。

 ……見惚れる以上に、その横で舞いたいと、そう思ってしまったからだと──思い出した。


「かけまくも畏き『えいりええす』──」


 それは、タマに力を授ける神の名だった。


 時空間を司る神。

 このシシノミハシラにおいては、アメノクリミコトに劣る神の一柱。


 ……だが。


 この世界における神の位階は、神の世界における神の位階と異なる。


 この世界に影響力が強く、位階が高いというのは、すなわち『この世界との距離が近い』『この世界の担当である』という意味にしかすぎない。

 えいりええす。

 その神格は──


 ディは、笑う。


「『イリス』、聞こえてるんだろう。力を貸してくれ」


 えいりええす。

 すなわち、イリス。


『手を届かせる者』。

 あらゆる次元を渡り、渡す神。


 時空間に作用する神。


 タマの力が増していたのは、肉を食べたからというだけが理由ではない。

 今までにないほど強く、神との距離が近づいたから。


 空間が桃色にゆがみ、『手』が出てくる。

 手が空間のゆがみを広げて、中から美しいかんばせがのぞく。


 その顔は、ピンク色の瞳でチラチラとディを見て、


「直接的に求められると、照れてしまいます……」


 恋する乙女という程度では表現しきれない、なんとも甘い熱のこもった言葉を発した。


 ディの舞いが一瞬止まりかける。

 だが、持ち直す。


「……俺は神に力を借りるなんていうことを間違っていると思う。人の可能性はやっぱり、人が、人の力で広げるべきだ」


 だん、だん、しゃあん。

 踏み鳴らす足。振られる刀。それに合わせて、巫女たちの歌声と、鈴の音が重なっていく。


 ヤマタノオロチの九つある頭が、酔ったようにぐらぐら揺れる。

 白い鱗が上気するように赤らんでいく。


「でも、神に頼るという選択肢だって、あっていい。それは、俺が主義的に選ばないだけで──彼女らに示す『未来』には、そういう可能性があってもいいと思う」

「お優しいお方。……けれどディ様。わたくしね、気付いてしまったのです」

「イリス、君の『気付き』に始まるあらゆることに、ろくな思い出がないのだが」

「最終的にわたくしのものとなるあなたですから、どのような寄り道をしようともいいと思っておりました。けれど……あなたにここまでの舞いをおこなわせるのが、わたくしへの愛ではなく、この世界の者たちへの想いだというのは、嫉妬を覚えてしまいます」

「……やっぱり君は『重い』んだな」

「まぁ……」

「だから褒めてないぞ」


 舞いが最高潮に達する。


 ヤマタノオロチが次々と、その首を放ってディを丸のみにしようとする。

 だが……


 一つ。

 すれ違いざまに断つ。


 二つ。

 横に回転しながら跳び、断つ。


 三つ、四つ。

 交差するように迫るそれらの前で大きく刀を薙いで、断つ。


 五つ、六つ、七つ。

 刀を突き出すように構え、その場で数歩練り歩く。そうして振れば、刃に触れていない、届かない、別々の場所にあった三つの頭が、同時に断たれる。


 八つ。

 迫り来たそれを前に深くしゃがみ、床に胸がつくほど上体を沈めて、飛び上がりざまに断つ。


 そうして、九つ目……


 剣を振り、両腕をゆったりと動かし、美しく伸ばす。

 足を踏み鳴らし、腰の高さも頭の高さも変えぬ動きの中で、刀を振る。


 最後の一閃──


 ディが刀を振り下ろした姿勢で動きを止めること二秒。

 ずるり、とヤマタノオロチの首に切れ込みが走り、ズレて……


 落ちた。


 ディが切っ先を天に向けながらゆったりと刀を持ち上げ、逆に刀を持っていない左腕はゆったり下げ、足をそろえて断ちながら、頭上を見上げる。

 すると真夜中に朝日が降り注ぎ、ディを照らし……


 ヤマタノオロチの体を、美しい炎で包み込んでいく。


 その炎は鱗を燃やし尽くし、肉を包み込むようにあがった。

 その炎によって照らされた夜は、朝のように静かで、明るい。


 ……神楽舞が終わる。


 しばらく、シンと静まり返っていた。


 だが、


「ああ、本当に、本当に……素敵すぎて……」


 女神イリスがボロボロ泣きながら静寂を破ると、巫女たちも息をついて、それに続いた。


 ヤマタノオロチ、討伐完遂。


 ディの舞いに見惚れているうちに終わった、という感覚がほとんどの者の実感であろう。


 そのすべてを魅了した舞いを終えたディは、


「さて、喰うか」


 余韻も何もなく、今しがたまで美しい舞のための祭器であったはずの刀で、蛇の肉を切り分け始めていたのだった。

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