タカシが最初に狙ったのは、王子を
その男──ヴォルフガング将軍は生成りのシャツ、歴戦をうかがわせる体つき、加えて言うならばいかめしい強面の男であるので、いかにも『誘拐犯の親玉』というように、タカシからは見えた。要するにヴォルフガングは悪人面だった。
タカシの自認では『子供たちがさらわれそうになっているところに駆けつけた。子供たちを
そのタカシの前に、一人の男が割り込む。
「将軍、ここは俺がやる。あなたは子供たちを」
黒髪黒目の、どこか地味な印象の、仏頂面の男──
ディだ。
ヴォルフガングの逡巡は一瞬だったが、その時に彼の頭に巡った情報密度はすさまじいものだった。
何が最適か、考え、検討し……
「頼む!」
ディにタカシの相手を任せて、王子らを確保し、逃げることを決断する。
「お前らも来い! ディの邪魔をするな!」
呼びかける先はアンネと『我が甥っ子』。
……接近するタカシの速度を見て、ヴォルフガングはこう判断した。
『自分では子供らを守りながら相手出来ない』。
……現人神の強さは、嘘ではないのだ。
ディが小ぶりなナイフでタカシと鍔迫り合いを続ける。
タカシは逃げるヴォルフガングらを追おうとしたが……
「っ、!?」
ディが力で抑えつけるので、追うことが出来ない。
「こ、いつ……!」
タカシも負けじとディを力で押そうとする。
しかし、拮抗に持ち込むだけが限界だった。
ディは──
「『勇者』を名乗ったな」
静かに、確認するように、声を発する。
タカシは鍔迫り合いから抜け出す機をうかがいながら、「それがなんだ!?」と応じる。
……タカシは深い意味があって勇者を名乗っていたわけではない。
彼にとっては『RPGの主人公といえば勇者』だったし、教会の方も『あなたこそが新たなる勇者!』とタカシを持ち上げた──現人神様! とも呼ばれたが、タカシが『勇者』の方を気に入っている様子だったので、本人には勇者と呼びかけることが多かった──ので、彼の自認は『勇者』である。それだけの話だ。
だが、ディにとって『勇者』とは、そういうものではない。
「人は誰でも勇者になれる。俺はそう考えている」
「いい言葉だな!」
「……だが、お前が勇者を名乗るのは、なぜだか、酷く不愉快だ」
「……」
「この国、この世界のための戦いのはずだったが──今、なんだか、『俺の戦い』になった気がする。現人神、お前を殺す」
「あまり人に『殺す』と言うものではないぞ」
「殺す相手にもか?」
「そもそも、人を殺すのが野蛮だというんだ!」
タカシが剣を強く押し、ディもそれに力を合わせ、互いに刃を放す。
タカシはちらりとヴォルフガングの去って行った方を見る。まだ追いつけるか、『あの誘拐犯』から子供たちを取り戻せるか、そういうことを考えている。
タカシにとって子供たちの確保が最重要だった。何せ彼の自認では、子供たちを庇護し、教え導く役割を担っているのだ。しかもあの子供たちは将来、この国を動かす者たち。王政などという
だが……
「どこを見ている?」
鋭い攻撃がタカシを襲う。
ディを前に余所見というのは、あまりにも大きな隙だった。
その隙を着いた──否、斬ったのは、
鍔本から切っ先に向けて二等辺三角形の形状になる、この世界の神が勇者に与えたとされる、上位存在──神などに特効と呼べる力を持つ剣。古い時代には自然神どもを斬り捨てて来た、上位存在殺しの剣。
だが、その剣で体を斬られたタカシは、服の一枚さえも裂かれない。
「やはり、効かないか。──偽物の神だな」
上位存在殺しの剣は、その特効性ゆえにか、ただの存在にはさほど通じない。
とはいえ剣ではある。業物に分類される切れ味と丈夫さがある、はずだった。
だが通じない。
このことからわかることは二つ。
『現人神』タカシは、神ではなく人間である。
そして……
ただの剣では刃が立たないほど、丈夫な人間である。
「
ディは人生で初めて、殺人を意識した。
その時、ディの渡った『可能性』は。
『未来』から引き寄せたのは、二振りのナイフだ。
片手に一つずつ。簡素な形の片刃のナイフ。刃渡りは前腕の半分ほどだが、そのくすみ、てかり、間違いなく人の血と脂を吸い続けた逸品である。
ディの姿勢が変わる。
前傾気味だった姿勢がまっすぐになり、気付けば軽く跳ねながらステップを踏んでいた。
「──なるほど」
相手に視線を向けるだけで、斬り込むべき場所と、隙のある位置がわかる。
暗殺者──だろうか。
これまで渡って来た『可能性』は、単純なものばかりではなかった。シシノミハシラでは『剣士』かと思えば『神楽師』だった。そういう発見が、この『可能性』にもあるかもしれない。
だが、まだ十全に扱いきれない『可能性』でも。
「隙だらけだな」
目の前の男を殺すために至ったソレは、容易く目の前の男の首を裂いた。
ぶつりと頸動脈を断ち切る感触。
手が覚えている。これは、確実に殺した感触だ。
いつ接近されたのかも理解していない顔で、タカシが首から血を噴き出す。
ディはヒットと同時にステップでもとの位置に戻っていた。
視線は外さない。
この『可能性』は、確実に殺した相手からも視線を外さない。いわゆる『残身』と呼ばれる備えである。
だが助かりようもない出血量なのは事実だ。
……だが。
現人神は神ではない。
しかし、まっとうな人でもなかった。
それすなわち、
「【
……神より権能を授かった人。
女神イリスなどに言わせれば、『特典』を与えられ、別な世界に渡った魂。
言うなれば、『チート転移者』である。
「……懐かしい。この力を使うのも久々だ」
首の傷が癒えて──否、『なかったこと』にされていく。
蘇生。それは、正しくは蘇生ではないのだ。
死を『なかったこと』にする能力。『死』という状態への移行をトリガーに、『もっとも直近の、もっとも無事だった肉体』に自分自身を戻す力。
その権能、時間遡行の領域である。
「誘拐犯め、強敵だな。暗殺者か? ……久々に『死にゲー』の始まりだ。
「……」
ディは応じず、手の中でナイフを回す。
タカシが、接近してきた。
ディは受けない。振り下ろされる剣を、タカシの横に回り込むようなステップで避けながら、首を裂き、脇腹をがつんと斬り、背後に回って首の後ろを突き刺す。
──
噴き出した血が消え去る。突き刺した傷がなくなる。
すぐさまタカシは振り返り、その勢いのまま剣を薙ぐ。
ディはナイフを剣に合わせて手首を柔らかく使って剣を
至近距離の相手を突くために逆手に持ち替えたナイフ。切っ先が相手の胸に沈み、奥にある内臓を突き刺して血を流す。
──
「容赦ないなあ、暗殺者! 急所しか狙わないのか!」
蘇生したタカシが殴り掛かってくる。
ディは、
「そうでもない」
突き出された拳を、腕を、ナイフで浅く、幾度も刻んでいく。
血が流れる。痛みもあるだろう。腱もイッた。握られた拳から力が抜ける。
死ぬほどではない傷──
「
──すぐさま蘇生。あの権能はどうにも、死をトリガーにした発動と、任意での発動が可能らしい。
殺しきれない。傷つけて無力化も難しい。
だがしかし、この可能性こそ、目の前の男への殺意に基づいて積み上げた未来。そこに渡ったディは、この男を殺せるはずだった。
突き出された拳を肘で打ち落とし、脳天からナイフを突き刺す。
脳へ深々と刃物が入り込み、
脳を破壊されてもお構いなし。タカシは拳を打ち落された勢い、脳天を突かれた勢いのまま地面すれすれにまで身をかがめ、剣を拾うとディの足を斬ろうとする。
ディは払われる剣を踏んで、もう片方の足でタカシの顔面を蹴った。
顔面が陥没し、首の骨が折れるほどの蹴り。
タカシが剣を持ちあげる。その勢いで、刃を踏んでいたディが投げられる。
ディは空中で一回転しながら離れた位置に着地。また軽くステップを踏みながらタカシを見る。
タカシも剣を構えてディをにらみつけている。
……だが、その顔には、幾度も殺された恐怖も、自分をしてなかなか倒せない相手であるディへの憎悪もなかった。
幾度も殺されたタカシは、楽しそうだった。
興奮もしている様子だった。今という時間が楽しくてたまらない──難易度の高いゲームを楽しむゲーマー。攻略法が見つからない難敵に対して幾度もリトライし倒し方を探る者。そういう顔をしているし……
いつか絶対に攻略出来ると信じて、疑ってもいない様子だった。
幾度殺されてもあきらめずに立ち上がる。あきらめない限り必ず自分は勝つと確信している顔。
主人公。
「面白い能力だ」
ディがそのような感想を漏らしたのは、タカシの『死ななさ』に、ある可能性を見たからだ。
今、殺せない。だが……
今手にしている二本のナイフは、タカシを殺すためのもの。そして……
幾度も蘇生するタカシを殺せるこの可能性は、あるいは、女神イリスの完全殺害の方法をディに示すものであるかもしれないと、感じた。
「陰気な顔をした暗殺者でも、ユーモアはあるんだな。……この能力は、お前を倒す力だ。面白がっている余裕はないぞ」
「二つ訂正しよう。まず俺は、暗殺者ではない。冒険者だ。そして、ユーモアは恐らくない」
「そ、そうなのか」
「周囲の反応を見るに、俺はユーモアがないように思える。実際のところはどうなのか、わからない。だが、今、そちらは重要ではない」
「……?」
「俺は暗殺者ではない──お前を殺すことが、作戦目標ではない」
タカシに対する殺意は突発的に発生したもの。
殺すことにためらいはないが、『何がなんでもこの場で絶対に殺しきる』というほどの意地はない。
そもそも作戦目標は、『王子たちの奪還』であり──
「──時間は稼げた。じゃあな『勇者』」
近場にいたイリスを肩に担いで、逃げる。
その途中、ディはふと
掌に収まるサイズの球体。
それが、こん、と部屋の床に落ち……
すさまじい煙を噴き出しながら、爆散した。
「あ、あいつ!」
タカシはディのためらいのなさすぎる逃走に一瞬惚けていた。
自失から立ち直ると同時に、煙を剣圧で散らして追いかける。
だが、すでにディの姿は、廊下の右を見ても、左を見ても、どこにもなかった。
……そこでタカシはようやく、自分とあの『暗殺者』との戦いがなぜ起こっていたかを、思い出す。
「……子供たち……くそ!」
壁を殴りつければ、丈夫な石造りの壁に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
拳の形にへこんだ壁を見て、タカシは舌打ちをする。
「あいつらは、なんなんだ? 闇の組織? 教会を支配しようと暗躍する連中? 冒険者──そういえば、冒険者ギルドは腐敗してるんだったか。そこの連中か……」
拳を握りしめ、
「新しいシナリオだな。……必ず子供たちを取り戻してやる」
決意する。
……彼の視点では、『庇護し、教育していた子供たちが誘拐された事件』であり。
これまで停滞していた状況、すでに『クリア』かと思われた状況が動く。ようするに……
新しいメインイベントの始まりであった。