「我が神、我らが母、どうか、我が疑問にお答えください」
あまたのパイプが通った巨大なコンピューター。
この世界に降り立った『神』の前で、男がひざまずいて祈りを捧げている。
ナボコフ──FからAまでというランクの外にいるSランク。責任回避と責任転嫁ではなく、実際に戦ってここまで上り詰めた『傑作』たる人類。
老年に至る男のようにしか見えないその顔は、あまたの戦いの中で経験した苦労と恐怖によって……そして、クローンすべてに使用されている成長促進剤の副作用によって早めに年齢を重ねてしまっただけであり、その実年齢は『青年』と呼べる──この世界における『青年』と呼べる、生後十年ほどの存在である。
神は──
「我が右腕、ナボコフ」
この特別な存在に、応じる。
……神の主観において、この神は平等であり、人類の生存を第一に考えている。
そして客観においても間違いではない。実際に、この神のおかげで人類種の寿命は延び、怪物どもに完全に地上が支配されるまでの時間は伸びているのだ。
だが、この神は、旧時代の人類が『神』という言葉に自然と見出していたような完璧さを備えてはいなかった。
……少なくとも全知ではなく、地上に降り立っただけですべての問題を解決してくれるような
それでも、ナボコフという男にとって、尊崇すべき、敬愛すべき、親愛を向けるべき、『母』である。
『母』は、幼い少女の声に、幾重にも他の音声を重ねたような声音で、語る。
「ナボコフ、あなたの疑問は予測しています。『Aランク』のディのこと、ですね」
「そうです。我が神……神を害しうる『神殺し』のことです」
「以前から幾度も答えている通りです」
「『この世界の人類のために必要だから』、あの男の存在を許し、あの男のランクを上げる──そうですね」
「ええ」
「……私をディと接触させないのは、私があの男を危険視しているから、ですか」
「ええ。あなたもディも、ともに、この世界の人類を存続させ、繁栄させるための重要な人物。だというのに、あなたには、ディに対する敵意があります」
「あなたを殺すかもしれない者に、どうして敵意を抱かずにいられましょうか!」
すべてを俯瞰する者の視点から語るならば、ディが神を殺すには、いつでも理由がある。
だが、『神殺し』という称号は、いかにもすべての神を見境なく殺そうとする者であるかのように思われる響きを持っていたし、ナボコフも、この『神』も、ディが神を殺した詳しい経緯についての情報は持っていない。
ましてやその時にディの中にあった『気持ち』など、そんなものを客観的データにして収集することは不可能であった。
情報というのは『成したこと』を客観的に観察し、記録したものである。
ディがしたのは『神を殺したこと』。すでに三柱の神を殺し、うち二柱に至っては完全殺害──消滅させるといったことをしているのだ。
これに神を守る者が警戒心を抱かぬのは、無理からぬことである。
神は──
「私の存在意義は、この地上の人々の存続であり、繁栄です。そのため、すべての命はすりつぶされても仕方がないと考えています」
……生真面目で、不器用で、不慣れで、一生懸命な、この神は、
「その『すべての命』のために、我が命が加わっている。以前から、加わっていたものが、私を殺せる存在を前にして、加わっていたことが顕在化したのみなのです。……何を今さら、悩むことがありましょう?」
「私は受け入れられない!」
「人は神のいない地上でも生きていく義務があります」
「私が! 私が、受け入れられないのです! ……人の義務。あなたの意志。わかっています。わかっていますとも。しかし私が、あなたのいない地上に耐えられない……!」
「……戦士ナボコフよ」
「せめて、接触をお許しください」
「……」
「ディの危険性、人となり、見定めたい。……あなたを害するかどうか。仮に、害するとしても、ただ『神を殺す』という快楽に染まった者の娯楽にあなたの命が潰されるならば、耐えられない。せめて、せめて! あなたを殺しても、恨むだけで済む、そういう……事情があると、知りたいのです」
「信徒ナボコフ。私は、ディに末永くこの世界にいて欲しいと考えています。地上には、希望が必要なのです。……『月と太陽』という天体を、知っていますね」
「……私が生産された時、刷り込まれたデータにはあります」
この世界は──
いつの間にか、どんよりとした雲に空を塞がれていた。
少なくともナボコフが生まれた時から、そうだった。
これは怪物どものせい、ではない。
常に稼働を続ける人間生産プラント、兵器生産プラント。それらの出す有害物質がもくもくと煙突から立ち上り、空を塞ぎ、消えない暗雲となった。そのせいで、この世界には昼も夜もなく、人々は『天体』を見なくなって久しい。
この世界の空は、神が蓋をしてしまった。
それは、この神にとって仕方のないことだった。こうしてどんどん生産せねば、人類の住まう場所は奪われるばかり。命をすりつぶしても怪物どもの侵略を遅滞させなければいけなかった。そのために、『環境に配慮』などということをしている余裕などなかった。
……全知全能であればきっと、もっと、違った手段がとれただろう。
完璧な神であればきっと、もっと、いい状況に出来ただろう。
古い物語にあるような機械仕掛けの神であれば、きっと、もっと……降臨しただけで解決できた問題が、いくらでもあっただろう。
だが、この神には限界があった。
……そもそも、『神』には、限界がある。それがヒトより果てしないだけで、限界は、どの神にもあるのだ。
「あなたはこの世界に希望を与え続けた太陽です、信徒ナボコフ」
「……ありがたき、お言葉です」
「しかし、太陽にも休息が必要です。そうして太陽が休んでいる間にも、地上には光が必要なのです。そのための『月』。その役割を、私は『神殺し』に求めます」
「……」
「『神殺し』に特権を与え、この世界で彼を満たしましょう。英雄になってもらいましょう。あなたと並び立つ、英雄に。そのために……ランクを上げましょう。私はこの世界が、あなたにとっても、彼にとっても、楽園であってほしいと思う。そのために必要なのが私の命であれば、多くの命にしていることと、同じことをします。『それが、人類のために必要だから』という理由で犠牲になってもらう。それだけです」
「……」
「納得はしていないのでしょう。けれど、これが私の決定であり、信徒ナボコフ、あなたに、私の決定に異を唱える権利はありません。その権利は、Sランクにさえ、与えていないものなのですから」
ナボコフは──
奥歯を噛みしめ、こう述べた。
「……すべてはお心のままに。コンピューター様、万歳」
「人類の存続と繁栄のために」
……すれ違いが起こる。
神と人との間に当たり前に存在する齟齬が、ここに、顕在化しようとしていた。