『それ』の視線は人類の場所へと向いていた。
「…………」
『それ』は笑う。
『それ』の顔はあまりにも美しかった。人型である。人間の手足、胴体、顔を持っている。
だが、『それ』は人ではなかった。
存在そのものももちろん人ではない。だが、『それ』を一目見れば、誰だって──人間ならば、誰だって、『それ』が人間でないことをわかるだろう。
『それ』は美しすぎた。
作り物めいて、整いすぎていた。
シワやくすみ、傷などは人間が人間として生きてきた証だ。多かれ少なかれ誰にでも刻まれる。
だが十代半ばといった様子の『それ』の肌はあまりにもつるりとしていたし、顔にも経験に根差すものが何一つ浮かんでいなかった。
精巧な作り物。
一見すると、ショウウインドウに並んだ
……ただ、『それ』が生きて活動するモノであることを、浮かべる笑顔が強烈に示している。
「…………くす」
笑う。
『それ』の笑い声は「くすくす」だった。はっきりと、『く』と『す』を発音しているものだった。
笑うという機能を知り、それを不慣れに模倣している笑い方だった。
ただ、内側でうずまく感情は本物だ。
『それ』は感情を表現する方法をヒトに学ぶしかない。だから『それ』の内側にある感情を表現する方法を探し、そして情報を閲覧し、『笑う』という行為を模倣した。
ただしその笑顔はあまりにもヒトとは違った。……あるいは、ヒトに対しまったく興味がなく、ヒトのことを情報でしか知らない者なら騙せるかもしれない。もしくは、ヒトの笑顔を見たことがない者であれば、なんの違和感も覚えなかったかもしれない。
だが、生活の中で『人の笑った顔』を一度でも見たことがあれば、その笑顔の異質さがわかる。
『それ』は、映像を見ている。
『神』が放ったナノマシン。それを──ハッキングして、映像を見ている。
『それ』が持っているのは電子機器を乱す能力、ではない。
もっともっと不可思議なもの。もっともっと拡張性があるもの。
『それ』は街の様子を見守る。そして……
「くすくすくすくす」
……機をうかがう。
人類最後の都市を攻略する、機を。
◆
ディはつい、声を漏らす。
「俺たちは、神に叛逆しようとしている。この世界の秩序に反旗を翻している」
ざっざっざっざっ。
歩く先は都市だった。
ディの区画から、ナボコフの区画へと向かう。
それは街の中央を突っ切るような進路をとる必要がある。
そして街の中央には、コンピューターがいる。
ならばナボコフは、コンピューターより手前でディたちを止めなければならない。
この叛逆者どもからコンピューターを守ることが、『英雄』、『光剣のナボコフ』の使命であり、願いなのだから。
ざっざっざっざっ。
足音が連なり、続く。
「神の力は絶大だ。『処刑』は俺が止めなければすぐにでもみんなを殺すだろう。俺が消されれば、みんなは命運をともにすることになる。……あまりにも分の悪い賭けだ。こんなものに乗るのは、きっと、馬鹿野郎だと思う」
ディは歩きながら、目を閉じる。
思い出すのは故郷の世界。冒険者ギルドでのこと。
教会に呼び出しを喰らった。王命で召喚されかけた。
だが、その時……
仲間たちが、自分を守ろうとしてくれた。
愚かだと言える。無力だとも言える。
結局、自分一人で解決したんだから、彼らの決意は無為だったとさえ、言ってしまえるだろう。
だが。
「どうしてだろうな。そういう馬鹿野郎たちに背中を叩かれると、どうしようもなく気合が入って──絶対に負けない、という気持ちになるんだ」
ざっざっざっざっ。
叛逆者ディの軍勢──
区画にいた者たち、ディに従っていた者たち。
一人も欠けることなく、存在する。
前線のイワンや残してきた部隊にサシャが連絡をとった。
その時も『一緒に行けないことが悔しい』とさえ言われた。
「きっと俺は、馬鹿野郎が好きなんだ。……だって、俺自身も、結構な馬鹿野郎だから」
ざっざっざっざっ……。
歩いていくディたちは、ついに……
止まる。
ビル群。
その先にある、巨大な金属のドーム。
あれはコンピューターを守るための外箱だ。
決して物理的な衝撃で壊れぬように、技術の粋を集めて作り上げられた壁。
……コンピューターがそうしたのではなく。それを信望する者たちが、あるいはコンピューターへの賄賂として、あるいは他の市民への示威のため、もしくは……
純粋な敬愛のために作り上げた、不壊の壁。
ディでさえ壊すのには骨が折れるだろう。
だから、あそこの中のコンピューターを目指すならば……
その前に布陣する『英雄』の軍勢を蹴散らさなければならない。
ディは、軍団の先頭で、笑う。
「いい思い出を作ろう、英雄ナボコフ」
ナボコフもまた、軍団の先頭で、いかめしく眉根を寄せた。
「クソガキらしく言おうか。『言ってろ馬鹿が』」
そうして、互いに笑う。
……外に脅威を控えたまま。
互いに、互いに対する尊敬の念も──なくはない、まま。
ただ、御しきれない感情を吐き出すための儀式としての戦いが、今、始まった。