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第62話 見つめ合い

『それ』の視線は人類の場所へと向いていた。


「…………」


『それ』は笑う。

『それ』の顔はあまりにも美しかった。人型である。人間の手足、胴体、顔を持っている。その部品・・・・さえなければ、きっとそれは、人間の、美しい、少女のように見えるだろう。


 だが、『それ』は人ではなかった。

 存在そのものももちろん人ではない。だが、『それ』を一目見れば、誰だって──人間ならば、誰だって、『それ』が人間でないことをわかるだろう。


『それ』は美しすぎた。

 作り物めいて、整いすぎていた。


 シワやくすみ、傷などは人間が人間として生きてきた証だ。多かれ少なかれ誰にでも刻まれる。

 だが十代半ばといった様子の『それ』の肌はあまりにもつるりとしていたし、顔にも経験に根差すものが何一つ浮かんでいなかった。


 精巧な作り物。


 一見すると、ショウウインドウに並んだ陶器人形ビスクドールのように見えた。


 ……ただ、『それ』が生きて活動するモノであることを、浮かべる笑顔が強烈に示している。


「…………くす」


 笑う。


『それ』の笑い声は「くすくす」だった。はっきりと、『く』と『す』を発音しているものだった。

 笑うという機能を知り、それを不慣れに模倣している笑い方だった。


 ただ、内側でうずまく感情は本物だ。

『それ』は感情を表現する方法をヒトに学ぶしかない。だから『それ』の内側にある感情を表現する方法を探し、そして情報を閲覧し、『笑う』という行為を模倣した。

 ただしその笑顔はあまりにもヒトとは違った。……あるいは、ヒトに対しまったく興味がなく、ヒトのことを情報でしか知らない者なら騙せるかもしれない。もしくは、ヒトの笑顔を見たことがない者であれば、なんの違和感も覚えなかったかもしれない。


 だが、生活の中で『人の笑った顔』を一度でも見たことがあれば、その笑顔の異質さがわかる。


『それ』は、映像を見ている。

『神』が放ったナノマシン。それを──ハッキングして、映像を見ている。


『それ』が持っているのは電子機器を乱す能力、ではない。

 もっともっと不可思議なもの。もっともっと拡張性があるもの。


『それ』は街の様子を見守る。そして……


「くすくすくすくす」


 ……機をうかがう。

 人類最後の都市を攻略する、機を。



 ディはつい、声を漏らす。


「俺たちは、神に叛逆しようとしている。この世界の秩序に反旗を翻している」


 ざっざっざっざっ。

 歩く先は都市だった。


 ディの区画から、ナボコフの区画へと向かう。

 それは街の中央を突っ切るような進路をとる必要がある。


 そして街の中央には、コンピューターがいる。


 ならばナボコフは、コンピューターより手前でディたちを止めなければならない。

 この叛逆者どもからコンピューターを守ることが、『英雄』、『光剣のナボコフ』の使命であり、願いなのだから。


 ざっざっざっざっ。

 足音が連なり、続く。


「神の力は絶大だ。『処刑』は俺が止めなければすぐにでもみんなを殺すだろう。俺が消されれば、みんなは命運をともにすることになる。……あまりにも分の悪い賭けだ。こんなものに乗るのは、きっと、馬鹿野郎だと思う」


 ディは歩きながら、目を閉じる。

 思い出すのは故郷の世界。冒険者ギルドでのこと。


 教会に呼び出しを喰らった。王命で召喚されかけた。

 だが、その時……


 仲間たちが、自分を守ろうとしてくれた。


 愚かだと言える。無力だとも言える。

 結局、自分一人で解決したんだから、彼らの決意は無為だったとさえ、言ってしまえるだろう。


 だが。


「どうしてだろうな。そういう馬鹿野郎たちに背中を叩かれると、どうしようもなく気合が入って──絶対に負けない、という気持ちになるんだ」


 ざっざっざっざっ。


 叛逆者ディの軍勢──


 区画にいた者たち、ディに従っていた者たち。

 一人も欠けることなく、存在する。


 前線のイワンや残してきた部隊にサシャが連絡をとった。

 その時も『一緒に行けないことが悔しい』とさえ言われた。


「きっと俺は、馬鹿野郎が好きなんだ。……だって、俺自身も、結構な馬鹿野郎だから」


 ざっざっざっざっ……。


 歩いていくディたちは、ついに……

 止まる。


 ビル群。

 その先にある、巨大な金属のドーム。


 あれはコンピューターを守るための外箱だ。

 決して物理的な衝撃で壊れぬように、技術の粋を集めて作り上げられた壁。

 ……コンピューターがそうしたのではなく。それを信望する者たちが、あるいはコンピューターへの賄賂として、あるいは他の市民への示威のため、もしくは……


 純粋な敬愛のために作り上げた、不壊の壁。


 ディでさえ壊すのには骨が折れるだろう。

 だから、あそこの中のコンピューターを目指すならば……



 その前に布陣する『英雄』の軍勢を蹴散らさなければならない。



 ディは、軍団の先頭で、笑う。


「いい思い出を作ろう、英雄ナボコフ」


 ナボコフもまた、軍団の先頭で、いかめしく眉根を寄せた。


「クソガキらしく言おうか。『言ってろ馬鹿が』」


 そうして、互いに笑う。


 ……外に脅威を控えたまま。

 互いに、互いに対する尊敬の念も──なくはない、まま。


 ただ、御しきれない感情を吐き出すための儀式としての戦いが、今、始まった。

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