「とはいえ、調べられそうなことももうない。ただ『待つ』と言われてもどうしたらいいのか」
冒険者ギルド──
ディが腕を組んで悩んでいる。
『待つ』。
苦手だ。
ディはそもそも『待つ』ことをしない。なぜなら人生には必ずタスクがあったからだ。
勇者パーティ時代は勇者アーノルドの尻ぬぐいに駆けずり回り、ダンジョンにおいては勇者パーティにいない役割をなんでもこなした。
それに平行して『鍛錬』もしていた──魔法使いの才能がないにもかかわらず、魔法を使って、魔力切れでぶっ倒れるというのを繰り返す、みたいな行為だ。
日の睡眠時間は平均で三時間ほど。それ以外に『余暇』と呼べる時間はなく、その三時間も最低限必要だから無理にひねり出した時間であった。
シシノミハシラにおいても、常に肉をさがしてうろついていたし、直前までいた滅びかけたあの世界においても、休憩と呼べるほどまとまった時間はなかった。戦い以外の時間は街を作ったり、部下に訓練を施したりしていたからだ。
そしてこの『待つ』は、『じゃあちょっとダンジョンに行ってくる』ということが許されるタイプの『待つ』ではない。
何かが起こる。何かが起これば行動が開始される。だから、待機しておかねばならない。そういう『待つ』だ。
「……苦手な時間だ」
ディは目を閉じ、考え込んでしまう。
そこに、受付嬢アンネが勢い込んで声をかけた。
「あの! でしたら……少し、私と出かけませんか?」
その発言と同時にギルド内にいた酔っ払いたちがニヤニヤ笑いながらアンネへ視線を向け、ディの隣に座るイリスがぴくりと
ディは目を開き、「出かける?」と首をかしげる。
「出かけると言っても、もう調査するような場所はないように思うが」
「調査ではなくってですね……その……出かけるんです。目的もなく」
「目的もないのに出かけるのか。……何をしに?」
「いえですから、目的がないので、何をしにということもないんですが……」
「そうか……しかし……どういう目的で……いや、目的はないのか」
「………………」
ディがとてつもなく悩んでいるのを見て、人の少ないギルドの中に緊張が走り始めた。
なぜか?
それは、ギルドの中の者らが、こういう事実に気付いたからである。
『まさか、ディ、あいつ──
──何の目的もなく街をぶらついたことが一度もないのか!?』
ここは王都にも近い結構栄えた街である。見て回ればそれなりには楽しい。
冒険者も常に冒険だけしているわけではない──というかほとんどの人は常に己の仕事に打ち込んでいるということもないので、余暇という概念はある。
だが冒険者は金はないので、街あたりをぶらつくのがメインの娯楽となっていた。
つまり『目的もなく街をぶらつく』というのは、冒険者であれば誰でもやっていることではあるのだ。
それが一切理解できない。そういう選択肢が人生の中に一度も生じたことがなかったという態度……
それは戦慄と緊張を生んだ。
ましてディは『あの』勇者パーティで雑用をやらされていたことが冒険者内では周知されている。
つまりここで走った緊張は、『冒険者として当たり前に行う〝暇つぶし〟さえやる時間がなかったのか、お前』という、想像の三段階ぐらい上のブラックな過去がようやく周囲に実感されたゆえのものであった。
空気が気まずいというレベルではなくなってくる。
受付嬢アンネは自分の誘いがとんでもない暗闇をディの中から引き出したことに気付いてひるんだが、ここで『あ、じゃあ、なんでもないです……』と引き下がるわけにもいかない。
むしろこの空気だからこそ引き下がれない。ディには必要なのだ、生きる楽しみとかそういうのが。
「ディさん、あの! だったら私が──」
「これは質問なのだが」
「──なんでしょう」
「現在の状況で目的なく歩く──『ぶらつく』という行為をすると、そのまま流れで『突っ込む』ことになりかねないように思うのだが」
「……」
「俺はあまり認知されていないが、教会のことを探った者として、俺たちの存在はそろそろ教会にも認知されていると思う。であれば『勧誘』が俺たちを探してうろついているかもしれないし、教会の者が俺を発見すれば、さすがに『神殺し』の件がバレると思う。その場合、教会は俺を倒そうと兵力を集め出す可能性が高いし、公式には指名手配中だから、王宮も兵を出さないわけにはいかないだろう。完全に教会からの要請を蹴ることが出来るならば、そもそも俺の指名手配を外している可能性が高そうだからな」
「………………」
「そういう状況で目的もなくぶらつくというのは、やはりなんらかのメリットが必要になると思われる。何か、目的はなくとも、利点はあるのだろうか?」
「…………………………アリマセン」
「いや、説明出来ないが利点があると言うならばそれでもいいのだが、さすがに読めなくてな」
「……ゴメンナサイ」
そう、現在──
デートとかしている場合ではないのだ。
受付嬢アンネが目の光を消して謝るので、ディは困惑してしまう。
「いや、何かのための提案ではあったのだろう? 俺にはわからないので、出来れば意図を知りたい。頭ごなしに否定するつもりはないんだ」
頭ごなしというか論理的過ぎて反論の余地がなかった。
アンネもアンネで『それでも行こう!』と言えるほどの使命感はない。ディの語ったデメリットを完全無視出来るほどの事情はなく、成果も見込めず、第一、アンネ自身の自己評価として、『ディさんは私と出歩いてもそんなに楽しくなさそうだけれど、少しでも気分が楽になってくれたら……』ぐらいのものだ。
『教会と正面衝突が始まる可能性がありますが……行こう!』とは言えない。さすがに。
「イエ、ナンデモナイデス……」
受付嬢はしゅんとして縮こまるしかなかった。
そこに、意外な人物が声をかけてくる。
相変わらずディの隣、拳一つ分もない近くに椅子を移動させて座っているイリスだ。
「ディ様のおっしゃる通り、次にディ様が見つかれば、教会は行動に出る可能性が高いでしょうね。……このギルドの閑散ぶりを見る限り」
冒険者ギルド。
にぎわっている時には五十人ほどでごった返す一階食堂スペースも、今は目視でさっと数えられるほどしか人がいない。
職員にさえも見当たらない者がいる。
……ディがこの世界に戻った当初より、人が減っているのだ。
「ねぇ、ディ様。教会の下っ端の独断……つまらない逆恨みの意趣返しとか、そういったものでの引き抜きかと思いましたが、街の様子と見比べても、明らかに『冒険者』を狙って引き抜いています。冒険者のみなさまは、この世界における『フリーの戦力』でしょう? 教会は蜂起の準備を整えているものと考えられますが、いかがでしょう?」
イリスが視線を向ける先はディだ。
ディは、腕を組んでうなずく。
「これは大規模すぎて通常ありえないが、一種の『調略』だ。『こちら』の戦力を減らして『あちら』の戦力を増やす。しかも、裏切る心配がない方法でだ。……つまり」
「『こちら』に仕掛ける気──まあ、感情的にも、冒険者ギルドにいいものは抱いていないでしょうね。例の
「ダンジョンに潜って素材を得ていたのも、それを教会に収めていたのも、『第二の冒険者ギルド』の役割を負う練習だと思えばわかる。多くの冒険者を引き抜いたのも、単純戦力としてではなく、『冒険者』としての役割も見込んでだと思えば、さらに理に適っているな」
そこでディはギルドの入口へ視線をやり、
「あんたもそう思うだろう?」
問いかける。
……そこにいた人物は、大柄で、『生成りの粗末で丈夫なシャツ』を着た男だった。
古傷が幾重にも重なった分厚い手、太い筋肉を備えた、やはり古傷のある前腕。
盛り上がった僧帽筋を上に動かし、肩をすくめて、
「『こっそり近づいて、いいところで話に混ざる』っていうのをやってみたかったんだがなぁ」
「あんたはそれをするにはデカすぎる」
「あいつだってデカいだろう!? ええ、『ギルド長』!」
呼びかけられた男は、ギルドの奥から歩いて来た。
禿頭を撫でながら笑い、
「そもそも『才能』が違いますから。……もはや『
「俺ぁ悲しいぜ。あの日の紅顔の美少年が、今や見る影もないツルッパゲのジジイだ! もっと線の細い感じだったろう、昔は」
「そちらは昔からお変わりないようで。まぁしかし、侯爵位を継いだのですから、もう少し変わった方がいいかと思いますよ。──お待ち申し上げておりました。ヴォルフガングさん」
「応よ」
ヴォルフガングが歩きながら椅子を軽々とさらって、ディの真正面に置き、腰かける。
椅子の座面と脚がたわみ、沈む。
そしてディをまっすぐに見て──
「久しぶりだな、『神殺し』」
ニカリと笑った。