望む。
奇跡を起こす。
叶える。
人々の願いを背負った者たちの戦いは、か細い希望をつかみとる。
己を信じ、己の願いを明確にすることで、願いを背負った英雄は守護神と化した。
さらにその横には外なる世界からの異邦人。
己の可能性を探り、広げることを至上の喜びとする異界渡りのディ。
これに対する『天使』は、いかに広大な
──などという、都合のいい現実は存在しない。
願いを背負い、人は神になる。
ここは人造の神が生まれる世界。
そして。
……人が願う対象は、人だけとは限らない。
この怪物もまた願いによって生み出されたモノ。
持ち運ばれて巣にされた人々がいた。
その人々は巣にされても生きて、ずっと意識があるとも言われている。
どこからともなく始まった都市伝説。
普通に考えれば、『そうやって脅しつけることで、怪物への敵愾心を煽ろう』という、誰かの思いつきの話。
だがもし、それが本当だったら?
怪物によって巣にされた人々は、誰に何を願う?
『俺たちをこんなふうにした怪物を倒してくれよ、みんな!』
『コンピューター様、どうか俺たちの犠牲を礎に、人類の版図を取り戻してください!』
……いやいや。
人はそのようには出来ていない。
生きたいと願い、生きたまま物言わぬ肉の繭にされてしまった人は、こう思う。
『こんな目に遭わせやがって』
『どうして俺たちばっかり』
『お前も
同じ目に遭え』
ゆえにこの『天使』の性質。
これもまた──
「っ、『天使』、こいつも──」
──人造の神である。
「くすくすくすくす!」
『『かくあれかし』』
『かくあれかし』
互いの願いを叶えるための、奇跡の手繰り寄せが始まる。
一合。
ナボコフの
そこにディとナボコフが光を以て斬りかかる。
だがしかし、奇跡の押し付け合いにおいてまだ天使を殺すほどの可能性は存在しない。
天使のあとから怪物どもが落下してくる。
片手をかざした天使の先で『何か』が掌握されて急に地形が変わる。
それはこの都市の内外を満たすナノマシン。巨大で大仰でパイプまみれな機械──『演算補助装置』の中で
せりあがる地面。出現する壁。降り注ぐ怪物ども。
部隊が分断され、背後で悲鳴が上がる。
注意を惹かれる。
惹かれたことを、ナボコフとディは恥じる。
『信じ切れなかった』
自分に願いを捧げる者を弱者扱いした。攻撃が向いた瞬間『守らねば』と思ってしまった。
信頼の循環が鈍る。
『かくあれかし』
『『かくあれかし』』
天使が早い。
ナボコフが都市構造の変化によってせりあがった柱に腹を突かれる。
どうしようもなく巨大な質量で衝撃だ。ナボコフの耐久力はもはや人のものではない。しかし、天使が起こした奇跡により、その一撃はナボコフを遠くまで吹き飛ばし、痛手を与えた。
わかりやすい『一撃をもらった』という状況。
信仰を捧げる人々の心に一抹の不安がよぎる。
ディが天使に躍りかかった。
『かくあれかし』『かくあれかし』
奇跡は同時にその手の中に。
天使の掌とディの拳がぶつかり合う。
ディはその時、拳に違和感を覚え、慌てて離した。
……神にはそれぞれ権能がある。
たとえばイリスの権能は『時空間』。
インゲニムウス──ディの故郷たる世界での神は『人の才能』。
ではナボコフや自分にも権能があり……
当然、天使にも権能がある。
それはもはや、明らかだった。
「『掌握』か!」
その手に収めたモノを自在に操る。
そして、『手』は見た目通りの大きさではない。
『何か』ある。
そしてその『何か』こそ──コンピューターの操作を離れたナノマシン。
「くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす!!!!」
イラつく笑い──
『かくあれかし』
『かくあ──
ディの中のチップが震動する。
これは波動ではなく権能による掌握。波動対策を済ませていたサシャがやられかけたのは、メカニズムが違うから。
『かくあれ』と決めた。ゆえに『かくある』。
そういうモノへの対策は、より強く奇跡をぶつけて打ち消すか、『そんな可能性はありえない』というほど行動を突き詰めるかしかない。
そしてディに生まれた一瞬の隙で、掌握された。
奇跡を重ね掛け──間に合わない。
「く」
そうなればもう、殺される前に殺すしかない。
だが『天使』の討伐に至る奇跡は未だに手繰り寄せられない。ナボコフと二人がかりでも倒しきることの出来ない怪物。憎悪という人の最も強い力を捧げられた人造の神。
この権能に対するのは──
「その権利を剥奪します」
──『人類の存続・繁栄』。生存欲求により生み出された、人造の神。
真っ白い少女が立っていた。
安全な場所にと置いて行かれた少女が。巨大な外装の中に身を隠していた少女が──
すべての決断を『人』にゆだねて、願いに応える以外の一切をしてこなかった少女が。
「すべてのヒトに、私から願いましょう。我が名は『マーテリンスキカンピューター』。コンピューターと呼ばれる存在にして、『決定下す者』と名付けられた人工の神リュボーフィ」
ディは己の体内にあるチップが、消えていくのを感じていた。
同じような感覚を覚えている者は他にもいるのだろう。……ナボコフも、感じているようだ。彼は悔し気で、寂し気で、口惜し気な顔をしていた。
製造過程で組み込まれるチップは、上のランクからの処刑の際に効果を発揮する物だ。
……だが、それだけではないのだ。ただの自爆装置ではないのだ。
むしろ、自爆装置としての用法はメインではない。神が──人の善性を信じ、人の希望を持つ力を信じ、信じすぎた結果人の実態を理解できなかったほど夢想家の神が、そんな目的で人にこんな仕込みをするはずはない。
そのチップにかけられた神の願いとは、
「私は世界を整然とわかりやすくしました。けれど──ヒトとは混沌の中で生きるものだと学びました。すべてのヒトのランクを撤廃します。そして」
秩序的な愛。
どこにいても、あなたのことを見ていますよ、という思いやり。
神の視線であり、神のぬくもり。それこそが、チップの本来の役割だった。
この神の生みの親は人だった。
けれど彼女が生み出された時にはもう、人類の状況は差し迫っていた。
だから彼女は使命に没頭するしかなかった。気付けば彼女は、見上げられるだけの存在になっていた。人というものがわからないまま、人を管理する機構であった。
……だが、彼女の願いは。
「私もあなたたちとともに戦います。見上げられるだけではなく──私も殴り合いに混ぜてください」
ケンカ。
……ディとナボコフのやりとりを見て、彼女が感じたこと。それは、『うらやましい』だった。
同輩はいない。親もない。常に君臨し続ける者。
しかしてその『やりたいこと』は、同じ地平で、同じように睦み合うことだった。
「母さん」
ナボコフが寄っていく。
女神リュボーフィは、
「あまり『母さん』と呼ばれるのは苦手かもしれません」
「……………………………………はい」
ディはつい、噴き出した。
「まぁ、その見た目の差ではなあ。ナボコフ、どちらかと言えば、あなたが父親のようだ」
「……うるさいぞ」
「わかったわかった、そのへんの怒りもあとで解決しよう。とりあえず──」
異邦人のディが拳を構えなおす。
英雄ナボコフが光剣を掲げる。
そして女神リュボーフィが、両手を前へかざす。
前──
そこでディたちのやりとりを、首をかしげて見ていた『天使』は、
「くすくすくすくす!」
笑った。
ディは吐き捨てるように言う。
「──あの耳障りな笑い声を止めよう」
戦いの最終局面が始まる。