「お、ここの椅子は丈夫だな」
ヴォルフガングを交えて『盗み聞きされない部屋』へと入った。
……ディらが二階にあるこの部屋へと向かった瞬間、階下でちょっとした騒ぎがあった様子だ。
ギルド長もヴォルフガングも何も気にしているそぶりがないのを見るに、ギルドにいた『教会の者』が捕獲されたのだろう。
つまり、ここから先は、『内緒話をしたという情報も漏らしたくない内緒話』の時間になる。
丈夫な椅子に腰かけたヴォルフガングは、ディ、イリス、受付嬢アンネ、そしてギルド長が席に着いたのを確認すると、いきなり本題に入った。
「幼い王子が教会に囚われている。だから王宮は教会に強く出られない」
その話をされて言葉もないほど驚いたのはアンネだった。
言葉もない──というほどではないが、ディも普段のあまり変わらない表情をわずかに動かし、驚きをあらわにする。
「……そういった情報は、俺たちのような平民に言ってもいいのか」
「構うかよ。今さら隠した方が動きにくい。……まぁ、人質ってもな、そもそも、王家は嫡子をしばらく教会にあずけて、そこで修業を積ませる習慣があった。その習慣の最中に神が殺されて今の状況になったもんで、返却を要請したが拒まれてる──ってあたりが真実だ」
「その状況で教会の権勢を弱めるような『宣伝活動』をしたのか」
「おう、俺の独断でな!」
「……」
「ちなみに幼い王子だけじゃなく、同じような『習慣』をしてる貴族はいて、全員が子供の返却を渋られてる」
「……その状況で独断をしたのか」
「国のために命を懸けるのが貴族だろう」
ヴォルフガングは気さくな笑みを消して応じた。
もちろん、わかっている。『その場のノリ』とか、『考え不足』とかではない。
最悪、王子を含む貴族の子女が教会に殺される──それをふまえた上で、ヴォルフガングは断行したのだ。
ただし、
「……だがなぁ、『自分の命は』とまでは思っても、『我が子の命は』というほどに思いきれるやつはいなかったらしい。教会を潰すのが先決だとは思ったが、その活動は俺の独断で最後まで出来るもんじゃあなかった。……一気に潰せりゃ、また違った状況になったとも思うがな。ああ、政治っていうのは面倒くせぇな、本当に」
「そもそも『教会を潰せ』に同意を示されなかったんじゃないか」
「そうだな。それはかなりあった。『神を失った教会など問題ではない。刺激する必要もない。放っておけばそのうち潰れる』──あり得るかよ馬鹿が。ここまで横断的に各領地の民に根を張った集団が自然消滅? 敵は潰せる時に徹底的に潰せ。火種とおんなじだ。消えてるように見えても燃えがらの中で熱を持ってんのさ。水ぶっかけて踏み荒らして、完全に消すまで油断しちゃならねぇよ。……そこがどうにも、伝わらなかった。こいつは俺の政治力不足だ。普通に考えて王宮と権力を二分して人質を『習慣的に』とってる組織なんざ、ここが潰しどころだろうと思ったんだがなあ」
「あんたが頼りになる男だっていうのは伝わった」
「お、見る目あるなぁ、神殺し──ディ」
「それで、方針を聞かせてくれ」
「面倒くせえが、王子を救う。……王子を救うことで、相手に警戒されるとは思うんだがなあ。こいつがいないと、『王宮』と『貴族』が動けん。……それにだ。別に、俺も人命を軽視するわけでもない。必要とあらば懸けるべきだとも思うがな」
ヴォルフガングは冷酷というよりも、時には犠牲を払わないといけない場面があるという『実感』を持っている人、という様子だ。
そこの勘所が普通の貴族にはわからない。だから同意を得られない──ようするに『常識』が違って、話が完全には通じない。危機感を共有できない。だから、彼の思う通りにはならなかったのだろうとディは分析した。
ヴォルフガングが両肘をテーブルに乗せる。
「で、これが『奪還作戦』をとるでっかい理由でもあるんだが……『習慣的に教会に預けられてる貴族の子女』だがな。…………一か所に集められてるらしい」
「……この状況でか。奪還を想定していない──わけではない、よな?」
「例の『
「…………はぁ?」
さすがにディも困惑の声が出る。
学校教育。
学校はある。教育というのの意味もわかる。
ただ、学校はいわゆる『貴族学校』、貴族の子女が交流を深めたり、貴族教育を受けたりする場として存在する。
教会の『異邦人』が出来るような教育などない、はずだが……
「この世界を発展させるために異なる世界の知識を授けてくださってるうんぬんかんぬん……っていうことらしいぜ。俺にはわからんね、現人神サマの高尚なお考えは」
「……」
「わかるのは、『一か所に奪還目標を集めてくれてるなんて、さらいやすくてありがたいな』ってことぐらいだ」
「……まあ、それはそうだな」
「っていう情報のせいでな、『奪還作戦をやろう』っていう決議になったわけだ。それに、お前さんにも協力してほしい」
「わかった」
「……相変わらず交渉しがいのねぇやつだな、お前は」
「ギルドの状況を見ていると、早く行動した方がいいように思えてならない。省けるところは省くべきだと考えている」
「正しい。……ああ、なるほど、だから勇者の野郎もカリカリしてたんだな。お前さんを見てると、自分の人生に無駄なもんが多すぎるように思えて来る。こいつはキツいやつもいるだろう」
「……?」
「いや、くだらねぇことを言った。悪いな。……で、ここにいる全員はついてくると思っていいのか?」
ヴォルフガングが見回す──
その中で真っ先に声をあげたのは、
「わ、私もですか!?」
受付嬢アンネである。
ヴォルフガングは、「あー」と頭を掻き、
「極秘裏の作戦だ。情報漏洩の伝手は一つでも潰しておきたい。お嬢ちゃんに自衛の力がねぇなら、逆についてきた方がいいと思うぜ」
「……」
「私が守ってもいいですよ」
意見を述べるのはギルド長である。
禿頭を撫でて、彼はアンネに視線を向けた。
「アンネさん、どちらでも構いません。私はギルドに残って、ここを守ります。その中にいるならば、あなたも当然、守りましょう。……ここでやるべきこともありますからね」
「……」
「ですが、私より強い男がそこにいる」
視線の先にはディがいる。
ディは、否定も拒絶もしない。
ただ黙って、その評価を受け入れた。
ギルド長は視線をアンネへ戻し、
「そちらについていく方が、安全かもしれませんね。……ギルドの現状を見ればわかります。私は……どうかは知りませんが、戦える者から『引き抜かれている』だけで、あなたが残っているのは、戦えないからだ。……ですが、もしも向こうが『ギルド機能』を得ることを目的にしているならば、そろそろあなたにも『勧誘』の手が伸びる」
「……」
「残念ながら、完全に安全を保障できる場所はもはや、この街のどこにもないでしょう。ですから『比較検討』をするしかない。私は──神を殺せるほど強いとは、自負できませんね」
「相性と戦い方の問題ではあるが──」ディがギルド長を見る。「──任されたならば、守り抜く。必ずだ」
「……そういうのは、彼女を見て言ってあげてください」
「神を殺せるのは純粋に神より強いからだ、というのは勘違いだと言いたかった。そして、あなたの負う役割を請け負う、ということを言いたかった。あなたを見るのが適切だと思う」
「……まあ、あなたはそういう人ですね。……もちろん私も、守るからには請け負いますよ。ただ」
そこでギルド長はかすかに口元を笑ませ、
「若い女性を守るのは、若い男性の方が格好がつくと思いますよ。……こういうのはもう、古臭い意見、ですかね?」
そこで一瞬沈黙があり、ヴォルフガングが大声で笑った。
「ハゲジジイになっても発言内容が変わらねぇなあお前は!」
「我々は歳を重ねただけであって、人間を毎年変えているわけではありませんからね」
「そういうのはな、紅顔の美少年が言うから許されるんだよ! 今の時代、職場で言ってみろ! 会議で詰められるわ!」
「大変ですねえ」
「ギルドも体質改善が必要そうだな」
「ちょうどいいでしょう。良くも悪くも刷新されますよ。人がずいぶん、抜けましたから。……事務的な混乱を思うと頭が痛い。奪還はしてほしいですが──『不可能な場合』に備えるのも、私の仕事です」
「そいつは勝ってから心配しな!」
「先々のことを考えておくのが組織運営であり、政治ですよ」
「おう、俺にはわからん! ……ってなわけだ。お嬢ちゃん、どうする?」
視線がアンネに集まる。
アンネは、
「…………ディさんに、ついていきます」
ヴォルフガングが「よぉし!」と膝を叩く。
「じゃあ、決まりだな! ディ、お嬢ちゃん、俺、そんで下で
そこでヴォルフガングが一瞬眉をひそめたのは、視線の先の女に違和感を覚えたからだ。
視線の先の女──イリスは、にっこりと微笑む。
「わたくしももちろん、ディ様についていきます。……もっとも、『その時』が来るまで、お力にはなれませんが」
ヴォルフガングは……
まるで耳慣れない外国語を咀嚼するような顔をしてから、
「あ、ああ、そうだな、言う通りだ」
どこかズレた返事をした。
気を取り直すように、
「……よし。んじゃあ、五人で突撃することになるな。戦力は俺とディ、そんで俺の甥っ子ぐらいか。……いけるな、『神殺し』」
ディは黙ってうなずく。
……貴族の子女の奪還作戦が、決行される。