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第84話 『教育』

 学校教育。


 タカシ・カナドは貴族の子女、王子も含むそれらに、こういうものを施しているらしい。


「ご丁寧に『これこれこういう教育を施し、貴国・・の発展に寄与しようと思いますので、親御さんがたはご理解のほどよろしくお願いいたします』ってぇ手紙が届いたわけだ。で、実際に確認させてみたところ、本当に教育しようとしてやがる」


 その『学校』として使われている、貴族の子女が集められている教会の前に潜み、ヴォルフガングは語る。


「見ろ、あの教会を」


 顎で示された場所を、ディは見る。


 教会だ。


 タカシが根城にしている『貧民窟にある教会』ではなく、きちんとした場所にある、白く美しい丈夫そうな建物だ。

 石造りの三階建ての建物であり、床面積もかなり広そうだ。

 入口には神官服をまとった者が杖を持って立ち、警備している──この杖はいわゆる『魔法使いの杖』ではなく、打撃武器としての『クォータースタッフ』と呼ばれるものだ。ようするに、刃物こそないが、侵入狼藉を働こうという者を打ち据えるような、そういう目的の武装になる。


 ……なお、『学校教育をタカシがする』という都合上、ここはディのホーム、つまりさっきまで秘密会議をしていたギルドのある街である。

 王宮に対する『人質』である王子や貴族の子女らは、タカシが移動するのに合わせて、タカシが次に根城にする街へと一緒に移動させられているのだ。


 しかもそういう貴族の子女を入れておくのに不都合がないように──『息苦しさを覚えさせることなく、きちんとお預かりします』とタカシが書かせた手紙にはあった──広々としており、丈夫で、綺麗で、そして、窓の多い・・・・建物が選ばれている。


 ディは、家の陰──

 この貴族や上級商人が住まう区画の建物の陰から、『教会』を見て、ヴォルフガングが聞きたいであろうことを予測した。


「……忍び込みやすい構造だな」

「まったくだ。いやまあ、このへんはいわゆる一等地、貴族街だからな。治安はいい。だから普段は安全なんだろうよ。……その『安全』の理由である『人の目』を、教会が遠ざけたり、『洗脳』で無力化してなきゃの話だがな」


 普段、この区画には領主貴族の差配で警備のための兵が巡回している。

 窓の多い、金持ちの多い建物の安全は『地域の安全』ありきで維持されているのだ。

 だが今はその『地域の安全』がわかりやすく目減りしている。


 ……転移者のタカシはあえて貧民窟の教会で寝泊まりしているようだが、基本的にこの世界が『その土地の教会の膝元』と認識するのは、その土地で最も地代の高い場所に建てられてた教会である。

 実際、教会のその土地の代表者である幹部などは、こういう『高級な教会』に住むし、重要な案件もそこに集まる。


 そして『神が死んだ事件』から、現人神あらひとがみの出現を経て、教会というのが『タカシはいい人だけど、教会とは距離をとった方がいい』という状態になっており……

 そういう時なので、教会そばに住んでいた者たちは、『別荘』へと移っている。

 高級区画に住まう者たちは政治もする。物理的距離が教会に近い場所に住み続けていると、『教会派か?』と政治の場で思われる。そういう視線を避けた結果であった。


 そういう状況なので領主貴族も『教会』周辺には警備の兵を近寄らせないようにしており、結果として教会周辺は閑散とし……


「人のいなくなった、石造りの丈夫な建物が多い──物陰が多いこのような場所に、俺たちのような貧民が潜むことが簡単になった、というわけか」

「まぁ、俺は堂々と来ることが出来る立場だが?」


 ヴォルフガングが張り合うようなことを言ってみせる。

 ディは思わず笑った。……もちろん本気で張り合っているわけではないのが理解出来るからだ。

 ベテラン冒険者によくあることなのだが、大一番を前にすればするほど、ベテランはおどけて・・・・見せる。彼らは過度な緊張がよからぬ結果をもたらすことをよく知っているからだ。

 そして彼らの『真剣』と『おどけ』の切り替えは一瞬だ。経験を積んだ者ほど、『緊張』をコントロールする。それも、自分自身の緊張のみではなく、パーティ全体の『緊張』をだ。


 ヴォルフガングが今、緊張をほぐすような働きかけをして見せたのは……


「アンネ」


 物陰に潜んで、顔を青くし、浅い呼吸を不自然に繰り返す──極度の緊張状態にあるアンネを気遣ってのことだろう。

 だからディは声をかけた。


「ここで待つのもいいと思う。この距離ならば何かあれば駆け付けられる。……俺にはアンネの緊張の由来がわからない。『教会に侵入する罪深さ』なのか、単純に『侵入という行為に対して』なのか、それとも『これから王子に会う可能性があるから』なのか……理由はいくつも考えられる」

「あの、緊張する要素を整理整頓しないでください」


 そう述べるアンネはいくらか緊張がマシになったようで、顔こそ青いが、呼吸が落ち着きつつあった。

 ……ディは自覚的にやっているわけではないのだが、どういう状況でも一定して落ち着いている人間というのがそばにいると、緊張を緩和させる作用がある。

 なお、こういう存在が逆に人をイラつかせることも、同時によくある。勇者アーノルドなどは、こういう『いつも変わらない調子のディ』にイラついていたうちの一人である。


 アンネは三回、意識的に深呼吸をした。


「……足手まといかもしれませんが、一緒に行きます。……私は……ここまで来て、言い逃れの余地を作りたくないんです」

「言い逃れ?」

「……ええと、これから教会に侵入するので……私だけ、罪から逃れるようなことはしたくない、と言いますか……」


「いやまあその、嬢ちゃん、領主にゃ話がついてるからな? 少なくとも王宮とここの領主貴族は、今からやることを罪には問わねぇぞ。俺、これでも貴族なんで、根回しぐらいはするんだわ」


「それでもですよ! ……神はもういない、のはわかっていますけど。やっぱり教会に対して何かをするのは……バチが当たりそうな気はします。でも、行きます。私は……神の罪から、逃れません」


 ここでヴォルフガングとディが『神の罪?』というような顔をするわけだが、この世界の人として少数派なのは、ディたちの方だ。

 神というのは死んだ。それは頭ではわかっている。『それでも』と思ってしまうのが、生まれたころから神がいて当たり前という世界で、教会による教育を受けて育ってきた人間なのだ。

 夜の暗闇、物陰、あるいはふと空を見上げて、これから出かける用事があるのに雨が降り始めた時。……そういうなんでもない時に『神の目』を感じてしまう。そういうものが、誰にでもある。


 こういった『神の目』を気にせず、神という存在を『ただのなんとなく感じる不安に理由をつけているだけだ』と根っから解体出来てしまう者の方が少数派であり、世間的には『共感性に乏しい、頭のおかしいやつ』という扱いになる。

 多くの貴族たちが教会に対して強く『我が子を返せ!』と出られない理由も、『子供が人質にされており、いざとなれば教会の連中がその命を脅かすかもしれないから』というのが実はメインではない。『神の教えを受けている最中の子らを無理矢理に連れ戻したら、何かよくないことが起こるのではないか』という畏れから二の足を踏んでいる者が多数なのだ。


 ……だからこそ、将軍自らこうして『教会への狼藉』を働きに来た、という背景もある。


 宗教が『根付いている』とはこういう状況なのだ。そして、教会はこれまできちんと『根付かせる』活動をしてきた。その成果が見えない壁となって、教会への手出しをためらわせている。


 だが……


「神の罪ねぇ」ヴォルフガングが頭を掻く。「罪を犯す時だけ存在を思い出すような神なら気にすることもねぇだろうに。罰しか与えられない為政者なんぞ、ろくなもんじゃねぇ。そういうのはな、小さい自分を大きく見せようと必死になってる小物だ。いざとなりゃぶん殴ってやれ」


 その横で肩をすくめるのが、ヴォルフガングが副官として重用している甥っ子である。

『こういう人だからあきらめてください』と言いたげだ。……彼もまた『教会への狼藉』をまったく気にしない男なので、アンネにとって共感対象ではない。


 そしてディは、


「この行為が中立的視点から見て罪なのか、罪でないのかはわからない。だが、俺はアンネを守ることを請け負った。その結果、君が神から罪を問われるなら、その神を殺しに行くのもやぶさかではない」


 それを見てにっこり──というか、『にぃぃぃぃぃぃこっり』とでも言いたくなる、粘り気のある笑みを浮かべるのはイリスだ。


「その『神』がうらやましく感じます」

「……言っておくが」

「わかっています、ディ様の不興をかうようなことはいたしません。ただ──人は面白いものですね。こうまで明らかに神の不在がわかっても、それでも神の視線を恐れるのですから。まぁ、『不在』というわけでは、ないのでしょう。確かに神はいます。ただし、この世界の担当ではない、異邦の神、ですが」


 それはイリスのことであり、現人神──金戸隆をこの世界に不正に送り込んだ邪神でもある。


 アンネは、誰も自分の悩みを理解してくれないのを察した。

『こういう人たち』の集まりなのだ。

 どれほど信心が浅いことを自覚していても、どうしても気にしてしまう『畏れ』。そういうものをまったく気にしない人たち。

 世間で言えば自分へ共感してくれる人が多いんだろうなというのは思う。だがしかし、この場で場違いなのは自分の方だというのもわかるし……


 望んでここにいることを、アンネは思い出した。


 使命感で恐怖を飲み下す。


「……行きましょう。足手まといにはならないように気を付けます」


 アンネがそう言うと、ヴォルフガングがニヤリと笑う。


「何、ぱっと入って王子らに接触して、さっと帰るだけだ。……今、『現人神』も外出中だしな。ここの領主がうまく工作してくれてる。神官戦士ごとき相手にもならんだろう。ちょっとしたピクニック──いや、教会見学か?」


「そうだな」ディも表情をゆるめる。「では、見てこようか。──『教会の今』を」



 受付嬢アンネは驚かされることになる。


 まさかこんな──


「……語るべきこともないほどあっさりと、侵入出来てしまうなんて」


 足手まといの自分がいるというのに、侵入は迅速で、本当に正規の許可をもらって見学でもしているかのように簡単だった。

 アンネの視点では前を歩くディたちについていったら、いつの間にか目的の部屋にたどり着いていた、ぐらいの感覚だ。


 途中、教会の者と遭遇もしたのだが、ディとヴォルフガングがとにかく迅速だった。

 出会った瞬間には意識を奪っている。

 また、ふと振り返ると、いつの間にか背後にも先ほどまで倒れていなかった人が倒れていたりする。


 ヴォルフガングが『我が甥っ子』と呼ぶ副官がやったのだろう。

 彼は味方のはずだが、あまりにも静かに確実に敵を無力化し、無力化している気配さえないので、アンネとしてはむしろ、教会に詰めている神官たちよりも、なんでもなさそうな顔で横を歩く『我が甥っ子』の方が恐ろしいぐらいだった。


 真っ白い廊下を実に静かに歩いていくと、大きな扉の前に出る。


 ヴォルフガングはそこをちょっと押してみて、鍵がかかっているのを確認すると──


「フンッ!」


 両手で思い切り、向こう側に押し開ける。

 ……ちなみだが、『こちら側に開く』タイプの扉である。つまり、鍵とか関係なく、扉を迷いなくぶっ壊したのだ。腕力で。


 壊された扉が向こう側に倒れて、大きな音が出る。


 部屋の内部はクリーム色の絨毯が布かれた広い部屋であり、中には机が等間隔に並んでいた。

 そして、そこには……


「将軍!?」


 いかにも『貴族です』という感じの、十歳から十三、四歳ぐらい? までの子供たちが存在した。


 真っ先にヴォルフガングに気付いたのはひときわ目を惹く金髪碧眼の美少年だ。

 立っていた位置から見て、『周囲に部屋の子供たちを集めて何かを話していた最中』の様子である。年齢は十歳かそこらの幼さでありながら、彼を囲んでいる者たちから尊敬の念を注がれている。


 王の見た目というのは挿絵つきで『お言葉』とともにビラ(新聞)として配られたりもする。そこから予測するに、あの少年こそが王子であろうというのは、アンネでもわかった。


「王子! ご無事でしたか!」


 実際、ヴォルフガングがそう呼びかけ、心の底から嬉しそうにしながら両腕を広げる。


 王子はよく懐いている子犬のようにヴォルフガングの方へと駆け寄って、抱き着いた。

 その目にはヴォルフガングへの強い信頼と憧れが見られる。……男の子は、強くて気さくなおじさんに憧れる時期というのがあるもので、ヴォルフガングはいかにも『そういうおじさん』だった。


 ……アンネとしては、ここまで懐いている王子も『捨てる』決断をしたヴォルフガングの二面性にちょっとうすら寒さを覚える。

 だがそれは『二面性』ではないのだろう。かわいがっていても、愛していたって、『捨てる』決断が出来る。ヴォルフガングはそういう、根っからの貴族なのだ。


「ヴォルフガング! 僕はみなをまとめ、よく言い聞かせていたぞ。きっと、お前たちが僕たちを救いに来ると信じていたからな!」


 子供が己の行為を自慢げに語るのは褒めて欲しいからだ。

 ヴォルフガングはそれをわかっているのだろう、大げさに賞賛をした。


「さすがでございます。さすが、未来、私がお仕えする王となられるお方だ。……何か酷いことはされませんでしたかな?」

「酷いというか……ミンシュシュギだの、カガクだの……わけのわからない話ばかりされる。算術は高度で勉強になったが、それぐらいだ」

「なるほど。ともあれ、帰りましょうか。王もあなたをお待ちです」

「……陛下は本当に僕を──私を待っているのだろうか」

「もちろんですとも」


 アンネから見て残酷なシーンである。

 何せ王子らの身の安全を慮って教会に強く出られなかった実の親よりも、捨てる決断をして命の危機にさらしながら、こうして迎えに来た他人の方に懐いている様子なのだから。


 こうして親の愛は伝わらないんだなあ、と嫌な世界の真実を見知ってしまい、アンネはこんな場だというのに苦笑してしまった。


 ……こんな場。


 ここは、『敵地』であることを一瞬、忘却出来た。それは紛れもなく、ヴォルフガングらによる『見事な手際』のおかげだ。

 そのヴォルフガングの顔が一瞬でいかめしくなったのを、アンネは見た。


 同時、


「将軍、来るぞ」


 ディが言葉にする。


『来る』。


 何が来るのか。

 ……わかりきったことだが、アンネは一瞬、わからなかった。それは、ここが今、あまりにも温かい場で、敵地であることを忘れさせるぐらい静かであったからだ。


 この場について思い出したアンネが想像したのは、『教会の神官戦士が、扉がぶち壊された音につられてくる』程度のものだった。

 ……これも考えればわかったことだが、神官戦士程度・・が何人束になって来ようが、ヴォルフガングが王子の前で、王子を怯えさせるような表情を浮かべることはない。


 迫っているのは神官戦士などではない。

 この将軍をして一瞬で臨戦態勢にする、『危機』である。


 その危機は──



「子供たち! 無事か!」



 その危機は、慌てた様子で扉の前に現れた。

 さながら少年らの危機を察して現れたヒーローという様子。物言い、表情、すべてがこの部屋にいる少年らを心配するものだった。


 ……実際、彼の自認では、そうなのだ。


 彼はこの街の領主貴族に呼び出されていたが……


『子供たちが危機です』という知らせを受けて、飛んできた。

 ……出会った神官戦士たちはすべて無力化させられており、報告も連絡も出来ない。そもそも、ヴォルフガングらがここに侵入してから数分と経過していないのだ。領主屋敷に報告に向かうには、時間も全然足りない。


 けれど、『報告を受けて、飛んできた』。


 その背後にある事実を想像し顔をしかめたのは、人間に偽装している女神イリスである。


「ずいぶんと過保護なモノが憑いているようで」


 その言葉の皮肉は通じない。

 そもそも、『子供たちの危機に駆け付けた彼』は、話など聞いていない。


「人さらいどもめ! だが、逃げるのが遅かったな。……俺がいる限り、子供たちに手出しはさせない」


 彼は腰の剣を抜き、掲げ、


勇者・・がお前たちの相手をしよう。……安心してくれ、子供たち。君たちはこの俺が守る」


 真剣な顔で宣言をする、黒髪、黒目の青年。

 現人神タカシ・カナドが、剣を持ってディたちの前に立ちふさがった。

 ……彼の『正義』に基づいて。

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