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第61話 叛逆

「私がお守りします。あなたと、この世界を。……いえ」


 男は、


「……私の愛を、私が、守る」


 己の欲望を、ようやく自覚した。



 ディの区画──


 ひどく破壊されてしまったものの、クレジットを支払いコンピューターに願い出れば、その修復にはさほどの時間は必要ではなかった。

 そのための手続きを終えたディは、ようやく一息つくことができる。


 ディの私室──


 そこには、


「ディ様、本当にありがとうございました」


 サシャや、サシャとともに避難していた人々がいた。


『是非、お礼を!』ということで部屋に通したが、ディは失敗したかなと思う。


(……強くなるために願いを捧げられる必要がある──これはまあ、わかる。わかるがしかし、こういうのはやはり、慣れないというか、気恥ずかしい感じがするな)


 感謝。賞賛。尊敬。

 長い間、そういうものと無縁の暮らしをしてきた。むしろ、侮蔑やら、見下しやら、そういうものがお友達だった無能時代を長らく過ごしてきたのだ。


 だから、慣れない。

 単純に慣れないだけで、嬉しくないわけではないのだが……


(『慣れてしまう』のも、それはそれで危険な感じがする。……慣れて『はいはい』という感じで処理せず、しかし受け止めることが必要か。……うん、努力のしがいがあるな)


 一人椅子に腰かけて、立たせた全員が頭を下げる光景を見る。

 これは紛れもなく『偉い人の視線』なのだろう。偉そうに振る舞う必要も、人生で幾度もあるのだろう。


 だが、それに溺れてはいけない。溺れたら、この椅子の座り心地に安住することを決めてしまったら、きっと、自分の可能性は閉ざされる。

 だからディは、この賞賛に対して、こう対応することに決めた。


「サシャこそ、よくみんなを避難させてくれた。死者が出なかったおかげで俺たちも『やりすぎる』ことをせずに済んだ。本当に優秀な働きだ。お前が優秀な秘書であろうと頑張ってきたのを、俺は知っている。その成果が出ているのは、自分のことのように喜ばしい。よく努力をするというのは、とても素晴らしいことだと思う。だから──」

「ちょちょちょちょちょっとお待ちを!」

「うん?」

「な、なんですか急に!?」

「いや。俺一人だけが『すごいすごい』と言われっぱなしだと、どうにも調子がおかしくなる。だから、今後は褒められたら褒め返すというのを徹底しようと思った」


 自分だけがすごい、という勘違いをするから、権力に狂い、溺れる。

 褒め返す──これこそ、ディが見出した、『自分の可能性を閉ざさないため』の活動である。


 ディは己の可能性を広げるのを好む。

 そして可能性を閉ざされるのは、それが女神からの求婚であろうとも、嫌がる。


 だからこそ、ディの褒め返しは、全身全霊、全力である。


「続きだが──」

「続かなくて結構です!」

「──しかしだな、サシャに褒められたのは、今だけではない。俺はコミュニケーションが下手なので、人間関係でどうしたらいいかわからないところがあり、かつては『褒め返す』というのを選択肢にも浮かべられなかった。その分を取り戻そうと思うし、これからは『返す』だけではなく、積極的に他者を褒めていこうと──」

「勘弁してぇ!」

「……なんだつまり、褒められて困るのは、俺だけではなかったのか」

「い、いえ、その、そういう話じゃ……私は、ディ様ほどのことは何もしていませんし」

「しかしサシャは文字を読めない状態から手紙を読めるぐらいにまで勉強しているじゃないか。ただでさえ慣れないメイド業務を覚えようとしている中、暇を見つけて机に向かっているのを俺は知っているぞ。そうやって、寸暇を惜しんで──」

「本当に止まらないなこの人!?」


 周囲から笑い声が上がる。

 ディはその温かい声に合流するように、言葉を止め、笑みを浮かべた。


「冗談──でもないが、困るなら、このぐらいにしておこう。……サシャ、最近はどこか一歩引いた態度で、少し寂しかった。また前みたいに、そういう感じで接してくれると嬉しい」

「いえこれは……まぁ、はいはい。わ、わかりましたよ。わかりました。でも『前みたい』って出会った日には昇進して、以降ずっとこんな感じだと思うんですけど。私、どういう態度とってましたっけ?」

「俺の知るサシャはもっと『えへ、えへ』と笑う」

「それは頑張って直したの!」

「であれば要求しない。……一線を引かなくていい。俺は、そんなに大したやつじゃない」

「でも、Sランク様です」


 サシャの声とともに、緊張が走った。

 ……一瞬だけ忘却していたのだ。それほど、気安く接することができていたのだ。


 だが、自分たちは高くてもCランクであり、目の前にいるのは、Sランク。

 この人が何かの気まぐれで『処刑』と言えば、自分たちは抵抗も出来ずに処刑される。


 ……ディがそういうことをしそうと思っているわけではなく、この世界で生まれ、少しでも生きれば、そういうランク格差が骨身にしみる。

 ここは、ランクがすべてのディストピア。コンピューター様に支配された、狭い箱庭なのだから。


 その箱庭で、


「ああ、そのランクだがな、やめようと思う」


 ディは笑う。


 サシャが首をかしげる。

 サシャだけではなく、後ろの人たちも。


 だからディは言葉を重ねる。


「区画は取り戻したが、ここから先、きっとナボコフは攻撃をやめない。今は『小休止』という状況で戦いは続くだろうし、外には『天使』という脅威が相変わらず存在する。……そして、『コンピューター様』はどうやら完璧ではない」

「ディ様!?」

「負担を減らしてやりたいんだ。彼──彼女、か。彼女は『権利』を渡す。多くの者に『威』を分配する。だが、同じランク同士の争いが起こってしまった。この状態はきっと、彼女にとてつもない負荷を与えているだろう。……俺は、この世界の神は好ましく思う。だからな──倒してやろうと思っている。人の生存のために願いを背負うのは、人であるべきだ」


 その主張は以前までの世界でも抱いていたものだった。

 ただし、シシノミハシラなどでは、神がいたずらに介入し、人を不幸にしようとしていた。だから、神を斬って、人を解放した。『人の願いを背負うのは人であるべき』。だから、『神がいたずらに介入しないようにするべき』。こういう主張。


 世界が変われば、同じ言葉でも意味合いが変わる。


「神によりかかって、いたずらに負担をかけるべきではないと思う。その負担は分配されるべきだ。……そもそも、人類の生存・繁栄は、人類がその力でつかみ取るべきで……今までのこの世界は、神に甘えすぎていたんだと俺は思う」


 世界を変え過ぎたくないと思っていた。

 だが、どうしようもなく傲慢で、どうしようもなくわがままな自分には、我慢できないことが多すぎた。


 神を救いたい、なんて。

 そういうことさえ、思ってしまうほど傲慢で、思ってしまったからには、止められない。


 それが困難な道なのはわかっている。

 ……いや。

 困難だからこそ、


「人の運命を人の手に取り戻す。──努力のしがいがあるだろう?」


 サシャたちが呆然としている。


 ……反応できるはずがないのだ。

 ディの意見はあまりにも意識と思考の外すぎた。

 これに即応できる者がいるとすれば、それは、


『ディ!!!』


 この光景を外から見ており、ディを追い落とす機会を狙っていた者──


 ナボコフに、他ならない。


 ディは突如中空に浮かんだナボコフの顔に、笑いかける。


「そういうわけだ、英雄ナボコフ。聞いていてくれて良かったよ。あんたに聞かせるつもりだったから」

『言い訳の余地はないぞ! コンピューター様! この、明確に叛逆の意思をあらわにした男のランクを剥奪してください! Sランクとして、あなたと人類の守護者として、この男は生かしておけない! もはや、解釈の余地もなく、この男は──『神殺し』は、この世界の敵です!』


 通信の向こうで、『英雄』が悪鬼のような顔で叫ぶ。


 ……しばし、沈黙があって。


 ディのIDカードから、少女の声の上に幾重にも音声を重ねたものが、流れる。


『Sランク市民ディのSランクIDを失効させます。特例措置──世界秩序への明確な叛逆ととらえられる言動があったため、ランクをGへと降格します』


『処刑ッ! Gランク市民ディ、貴様を、Sランク市民の権限において、処刑する!』


 瞬間、ディのこの肉体に、『波動』が伝わる。

 だが……


 ……何も、起きない。


 ディは相変わらず白い服を着て、白い椅子に腰かけ、ナボコフを見て微笑んでいる。


『貴様ァ、ディ! 何をした!?』


 処刑が成らないことにナボコフが憤る。

 ディは、


「この遠距離でも『処刑』ができるのか。さすがSランク様だ」

『何をしたと聞いている!』

「別に。仕組みを理解し、対策した。それだけだ」


『処刑』の仕組みは、この世界でDランクに徴兵され、Fランクが処刑された時にはすでに看破していたものである。

 すべてのクローンの中にはチップがあり、このチップに向けて『祈祷』をすることで、神がそれに応じて願いを叶える。

 電気とナノマシンを介して『波動』を伝えることで成立する処刑。これを受ければ、人体はひとたまりもなく爆散する。


 が、所詮は『波動』なのだ。

 理論上は、打ち消すことも可能。


 理論上、つまり──

 打ち消せる可能性・・・がある。

 ならば打ち消す自分に『渡れる』。

 それこそが異界渡りディメンション・ウォークという能力。


「英雄ナボコフ。あなたに尊敬を。そして、あなたを『おかしく』したことに謝罪を。……けど」

『ディ……!』

「殺されてやるわけにはいかない。俺も、俺の仲間たちも、あなたもだ。……いつか『思い出話』をしよう。長生きしようぜ、お互いに。そしたらきっと、この日のことも笑えるはずだ」

『…………私はすでに、長く生きた』


 急激に、顔と声が冷える。

 それは怒りが臨界点を超えた時の、ナボコフの反応だった。


『コンピューター様にすべてを捧げ、十年も生きることができたのだ。……私の望みは生存ではない。私の望みは……』


 ……ナボコフの顔に、笑みが浮かんだ。

 どこか悲しそうで、しかし、満足げな──臨界に至った怒りとは別な、感情の動きによる、表情だった。


『……私の望みは、すでに叶っていた・・よ。お前が来るまでな』

「本当にすまないと思う。だが、俺は曲がらないし、止まらない。……かわいそうなコンピューター様の負担を減らしてやる。そして、英雄に敬意を表する。全力で立ち向かうという方法で」

『……』

「まだ外に『天使』が控えている。だから、グダグダやってる場合じゃないだろう? これで俺は叛逆者だ。だから、全力で処理するといい。世界の全部を敵に回しても──全員生かして、倒してやる。だからすべてを挙げて全力で来い。そのあと少し休んで、『天使』を倒して、世界を救おう」

『ディ、貴様は』

「……その『世界を救う戦い』の時、あなたが隣にいたら、嬉しいな。ナボコフ」

『……もはや怒りも湧かぬ』

「じゃあ、手を取り合うか?」

『だが、ここで収まることもできない。……やっぱりお前が嫌いだよ、ディ。殺したいほど、大嫌いだ』


 老年に差し掛かろうという容姿をした男の言動にしては、幼かった。

 ……彼は十年という長い時間・・・・を生きた。この世界の人類にしては、長い時間を。


 だが、それは精神が老成していることを意味しない。

 彼のみずみずしい精神活動は、最近始まったばかりであり……


 目覚めたばかりの感情は、はらの中で収めるには、あまりにも大きすぎた。

 ……感情の入れ物としての自分自身が、まだ、育っていなかった。


 ディは、情動を収めかねる英雄へ微笑みかける。


「じゃあ、殴り合うか。このあと『天使討伐』という仕事は控えているが──『だから、今は』なんていうのは、大人の理屈だもんな」

『……』

「相手してやるよ十歳ぽっちのクソガキ。迎えに行くから待ってろ」

『……ふん』


 ぶつりと映像は消え去った。


 ディは、サシャたちを見た。


「というわけで俺はもうSランクじゃない。この世界に叛逆する……Gランク? 新しいランクをわざわざ作ってもらったらしい。お前たちよりはるかに下だ。世界のために、俺を『処刑』してみるか? 別に怒らないぞ。というか──やっておくといいとさえ、思う。そうしたらきっと、巻き込まれずに済むから」


 サシャは、


「──コンピューターをぶち壊せ!」


 叫んだ。


 サシャのIDから音声が流れる。

 Cランクにまで上り詰めていたサシャのランクが、Fにまで下がった。そういうアナウンスだ。


 それに続くように、部屋にいた者たちが、次々と叫ぶ。


「クソッタレなコンピューターに死を!」

「今まで無茶ぶりばっかしやがった無能なコンピューターをぶっ壊せ!」

「ランク制度クソ喰らえ! コンピューターをぶち壊せ!」


 あまりの勢いに、ディは目をぱちくりする。


 そこにいたすべての人たちがコンピューターへ叛逆し、Fランクに堕とされ……


 サシャが、晴れやかに笑って、言う。


「今まで我慢してきたこと叫べるの、最高!」


 思わずつられて微笑んでしまうような、笑顔だった。


 ディは椅子から立ち上がる。


「じゃあ、行くか。Sランク様とコンピューターを殴りに。待っててもいいぞ」


 もちろん、そんなおいしい機会を逃そうという者はいない。


 かくして叛逆は始まった。

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