「もう、お前が全部解決しろよ。
英雄ナボコフの声はあまりにも幼く、利かん坊の雰囲気がにじみ出ていた。
捨て鉢、いじけ、吐き捨てるような言葉だった。
対するディの声音は平静で、その表情は固くも見える仏頂面。
「それは出来ない。俺は、この世界の問題を最初から最後まで世話をするつもりがないからだ」
「出来るだけの力があるはずだ。お前は神になる才能がある」
「才能があるかどうかで人生を決める気はない。生まれ持ったものが生き方を決めるのは、あまりにも『人生』を無視しすぎた考えだと思う」
「じゃあ、何によって生き方を決める」
「『やりたいかどうか』だ」
「ガキか!」
「……たとえば」
ディの視線が、白い少女へと向いた。
幼い神。抱き上げられて連れ出されて、しかし、今はその場に降ろされている。
だけれど逃げない。抵抗もしない。ただ人に願われたまま叶える。もっとも人類の存続・繁栄のためになる人間の願いを叶えるだけの存在──
『機能』になろうと己を律する神。コンピューターの本体。
……彼女にたくされた願いはその神としての二つ名に現れている。
だが、その願いだけは完遂できなかった。それを完遂するだけの力がなかった。
『決定を下す者』リュボーフィ。
ディは彼女をまっすぐに見る。
「生まれつき『こうせよ』と決められた生き方があったとして。……そう生きる才能がないのに、そう生きたい願いさえないのに、『こうせよ』と言われたから、『こう』生きる。……それは、誰の人生だ?」
ナボコフが目を見開き、怒りをあらわにする。
「そうせねばならなかった! そうせねば、人は滅びた! だから、彼女はこんな暗がりに閉じこもって、己の使命を完遂し続けた! 『仕方なかった』! ほかにいるか!? ほかに彼女に代われる者が、一人でもいたか!? 今、いる! 今、お前がいる! だから──彼女を憐れむなら、お前が彼女に代わってくれよ!」
「それは嫌だから、できない」
「じゃあ、お前は──彼女をまた、この場に縛り付けろと言うのか!?」
「そもそも本題は『彼女をどうするか』にはない。俺からその話題に対して言えることはこうだ。『嫌ならやめろ』」
「ではお前は何が言いたい!?」
「俺は、俺の人生を生きることにした。だから、やりたくないことはしない」
「……お前はァ……!」
「だが一方で、そちらにも、俺を『神』としてこの世界に縛り付け、人類救済機構にしたいという望みが──『やりたいこと』があるんだろう?」
「……」
「だったら逃げて押し付けるなよ」
拳を握る。
足腰、すみずみにまで気を充溢させる。
「ぶちのめして、首根っこ押さえつけて、俺に言うことを聞かせてみせろ」
「……」
「ここは、お前の世界だろ。お前と神が維持してきた世界だろ。だったらふらっと来た旅行者に全部押し付けて逃げようとするな。──シンプルに行こう。負ければ従う。俺が勝てば俺の言うことを聞け。以上だ」
「それは、強者の理論だ。『絶対に自分が勝つ』とわかってるから言えることだ。ただの恫喝だ」
「そんなに俺は、圧倒的に見えたか」
「……」
「お前はこの世界で英雄だったろう。戦い続けてきたろう。恩恵を受けて来ただろう。苦難を乗り越えてきただろう。努力して、可能性を増やそうとあがいてきただろう。そのお前の人生が、ふらりと訪れた旅行者程度に軽んじられる程度のものだとは思えない。それとも──」
「……」
「──『お前の人生には何の意味もなかった』と思うのか。この世界の最強は、俺に軽くのされるほどの雑魚なのか。どうなんだ、英雄ナボコフ」
挑発だ。
ナボコフは理解している。あれは、挑発だ。
『ケツまくってんじゃねぇよ弱虫野郎』というのを、極めて重々しく言っているだけだ。
……ただの装飾された言葉。ただの挑発。
だというのに、
「……俺は、母さんさえいればいいと思っていたんだ」
「……」
「母さんとともに生きていく、母さんに俺だけを見ていてもらう暮らしのためなら、すべて捨てられる。そう思っていたんだよ」
「……」
「……でもさあ、なんでだろう。ディ、お前に言われた時に──仲間の顔がよぎったんだ」
「……」
「死んでいった仲間の顔も、生きてる仲間の顔もよぎったんだ。一緒に戦った人たちの顔がよぎったんだ。俺に願いをたくしてくれた人たちの願いがよぎったんだ」
「そうか。……で?」
「……お前が踏みにじっていいものなんか、一つもないよ、ディ。……きっとお前から見れば俺は人生経験の薄いクソガキなんだろう。でも、俺の生きた十年は本物だ。この世界で命懸けで生きて来た。だから──」
ナボコフにとって、これは神からの愛だった。
……でも、同時に。これは、仲間との絆だった。
この剣で守ったものがある。
……この剣で守れなかったものも、たくさんある。
神のために働きを捧げて来たけれど……
それが果たして『仲間を殺せ』というようなものでも、同じように、迷いなく傾倒できたとは思わない。
「どうして『その時』になって初めて、自分の願いの本当の姿に気付くんだろう。あと一歩お前が遅ければ、俺は母さんを連れてこの都市を離れて、二人で生きていけた。……幸せになれたんだ」
「……」
「でも、仲間の顔がよぎった。だから、お前の安い挑発を無視するわけにはいかなくなった。……『全部捨てて逃げる』って、こんなに難しかったんだな」
ナボコフが晴れやかに笑い、
「ディ。逃げるのはやめることにする。お前を倒して、お前を新たな『神』とする。母さんを自由にしてこの世界を救うために──お前の『可能性』を奪うことにした」
「そうか。では、抵抗しなければならない。俺は、可能性を奪われるのが何より嫌いだ」
ナボコフの剣が、全身が、輝きを増していく。
……これまでも、ナボコフは人の願いをたくされていた。
その身は神だった。神の奇跡を起こしていた。
だが、今、この時。
「ディ。世界のために、お前を倒す」
ナボコフは、この世界にとって、本物の神へと昇華した。
世界の守護神と外なる来訪者が、互いのわがままを通すために、最後の戦いを始める。