Sランク──
その位階に任命されたディに与えられたのは、『街』だった。
正しい名称だと『区画』になる。
そして当然、『専属』は居住が許可された場所にある部屋の数だけ許される。
今のディは『軍団』を専属たらしめることのできる、
「……なんだかな」
高いビルの上から、自分の治める『区画』を見下ろす。
美しい透明なガラスには、白い服をまとった自分が映っていた。
清潔なデスク、広い空間。斜め後ろにはメイド服を着たサシャが控えている。
天井に視線を向ければアームに吊るされたタブレットが下りてきて、ディの前にその画面を見せる。
画面には様々なアプリが入っており、望むものがあれば注文で届くようになっている。
また、権利の行使・購入も可能であるし、この世界の通貨──『
誰からの信頼かと言えば、当然、コンピューターからの信頼であった。
人類の存続・繁栄を目指すあの神は、有能な尖兵を厚遇する。
「……『偉くなったな』という光景だ」
一面ガラス張りの壁へと目を向ければ、街で人々が生活している様子がよく見えた。
どんよりとした雲に覆われているこの世界において、栄えた区画はいつでも照明がともっている。
その中で人々が行きかい、買い物などをし、笑い合う。
……他の区画の映像も興味本位で見てみたが、ああまで人々が自由に出歩いている区画というのは、他になかった。
相変わらずこの世界は上位の者が気まぐれで下位の者をどうにでもしてしまえる。だから、下位の者は基本的に上位の者の目に映らないよう、こそこそ過ごすことになっている。
買い物。談笑。笑顔。
街をうろつき、様子を見る。気になった店があれば入って、配給ではない食事をとる。
そういう文明はこの世界になかった。
ディのよく知る『街並み』は故郷世界のものだった。だから、それをモデルに制度を定めていけば、こうなる。
家族が家族で住み──とはいえこの世界の人々はクローンだから、『親子』はなく、あるのは『家族の契りを交わした他人だけ』だが──仕事をし、休息をし、娯楽を探す。そういう、世界。
「ディ様はSランクですから」
最初はおどおど卑屈だったサシャだが、背筋を伸ばして、どうにか有能たろうと努力を続けた成果が出ている。
ただ立って、それっぽいことを言う表情などは、実に『優秀なメイド』という感じだ。
……実際に仕事をさせると粗忽が目立つし、言葉もまだまだ覚えている途中だけれど。
それでも、『こうあろう』と目標を定めてそのために努力する者が、だんだんと自分の理想に近付いていっている様子は、見ていて好ましい。
「ディ様は、実際に『偉い』のです」
そう語るサシャの言葉は誇らし気だった。
ディは、窓の外を見ながら、困った顔になる。
「……とんとんとここまで来てしまったせいか、実感がわかないな。俺はどうにも、『偉くなる』ということをうまく受け入れられないらしい」
「しかし、ディ様がSランクになったことを、みな祝福し、歓迎していますよ」
「……」
「実際に見てみましょうか」
そう述べてサシャがタブレットを呼び、操作する。
と、ディの目の前にある一面がガラスになった壁に、街の映像が映し出された。
そこでは街を歩く者たちが、楽し気に笑い、こんな会話をしている。
『ちょっと前までは合成ジンでさえちびちびやらにゃならんかった。だっていうのに、今は蒸留酒をこうして飲める!』
『ああ、まったくいい暮らしだ! 新たなSランク様に乾杯!』
『ディ様に乾杯!』
映像が切り替わる。
そこにいたのはまだクローンプラントから出て間もないと思しき少年少女と、それに『気』を用いた武術を指導している者だった。
『よし、休憩! ……はあ、休憩か。いいねぇ、休憩』
『どうしたんですか、教官』
『いやな。俺たちが生まれたころには、「休憩」なんていう概念なんざなかったんだ。このいい時期に生まれたお前たちには信じられないかもしれないが……』
『そうなんですね』
『ああ。Sランク様は素晴らしいお方だ。専属になれて本当によかった』
ディは、しばらく呆然と映像を見た後、勢いよくサシャを振り返った。
「……なんだこれは」
「何って、監視機能ですよ? Sランク様はコンピューター様の一部権限を譲り受けていますから、街の人たちのことを監視し、管轄する権利が──」
「そうじゃなくて……これは、いくらなんでも、ダメだろう」
「どういうことですか?」
サシャは本当にわかっていないという様子で首をかしげた。
(『コンピューターはすべてを見ている』というのは、比喩ではなく、こういうことなのか)
ディがこの街を検分したところ、間違いなく、こういった映像を映し出せる装置は見当たらなかった。
だというのに、今、この映像が、恐らくはリアルタイムで映し出されている。
……文明の格差。
Fランクがいるごみ溜めからスタートしてみると、このSランク区画とFランク区画との文明格差は異常だ。
そもそも『人間を生み出す工場』などもある通り、この世界の文明はあるおかしさを抱えている。
それは『技術力』だ。
本来、技術──特に『工場』だの『街』だのといった広い範囲に影響する技術というのは、『多くの者が研究し』『十分に実現可能な理論があり』『それを実行するだけのマンパワーがあり』初めて実現するものなのである。
理論があれば、工場を用いて、コンピューターが生産する。
だから技術者も工員もいなくても、異常な技術の産物が量産される。
……この、『あらゆる場所を監視する装置』も──
(……よく感じようと思えば、わかる。空気中に、チリのような小さな──機械が漂っている。これが、映像を記録したり、音声を届けたりしているんだ。この都市以外が『巣』と『怪物』に支配された状況で、これほどのものを作成できる文明が、この世界にはあるんだ)
一瞬、これだけのことができるなら、こういうことに使う資源をもっと別の場所に回して、人々を豊かにすることもできるじゃないかという義憤がわきかけた。
それは紛れもなく、神への義憤だった。
だが、冷静になれば、お門違いだとわかる。
(神は自分が『分配』できないことを知っている。だから──人にランクをつけた。より人類を存続・繁栄させそうな高ランクの者に過剰とも言える自由が与えられているのは、人の気持ちがわからないコンピューターが、それを自覚して、人に人の世話をさせるため、なのか)
ディはSランクになった途端に振り込まれた多すぎるクレジットを見る。
その額は一人で使い切るにはあまりにも莫大で……
しかし、今、実際にやっていることだが。
専属の者たちに『給料』として振り込み、自分の居住家屋ではなく、自分の治める区画全体を栄えさせようと思えば、適切か、やや足りないぐらいの量なのだ。
これを独占し、下位ランクの者をいじめ殺したり、ただで働かせようとしているのは──むしろ、人間だった。
それでも神の失敗をあげつらうならばそれは、
(『道徳』の不足。……神には、人の気持ちがわからない。特にあの神は、夢想家で理想家で、人は生まれつき『善いもの』だと思い込んでいる様子がある。だから──人が人に対してどこまでも残酷になれるし、自分の欲望のためにならあらゆるものを顧みないことが、わからない。わからないから、自分のもたらしている技術と利益の分配を、ランクの高い者に任せてしまっている)
本当に『神がすべてを見ている』ことがわかって、ディはようやく、この世界の気持ち悪さの本質にたどり着いた気がした。
この世界はどうしてこんなにも、いびつなのか?
その答えは──
(人と神の、すれ違いがある。それも、埋まらないほどに、大きな、すれ違いが)
……愕然とする。
何に衝撃を受けているのか、うまく言語化できなかった。すれ違っている。そのことはわかる。だが、頭で考えてわかる以上に、もっともっと絶望的なものがそこにあるようにしか思われない──
ディが衝撃を受けている最中にも、街の様子を映し出した映像は流れていく。
その中で……
『いやぁ、本当に、いいSランク様だよ、ディ様は』
『ああ。コンピューター様より、よっぽど、いい治世を布いてくださっているのかもなあ』
『おいおい、見つかったら「処刑」だぞ?』
『はははは。ここの区画には、こんな程度でいちいちめくじら立てるやつなんざいないって!』
『それもそうか!』
戦いの合間。獲得した自由で明るい街の中で、人々は笑う。
発言一つ一つ、それどころか視線の向きにさえ気を遣ってびくびく生きる人は、もうそこにはいなかった。
……ただし。
彼らは、そして、ディさえもが、この時点では失念していた。
こうして街の中を見る権利、それは、コンピューターの他にはSランクしか持っておらず──
Sランクは、二人いる。
……ディとて、他の街の様子をなんとなく見てはいたのだ。
俯瞰で、遠景で、様子を見る程度は、していたのだ。
ここまでつぶさに、どのような角度からでも、まるで隣で一緒に会話をしているかのような距離で見られるとはわかっていなかっただけで、『他の区画の映像を見る』ということは、していたのだ。
当然、他のSランク──ナボコフにも、他の区画の閲覧は可能で。
……彼は、探していた。
ディを追い落とす理由を、探していた。
探して──目を、光らせていた。
その男が、『コンピューター様に逆らうような言動をした者』をどうするか。
……その答えは、ほどなく、出る。
出てしまうのだ。……『天使』という怪物がまだ倒れておらず、その巣の攻略もまだまだ途中という、この、人類が力を合わせて立ち向かうべき状況の中で。
答えが、出てしまう。