タカシやディがいる街から、王都までは『馬車で数日』の距離だ。
その日のうちに出発した数台の馬車──到底、貴族の子女が乗っているとは思われない、隊商の列の一部に偽装したもの──に乗るまま、ディは王都へと来ていた。
だが王都入り口で降りられるわけではない。その馬車はそのまま『王宮への献上品』ということで、中身を検められず、途中で『中身』が下ろされることもないまま、王宮へと直行し……
ようやく、ディは『王都』の地面を踏むことが出来た。
そこは王宮へと上げられる荷物の搬入路である。
それなりの広さの場所には多くの木箱が積み上げられている。地面は均された土であり、王宮という『至上のお方が住まう宮殿』の中でもバックヤード、下働きの者たちしか入らないようなところになる。
そこに、王がいた。
金髪碧眼、髭をたくわえた男である。
さすがに『王のマント、王冠、王杓』という、いかにも王様という格好はしていない。
しかしちょっとした服装でも、その身なりが一流の品のみで構成されていること、そして玉座になくともその男が一流の気品を身に付けていることはわかるものだ。
……神は存在するだけで──本人に隠そうという意思がない限りは──その存在を『神』だと知らしめる。
王もまた、同じような、『存在するだけでそれとしらしめる』空気をまとっていた。
冷静に見れば二十代半ばの男にしかすぎないはずだが、ディをして思わず、礼儀とかそういうものが頭によぎる前に一礼してしまう。そういった『威』を備えていた。
その男が、
「リチャード!」
馬車から下ろされた息子に向けて、大きな声を発していた。
『駆け寄る』ということはしない。しかしそれは、王として生きて来た男に出来る、精一杯の心配と愛情の表現ではあったのだろう。
……しかしその心配と愛情は、どうにも王子本人にはそう伝わってもいないようだった。
リチャード王子は楚々とした動作で父に歩み寄ると、土の地面に片膝をつき、目を閉じ、平伏した。
「陛下、ただいま戻りました」
……王族だの貴族だのというのの親子関係は『こう』である。
むしろここまで迎えに来て
だがしかし、
(……なんだろう、なぜか切ないな)
ディは思わず苦笑してしまう。
横を見れば、アンネもまた同じような顔をしていた。……余談ではあるが、彼らはまだ若い。若いけれど、この世界だとすでに結婚し、第一子ぐらいいる者だっている。そういう年齢であり、親の方の視点に立ってしまうのはどうしようもない、そういう層であった。
王は「う、うむ」とちょっと寂しそうに咳ばらいをしてから……
「ヴォルフガング」
王の声を発する。
ヴォルフガングはその場(王とはまだ十歩以上の距離がある)で膝をつき、「は」と平伏し声を発する。
「見事であった」
王の賞賛は短い。
そもそも、『王が直接言葉をかけ、褒める』という行為に膨大な文脈が存在する。通常の
そういった場で王が直接声をかけるというのは、相当強い賞賛の念を示すとともに、居並ぶ他の者たちに『特別扱い』を見せつける行為なのである。
そういう文脈で発せられた声の意味を、ヴォルフガングは理解し、噛みしめるようにもう一度頭を下げた。
だがしかし、まだこういった文脈を理解していない王子リチャードが「それだけですか」と声を発する。
……彼にとって、ヴォルフガングは教会でわけのわからない教育を受けさせられ、軟禁されていた自分を救い出してくれた英雄である。それに『見事であった』は心情的に、『少なすぎるし、偉そう』と思ってしまうのは無理もなかった。
無理もなかった、というか──彼らはタカシの教育を『わけのわからないもの』と思っているのだが、それでも影響は受けている。
タカシに対してかなり『思うところ』があった王子らをして、その影響は根っこの方に影響しているのだ。
タカシに無警戒であれば、もっと多くの影響を受けるだろう。
(『洗脳』は自覚的なのかどうか)
タカシといくらかの言葉を交わしたディとしては、『洗脳』をタカシがしているという可能性は強いように思われた。
ただし自覚的に『お前を洗脳してやるぜ』という感じでやっているかどうかは、わからない。というより、自覚的にはしない気がする。……むしろだからこそ、『教育してやろう』という態度で接していた王子たちが、そこまでタカシにハマッていないような、そういう感触もある、が。
タカシは話せば話すほどわけがわからない、話すたびに直前までの予想を変えざるを得なくなる情報をよこす、そういう存在だった。
はっきり言ってしまうと、『軸』がないのだ。行動指針みたいなものはある様子なのだが、行動に信念がない。その信念は目的意識であり、行動原理だ。その時々でやりたいと思ったことを、その時の空気を読みながらやっていく。そういう芯のなさが、あの短い会話で感じ取れた。
……まあ、『異なる世界の常識を持ち、行動する者』はそもそもそういうもので、ディも他の世界では『なんかわけのわかんない、芯のないやつだな』と思われていた可能性もあるのだが。
「そこの者らも、ご苦労であった」
悩んでいたディに、王からの声がかかった。
これにディは驚き、慌てて膝をつく──王に『背景』だと思われていると思っていたので、膝をついてさえいなかった。
……背景に思われていてもとりあえず膝をついておくべきである、というのはそうなのだが、『勇者パーティ』としてしか王都に来たことがなく、王への謁見の時には適当な場所に消えておくことを命じられていたディは、そういう場での礼儀について詳しくなかった。
これはアンネもそうである。一般市民にとっての『王』とは、『遠くにいて、たまに手を振るが、こちらに視線も興味も向けることのない存在』なのである。一般市民が王を見る機会は、バルコニーでの演説、なんらかのパレード、そしてチラシ(新聞)の挿絵であり、すべてのシチュエーションにおいて『膝をついて拝謁する』ということが必要ない。
こういうところが貴族から見ると『平民は礼儀を知らない』と言われるところでもある。文字通り住んでいる世界、つまり王との距離感が違うので、王を『目の前にいる人』とうまく認識出来ないのが庶民生活なのだ。
とはいえ膝をついても何を答えていいのかわからない。ディはとりあえず、ヴォルフガングらがしていたように、目を閉じて礼をすることにした。
王はかすかに笑う。
「良い。楽にしろ。この場での会話はすべて非公式なものである。……力を貸してくれたそうだな、『神殺し』」
「……は」
楽にしろと言われてもどうしたらいいかわからない。
あらゆる状況で『楽に』出来るのは、その場に慣れている者だけなのだ。ディは『王への拝謁』という場に不慣れも甚だしかった。
王は困ったようにヴォルフガングを見た。
ヴォルフガングは、
「俺に話すようにしていい。俺が責任をとる」
こちらも笑った。
ディは「では」と立ち上がる。
「『神殺し』というのは個人名ではない。それに、この世界……国では、あまり歓迎される呼び名でもないと思う。ディ、と呼んでくれ」
「ディさん! ディさん、ちょっと!!! こういうのは社交辞令!!!」
アンネが叫ぶ。
ヴォルフガングはいよいよ大笑いした。
「いいんだよ、お嬢ちゃん! だいたいなあ、貴族ってのは『力』だぜ。王様がなんで偉いかわかるか? お前らがなんかしたらすぐに首を斬れる武力を従えてるからだ。つまりこの場で一番『王』に近いのは、そこの『神殺し』なのさ」
「……ヴォルフ、お前の貴族解釈は乱暴だ」
「しかし事実でしょう。ああ、ご安心を。『だから王より兵を従えてる俺の方が偉い』などと言うつもりはありません」
「言われてたまるか。……本当に楽にしていい。私もそこの男に『悪い遊び』を教えられたクチでな。さほどそちらに傾倒はしなかったものの、平民の社会での距離感には多少の知識はある。今は儀礼よりも優先すべきことがあるのも、理解している」
未だに平伏しているリチャード王子は、父と憧れのおじさんであるヴォルフガングとの『悪い遊び』に興味がありそうだった。
「他の貴族の子女も全員いると聞いている。彼らは後ろの馬車かな。……リチャード、彼らを宮殿の中へ導いてあげなさい。苦境を共にした仲間たちは、得難い無二の友人となるだろう。わかるな?」
「は」
リチャード王子は話に興味がありそうではあったが、大人しく従う。
王は息子を見送って、「さて」とディへ視線を戻した。
「少し言葉遣いがおかしいかもしれないが、なるべく平民風に語っているつもりだ。わからないところがあれば、質問してくれていい」
「わかった」
いくら無礼講とは言われてもディがあまりにも普段通りなので、アンネはさっきから気が気でない。
「『聖王』という呼び名が民や貴族の間で使われるようになり久しい。これは私を指す言葉ではなく、教会の教皇を指す言葉だ。……彼らは教育、領地をまたいだ職業の斡旋、それに冠婚葬祭と、我らが補助しきれない、民の間に根付いた活動を行ってくれていた。その有用性に感謝をし、それなりに扱ってきた──というのが、これまでの王家であり、貴族であった。しかし、『王』が二人いる状況というのはやはり、好ましいものではなく……」
「陛下、長いですぜ」
「……こういう時はどう言えばいい?」
「『いよいよ教会をぶっ潰す時が来た』って言えばいいんです」
「…………」
王がそこで眉根を寄せたのは、あまりにも言葉遣いが『お上品』すぎて、言うのをためらったからだ。
しかしディやヴォルフガングの視線が集まっている。……王は『期待』を察し、それを受け止めるのも仕事のうち一つだ。
なので、
「……いよいよ教会をぶっ潰す時が来た。昨今、連中の専横は目に余るものがあった。そもそもにして有力貴族の子女を預けて教育させるという習慣からして、権威に対する人質と言う他になく、これを呑ませる背景にまで目を向ければ、さらに『民の教育を人質にとっている』という事情が──」
「『連中は調子に乗りすぎた』」
「──………………連中は調子に乗りすぎた。だから、ぶっ潰す?」
「さすが、我らが王です」
「どうやらお前の『悪い遊び』には、まだまだ私に見せていない『悪さ』があったようだ」
「そりゃあまあ、尊いお方をあんまり泥んこにするのもね。当時、私はまだ侯爵位を継ぐ予定もなく、『民落ち』する予定でしたから。あなたを遠ざけようとしたんですよ。『こういう悪い遊びを見せれば離れていくだろうな』と思ってね」
「その結果、息子がお前を英雄のように見ている。私にはあれほど冷たい視線を向けるのにだ!」
「男の子はね、男親に対してはそういうモンです。陛下にもいくらか覚えがあるのでは?」
「……」
「そういう時には、泥をこねさせてくれるおじさんが親しい遊び相手に思えるもんですわ。……ま、あんまりお顔を汚さない程度の『悪い遊び』しか教えとりませんから、ご心配なく」
「お前は得難い人材ではあるが、同時に不安を覚える人材でもある」
「だから大人しく俺の兄貴を引き止めりゃよかったんですよ」
「……ともあれ」
王にとって具合の悪い話のようで、唐突に話題転換がなされた。
「ディ。これは命令というわけではない。要請だ。……教会潰しに力を貸して欲しい。引き換えに出来るものは……」
「いらない」
「…………」
「王は言葉を遮られた経験がないもんで、びっくりしてるんだ」
「ヴォルフ! ……いや、まあ、そうだな。対等な話し相手というのは、こういう感じか。ふむ。……しかし、『いらない』とはいえ、指名手配の解除は、必要だろう?」
「それもいらない。神を殺したのは事実だし、王家からの召喚状を蹴ったのも事実だ。これを許しては、王の治世がゆるがせになる。法を変えるなら、それは会議の上、慎重にやるべきだ」
「……視点が平民のものではないようだが」
「いろいろ、『覚えてる』ことがある」
「……詳しく聞きたいところだが、そうもいかないか」
「『悪い遊び』を教えることになりかねない」
「……だがしかし、渡せるものがないというのは困るな。こちらとしては是が非とも協力して欲しいところだ」
「引き換えはいらないが、協力はする。ここは、俺の生まれ育った場所でもあるし、仲間もいる。教会のやり口も、タカシの言い分も、俺を不愉快にさせるには充分だった。……まあ、協力の動機が『不愉快だから』というのがどうなんだ、と言われれば、それはわかる」
「……『是が非でも』協力してもらう必要がある。その動機が純粋か不純かは問わない。そもそも──こちらがヴォルフに任せて軍を引き連れて捕獲に向かわせたのをどうにかした者を、不純だからという理由で排除出来ない。出来る兵力がない」
「そちらが思うほど、俺は万能でもないし、最強でもない。ただ、勝てる可能性を選び取っているだけだ」
「現人神には勝てるか?」
「あいつが勇者なら勝てないな。だが、あいつは勇者ではなかった」
「……」
「どうして不愉快なのか、馬車の中で考えていた。そして、理解した。この世界の我々にとって、『勇者』というのはもっと重い言葉なんだ。それを軽く扱うあいつが許せない」
「そういえば、勇者の一党でもあったか」
「そうだ。俺は勇者パーティの──最後の生き残りだ」
ディは拳を握りしめる。
そして、拳を見ながら笑った。
「アーノルドの人格は褒められたものではなかったが、それは、あいつなりに『勇者』を重んじていたからだと思う。……仲間が重んじていたものを軽く扱われたら、許せない。これはきっと、そういう感情だと思う。だから、タカシは倒す」
話はシンプルになった。
勇者パーティの最後の一人として、勇者を騙る者を倒す。
だからこれは、
「俺の戦いだ。……俺だけが、タカシを倒す動機を個人的に持っている。俺だけの、戦いなんだ」
「……そうか。では全力で『協力』しよう。現人神を倒し、教会を……ぶっ潰す」
「ああ。教会をぶっ潰そう」
王が笑い、ヴォルフガングが肩をすくめ、笑う。
王宮のバックアップを受け……
国家を挙げた勇者退治が、始まる。