『Cランク市民ディ。そのランクをBへと昇格させます』
巣を攻略し、F・Dランク市民とともに帰還すると、ディはまたしても
首から提げたIDカードから響く声に、特に感動もなく、返事をするのも忘れてしまった。
しかし隣につけていたサシャが必死の形相で「お礼! お礼!」と小声で叫ぶので、「ありがとうございます」と口にする。
コンピューター様から返事はなかった。
(人が勝手に畏れているだけで、実際に、神としては、祟りをもたらすつもりなんかないのかもしれない)
この世界でしばらく暮らしていて、ディはどうにも、そういうふうに思い始めていた。
……Bランクの暮らしが始まる。
ディの住む場所はさらに都市の中央に近い場所となり、与えられる住居も『集合住宅の一室』ではなく、『ビル一棟』へと変化した。
DからCでかなり待遇に差が出るようだが、CからBはその比ではないぐらい待遇がよくなるらしい。
食事は生野菜と果物が加わり、合成ジンの配給が七日に一度になる。
蒸留酒も半年に一回は配給され、衣服に使われる繊維などに天然ものが含まれるようになった。
ワンルームだった住居スペースは複数の部屋があり、そもそもビル一棟を自由に使えるようになったので、単純に場所が増えた。
そしてCランクの時にはたった一人までしか『専属』にできなかったが、Bランクはビルの部屋と等しい数だけ『専属』を登録することができる。
その部屋数はワンフロア五つで八階建て。
最上階がディまるまるディの部屋として登録されているので、三十五人の専属を住まわせることができる。
(まだ、足りないな。もっともっとだ)
ディは、『私兵団』を組織する構想をなんとなく抱いていた。
せっかく生きる希望を持たせたFランク・Eランクたち。
だが、『専属』にしない限り、他のC・Dランクに徴兵されてしまえば逆らうことができない。……そして連れ出される戦場は、絶望的で、口減らしを企図したものになるだろう。
せっかく生き延びさせたのだから、最後まで長生きしてほしい。
少なくとも無駄死にをさせられるのは、我慢ならない。
だが、現在、コンピューターに許されている『専属』の上限は三十五人。
率いたすべてを専属とするには足りない。
(……ルールを破る時か? しかし、今、混乱を起こすのはそもそも人々の寿命を縮める結果にもなりそうだ。……まぁ、積極的に俺が出撃すればいいか)
あとはDランクに賄賂を渡すなどして、あるFランク区画からは徴兵しないようにせよと命じることも必要になるだろう。
実質専属というか、縄張りというか、そういう概念だ。
ディは与えられた部屋の中で考え込む。
座り心地のいい背もたれ付きチェアに体重をあずけ、青い衣服に身を包んで天井をながめる。
青く清潔な部屋の中にはクローゼットをふくむ調度品があり、端末から命じれば支払うクレジットに応じた製品をロボットが運んでくる。
技術も資源も、あるように思えた。
少なくとも、Bランクの椅子から見える景色において、この世界は文明の発達した便利なものであり、資源の底が見えているなどというのは与太話にしか思えない。
(いびつ、だな)
神の采配。
単純に、うまくない。
神というのはいかにもすべてを知り、人間より広い視野を持ち、人間にはできないことを完璧にこなしてみせるもののように思われる。
だが、ディは知っている。神は利己主義であり、視野が狭い。そしてこだわりが強く、人を人と思っていないため、こだわりによって出る犠牲をうまく認識できない。
実感を持たない──というのが表現として適切だろう。
(だが、『神』ではある、か)
ディは、Bランクにのぼったことで、与えられる『権利』を実感していた。
神の定めたランクは、人の力に『上限』をもたらすらしい。
Cランクの時、自分の渡った『可能性』──この世界で生き抜いた、拳法を修めた自分の能力は、もっと多くの『ねずみ』を蹴散らせるつもりでいた。
だが実際にはかなりの討ち漏らしが出た。
感覚と発揮できる力がズレている。
その理由をつかんだ。『ランク』だ。ランクが低いと、能力に制限がかかる。
それはおそらく、普通に生きていれば気付くことのない枷ではあるのだろう。
ディがイレギュラーだからこそ感じているものだ。
(俺の急激な昇格は、俺の力にランクの方を合わせようと急いでいるために起こっているのか?)
ここの神がどういう者なのか、ディにはまだわからない。
わからないから──対話したい。
思考にふけっていると、ディの耳にノック音が響く。
電子音のブザーも扉の横にあるはずなのだが、どうにも来訪者は『ノック』という行為が好きらしい。
「入れ」
ディはいかにも偉そうに命じる。
これも『コンピューター様が見ているのですから、下の者には偉そうにしてください』と言われて行っているものだが……どうにも、慣れない。
許可されて入って来たのは、サシャだった。
すっかりメイド服姿も板についている。
猫背でわりと背が高く、ぼさぼさの黒髪の少女──
だったのが、背筋を伸ばすようになり、最近の食事とストレスの軽減で肌艶もよくなり、髪の毛の天然パーマはどうしようもないが、ケアをして艶をまとうようになると、かなり美人である。
最近はディに『専属』が増えたので対抗心があるのか、有能ぶろうとしているせいで、所作にも自信みたいなものがみなぎり、遠目に見れば有能な秘書兼メイドという雰囲気になってきている。
しかしまあ……
「失礼し──ふんぎゃ!」
……新しくなったメイド服のスカートを踏んづけて転ぶ姿などは、そういう『有能そう』というイメージを打ち砕くものではある。
人は簡単には変われない。
……だからこそ、変わろうと志すその努力は、愛おしいものになる。
ディはサシャが立ち上がって、再び『できるメイド』の雰囲気を作るのを待った。
サシャは白い鼻を赤くしながら、用件を語り始める。
「大規模な
「そうか。内容は?」
「…………配達員が告げた内容は以上です。手紙はこちらに」
サシャは字を読むことができない。
実はこれは珍しい症状だ。この世界で培養プラントから生まれるヒトには、あらかじめいくつかの機能がインストールされている。
文字を読み書きするというのもそうやってインストールされた機能のうち一つなのだが、サシャは製造時になんらかのバグでもあったのか、文字がわからないのだそうだ。
それでも覚えようとしている様子があるので、やはり──
(環境を与えられ、努力をし、己を良くしようとする。サシャは『善い人』だな)
ディは、微笑ましく思う。
受け渡された手紙を見る。
いわゆる『電子メール』というものもあり、用件を伝えるだけならばその方が圧倒的に早いし、紙というものに費やす資源も節約できる。
だが特にBランク以上になると、こういう『贅沢』がそこらにあるようだ。
非効率を享受する権利。わざわざ最速・最短・最高率ではない方法をとることで生まれる特権意識。そういうものを味わうための配慮であろうが……
(俺向きではないな)
手紙を読み、立ち上がる。
「かなり絶望的な戦いらしい。内容の九割が『あなたならできると信じている』という表現を手を変え品を変え行っているだけのものだった」
ディがそう言えば、サシャが笑う。
「でも、ディ様なら、達成できるでしょう」
「信用してくれるなら、応えなければいけないな」
ディは歩き出す。
手紙にあった集合場所はそこそこの距離がある場所で、集合時刻は本日の三時間後だ。
やはりこういった連絡は特権意識を刺激するよりも、効率を重視してほしいとディは思う。
(『肌に合う』ようにしていくには……とりあえず、ランクを上げるか)
ランクを上げると強さにはめられた枷が消え失せる。
『専属』を増やせるし、暮らしぶりもよくなる。
そのためにすることは、『戦い』だ。
……絶望的で面倒な世界ではある。
だがやることはシンプルだ。
戦い、勝つ。
「俺向きだ」
笑って、進む。
これから激しい戦いが待ち受けているようだが、ディは楽しみで仕方なかった。