『『かくあれかし』』
カミは望まれた。
『『あいつを倒す』』
奇跡を探って二者が激突する。
『相手を倒す』というか細い糸をたぐるように、互いに神の権能を行使する。
ナボコフの信者を倒した。殺さずに倒した。
それはナボコフへの信仰を揺るがすものだった。あの宗教戦争は、ディが勝利した。
だが今、ナボコフの神威は増しに増している。
その理由は、おそらく──
(ようやく、己を信じたんだな、ナボコフ)
──自分を信じた。
人は誰かを神にできる。しかし、自分を神にすることだけは出来ない。
願いというのは鏡に映るものではない。普通の人は、自分の願いが本当に願いなのかどうかわからない。だから、自分自身に願いをかけようとしてもぼやけてしまって、力にならない。
活躍をしている誰かに『頑張れ』と言う。これには才能も経験もいらない。
すごい誰かに『すごい』と言う。これにも、才能も経験もいらない。
だが、自分自身を信じることには、才能と経験が必要だ。
なぜなら、人は、自分自身がすべてのことを出来ないのを知っている。自分の可能性がそこまで広くないことを、生きていくうちにどうしても思い知らされる。
……ただし。
人から『すごい』と言われ続けると、なんだか自分がすごいやつのような気がしてくるものだし……
みんなから『頑張れ』と言われ続けると、不思議とやる気がとめどなくあふれてくるものでもある。
自分自身を信じられなくても、人の信じた自分を信じることは出来る。
信仰の循環。
願いの相互参照。
他者からの信頼を自分で止めず、他者が信じる自分を信じることで、その信仰は無限に巡る。
(神は『重い』。神は他者をはばからない。神は何らかの願いに傾倒している)
これまで神と出会い、神を斬って来た。だから、わかる。
神は間違うこともある。
だけれど、自分を疑っている神は一柱たりともいなかった。
過剰なまでに自分を信じ、自分の望むようにするために実行を続けること。
それが恐らく、神となるための第一歩。
で、あるならば。
『『かくあれかし』』
一瞬にして無限の可能性が検討・実行され、二人の動きに『その時にこう動いたら』というものが幾重にも重なる。
ありとあらゆる可能性を掴もうと一瞬一瞬に全力を注ぎこみ、同時にはできないはずのいくつもの行動が同時に実行されてすさまじい音と衝撃を生んだ。
殺せない。倒せない。
互いに、決めきれない。
この戦い、互角である。
「命を捧げられたことがある」
ナボコフはそこにたたずんでいる。
同時に、攻めかかっている。
『今、もしもこう動いたら』という『通らなかったルート』が幾重にも幾重にも重なり、二人の周囲に『もしも』の光景がよぎる。
大量にせめぎ合う自分たちの戦いの中で、『実際のディとナボコフ』は、たたずんで見つめ合う。
「俺のために死んだ人がいる。……願いを捧げられたことがある。『長生きしてくださいね』と言われたことがある。……想いを捧げられたこともあったな。今際の際に、慕っていたと言われたこともある。……愛を、捧げられたこともあった。目の前で怪物に喰われて隙を作って、酷い傷を負って……それでも、俺が生きていたことを心の底から喜んでくれた人がいた」
二人の戦いには決着がつかない。
互角。互いに互いを倒す可能性を見つけられない。
「忘れられるようなことなんか、一つもなかった。……どうして俺は、これだけの人の気持ちを忘れて、母さんを連れて逃げようとしたんだろう」
ディは、笑う。
「案外、そういうことはある。……大事だと思っていたものは、その価値を永遠にはしておけない。逆に、どうでもいい、くだらないと思っていたものが、振り返れば大事だと思うようなこともある。もっとも大事なものと、『もっとも』ではないが大事なものを天秤にかけざるを得ない状況なんかいくらでもある。その時、天秤が片方に傾いても、もう片方に載っていたものが大事ではないということにはならない」
「……俺には難しい話だ」
「人間は柔らかい」
「……」
「『これは絶対だ』と思っていた価値観が、あくる日には曲がってしまうこともある。人生の中で変わらないものなんかないんじゃないかとさえ思うよ」
「そういう経験があったのか?」
「あった。あったなぁ。……実は嫌いだった相手がいた。いや、当時の俺は、苦境に身を置くことが絶対的に素晴らしいことだと思っていたから、『負荷』の一つだと思っていたんだけれど」
「おかしいヤツだな……」
「……もしももっとコミュニケーションをとれていれば、親友になれたんじゃないか──というのはまあ、都合の良すぎる妄想か。でも、普通に酒を飲みかわす仲にはなって……見捨てられることもなかったんじゃないかとは思うよ」
「……」
「『苦境』も、そこに身を置くことに意味はなかった。ただ、それしか知らなかったから、それが素晴らしいと思い込んでいただけだ。逃げることを俺は否定しない」
「俺たちが逃げるのを止めたくせに」
「否定はしないが、利害がぶつかれば止める。自分には許すし、基本的に人にも許すが、場合によっては人も止める──なんていうことも、いくらでもある」
「……なんだか、生きていくと、どんどん格好悪くなっていくらしいな」
「本当にそうだと思う。信念はある日曲がる。言い訳をして『これはこういうことなんだ』と取り繕うことは出来るだろうけどな。……今、俺が直面してる問題についても──まあ、そのうち、俺が折れる日も来るのかもと思う」
「……永遠に大事にできるものなんか、一つもないのか」
「人間は油断してるとあっというまに変わっていく。……だからこそ、油断せず見つめ続けて、曲がらないように注意し続けることが一つでもあったら、それは立派な信念なんだと思う」
「ディの信念は何かあるのか?」
「『やりたくないことはしない』」
「……人に押し付けてもか」
「最初はそのあたり、気を付けようとしていた。だが、無理なことがわかった。だから……ああ、そうか。信念と言うなら、こっちかな」
「……?」
「『言い訳をしない』」
「……」
「俺は俺の『やりたくないこと』をしないために、お前を倒すよ、ナボコフ」
「……では俺は、お前の首根っこを押さえつけて、母さんを自由にするために、自由になった母さんと二人で生きていくために──仲間たちを救うために、お前を倒すとしよう、ディ」
『『かくあれかし』』
数多の『通らなかったルート』たち。実体を伴うほど濃厚に演算された可能性が凝縮し、二人の肉体に還っていく。
「お前みたいなわがまま野郎には絶対に負けないぞ、ディ!」
ナボコフが叫ぶ。
だがその顔にはほのかに笑みがあった。仇敵への顔ではない。晴れやかだった。目の前の、この勝負次第ですべてが得られる。だから勝利へと集中するだけ──そこに加えて、全力で誰かにぶつかる心地よさが、彼の顔を若やがせていた。
「残念ながら、俺の『わがまま』は半端ではないぞ、ナボコフ!」
ディの顔にも笑みが浮かんでいる。
脳を限界まで酷使するような思考の中、肉体に眠るすべてのエネルギーを一瞬一瞬絞り尽くすような戦いの中、限界駆動を行う己という器が、この瞬間にもどんどん広がっている心地があった。
『神』は──
コンピューターは、二人の戦いを見ていた。
白い瞳を大きく開いて、二人の男のぶつかり合いを見ていた。
彼女にとっては息子同士のケンカだ。
……複数の子を持つ親であれば、子同士がケンカする光景など嫌気がさすほど見飽きるものだ。
だがしかし、彼女はこの世界のほとんどの人間を生産しておきながら、『ケンカ』を見たことがなかった。
生まれてすぐ枯れたようになり、そのまま死んでいくFランクの子供たち。
それより少し上、それでも笑顔もなく武器を手に怪物に挑んで、苦しむことさえなく死んでいくEランク。
威張り散らすDランク。C、B、A。
彼らは同ランク同士で争うことはなかった。
そんなことをするほど元気がないから。
彼らは上のランクに歯向かうことがなかった。
その時点で処刑されてしまうから。
だからこの世界には『ケンカ』がない。
あんなふうに、『わがまま』をぶつけ合って、全力でぶつかり合う──
そのくせ、相手の命を奪うことが目的ではない、そういう勝負が、存在しなかった。
「…………ぁ」
彼女は初めて、実感した。
『正しい』。
この姿こそが、正しい。これこそが、人間だ。
わがままを抱いて争い合う。
憎しみではなく殴り合う。
……もっと、こういうことが出来る世界にするべきだった。
ようやく、わかった。
人類の存続・繁栄とは。
ヒトとは──
「…………ッ!?」
──異音。
コンピューターが長き演算の果てにようやく答えにたどり着きそうになったその時、彼女が支配下に置くナノマシンたちが、一部区画で一斉に機能を失った。
何が起きたのかわからない。
都市外を見張らせているカメラも、周囲に散布したナノマシンも、なんの異常も検知できなかった。
だが──
アラート。
より早く、悲鳴。
彼女は耳をかたむける。
そうして、事実に行き当たる。
……ようやく、今、何が起きているかを把握するのだ。
……気付けば、ナボコフとデイとの戦いも、止まっていた。
彼らもなんらかの手段で、街にひそやかに忍び込み、今この瞬間に顕在化した脅威に気付いたのだ。
その『脅威』とは──
「『天使』が来た」
──最優先討伐対象。
巨大なグニズドーを支配する、
否。
怪物女王『