セヴァースという王国は王政の国家である。
だが専制君主制とは言い難い。王の下に議会がおり、それが政治的方針をどうするかという議論をし、採択するかどうかを決めるからだ。
そして『議会』は貴族と神官で形成されている。
神官──つまり教会の連中の上の方だ。
「神が死んだ世界の教会に力が残るとは思えない。あとから急に
ディが通されたのは冒険者ギルドのいわゆる『奥』だ。
ここでは重要度の高い内緒の話や、秘密のゲストを招いての話などがされる。
防音性、『空気が入らない』という意味ではない機密性の高い部屋であり、ここから音が漏れることもなく、この中の気配が外から感じ取られることもない、特殊な魔法式が用いられていた。
魔法式というのは『
これは現場にいなかった者でも知っているぐらいの大事件らしい。
現場から近いこの街はもちろんのこと、王国全土の貴族も知っているし、貴族や現場にいた兵を通して遠くの街の人々までもが知っている──
「まず、人々が『神の死』を知っているのは、ヴォルフガングさんの宣伝戦略でしてね。昔々から、王宮と教会というのは、まぁ、なんというのでしょうか。もちろん我らは王を戴く臣民ではありますが、
語るのは禿頭で張り詰めた筋肉をシャツの下に押し込めた男──この街の冒険者ギルド長だ。
彼は幼いころにヴォルフガング将軍と同じパーティにいたということで、何かと王家、教会、もちろん冒険者界隈の情報にも通じている。
筋骨隆々のいかにもな強面ではあるが、ディの対面で話す姿は調整や事務といった裏方仕事を長らくし続けた者特有の静けさがあった。
「教会の一番上たる教皇を『聖王』などと呼ぶ連中もいるぐらいでして。まぁともあれ、『王』と『聖王』と、同時に号令をかけられたらどっちに従えばいいか困るぐらい、権力的に並んだ二者がいたわけです」
「……だから、神の死を機に、教会の権力を弱めようとしたというわけか。それで積極的に『神の死』を広めたと」
「ええ。ヴォルフガングさんは武一辺倒に見えて、わりとそういうことをやる人ですから」
親しい者特有の笑みをこぼし、ギルド長は表情を引き締めた。
彼がそうして真剣な話をする雰囲気を出すと、空気が一気に引き締まる。
ギルド長の斜め後ろで控えるアンネも、大きなメガネをずり落とし、持ち上げ、唾を呑んでいた。
「……ところが、神が死した矢先──神が死したということが広間きりった矢先に、『神』が地上に降臨なさったのです」
「新しい神──ということか?」
「どう考えてもそうでしょうね。そして教会は、その『神』を取り込み、新たな信仰対象として祀り上げた」
「……わからないな。人々はどうして、その新しい神を『神』だと認めた?」
インゲニムウスもイリスもそうだが、神というのはどうしようもなく、『見ればわかる』。
だが逆に言えば、『見ないとわからない』のだ。そしてこの世界の文化・文明では、神の映像をナノマシンを通じて全国配信、なんてこともできない。人々は情報を口伝で伝えていくしかなく、人の口にのぼる言葉では神のあの迫力を十全に隅々まで行き渡らせることは出来ない。
だからディはこう推測する。
「教会が『そう言っているだけ』か? それっぽい者を見出して、祀り上げて、新たな神にすえようとしたという──宣伝戦略の賜物なのか?」
「いいえ。あれは神です」
「……」
「
「……なるほど」
ようするに、一言でいえば、『クソ強い』ということになる。
強すぎて、それを表現するのに『神のよう』という言葉を用いるしかない存在。
……そして、強すぎて、その活躍になんらかの聖性を感じ取られてしまう存在。
だが……
「人が強さを示すには、『危機』が必要だ。神の降臨に及ぶほどの大事件がこの国を襲い、それを解決した、ということか」
「……すみません、どこへ行っていたんですか? さすがに、あの事件はどんな山奥にいても聞こえるものと思っていましたが」
「山の中──」ディは異界に渡っていたことを正確に理解してもらおうかどうか迷ったが、「──まぁ、山の中ではあるか。山に行ったり、川に行ったり、あるいは滅びかけた街に行ったり。とにかく情報が入らない場所にいた」
「なんともはや」
「……では簡単にご説明しましょう。『魔王』が出たのです」
「教会の語る神話に出て来る『人類の敵』だな。女神インゲニムウスが力を与えた勇者が倒したという。そして、いずれ復活するとも言われている」
だからこそ、『
いずれ復活する魔王を倒すには、どうしても勇者と聖剣が必要と言われているからだ。
……ただし、女神インゲニムウスの語り口や、なんとなく推察できる感じだと、どうにも『魔王』は実在したかどうかさえ怪しい。
あるいはインゲニムウスの他に神がいた時代があり、その『他の神』を指して『魔王』と称していたのかもしれないが、どのみち、復活はありえなさそうな話である。
「先日出た『魔王』は七つの都市を滅ぼし、七万人の人間を喰らったと喧伝されています」
「実際には?」
「せいぜい村が七つ、という具合でしょうか。……まぁ、事実だけ並べてしまうと大したことのない相手にも思えますがね。間違いなく脅威ですし、村七つの人々のことを思えば、悪です。これに『神との戦いを経た』──ああ、この要素についても補足がいりますか?」
「予想は出来なくもないが、頼んだ方が正確だろう」
「ヴォルフガングさんは、あなたが神を殺した件を、『悪に染まった神が勇者をたぶらかし、人類の脅威となろうとしていた』というふうに語ることにしたのです。それで、王宮の軍の出兵も、そもそも『悪しき神を倒すためのものだった』というイメージを作ろうとしています」
「……」
「ちなみにあなたのやらかしたことのほとんども、『神の仕業』になっていますよ。そういう悪しき神を倒すため、『神殺し』を味方に引き入れ、王宮の軍は戦ったのです」
「……あの人は、俺が帰れるように気遣ってくれたのか」
ディのやらかしは『王宮からの召喚状を無視し、連行しに来た王宮軍を蹴散らし、勇者と神を殺した』というものだ。
これは大罪である。ただし、現場を出れば情報などふわふわと、面白おかしくしか広がらない。
『よくわからん無能冒険者がわけのわからん活躍をして勇者と神を斬った』よりも、『悪しき神に対抗するために王軍は立ち上がった! 教会を騙し、勇者を操り、雷を落とし甚大な被害をもたらす神に、激闘の末、勝利したのだ』の方が、プロパガンダとしても、サーガとしてもわかりやすい。
だからもちろん、そういう『王宮を強め、教会を弱める』狙いがあったことは充分にわかる。
その中で『神殺し』という名は神託が降っているのであちこちに知れ渡っている。この名をもみ消すことは不可能なので、いっそ『神を悪に、神殺しを正義に』というカバーストーリーを作ってしまえ──というのはまあ、ある程度、ディへの気遣いがあってのことではあるのだろう。
「……そういうわけで、『神との戦いを経た』ヴォルフガング将軍直下の兵たちが挑んだのですが、これが苦戦しましてね。将軍当人は『いいとこなしだな』などと笑っていましたが──今振り返ればまあ、笑うしかない話、という程度で済みますが。間違いなく現状最高戦力が、大きな被害を出しつつ、勝利まではいかない相手ではありました」
「それを倒した者がいると」
「……最初はあなたかと思ったんですがね」
「俺ではないな。……そして、『魔王』を倒した者に、教会が目をつけ、宣伝し、現人神に、という具合か。……まあ、生活に教会は必要だしな。教育とか、街同士のつながりとか、そういう。あとは孤児院も教会がやっているわけだし」
「……」
「神を失って力をなくしかけた教会が、新しい神を祀り上げて機能不全に陥ることを避けた。これで教会は維持できる。だが、所詮は『強いだけ』だ。以前のような超越的な存在でもないし、教会の力は間違いなくそがれるだろう──という話ではないから、あの『閑散としたギルド』の状態があるわけだ」
「ええ。……そして同時に、我ら冒険者ギルドが教会を警戒し、王宮が強硬手段に出られない理由も、その『閑散としたギルド』にあります」
「教会はどういうことをしている?」
「『現人神』の意向を受け、そのあたりを歩いている者を問答無用で逮捕しています」
ディはしばらく言葉に詰まった。
あまりにもあり得ない情報が急に耳に入って来たもので、しばし言葉を見つけられなかったのだ。
「……『逮捕権』は教会にはないと思うが」
「ないんです。しかし、教会は……法ではなく、もちろん聖典にある『神の法』でもなく、気まぐれ、あるいは『連中の気分次第』としか思えない理由で人を襲っては、捕まえています。冒険者たちもやられていて、あの『閑散』につながっています」
「ギルドと王宮が抗議する大義名分としては充分なように思う」
「そうですね。逮捕された者や、その近縁の者が被害を訴えているなら」
「……どういうことだ?」
ギルド長が両肘をテーブルに乗せ、顔の前で手を組む。
威圧感が増したのは、彼が『教会』のやっていることを苦々しく、怒りを以て受け止めているせいだろう。
「……『洗脳』としか思えないことを、されています」
「……」
「教会の新しい『神』は、地上にあって強い力を奮い──接触した者を洗脳としか思えない手段で信者へと変えてしまう。まさしく『神』としか呼べない、そういう存在なんですよ」