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第77話 手

「それにしても人間の視点に立ってみれば、ディ様が『大きく』見えますね」


 ディから見た現在のイリス──


『神』ではない。


 何か明確な定義とか条件があるなどの話ではない。

 強いて言えば『圧』がない。ただ存在するだけで周囲を──人だけではなく、自然や時空間まで震わすほどの神々しさ。それが今のイリスにはない。


 イリスはディの前でくるりと一回転して、たずねる。


「どうでしょうか。神々しさというものを脱ぎ捨ててディ様の前に出るのですから、それなりに頑張って仕上げた姿なのですけれど」

「調子が狂う。今のお前はただの美しい女だ」

「まぁ……!」


 女神イリスは喜ぶが、ディの言葉は決して褒めているだけのものではない。


「どうにも口ぶりから言って相手は『神』なのだろう? 俺抜きでもやるようなことを言っていたが、俺抜きの場合、その状態でどうにか出来たようには思われないな」


 女神イリスはがっくりと肩を落とし、「ディ様はそういうお方ですよね」とつぶやいた。

 ディは首をかしげる。


「神の世界的にも『事件』と認定する何かが起こっているのだろう? 戦えるかどうかを心配するのはそれほど的外れではないと思う。そういう意味で、今のお前は『ただの美しい女』だ。どう戦う?」

「……この状態は確かに、ただの人間の娘同然です。最重要なのは、『その時が来るまで、神と気付かれないこと』ですから」

「『その時』とは」

「もちろん、不正なる神──『邪神』を倒す時まで、ですよ」


 いつもの超然とした、あるいは愛にのみ狂ったイリスを知っているだけに、今のイリスの一喜一憂する様子、そして『倒す』と述べた時にわずかに漏れ出す敵意や殺気などは、ディにとって新鮮だった。


(本当に『ただの美しい女』だな……)


 戦闘能力以上に、感情の表現の仕方、そもそも、『感情の種類』に至るまで、人間のようにしか思われなかった。


「で、その『邪神』とは?」


 ……ただの人間のようにしか思われないが、イリスの圧──神の圧力とは別の、恋する乙女の圧──みたいなものがやっぱり苦手で、ディは話を進めたがる。

 そこでイリスが『ほっぺたをふくらませる』というわかりやすい感情表現をしたので、調子が狂う。


「あの、二人きりなのですから、もう少し何かありませんか?」

「『何か』と言われても、こんな場所ではな」


 こんな場所──

 冒険者ギルドの裏手にある薄暗い場所である。


 さすがにイリスを前にして惚けていたとはいえ、ギルド長やアンネの前でするべき話でもなさそうなので、場所を移したのだった。

 だがしかし、ギルド長を惚けさせておいて『勝手に奥にある他の部屋を借りますね』というわけにもいかなかったので、『冒険者同士の内緒話』のためによく使われている建物裏の場所へと連れ込んだわけである。


 ……なお、『冒険者同士の内緒話』の中には、男女のあれこれも含まれる。

 そして冒険者同士がギルドの裏手でする話はだいたい痴情のもつれである。

 勇者アーノルドの関係でそういう話を聞かされたり、そういう話をしてくる相手への『お前面倒だからやっとけよ』を引き受けたりしていたディは、この場所で女性と話すことに嫌な思い出がありすぎるため、このような場所で女性と会話する時間は一刻も早く終わらせたいものであった。

 かつての自分ならばその『苦境』も喜んで受け入れただろうが、これはもう、紛れもなく『しなくていい努力』だと今は思える。


「では、このような場所でなければいい──ということで」

「そうは言ってな──」

「異世界転移者、という概念についてご存じですか?」


 望んだ本題が来た。

 微妙に望まないタイミングではあったが。


 ともあれディは話の続きを促すために、「想像はつくが説明が欲しい」と応じた。

 イリスは笑顔でうなずく。……距離が『普通に会話する』より半歩は近い。


「文字通り、異なる世界から、異なる世界へ渡る者を指します。これは基本的に『魂の救済』であり、『何かを成すべき魂ではあったけれど、その世界には、その魂の適した可能性が存在しなかった』──ようするに『不遇を背負った魂』であったり、『見るべきほどの才覚はないけれど、とにかく善行を積んだので、来世にそのまま向かわせただけでは報いきれない善行分を二度目の人生で報いる』、ようするに『善人の魂』であったり、そういうものに、特典を与えて魂を渡らせます」

「ふむ」

「基本的には『転移』なので、死した年齢・肉体のまま別世界へ渡ることになりますが──重要なのは、『不遇である』『善人である』という条件を達成している者に特典を与えること、であり、その『特典を与えるべきかどうか』の審査はかなり厳正に行われます」

「ということはつまり、俺も不正転移者か?」

「なのでわたくしが捕まえようとしています」

「……大義名分があったのか」

「大義名分もなしに仕事を放りだせません──まあ、放り出してはいないのですけれど。この瞬間にも、引き続き仕事を行っています」


 分身、というより『同時偏在』なのだろうというのをディは理解した。

 神はあまねくすべてを見ておられる。ディはその視線から一時的に隠れることも出来るが。


「……ですがディ様の重要度はそこまで高くありません。なぜならあなたは『特典』を得ていない」

「『異界渡り』は──」

「それはわたくしの関知しない力ではありますが、不正にもぎとった力ではありません」

「わかるのか」

「平らな地平……床を想像してください。人の魂は滑らかな平らな床です。そこが一部『ぼこり』と膨らんでいれば一見してすぐにわかります。『特典のある、ない』はそういうように、感覚ですぐにわかるものなのです」

「ふむ。……気になることもあるが、本題ではないな」

「……わたくしではない誰かに『特典』を与えられ転移した者。そして、それを行った邪神がいる。わたくしは、わたくしの権能を不敬にも真似る邪神を滅する必要があるのです」

「……話が読めて来た。つまり──教会にいる『現人神あらひとがみ』は……」

「……」

「『不正転移者』の方か」

「よくおわかりになりましたね」


 イリスの驚きは、『現人神』が『権能を不正に真似る神』と言われるだろうという想像ありきのものだった。

 ディは「まあな」と仏頂面のまま応じる。


「これは感覚的というか、経験則的なものだが、現人神が神そのものだとすると、動きが派手すぎる。なんというのかな……神は人間社会に直接は力をかけないというのか、人間を一人挟む癖のようなものが存在すると思える」

「癖というよりも、『通例』であり『マナー』ですね。我々の力はふるえば容易く世界を破壊します。この世界もかつて、自然神が乱立し、破壊されかけていました。初代勇者と女神インゲニムウスがどうにかしたようですが……その事件を経て、我々は人から『神を生み出す権能』を切除するに至ったのです」

「まぁ自然現象は確かに、それだけで信仰を集める。ようするに、『強いものには神を見出す』ということか」

「現在の『現人神』の神聖視の背景には、強さがあります。ディ様に協力をお願いしたいのは、こちらへの対処です」

「つまり、『倒せ』と」

「お気に召しませんか?」

「いや、シンプルでいい」

「……わたくしは、『神』が出てくるまで、人間に擬態します。そして、『神』が出れば──神として対処しますが。それは相手にとどめを刺す時です。それまでは可能な限り、人間のままでいるつもりです」

「相手の神に気付かれるのを避けるためか」

「加えて、この世界を破壊しないためです。わたくしがわたくしのまま闊歩すれば、簡単に壊れます」

「ふむ。神は基本的にはそういう方針なのだったか」

「ディ様の実家ですので。結婚の際には実家にごあいさつに伺うものなのでしょう? さすがにその実家を破壊するのは……」

「………………何かが間違っているような気がするのだが、うまく指摘できないな。あと、俺の、いわゆる『両親』はいない。育った孤児院も、先生が変わってからは手紙の一つもやってない」

「では無許可でディ様をいただけるということですか!?」

「いや、俺の許可がいる」

「ではこのたびの戦いでいいところをたくさんご覧に入れましょう。そういえばわたくしの容姿はディ様にとって『美しい』という──」

「二つ確認したい」


 近寄ってくるイリスを押しとどめるように、ディは人差し指と中指を立てた手を突き出した。

 踏み込みかけていたイリスは「なんでしょう」とちょっと残念そうに言う。


「まず一つ。『神』の居所はつかめていないのが現状、ということでいいか?」

「ええ。恐らくこの『界』にはおりません。不正転移者を少々痛めつければ出て来るでしょう」

「……そういうものなのか」

「その邪神は、迷惑な性質を持っているようでして。誰かを転移させれば、その活動を後ろでじっと見守り……ダメとなれば、滅してしまうようです」

「……」

「短期間で大量に不正転移をさせず、一人一人じっくり丁寧に不正転移させ、観察した。……『だから気付けなかった』というのは言い訳になりますが」

「……いや」

「わたくしをはじめ、他の神々に気付かれない──これは隠形技術だけを見てもかなりのものです。加えて、時空間をまたぎ、ヒトに『特典』を与える。これは、わたくしと同格の権能です」

「……」

「神の失態ゆえに、わたくしが単独で当たるべき相手だというのを、申し上げておきます。その上で……お手伝いいただけますか?」

「君は全方位にしつこいな。だがこういうのははっきり答えるべきか」


 ディはため息をつき、


「俺は、この世界が好きだ。……これまで渡った世界はどれも、好きになれる場所だった。だが、世界を渡ることで、故郷というものがなんなのか──村の孤児院を出てからここで冒険者をやっていた時にはまったくわからなかった、その気持ちがわかり始めて来た」

「……」

「ここは俺の『実家』だ。よくわからないヤツが入り込んでるなら、叩き出さなければいられない。両親はいないが、家族と呼んでもいいであろう仲間はいるし、その仲間にも被害が出ている。……捨て置けない。これは神の事件というだけではなく、俺の事件でもあるんだ」

「素敵です」

「君からの美辞麗句で一番真実がこもっているように感じた」

「いつでも真実ですが、今回は特に素敵です。……ディ様の実家を守るため、わたくしも力を尽くします。どうか──この世界を守りましょう、二人で」


 イリスが手を差し出してくる。


『手を届かせる者』──


 ディは最初の最初から、その『手』に嫌な予感を覚え、決して触れないようにしてきた。

 だが、


「ああ、よろしく頼む」


 迷いなく、手を取る。


 かくして、人と神は手を結んだ。

 世界を『守る』ために。

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