アグロームヌイ・グニズドー内。
『天使』という規格外の怪物が形成する、複数の
一時の休息は終わり、ディとその部隊は『市民としての義務』を果たすため、この場所に戦いに来ていた。
「ディさん、俺ぁ思い出しますよ。『
話しかけてくるのは『生存年数五年』の
ディがこの世界に来て、今のランクに至るまでには半年もかかっていない。なので、この世界における『先輩』ということになる男だ。
肉の繭──
『化け物たちが出てくる場所』を『グニズドー』と呼称するのだが、その『グニズドー』という響きも、文脈やこもった感情でその意味合いが変わってくる。
ディやコンピューターはただ無感情に『化け物が生まれ、育ち、巣立つ場所。潰すべき化け物の生産プラント』といった意味で『巣』という意味を込める。
だが、ここで生まれた、特に前線に何度も駆り出されるようなFやDランク市民、その中でも二年以上を生きた者は特に、『おぞましい、相いれない、生々しい、生臭い、生理的に気持ち悪い、クソったれな化け物どもの出て来る場所』ぐらいのたっぷりの嫌悪と憎悪、それから恐怖を込めて、『肉の繭』という意味を込めることが多い様子だった。
『この世界で至る場所に至った自分』に渡る都合上、言語はわかる。世界で努力する限り、言語は骨身につける必要があるから、感覚は養われている。
だが細かいニュアンスや、文脈によって異なる意味合いなどは、少しばかりの知識が必要だった。
グニズドーを『肉の繭』と呼ぶのは、いわゆるところの『生きた言葉』というやつだろうか。
l:
(確かに、『肉の繭』だ)
赤黒い脈動する巨大なドーム。
それが、ディらの目の前にあるものだ。
これからも打倒するべきもので、これまでも打倒してきたものだ。
……生存が絶望的だった時代。
まだディがこの世界にいなかった──肉体の方はいたが、『このディ』がいなかった時代。
確かにあった。
あったが、
「『肉の繭』に挑むのに生きて帰れなかったころのことは、もう、『過去』になったか」
ディがそう述べると、イワンが笑う。
「はっはっはぁ! いやぁ、そいつはもう、そうなんですわ。『過去』になった。……ああ、うん、『思い出』になった。こうして、『あのころは辛かったなぁ』なんて、思い出話をできるようになった。……こいつは、浸れるし、酔えますな」
「だが、酔うにはまだ早い。目の前にはまだ『肉の繭』があって、倒すべき『天使』はその姿を俺たちの前に見せてもいない」
「つまり──あとから呑める満杯の酒樽がごろごろと目の前に転がってるってぇことですな? こいつは気合が入ります」
「……油断はしないようにな」
「ええ。死に方は選びたいもんでね」
すっかり副官が板についたイワンと会話しながら、部下たちの活躍を見る。
少し前まで、ディが突っ込んで蹴散らし、その撃ち漏らしを味方が処理するといった戦い方をしていた。
だが、相手の規模が大きく、『数か月がかり』の大きな作戦の最中であるのと……
『天使』の性質。
どうにも電子機器に作用するあの『天使』の性質の前では、ディとその直下に存在する『拳法部隊』でないと、そもそも戦いにならない。
この世界の銃──というかテクノロジーは、どうしても『
すなわち、『ナノマシン』。
この世界の神はナノマシンによって人々を見て、『人類のためになる者』の願いを叶える存在である。
電気文明、電子制御の兵器。これらはすべて『先』ではなく、『後』。電気文明だからナノマシンがあるのではなく、そもそも、『多機能のナノマシンを統括・管理・操作する』というのがあの『神』の権能であり、その『神』が選んだエネルギー源が電気なのである。
その『電気』『電子』に作用すると思しき『天使』。
しかも、ディの予想が正しければ……
(あの『天使』、人間並みの知能がある)
以前、会議の場で『天使』を捉えた映像が流れた。
ドローンを走らせて撮影した──という話だったが、よく考えればおかしい話だ。
神がこの世界をあまねく見渡しているのであれば、さすがに『天使』という『人類の脅威』を相手にしたならば、神がナノマシンによって映像を撮影し、それを見せて危機感を促したはずだ。
だというのにあの映像はドローンカメラで撮影され、映像を届けたあと、『天使』によってドローンを壊された。
つまり、
(こちらに、自分の姿を見せつける目的があった。周囲のナノマシンは残らず撃墜し、ドローンというあからさまな──直接神が管理しているわけではない装置での映像を、こちらに渡す意図があった。……なんらかの罠か、あるいは、示威のために)
知恵がある、神に特攻の能力を持つ怪物。
それに対抗できるのは、この世界におけるバグ。
『神』が設計し量産できなかった、『気』を扱う者たちだけである。
だからこそ、ディら『気』を扱う者は、温存される必要があり、そういった意図で、電子制御の兵器を持った者たちが、率先して戦っているのだが……
「見てくださいよディさん。嘘みたいだ。……昔、俺らが渡された『武器』は、とんだ豆鉄砲だった。あんなん、ただの墓標ですよ。墓標を持って怪物に突っ込めってんだから、上の連中も趣味が──『およろしいこと』だ。けど、あんたが整備してくれたプラントから、より強い武器を生産できるようになった。俺たちは『死にに行かされる』んじゃなく、『生きて帰ってこい』と言ってもらえてるんだ」
「……」
「だから、そんな不安な顔をしなさんな。みんなもう、戦う力がある。Sランク様は、強敵に備えてどーんと構えておけばいいんですよ。下を信じてね」
「俺は、不安な顔をしていたか」
「『顔をしていたか』って言われると、まあ、あんま表情が変わらねぇお人だからなぁ。ちょっと表現を間違えたかもしれんませんね」
「……」
「でもま、雰囲気はわかります。『突っ込む方が気楽』とは変わったお方だ!」
ディは、これまで、結果的に多くを率いて戦うことがあった。
この世界でももちろんあったし、前の世界──シシノミハシラでも、結果的に巫女たちを率いて戦うことがあった。
だがすべては自分が矢面に立つような、そういう戦いだった。
……しかし今回は、『指揮官』という属性が強い。
「見ているだけというのは、不安だな」
「あんたに比べりゃ、みんな弱い。でも、みんな、誰かのために戦いたい」
「……」
「それにね、こう言っちゃ変な顔されるかもわかりませんが……」
「……?」
「これまで何をしても通じなかった怪物が、良い武器と訓練、栄養たっぷりの食事のおかげで、バカスカ倒せるようになった。こいつは──殺しまくりたいでしょう」
「…………ふ」
「機会をやってくださいよ。男ってのは、あいや、女もそうだろうけど、これまで『絶望』の象徴だった連中の『キルスコア』なんてものを稼げる状況になったら、そりゃもう、突っ込んで撃ちまくりたいものなんでさ」
「そこまで言われては、我慢して見ているしかないか。……まったく──」
見ているだけしかできないというのは、紛れもなく苦境だった。
だが、この苦境は、どこか喜ばしく、嬉しいもので。
「──努力のしがいがある」
ディはつぶやく。
……今日の『肉の繭』攻略。
ディとその直下の拳法部隊が出陣することなく──
制圧完了。
死者、ゼロ。
◆
ディたちが行っているのは基本的には遠征だが、まったくホームに帰れないということはない。
前線にいくらかの兵を置いてのローテーションにはなるものの、『ホーム』というものが出来たからには、帰りたくなるのが人情だ。
……ディもまた、今回、ホームに戻っていた。
生産プラントの整備によって、素早く長距離を駆ける移動手段が開発されたのも、ディらの『帰還』を助けている。
巨大なグニズドーの攻略を始めてから、二か月が経過している。
ディがSランクになってからは、一か月と半月ほどだ。
神の操るナノマシンと、ディに渡される莫大なクレジットのおかげで、区画の整備はかなり進んでいる。
帰るたびに違う姿を見せてくれる『自分の区画』に帰るのは、ディにとっても楽しみになっていた。
「サシャはうまくやれているだろうか」
自動運転のトラックの中で、ディはつぶやく。
……サシャ。
この世界に来て初めてツーマンセルを組んだ少女であり、ディの最初の『専属』だ。
最初は『自分は専属なのですから、主人が戦場に出向くなら、そばにいないといけません!』とゆずらなかった彼女だが、あまり戦闘適性がないのと、本人の努力の方向性が『文字を覚える≒内政・秘書業務』だったので、説得の末に区画に残り、そこの管理補助をしてもらうことで落ち着いていた。
どうしようもなく粗忽者だが、最近はどんどん『有能ぶっている』から『ぶっている』が抜けてきて、ディとしては『もしかしたら、我が子の成長を見守る親というのは、こういう気持ちなのかもしれない』と思っている、そういう相手だった。
「そういやディ様、A、Bランクの『気高いお方』は専属をお手付きにしちまうことも多いようですが、サシャさんとは……?」
同じ移動手段──運転席のない悪路走破用トラックの荷台で横に座る市民が声をかけてくる。
この荷台は八人乗りなので、周囲の者らが「おい!」「お前……!」といかにも『センシティブな質問を偉い人にしてしまった者を咎める』という様子で声を発した。
とはいえディとしては、さほど気にする質問というようには受け取っていない。
「サシャは…………」
周囲が固唾をのむ。
こういう時にイワンがいればおどけて雰囲気を軽くするのだろうが、彼はディがいない間の前線指揮官として戦地においてきている。
むやみな緊張の中、ディは熟考し、
「……本人には言わないでくれると助かるのだが」
「もちろんです!」
「コンピューター様に誓って!」
「Sランク様に誓って!」
「隠し持ってる蒸留酒に誓って!」
「あ、お前!」
「なんで持ってんだよ!?」
「しまった!?」
そこで雰囲気がやわらいだので、ディは思わず笑ってしまいながら、
「……サシャは俺にとって、『雨の日に拾った大きな犬』という感じの存在だ」
とてつもない沈黙が広がった。
ディは真面目くさった顔でうなずく。
「失礼な物言いなのは理解しているが、ここで誤魔化すのも失礼かと思い、胸襟を開いて正直なことを言った」
「そうじゃねぇんだよなぁ……」
「そういう話じゃねぇんですよ」
「ディ様ってもしかしてクソボケであらせられる?」
なごやかではあるが、微妙な空気の中──
ついに、自動運転のトラックが、ディの区画にたどり着く。
瞬間、
爆撃。
銃撃。
轟音と衝撃がディの乗ったトラックを襲い、震動によってトラックが横転する。
ディは荷台から飛び降りつつ着地。
すると、目の前にあったのは──
武装をした、者ども。
『白い軍団』。
……この世界は、ランクによってまとえる色が決められている。
『上の者』からの許可があれば、その『上の者』のランクの色をまとうことも出来るが……
白をまとえる者。
白をまとう、許可を出せる者。
何より……
たった今、銃撃と砲撃を行ったと思しき軍団の先頭に立つ者が装備しているもの。
そのトリガーから『気の剣』を出しつつ、その軍団の前線指揮官は、高らかに叫ぶ。
「我らが主人ナボコフ様より、Sランク市民ディがコンピューター様に叛逆を企てているゆえ、これを討伐せよという指示が降った。叛逆者を処刑する! コンピューター様万歳! ナボコフ様万歳!」
……『そんなことをしている場合ではない』瞬間にだって、何かは起こる。
ディからすればまったく唐突に──
『天使』もまだいる状況で、内戦が、始まってしまった。