調査。
ディは当然ながら専門家ではない。
ダンジョンに入る時には
また、ディの『パーティメンバー』……人間に擬態したイリスもまた、街での情報調査の方法など知らない。
神というのは全知ではないし、全能でもないのだ。ましてそれが人間に擬態している状態ともなればなおさらである。
……とりあえず街に出てみてからすぐに冒険者ギルドに戻った二人が、そんなふうに『情報収集のやり方がわからんぞ。困った』『困りました』という会話をしていたからだろう。
少なくともディの視点では、『親切にも』、困っている自分たちに手伝いを申し出てくれる人がいた。
受付嬢のアンネである。
「あの、よろしければ、お手伝いしましょうか?」
その表情がずいぶん決意を秘めたものであったので、ディは親切心からこう応じることになる。
「いや。その顔を見るに、ずいぶん危険なのだろう? だったら俺たちだけでやった方がいいと思う」
これも当然の話なのだが、受付嬢というのは事務方であり接客業である。
冒険者ギルドは組織の形態から冒険者出身の職員というのも少なからずいるが、一方で街の人の就職口の一つでもあり、『職員として入った職員』もいる。受付嬢アンネはそのパターンだった。つまり、荒事に慣れていない。
だからディは危険から彼女を遠ざけようと思っていったんは手伝いを断ったのだが、
「いえ。お手伝いを、します」
「しかし」
「します、お手伝いを」
「……」
「します」
「…………わかった」
という感じで、泣き出す寸前の子供を思わせる迫力を醸し出されてしまったので、押し切られてしまった。
その様子はディから見れば『危険なのはわかっているけれど、自分でも何かしたくてたまらないんだろうな』と映った。その決意、そして努力をしたいという気持ちをディはフイにすることが出来なかったのだ。
加えて言えば、街はそこまで危険でもない──少なくとも『物陰からいきなり殺す気の攻撃が来る』といったたぐいの危険性はないものと判断していた。
話によれば教会は『集団で来て因縁をつける』といった工程を踏むとのことだし、冒険者ギルドやその他屋内には無理に押し入っても来ないということなのだ。だから連中はおおっぴらな『犯罪行為』をするつもりはないのだろうと予想がついた。
つまりいざとなれば『受付嬢を抱えて走って逃げられる』というわけだ。
ディの考えはこのようなものであったが、受付嬢の目的はもちろん違う。
……教会に起きている異常を調査・解決したいという気持ちはある。あるが、それ以外にも、『ディが生きようとする理由のうち一つになる』という目的がある。彼女が浮かべている必死さ、覚悟した様子はむしろ、危険な街へ繰り出すことへの覚悟ではなく、ディに声をかけていい感じになろうという行為を始めるための覚悟であった。
かくのごとくすれ違う二人を見つつ──
イリスは思う。
(何か不愉快なことが裏で起こっていますね……)
神は全知ではないが、恋する乙女は時に予知や読心術を使う。
かくして三人での『街の調査』が始まった。
◆
セヴァース王国というのはセヴァース大陸にある中でもっとも広い王国──というより、大陸の名のもととなった超巨大国家である。
この国家は大陸でもっとも大きく、もっとも栄えており、もっとも歴史がある。
『勇者』から──まだ女神インゲニムウスが生きていたころ、
……最初は『勇者の仲間の癒し手』が始めた弱者救済のための組織が『教会』であったらしい。
ところが時を経るごとに教会は王宮と権力を二分、特に民の間では王宮よりも深く根を張る組織になってしまった。
初代同士であればそのように同格でもよかったのかもしれないが、時を経て王宮と教会のトップに初代同士のような関係性がなくなってしまうと、『同じ国の中に二人の王様がいる』という状態になってしまい、互いにとって都合が悪い状況に変化していった。
しかし王侯貴族が『領土』に根差す存在であるのに対し、教会も土地はあるが基本的に『信仰』に根差す存在である。
『二人の王様が同じ国にいるのはよろしくないので、土地の一部を割譲して国を二つに分けましょう』などという展開にはならなかった。
結果として土地を持ち税をとる王侯貴族と、その土地の中で教育や冠婚葬祭などを司る教会が、同じような権力を持って、同じ土地の中で奇妙な共存をするという状況が長く続いていた。
ではその栄えた王国の王都に近いこの街で、土地の中にいる教会の勢力が弱まった状況というのは、どういうことになるのか?
その答えは、
「……教会の周囲だけやたらとさびれているな」
ディたちはとりあえず現在の教会の様子を見に来ているところだった。
初手で相手の本丸を見学に来るというのは思い切りが良すぎるのだが、現在の状況が一発でわかる場所が他にはないので、受付嬢アンネも反対しきれず、ディとイリスを伴って遠巻きに教会を眺める羽目になっているのだった。
このあたりは、というよりこの街は石畳敷であり、建物も石が多い。
多くの建物は一階建て、多くとも二階建てのものなのだが、いわゆる『貧民区画』には五階建ての
ようするに、物陰が多い。
教会のある区画はまさにそういう貧民区画である。そもそも教会というのが『金がなくて教育を受けられず、食うに困るような人たち支援』という大義名分を背負っているから、基本的には教会は貧民区画に建てられるし、教会の周囲には貧民が集う。
……ところで大きな街はたいてい教会一つでは教育の場所、炊き出しの場所として足りないので、複数の教会が設置されるのが普通だ。
この街にも合計で五つの教会があり、うち一つだけが貧民区画にあり、他の四つのうち三つは目抜き通り沿いのいい場所で、もっとも大きな『この街の本部』と呼べる場所は貴族たちの住まう場所にある。
大義名分は弱者救済なのだが、高位の神官は貴族並みの暮らしをし、貴族たちとよく交わっている。
貧民区画にある教会というのは『大義名分は果たしてますよというアリバイのための教会』という側面が強く、通常、ここには勤続年数が短く後ろ盾もない神官が『教会としての義務を果たすため』に放り込まれる。
だが……
「ここが『
いわゆる『現人神』は一つの街にずっといるわけではないらしく、さらに言えば、行く街でもっともさびれた教会を寝床としているという。
アンネがうなずく。
「ただ、今はいませんね」
「アンネにもわかるのか」
「この時間はたいていダンジョンに入っているはずです」
「……冒険者の出身なのか?」
「いえ、出身というか……冒険者みたいなことを自主的にしていると言いますか……ギルドは通してないんですけど、本人の自認はどうにも冒険者のような様子というか……」
「趣味でダンジョン籠りをしている?」
「……そうなりますかね」
不思議な話だった。
ダンジョンというのは『鉱山』である。
一応『モンスターどもを間引く』ということもあるのだが、基本的に、そこへ行くのは金のためだ。
しかし……
「ギルドを通さないでダンジョンに行っても換金が出来ないだろう?」
「ええ、換金はしていないみたいです。とった素材はそのまま教会に渡しているとのことで……」
「……まぁ、教会であれば素材を金に換える伝手ぐらいはありそうだが」
「王宮から禁止されているので、まともな取引相手はいないと思います。……まぁ、まともでないルートはあるのかもしれませんけど、大してお金にならないというか……安く買いたたかれて高く売られるというか……ギルドの迷惑にしかならないと思います。少なくとも、まともに冒険者をやる方がいいかと」
「ふむ……? わからないな。現人神は何がしたい?」
「そこが不明なので不気味なんですよね。……『洗脳』の件も、現人神の仕業……だとは思うんですけど。そもそも『洗脳』なんていう御伽噺みたいな技術が本当にあるのかどうかも含めて、何もわからないんですよ」
「ところで、このあたりはなぜ、これほどさびれている? このあたりに住んでいた者たちはどうしたんだ?」
「教会に代わって王宮が精神的支柱になった──王宮主導で炊き出しや教育などが行われるようになったので、そちらの方へまとめて引っ越したのだと思いますよ」
「……ノウハウはあるのか」
「教会と心中する神官ばかりではないということです」
つまり、教会が落ち目と見て、教会でしていたことのノウハウを知っている自分を王宮に売り込んだ『元神官』が大量にいる、ということだ。
……むしろ教会を潰そうと思う王宮が、そういう人材に声をかけて引き抜いたのかもしれない。
ディにはさっぱりな世界の話だが、ともあれそれはそれで『戦い』があった──ということなのだろう。
「……しかし、『ここに現人神がいる』という話だが、現人神の求心力はそこまででもないのか?」
「いえ。恐らく中にいます」
「……人がたくさんいる気配は……まぁ、あるな。確かに。しかし……」
ディはそこで言葉を探す羽目になった。
ここの教会はそこまで広いものでもない。収容人数はせいぜいぎっしり詰めて三十名ぐらいだろうか? 中で暮らすとなるともう少し少ないかもしれない。
一階建ての建物であり、屋根には女神インゲニムウスの像──剣と盾を備えた木造があり、その像も半ば朽ちている。
どこにでもある『貧民区画の教会』だ。ディが育った場所もおおむねこういう雰囲気だった。
だが、何かがおかしい。
それは……
「ああ、そうか。静かすぎる。人がいる気配は確かにあるが、静かすぎるんだ。ざわめきどころか、衣擦れの音一つしない。……中で何をしてるんだ?」
「基本的な業務……掃除や洗濯などをするほかには、ずっと祈っているようです」
「そこの情報はあるのか」
「ええ。正気だったころの人に教えてもらった情報です。……ずっと祈っているんです。文字通り。床に膝をついて、ずっと。眠るでもなく、遊ぶでもなく、しゃべるでもなく、時間が許す限り、ずっと。静かに、熱心に」
「……」
「『不気味だった』という話をされていますが……ああして静かな教会の中で、集団がそうやって祈っていると想像すると……不気味どころじゃなくて、怖い、ですね」
暇さえあれば熱心に祈るのは『立派な神官』だと思う。だがしかし、『立派』は『希少』という意味でもある。
ここに集う全員がその『希少な神官』であるのだ。現人神の求心力が高いな、という話で終わらせられない座りの悪さがあった。
「……ここで得られる情報はないな。まだ、『現人神』に対する解像度が足りない」
何がなんだか、わからない。
転移者であるらしい。強いらしい。イリスに曰く『特典』を得ているらしい。
恐らく『洗脳』に類似した力がある? 彼が入ってから教会が不気味な勧誘活動を始めたようだから、現人神主導でやらせている可能性がある?
冒険者みたいなことをしているらしい。だが冒険者登録はせず、気ままにダンジョンに潜り、素材は教会に渡しているらしい。
「……全体的に、『なんのために?』というあたりが推測できないんだ。目的も個性もわからない。なぜ、そんなことをしているのか──というのがわかる情報が一つもない。確かに不気味だ」
「……あまり長くとどまると危ないかもしれません。情報収集をするだけなら、他の場所でしましょう。……一目見て、我々の感じている空気もわかっていただけたようですし」
「ああ。……思ったより複雑な問題かもしれない」
ディとアンネが二人で深刻な顔をしている横で、イリスが「どうでしょうね」と首をかしげる。
二人の注目を浴びた美しい女は、にっこりと微笑んで語る。
「これまで『こういう人』──」転移者のことだ。「──をそれなりの数見てきましたけれど、恐らくですが、本人はそこまで深く考えてではなく、ただ単に『気が向いた、やりたいこと』をやっているだけなんじゃないですかね」
「どういう意味だ?」
「言葉のままですよ。力がある者が、別な土地で新しい人生を手に入れたら、力を下地にやりたいことをやるものです。そうして世界には刺激が与えられる」
「……」
「ディ様も覚えがあるでしょう?」
「まぁ、ないとは言わない」
気まま。
言われてみればディ自身の行動も気ままではあった。
ただしディには、目の前の女──『女神イリス』という脅威が常に背後から迫り続けている状況があり、そのために『強さ』を欲しているという事情があり、それゆえの目的意識があった。
一応はその目的意識が行動の軸になっていたが、確かに『力を下地に気ままな振る舞いをした』とも言えた。特に直前までいた世界でのナボコフとの戦いなどは、必須ではなかった。あれは『したかったからしたこと』だ。
「……ちなみに、『現人神』に与えられた『特典』についてはわかるか?」
「隠し事はいたしません。存在の違和感、世界の雰囲気から特典を与えられていることはわかりますが、その内容までは」
「ふむ」
「推測も難しいですね。特典は本当に多種多様ですから。それに……わたくしが決めている『基準』に即しているとは限りませんし。何せ、相手は『不正』であり、『邪神』なのですから」
「邪神と、それが特典を与えた現人神、か」
ディは教会に視線をやった。
……先ほどより解像度が上がり、先ほどより不気味な建物に見える。
「……行くか。やっぱり、もう少し情報が欲しい。特に、『現人神』の
ディは教会に背を向け、歩き出す。
……目的も推測出来ない相手というのの不気味さが、ディに教会を振り返らせた。
変わらずそこにある、木造の建物……
しかし経年により輪郭のとろけた女神像が、気味悪く、おぞましいもののように見えた。
◆
『現人神』の足跡。
彼は基本的に教会にこもっているわけではなく、街にはよく顔を出すらしい。
そしてその人格は朗らかで優れていた。
「教会の連中は不気味だし、傲慢だけど、当の現人神様は立派なお方だねぇ」
というのが、現人神とかかわった者たちの見解をまとめたものである。
例の『洗脳』の影響もあるかもしれないが、受付嬢アンネから見れば、現人神に好意的な者たちはそういった様子にも思われないらしい。
話をより詳細に聞いていけば、現人神はふらりと街で買い物をしたり、老人を助けたり、困っている人がいるとその悩みを解決しようと協力したりと、とにかく『いい人』であることがわかるエピソードばかりが転がっている。
だが、
「でもねぇ、現人神様にお礼を言いに教会に行くと、帰ってこないんだよ。……そこが不気味でな」
わからない。
現人神本人には好意的な人々だが、教会には否定的だ。
話だけ聞いていると、現人神と教会と、別々の意思で動いているかのような感覚を覚える。
それは、教会に否定的なことを現人神に言うと、現人神の口から謝罪がある、という話を聞いて、ますます深まる想いだった。
「本当に、何がしたいのかまったくわからない。……情報を集めれば集めるほど、『気まま』という表現しかあてはめるものがない」
いい人、ではあるのだろう。
むしろ話を聞いていくと、気ままに振る舞ういい人である現人神を、教会が囲って利用している構図に見える。
洗脳という魔法はない。だが、そもそも、魔法というのは『才能を与えし者』インゲニムウスに魔法使いの才能を与えられた者が脳内に浮かべるものであり、技術的に体系化されたものではない。
この『洗脳という魔法はない』というのも、過去の膨大な数の魔法使いからの聞き取りをまとめた目録からの分析であり、新たに洗脳魔法というのを編み出した人がいない、とまでは言えないのだ。
だから『教会』と『現人神』とは分けて考えるべきであり、今回、連れ去りだの洗脳だのをしているのはあくまでも教会で、現人神は無関係ととることも出来そうだが……
「ディ様にならば、わかるでしょう? 転移者というのは、異なる価値基準で生き、文明に多大な影響を与える力を持った者なのですよ」
街でクレープ(薄い生地に肉類を挟んだ食事)を食べながら、イリスが言う。
口の端にソースがついているのは、普通であれば食べ方が下手だなと思うところだが、この女がやると魅力的な愛嬌に昇華する。
「現人神が善なのか悪なのか、という基準に意味はありませんよ。『悪事らしいことをしていないから、もしかしたら無関係で、利用されているだけなんじゃないのか?』。……もちろんそういう可能性も否定はしません。けれど、常識の差異者である転移者というのは、こちらから見て『善』にしか思えない心根のまま、こちらから見て『悪』を働くことがあります」
「裏表があるとか、利害などでからめとられて心にもない行動をとらねばならないとかではなく──『そのまま』善も悪も働く、ということか」
「というより、ヒトはみなそうなのでは?」
「……かもしれない」
「その差異が、現地世界の民から見れば想像もつかないほど大きく見えるのが転移者という生き物の特徴です」
「……なるほど」
その視点を与えられてみると、ディも異世界において周囲の反応がやたら大きくてびっくりした記憶がよみがえる。あれは、ディの中では筋の通った行動だったが、世界の人たちにとっては『急に人格が変わった!?』と思うほどの、なんらかの基準において『同じ者がとりえない行動』だったのかもしれない。
「調べれば調べるほどわけのわからない存在だが……まぁ、名前がわかっただけでもよしとするか」
ディは増え続ける謎を頭の中で解き明かすことをいったんやめて、腕を組む。
そして、現人神の名前を──『敵』なのか『味方』なのか、わからない者の名を、つぶやく。
「タカシ・カナド。……異世界転移者、か」
外なる世界からの来訪者は、そういう名だった。