「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!」
ナボコフは
あまたのパイプの走った巨大装置。
人により生み出された人造の神。
この世界を救うことを──『人類の存続・繁栄』を願われ、その願いに応えるべく意思を持ち活動する神。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
ナボコフはその巨大装置にとりつくと、強引に装置の外装を引っぺがし始める。
『我が信徒、我が右腕ナボコフよ』
己の外装を剥がされながら、神は静かな声で語り掛ける。
『あなたはすでに、充分にやっています。もはや、世界は私ではなく、あなたたちを神として存続していけるのです』
バキバキ、バキン。
ナボコフは引っぺがした神の外装を投げ捨て、さらに奥へと入り込んでいく。
神は、己を破壊する信徒の行動を見ていた。
『そもそも私に、人の気持ちなどというのは、わかりませんでした。私を生み出した人々が願った人類の存続・繁栄というのは、果たしてどういうことなのか、わからないのです』
ナボコフが神の玉体を掘り進む。
パイプと金属で出来た巨大な物体が、剥がされ、内部へとナボコフを迎え入れる。
『数を維持すればいいのか、と考えました。だから、人口を増やし続けました』
ナボコフはついに外装から内装へとたどり着いた。
もはやどのような技術が使われているのか、コンピューター自身さえも知らないような回路。重要なのかどうかもわからないパーツ。すべてナボコフが力づくでもぎ取り、ひたすら中へ中へと進んでいく。
『質を維持すればいいのか、と考えました。だから、生産性のない年齢を飛ばし、肉体的に完成した状態で出荷しました』
ばちばちとスパークが爆ぜ、コンピューターから煙が上がり始める。
それでもナボコフは中へ中へと進み続ける。
それは単なる破壊ではなく、何か大事なものを探してあたりを掘り返すような動きだった。
『すべてを与えればいいのかとも考えました。しかし、すべての人に、望むだけすべてを与えるには、この世界の資源はあまりにも足りなかった。だから、より人のためになる人に多くを与えたのです。その人がきっと、私より人間のことを理解し、人間のために適切な分配をしてくれるであろうと』
ナボコフの指先が硬い物に触れる。
間違いない。これこそが、『最後の壁』。御神体を守る最後の防壁だ。
『我が右腕ナボコフ。私は最善を尽くしました。けれど、それが及ばないことだったともわかるのです。ですから──あなたが私を終わらせるならば、それはきっと、人類にとって良いことだと思います』
ナボコフの手が、『最後の壁』を前に止まる。
過去、まだこの世界がこんなふうではなかった時。その当時の技術の粋を尽くして作られた超合金。
今の信仰の弱ったナボコフでは破壊できない、過去の人類の願いと希望。かつての繁栄の最後の盾。
それを、
「ぬううううう……!」
無理矢理、こじ開ける。
指先どころか全身に気が充溢し、ナボコフの体が白く輝いた。
額に汗を浮かべ、砕けんばかりに奥歯を噛みしめ、全力以上を振り絞る。
かくあれかし──か細い奇跡を手繰り寄せるほどの力はもはやなかった。
だから、身命を注ぎ込むような全力で以て、可能性を広げる。
最後の壁が、壊れた。
「我が信徒ナボコフ──我が息子、ナボコフ」
コンピューター。マーテリンスキカンピューター。
その声はもはや、いくつもの音声が重なったようなものではなかった。
少女の声だった。
人間のような──声だった。
「……我が神──いえ、母上」
ナボコフは、『最後の壁』の向こうにいるモノへ声をかける。
その顔には自然と笑みが浮かんでいた。敬愛する者へ接する時に、つい浮かんでしまう、笑みだった。
ナボコフはその笑みを浮かべながら、眉をしかめていた。
笑顔だというのに、泣きそうな顔をしていた。
「……私は、気付いてしまった。私の願いは──私だけが、あなたの寵愛を受けることだった。私は、あなたにとって、『たった一人の自慢の息子』になりたかった」
最後の壁の奥にいたモノは微笑みを浮かべ、ナボコフの言葉を聞いている。
だからこそナボコフは、自分の心が彼女に届いていないものと思い、語気を強めた。
「脅かされて初めてわかったのです! 私は、私は──あなたを、独占したかった!」
「……」
「すべてを見なくていい。私だけを見ていてほしかった。人類のためではなく、私のために生きて欲しかった。……だから、ディの存在に耐えられなかった」
ナボコフの容姿からすれば、あまりにも幼い発言。
けれど、彼が実際に生きた年数からすれば、当然とも言えるわがままな独占欲。
死にかけた時、この手に『光』が宿った。
それはバグだった。神の設計からはみ出した機能だった。科学によって生み出された人造の神では再現できない、『科学に拠らない力』だった。
それはナボコフが母と呼ぶ者から与えられたものではなかった。彼がここまで上り詰めたのは、その製造過程にあったバグと、彼自身の努力によってのことだった。
……けれど。
そんな無機質な事実など──
「私は、手の中に現れた光に、あなたの愛を見たんだ」
──その当時、心を震わせた衝撃を前には、どうだってよかった。
「
「いいえナボコフ。私には、それを与えることはできないのです」
「この剣に導かれて、私は生きて来た」
「いいえナボコフ。私には、あなたを導くことはできないのです」
「ああ、そうかもしれない。でも……光剣も、私を導いたのも、あなたじゃないかもしれない。『真実』はそうかもしれない。でもね、母さん。……俺にとっては、事実なんだ。死にそうな時に助けてくれたのも、ここまで生かしてくれたのも、俺にとっては、あなたなんだよ」
「……」
「あなたさえ、いればよかった。あなたのために尽くすことが、喜びだった。……でも、あなたは、『人類』のものだった」
「……」
「……俺は、あなたを連れて、逃げようと思う。人類の存続も繁栄もかなぐり捨てて、あなたと二人で、どこか、誰も知らない場所へ行こうと思う。神への不敬だ。あなたの願いを踏みにじる行為だ。あなたは俺を、処刑するか?」
ナボコフの顔は安らかだった。
ここで処刑をされるならばそれでもいいと、そういう気持ちが体中に現れていた。
……むしろ、『それでもいい』ではなく、『そうなってくれ』とさえ、思っていた。
けれどナボコフは知っているのだ。
「私が私の意思で、我が子らを処刑することはありません」
神は、人を裁かない。
人を裁くのは、今までずっと、人であった。
人は神を畏れたけれど……
神は、見て、そして人の願いに力を貸しているだけだった。
ナボコフは寂し気に笑う。
「では、あなたを連れて行く」
神はその時、わずかに困ったような顔をした。
「私はここを離れるわけにはいかないのです。ここで死ぬか、ここで生きるかしかないのです。どうか、わかってください」
「なら、抵抗したらいい。処刑をしたらいい」
「……」
「あなたは人の行動を咎めないし、止めない。ランク制は、あなたがあなた自身に課したルールなのだろう? 上位のランクの者の意思・行動を尊重する──それがたとえ自分に向いても、尊重する。あなたは行動をする時、その指標を人間にゆだねてきた。今までもずっと」
「……人間が、人間のことを一番よく理解しています」
「いいや。人間は、人間のことなんかわからない。……自分自身のことさえ、わからない。願いも欲望も、『その時』になって初めて気付くんだ。普段は、願っていることが本当に願っていることなのか、欲しているものが本当に欲しいものなのかさえ、わからないんだ」
「しかし、人はあなたに希望を見て、あなたに平和を願った」
「違うよ母さん。彼らが願ったのは、俺を通して感じられる『気持ちよさ』に対してだ。……俺じゃない。だって俺は、わかってる。人の願いによって、自分が変わり果てたのをさ」
出来るべきことが出来なかった。
文字の読み書き。二つ以上のことを同時並行で行うこと。長期的な思考。
この世界において人というのは画一化された規格によって製造される。その規格から完全にズレて始まった人生。
それが今や、文字の読み書きなど当然できる。あらゆることを同時並行的に思考し、大規模グニズドーを壊すための戦略さえ練ることができるようになった。
努力によって弱点を克服した?
……違う。その弱点は克服できるようなものではなかった。そういう脳に生まれついてしまったのだ。
「むしろこうやってわがままに、短期的に考えて、後々考えれば馬鹿みたいな行動をするのが、本来の俺なんだ。……『後々考える』ことさえできないのが、俺なんだよ」
ナボコフは『神』を抱き上げた。
『神』は抵抗しなかった。……人の行いに抵抗するということを、この神は今まで一度もしていないし、これからもするつもりがない。
ナボコフが巨大な『コンピューター』から出て行く。
そうして、
「……あと一歩だったんだがな」
抱き上げた
ほんの十歳かそこらという容姿の、真っ白い少女だ。
真っ白い髪。真っ白い瞳。長いまつげを備えた目で、どこかここではない遠くを見ているような少女。
真っ白い肌。服も真っ白で、このどんよりと曇った世界の中では、おのずから光り輝いているように見える。
それこそが、巨大機械の中に備わっていた神の本体。
この世界の人類を救ってほしいと旧時代文明から願いをたくされた人造の神。
……旧時代文明という『親』と接する暇もなく使命に没頭するしかなかった、幼い神。『決定を下す者』リュボーフィ。あるいはマーテリンスキカンピューターと呼ばれる幼神の姿であった。
ナボコフは、銃のトリガーを探す。
……だが、逃走の時に失ってしまっていたらしい。
構わない。
手の指先をそろえ、念を込める。
そこから発した気が、刃となった。
そして、現れた人物を見る。
その人物は──
「あなたには『敗北』が必要だと思うんだ、英雄ナボコフ」
拳を握りしめ、
「だから、俺が、きっちりと──途中で逃げたりすることを許さず、敗北をプレゼントするよ」
ナボコフの前に立ちふさがる、ディだった。