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第45話 賄賂

 都市中央部──


 人類の生存領域が減らされ、減らされ、減らされ……

 天候は変わり果て、世のほとんどは怪物フランケンの支配下に置かれた。


 そのような中で『コンピューター』はヒトにランクをつけた。


 基準は『人類の繁殖・生存に役立つかどうか』。

 この世界の今の状況においては、『強さ』もまた、ランクを決めるための重要な指標であった。


 そして。


 ランクの高い者は、神のそばに侍ることを許される。


 都市で最も安全な中央部。怪物どもから遠く、幾重ものくるわとなった壁に囲まれた安全地帯。


 そこに鎮座する巨大なパイプと金属部品の集合体こそが、この世界における『神』。

 神の世界の常識に照らし合わせれば、あまりにも過干渉すぎるほど権勢をふるう神。『決定を降す者』リュボーフィ。


 熱気を噴き上げ、演算を続け、監視を続けるその神──


 その一番近くに侍ることを許された男が、顔を上げる。


 灰色の髪を短く刈り上げた、筋骨隆々の大男だ。

 彫りの深い顔立ちをした灰青色の瞳の男。その顔には歴史を感じさせるシワがあるものの、それは、この男が幾度も死地を──寿命を縮め、一瞬で老いるほどの恐怖の中を駆け抜けたからというのが理由。

 その男は『青年』という時期を飛ばし中年となってしまっただけ。

 年齢はまだ若い。だが、怪物の恐怖、グニズドーの恐怖、それに加えて成長促進剤の副作用によって、すでに老境に差し掛かろうとしている中年にしか見えなかった。


「コンピューター様に申し上げます」


 男の声は敬虔な信徒のものだった。


 応じる声は……


「我が右腕、ナボコフ」


 幾重にも合成された音声。

 ただし、その高さ、声質は少女のものだ。


「我が右腕、ナボコフ。Aを超え、Sに到達した唯一の者。……ですが勘違いをせぬように。あなたには、我が決定に異を唱える『権利』があるわけではないのです」

「それでも、申し上げます。我がすべてを捧げるべき神。……あなたのために申し上げたいのです。この命を懸けても」

「……」

「『神殺し』なる者についての話を、してくださいましたね」

「……」

「その危険性について、私は理解したつもりでおります。……あなたを害する可能性がある者など、生かしておけない。だが。あなたは、その『神殺し』のランクを上げようとなさっている。……ランクが上がれば、あなたに近づきやすくなる。私はそれを受け入れることができません」


 男──ナボコフの目には真摯な光があった。

 神はしばしの沈黙のあと、合成音声を発する。


「我が命題は、人類の救済」

「……」

「ヒトを増やし、ヒトの暮らせる世界を維持する。すべてのランクはその基準によってのみ定められるべきこと。それが『神殺し』であろうがなかろうが、この絶望のみの世界に希望をもたらす者ならば、ランクを上げるべきなのです」

「しかし……」

「我が信徒ナボコフ。あなたには『異を唱える権利』はありません」

「……」

「人類のために戦い続ける者よ。神の身の安全よりも優先すべきものが、あなたにはあるはず」

「神よ。あなたを失えば、私は生きていけません」

「いいえ、それでもヒトは生きていかねばならないのです。神を失えど、この地上で生きていく義務が、ヒトにはあるのです」

「……」

「それに、我が演算は神殺しが私を殺す可能性を低いものと算出しました。……我が信徒ナボコフ。くれぐれも、履き違えないように。たった今、『神殺し』は、一つのグニズドーを潰しました」

「……」

「人類のために、戦い、勝利したのです。この者に向けるべき視線は『敵意』ではない。あなたならばわかりますね。信徒にして最強の戦士、ナボコフよ」

「…………はい」

「新しき英雄を導いてあげなさい。『神殺し』は強い。けれど、この世界を知らない。ともに戦いましょう。……人類の繁栄と隆盛を願って」

「……人類の繁栄と隆盛を願って。コンピューター様、万歳」



「ようこそお帰りくださいました! さすが!」


 ディが怪物フランケンどもを蹴散らし、グニズドーを潰して帰ると、『Dランク』が揉み手をしながらニコニコしてすり寄って来た。


 一瞬、誰かと思ったが──あの横柄で、逃亡したFランクを処刑し、集まるFランクたちに『死ね』も同然の扱いをした、あのDランクで間違いない。


 ディは隣にいるサシャを見た。

 猫背でもさもさの髪質の少女は、長く量の多い髪に隠れた目をちらりとディにやって、それから「あ」と声を出した。


 そしてその場に膝をつく。


 ディにはやはり、何がなんだかわからないが──


 首を傾げた瞬間、ディが首から提げていたIDカードから、このような音声が流れた。


『Fランク市民ディ。そのランクをCへと昇格させます』


 幼い少女の声──をベースに幾重にも加工し、様々な年齢の者の声を重ねた。そういう音声だ。


(これは、『コンピューター』の声か)


 ディの頭の中で知識がまた一ページ開いていく。


 そうして目をやれば、ディが出る時にDランクだった男は、Eランクに降格されていた。


「へへへ! いやぁ、本当に素晴らしい! 人類を救う新たな英雄の誕生だ! それで、そのー……あなた様がFランクであったころに働いてしまった無礼、英雄の寛大なお心でお許しいただけないでしょうか……?」


 この態度の急変の理由が、ようやくつかめた。


 ……ランクの上昇というのは、そういう空手形が切られることこそ多いが、実際にはまず起こり得ない。

 だが、起こってしまうと、『ランクが下だった時に横柄に接した報復』というのがセットで起こり得ると危惧されるものなのだろう。


 ディは率直な意見を述べた。


「上のランクの者が、下のランクの者にあのように接するのは、是非はともかくとして、慣例化している。実際、あの時の俺はFランクで、そちらはDランクだった。ランクに応じた態度をとっただけのことだ。許すも何もない」

「へへぇ! さすが、広いお心をお持ちで! ですが……」


 元Dランクはニタリと笑うと、ディに向けてIDカードを差し出してきた。


 次の瞬間、ディのIDカードから『ちゃりん』という音がする。


 何かと思って見れば、『10000クレジットが入金されました』という表示があった。


「……どうか、これからも懇意にしていただければと思いまして。ええ、ええ、本当に、これは、心づくしというやつで。他意はございません。昇格祝いのようなものと思っていただければ……」

「いらない」

「そのようなことをおっしゃらずに! 入金表示に、わたくしのIDがありますので。どうか、そちらの帳簿に、わたくしのIDを記しておいて、できれば覚えていただければ、これ以上光栄なことはございません!」


 ディは、ようやく──


(ああ、実感できた。そうか、『こういう世界』か)


 この世界のことを、『掴んだ』。


 ……ここはヒトのすべてにランクがつけられたディストピア。

 少ない資源をやりくりし、富める者が富み続け、貧する者は貧し続ける、超格差社会。


 上の者に下の者は絶対に逆らえないゆえに、大人しく従うが……


 下の者でも、野心があれば、上の者にこうして、『袖の下を送る』『靴を舐める』などの行為を働く。


 ランクが上がることはまずなくとも、下がることは、普通にあり得る。

 そういう時に身の安全を保障するのが、『上の者とのコネ』だからだ。


(……いびつ、だな)


 ディの肌には合わない。


 とはいえ、ここはこういう世界。こういう文化の場所であり、自分はあくまでも旅行者であり異邦人。いつか出て行く者なのだ。


(あまり、訪れた先の世界を変えないように──とは、前も思ったのだが)


 果たしてディが心のままに『強さ』を求め努力するのに、この世界の方が耐えきれるかどうか。


 この世界に合わせるが、この世界におもねる気はない。

 前の世界で学んだ。変えるのも、奪うのも仕方ないのかもしれない。でも、それ以上にメリットを与えられるように立ち回ればそれでいいし……


 世界の常識に合わせて、自分を曲げてやる必要もない。


「受け取れない。返す」


 ディは、賄賂を跳ねのけた。


 ……これは小さな一歩でしかなかった。

 だが……


 紛れもなく、この世界に『ディ』という異物が混ざり込んだ、そういう一歩だった。

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