目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第42話 宴と舞い

 焼いた肉を喰う。それだけだ。


「…………美味い。美味いな。うん、これは……美味い」


 本物の感動は人から語彙を奪う。

 ディは一口食べては美味い、噛んでは美味い、飲んでも美味いと、『美味いを言うだけの機構ボット』になってしまっていた。


 ヤマタノオロチの肉──

 美味い。


 噛めばその感触は霞のようにあいまいで、しかし噛みちぎって口の中に入れると肉特有の弾力、歯ごたえが確かにある。

 しかし噛んでいればその肉が口の温度でとろけてたっぷりと旨味のふくまれた肉汁をあふれさせながら消えていく。

 脂身はチーズのように濃厚で、肉はミルクのように甘く、柔らかな味わいだ。

 舌触りもいい。白い炎と焚火で焼かれただけの肉だというのに、乱暴にただ焼いた肉のざらりとした触感ではなく、きめ細かい繊維で織り込まれた布のようになめらかだった。


 目を閉じて長く味わおうとするのだが、口の中で霞のように溶けてしまう肉はいつまでも口内に残ってくれない。

 飲み込めば確かに腹の中に落ちていっているくせに、まったく腹にたまらず、それどころか食欲が増進されるばかり。


 たっぷりあるとはいえ、一人でも食べきれてしまえるのではないかと思えるほどの、極上の肉。


「また大妖魔が出たら来たいな……」


 大妖魔が出るというのはこの世界にとって大変なことなのはわかる。

 わかるのだが、そんな言葉が飛び出してしまう。それほどまでに美味だった。


「どこかへ発たれるつもりなのですね」


 ディの周囲には空白地帯があった。


 その空白地帯の中心にいるのはむしろディではなく、その横に控える女神。

 ピンク色の髪を持った『手を届かせる者』イリスだ。


 ディは肉を飲み込んで、「ああ」とうなずいた。


「今は待っててくれるようだが、このあとまた俺に対していろいろ仕掛けてくるのだろう?」

「そうですね。わたくしはあなたをあきらめるつもりはないので」

「……もしくは、俺の望みはこうやって、美味いものを喰ったり、自分を鍛えたりして、可能性を広げ……いろんな場所を旅することだと言ったら、君はその願いに寄り添ってくれたりするのか?」

「今回、あなたに舞いを捧げられ、この世界でのあなたの活躍を『過去』に聞いて知り、理解したことがあります」


 イリスの目は真剣だった。

 真剣で、あまりにも熱っぽかった。


「わたくしだけのモノに、したい」

「……まぁ、そうなるか」

「知れば知るほど、あなたの至る可能性のすべてを、わたくしのモノというだけにしたいのです。他の女に近づかれるのも、他の可能性が生じるのも、我慢なりません」


 イリスの周囲に女たちが寄り付かない理由。

 圧が強すぎるから。


 ディに近寄る者何人たりとも許さんという空気が全身からまんべんなく醸し出されていて、誰も近づけない。

 ここに近寄る者には比喩ではない天罰が降る。そういうことが、わかるのだ。だから、戦勝に沸き立つ巫女たち、この喜びのまま抱き着いてやろうとか思っていた者も、『見ないこと』にしてひたすら肉を喰うしかない。

 空気ははっきり言ってかなり気まずかった。


 だがイリスは、少しだけ目を伏せて、


「……けれど、それはあなたからの好意あってこそ。嫌われるようなことは致しませんわ」

「たとえば『食事の邪魔をする』とか?」

「それに、ここらの者を残らず呪い殺すとかでしょうか」

「それをやったら確かに、嫌いになるな」

「特にあの、わたくしと波長が合う巫女のくせに、なんですか? あなたにべたべたべたべた……」

「タマか……」


 あの懐きっぷりというのか、ベタつき感というのか、一癖ある感じというのか。イリスと波長が合う巫女だと言われれば、奇妙な納得感があった。


 そのタマは、イリスと波長が合うだけに、イリスの怨念めいた独占欲を最も鋭敏に感じ取っており、周辺に近づくことさえできていない。

 近寄ろうとするとどこから進んでもイリスと目が合うのが怖すぎて、隅っこで大人しくしているしかないのだ。


 ……だから。


「ディ」


 その女神とディの空間に踏み入ったのは、タマではなく。


「ミズクメ」


 ディが出迎えたその女は、黒い巫女、ミズクメだった。


 彼女は、歩いてディに近寄る。


「……ディさん、と呼ばれるのは好まないそうで。呼び捨てにさせていただきますが──その、慣れませんね」

「まぁ好きなように呼んでくれ」

「……ディ。わたくしはやはり、神のない人生に耐え切れそうもありません」

「そうか」

「ですから、代わりの神を──目標を、人生指針を、定めることにしました」


 神とは目標であり、人生指針である。

 生まれつき備わった才能というのは、生きる選択肢を意識させるものだ。

 ……だが、その程度でしかないのだ。

 才能がなくたって人は生きていけるし、才能がない方向に人は生きていったっていい。

 またある日、天才だったはずが、その才覚がなくなった、あるいは勘違いだと気付いたとしたって……


「あなたの横で、舞いたい」


 ……夢を追い続けても、いい。


「……ディ、わたくしは、二度も、あなたの横で舞う機会を逃しました。……神を失い、役割を終え、この『自分自身』が常に変化にさらされて、今まで積み上げてきたものの正しさが揺らぎ、不安から逃れられないこの世界。もう命を絶ってしまおうかとも思いましたが……そう思うにつけ、あなたの横で舞えなかったことが、心残りとして、重く感じられるのです」

「そうか。じゃあ──舞ってやらない」

「ええ。きっとあなたは、そうおっしゃるだろうと思いました。……身勝手に、わたくしの生存を望むのですものね。心残りがあるなら解消なんかしてくれない──わかっておりました」

「じゃあ、どうする?」

「あなたがともに舞いたくなるほど、美しく舞えるよう、精進いたします」

「……」

「素晴らしい舞いは、つい、見ている者の体も動いてしまうものですから。……わたくしの舞いを、あなたに捧げます。混ざりたければ──どうか隣にいらしてください」

「……それは、素敵なお誘いだ。だが、なんだろう、照れてしまうな」

「直接的に誘っておりますからね」


 ミズクメがその時に浮かべた微笑は、力の抜けた、少女っぽいあどけないものだった。

 ……数百年を生きた巫女ではあるけれど。

 彼女は今、『生まれた』。今から、指針のない人生を──暗闇の中を努力という光でもって照らし、進むべき道を探す人生を始めるのだから。


 ミズクメが、舞い始める。


 素晴らしい動きだった。長い黒髪がたなびき、巫女装束の袖や裾についた飾り布が、焚火を受けて透けながら揺れる。


 ディが思わず足でリズムをとってしまうと、周囲の巫女たちが音曲を奏で始める。


「……これ以上はいられないな。つい、踊りたくなってしまう」


 つい顔がほころぶような、舞いだったから。


 ディは、刀を右手に持って、


「……うん、まぁ、無理だな」


 目にも止まらぬ速度でイリスに斬りかかる。


 けれど──ミズクメの舞いの力を乗せた『神の送還』の一閃は、イリスの体にすっと入り、何かを確かに消し飛ばしたけれど、命を絶つには至らなかった。


「まぁ、あなたったら。唐突なのですから……人が見ているのですよ?」


 イリスは突然斬りつけられて、恥ずかしそうにしていた。

 彼女の中で『殺す』という行為が、なんらかの『人前でするには恥ずかしい行為』に分類されているようだ。


「腕は上がったと思う。方法も増えたと思う。……だが、まだ足りないか」

「はい。まだまだ、足りません。けれど……嬉しいですわ、ディ様」

「……何がだ?」

「わたくしのために、こんなにも腕を磨いてくださって。わたくしのために、こんなにも労力を費やしてくださって」

「……」

「あなたがわたくしを完全に殺すほどの『可能性』を発現した時、それはきっと、わたくしを見続け、意識し続け、わたくし以外が目に入らない、そういう状態になっていることでしょう」

「そうなる前に君を殺して、逃げ切る」

「では、逃がさぬよう、つかまえておきましょう」


 イリスの手が伸びる。


 だが、すでにディは『渡った』あとで、イリスの手は空を切っていた。


「…………ふぅ」


 舞いは続いている。


 女神イリスはすぐにディを追いかけようと思った。

 けれど、一瞬……


 いや、数秒、十数秒も、舞いの方に目を奪われてしまう。


「……あなたの舞いは美しいと認めましょう」


 どこか負けたようにそうつぶやき、イリスも姿を消す。


 それを見送って、


「やっぱりどこかに消える人だったんだね。いるうちにたっぷり甘えておいた僕の先見の明たるや、理知的であることがどうあがいてもばれてしまうな……」


 タマが、ディのいた場所に歩いてくる。

 そして残り香を嗅ぐように鼻を鳴らし──


「ついていくつもりだったのになあ。おっかない神様が横にいたから、袖をつかみ損ねたよ」


 下唇をとがらせ、下を向き……

 目をこすった。


 そうして、顔を上げた時は、いつもの無表情で、


「……やれやれだね」


 芝居がかった様子で、肩をすくめるのだった。



 ディが渡った先──


 いや、『目覚めた場所』は、


「……酷いニオイだな」


 ゴミ溜め、としか呼べないような場所だった。


 暗闇と湿度の高い不快感のあるニオイ。

 体を起こそうと手をつけば、ぐじゅりとした何かに手をついていたらしいことがわかる。


 目をこらせばそこにあるのは──


 死体。


「……っ」


 その死体を見て、ディはこの世界のことを『思い出す』。


 異界渡りディメンション・ウォーク能力の発展。

 かつてこの能力はただの『渡りウォーク』であった。

 そこから、生命の危機に際して『異界渡りディメンション・ウォーク』へと進化した。

 そうしてこのたび、シシノミハシラで肉を喰いまくったことによって、さらなる能力拡張を……

『記憶』の獲得を可能にしている。


 ディの頭の中によぎるのは、この世界で過ごした自分が得ている知識の一部。


 市民ランク。

 グニズドー

 怪物フランケン


 知らない記憶がフラッシュバックする。

 煌々といつまでも明かりがともされ続けるビル群・・・を見つめる視点。視線を下ろせばごみごみした地面の上に立つ粗末な身なりの自分が見えた。

 Fランク下層市民が住むスラム。

 グニズドーと呼ばれる迷宮にて怪物フランケンどもを狩る毎日。装備は粗末な強化服・・・銃器・・のみ。同じランクのやつらがゴミのように死んでいくが、気にも留められない。

 Fランク市民の命はゴミも同然だ。絶対的なランク制度には誰も逆らえない。

 何せこのランクは──


 絶対者たるコンピューター様が定めているもの、なのだから。


「……どうにも、この世界も──」


 ディは口元に笑みを張り付ける。


 すると、


「あ! 貴様! 死んだフリをしていたな!? 来い!」


 傲慢そうな声が聞こえる。


 視線を向ければ、そこにいるのはEランクIDを首から提げたお方・・

 Fランクのゴミである自分は決して逆らってはいけない。逆らえばすぐさま『処刑』が行われる。そういう権限と力が、神に定められたランクには付随する。


 つまり、この世界で『強くなる』ためには──


 ランクを上げる必要がある。


 ……ディは流入してくる知識が一段落したのを感じる。


 知識は、知識だった。

 便利なものではある。あって損がないものではある。

 だが、知識というのはやはり、体感・経験が伴って初めてその意味や意義がわかるものだと痛感する。


 ランク制度というものが、上のランクである男を見たことで、『ただの知識』から『体感』へと置き換わった。知識の意味が、頭の中でばちりとハマッたのだ。


「行きます」


 ディは応じて、立ち上がる。


 全身を包む真っ黒いツナギを着て、小銃で武装したEランクの男は、舌打ちをする。


「チッ。今は一匹でも欲しいから許すが、上のランクに向かってその態度。……楽な戦場に回してもらえると思うなよ」

「望むところです」

「フンッ! いけ好かないFランクのゴミめ! いいから来い! 行って怪物フランケンどもを一匹でも多く殺し、コンピューター様に領地を捧げる礎になるのだ! コンピューター様、万歳!」

「……コンピューター様、万歳」

「駆け足!」


 言われるままについて行く。


 知識の流入。

 新しい世界。

 ……コンピューター直接・・支配するという、これまでにないほど、神とのかかわりが深い世界。


 ディはやはり、笑いが止まらない。

 この世界も──


(──努力しがいがありそうだ)


 神殺しの、糧にする。


 新しい世界での成り上がりが、始まる。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?