「くそ、やはり実家に連れ戻されていたか……」
「あなたの不手際となりますね。膝元にいた大事な人質をみすみす連れ戻されるなどと」
「だから私は貴族の子女らを受け入れるのは嫌だと言ったのだ! ……どうしてもっとも手出しされにくい総本山に押し込めておかない!」
「こればかりは、あのお方の望みの通りにした、としか申し上げられません」
「それを諫めるためにあなたが付いているのだろう! 色香でたらしこむために買われた娘のくせに!」
廊下でタカシがそんな声を聞いたのは、『授業』がなくなってヒマになり、やることがなくぶらぶらしていたからという理由だった。
普段、タカシは街にいる時はスラム街の教会で過ごすし、だいたいダンジョン攻略活動──教会に言わせれば『聖者の施し』をしているので、そもそも街にいない。
しかしつい先日、子供たちを『さらわれた』ばかりだったこともあり、この日はたまたま、『現場に犯人の手がかりが残っていないか』と探し回る気分だったので、そうしていたところだった。
……教会がタカシに『調査はお任せください(下手に動くな)』と述べていたので、現場を回るぐらいしかやることがなかった、とも言う。
そんな時、タカシは廊下で話している神官たちの会話を聞き、その者らのところへと迫った。
廊下で話をしていたのは、タカシの『パーティメンバー』である聖王の孫娘と、この街の教会の支部長であった。
二人はタカシを見つけると気まずそうな顔をし、視線を逸らす。
タカシは、
「子供たちの居場所がわかったのか?」
ちらりと聖王の孫娘が支部長を見て、支部長が聖王の孫娘をにらみつけてから、咳ばらいをする。
そして、目尻を垂れさせた、なんとも優し気な笑みを浮かべた。
「さすが、勇者様は高潔なお心をお持ちだ。ええ、ええ、確かに場所がわかりましたが、厄介なところで──」
「どこだ? 俺が行く」
タカシの問いかけの時、聖王の孫娘が、支部長をにらみつける。
『その言い方はまずいに決まってるだろ』という視線だ。
支部長は脂肪で丸くなった優し気な顔に浮かんだ汗を、絹のハンカチでぬぐって、
「あーいえ、その、勇者様のお手をわずらわせるようなところでは……」
「子供たちが誘拐されたんだぞ。乗り込めるところなら、俺が行って、取り戻す!」
タカシの勢いに、支部長が困った顔で聖王の孫娘を見た。
聖王の孫娘は鋭く支部長をにらんでから、おっとりとした笑顔をタカシに向ける。
「タカシ様、この件はわたくしどもに任せていただけませんか? 祖父も、子供たちの誘拐については心を痛めております。必ずや、この件を解決に導き、子供たちを取り戻してくださるでしょう」
「『実家に連れ戻されていた』と聞こえた」
むしろそこしか聞いていない。
連れ去られた子供たちのことばかり考えていたタカシは、あらゆる情報を『子供たちの行方』につなげて考えていた。
それはあまりよろしくない思考方式であり、大抵は的外れな結果に終わるのだが、今回に関しては正解である。
聖王の孫娘は視線を泳がせ、
「……奇妙なことに、実は、そうなのです」
何も奇妙ではないのだが、教会側としてはそう言うしかない。
そもそもタカシの自認としては『きちんと親御さんに許可をもらって、子供たちに
だが、事実としては『返還を求められていた子供たちを、教会が渋って返還に応じぬまま、軟禁していた』ということである。
タカシという男には多くの『譲れないこと』があると教会側は気付いており、その中の一つに『子供の誘拐、軟禁』がある。彼は教会にとって便利な駒ではあるものの、扱い方を誤れば暴走する駒でもあるのだ。
そういった暴走をコントロールするために、『恋人役』としてあてがわれたのが、『聖王の孫娘』である。
彼女はその若さ、見目の麗しさの他にも、こういう時に作り話を創作する能力を買われ、タカシのパートナーとして彼を監視しているのだ。
そのストーリーテリング能力が発揮される。
「……ここからは、わたくしの想像ですが……」
「話してみてくれ。ハイネの想像はいつも正しかった」
事実はハイネが『想像ですが』と前置きして語ったカバーストーリーに合わせて、タカシが納得・満足する事実を教会があとから捏造していた、というものである。
聖王の孫娘──ハイネの『想像ですが』は『こういうことにするから手配しろ』という符丁なのである。
「恐らく連中は、冒険者ギルドの手の者で間違いないと思われます。……腐敗し、教会を引きずりおろし、我らが行っている聖なる施しで金儲けをしようとする……冒険者ギルドはそういった組織です」
「ああ。……許せるものではない」
「先ごろ、我らの崇めていた神を殺した者も、冒険者ギルドの息がかかっていたと言われています。……我らを弱らせ、我らにとって代わって甘い汁を吸おうとする。しかし、彼らには、王侯貴族との絆が足りないのです。ですからそれを補うために、示威行動として、『教会からさらった子供たちを、親元に送り届けた』のではないかと」
「……示威行動、か」
「ええ。『いつでもお前たちを脅かすことが出来るぞ』という強迫──それが今回の、『教会からさらった子供たちを親元に帰した』ということの真実なのではないかと思われます」
いくらなんでも回りくどすぎる。
仮にギルドが本当に腐敗した悪の組織だったとしたら、さらった子供たちを親元に帰して威を示すと同時に自分たちの犯罪行為を貴族に吹聴せずとも、誘拐して手元に置いたまま貴族たちに指示をすればいい。ちょうど、教会がしていたように。
だがしかし、タカシは神妙な顔でうなずいた。
「そうなると、もう少し警備が厳重な場所に置いておかないと危険だ。貴族の屋敷からだって、いつでもさらえる……そういう実力者が、敵の中にいた」
「……タカシ様は、子供たちを教会に返却するように、と仰せなのですね?」
「ああ。俺が守る。だから、俺のそばに置いておくのがいいと思う」
「わかりました。祖父にそのお言葉を伝えましょう」
かくして『子供たちを取り戻せ』はタカシ(
タカシは引き出された言質がどういう重さを持つものかを理解していない。彼は『神』というものの影響をうまく想像できない社会で生まれ育った。特に、一神教の神の言葉の重さは、彼には実感が薄い。
わざわざ『言質を引き出す』という真似をしたのは、タカシが『神託』を聞きつけた時、まったく言っていないことを言ったことにされると、酷く抵抗するからだ。
その抵抗はせっかく盛り返しの兆しがある教会を再び割るほどであった。なので、神託の際には、タカシが『こういう意味じゃないんだけどな……』と思いつつも、発言だけはしたことを発表するようにマニュアルが出来ている。
確かに言ったが、意味の重さを取り違えられたという件にかんして、タカシがぐちぐち言いつつも退くのもよく理解されているからだ。
ハイネは思惑を成功させ、にっこりと笑った。
「では、祖父から貴族のみなさま方に、タカシ様が子供たちの保護を申し出ている旨を伝えさせましょう。……それから、もしもタカシ様が認める手練れとの戦いになった場合には、いつものように『説得』をしてほしいのです」
「説得かあ。……あまり気は進まないが、仕方ないか」
説得という行為をタカシは嫌っている。
それは言葉を尽くすのが面倒くさい──というわけではなく、自分の『説得』が効きすぎるような気がしているからだ。
教会の神官に乱暴を働いた、とされる者が連れてこられるたび、懺悔室と言う名の取調室のような場所で、一対一、誠心誠意、相手の目を見て話をする。
……と、『説得』が発動する。
『説得』された者は、タカシの言葉に感銘を受け、二度とタカシに逆らわない旨を近い、タカシのためになることをなんでもしようとするのだ。
まあ、悪人が改心する分にはいいのだが、タカシはその様子の急変にちょっと引いているところもあった。
……ちなみにだが、『説得』された者が、タカシのいない場所では無気力な人形のようになっているのを、タカシは知らない。タカシを見るとみな目を爛々と輝かせ、大歓迎するからだ。
効きすぎている。明らかに。
その効きっぷりに、引いている。
引いている、が。
(でも、話してわかってもらえるのは、素晴らしいことではある、か)
タカシの思う『効きすぎる』は、『効きすぎて違和感がある』というよりも、『ちょっとびっくりするぐらい態度が変わるのが、なんだかびっくりするな』ぐらいの解像度の浅いものであった。
……深く考えないのだ。考えるべきではないと無意識で判断しているのだ。
なぜなら、タカシにとって気持ちのいいことだから。それまで悪人だった冒険者ギルドの荒くれが、話せばわかってくれる。正しい倫理観に目覚め、法を順守し、教会で働くように──『まっとう』になる。
そして『まっとう』にした自分に笑顔を向けてくれる。……これは『正しい人間関係だ』とタカシは思っている。教え、諭したならば、諭された者はきちんと話を聞き、諭してくれた相手に感謝をする──
生前、得られなかった快感だ。
自分は諭したつもりだったのに、こじれ、人間関係までこじれ、仲間外れにされ、最終的につかみ合いになって、死ぬ。そういう最期を経験したタカシにとって、思考を止めて耽溺したいことだった。
タカシはうなずき、
「……まぁ、親御さんのもとに帰っているなら、今、ここで俺が出来ることはないか。教会に戻って来た時は……必ず、守る」
「ええ。さすが、ご立派です、タカシ様」
「……ハイネ、なんだかまた、苦労をかけてしまったみたいですまない」
「いいのです。あなたにかけられる苦労は、わたくしにとっての喜びですから」
そこで頬を染めて見せると、タカシが「ま、まあ、そういうことなら」と視線を逸らして引き下がり、
「じゃあ俺、ダンジョンに行ってくる!」
慌てたように、駆けて行く。
その姿を見送り、
「……本当に貴族のところへ、聖王から『返還要求』を出すのか? 従う貴族など一人もいなかろう」
まずは支部長が口を開いた。
ハイネは、かすかに微笑む。
「ええ、従わぬでしょうね。ですからこれが、『王侯貴族から教会への宣戦布告』になります。これまでの『子供を預ける』という慣例を曲げ、『神託』に協力をしない姿勢を見せるのですから」
「!? 愚かな! 王侯貴族と戦う!? ありえん!」
「何がありえないのでしょう? ……何も、族滅させるわけではありませんよ。ただ、このあたりで、王侯貴族も思い知るべきではありませんか?」
「……何をだ」
「神は、ここにいるのだと。これまで通り──これまで以上の近さで、神はこの地上に君臨しており、だというのに神の死を吹聴し、教会を蔑ろにするのが、どれほど愚かなことなのか、と」
「……」
「きっと祖父もわたくしと同意見でしょう。これは、機会なのですよ。タカシ様の威光を世に知らしめる」
……支部長は一つ、見誤っていたことがあった。
このハイネという小娘は、聖王から勇者にあてがわれた娼婦であると思っていた。
だが事実は違うのだ。
聖王も、この小娘も。
とっくに『説得』されている。
他の『説得』された者たちのように無気力な人形ではない。だから気付けなかった。
……誰も知らない事実を語れば、『説得』された者には二種類いるのだ。『根っこから変えられてしまった者』と、『だんだん変えられてしまった者』。
ハイネや聖王はかつて、タカシを利用するために近付いた。その時点では、ハイネは聖王に買われた見目麗しい娘であり、聖王の手持ちの娼婦の一人でもあった。
だが、タカシと近くで過ごしていた時間が彼女を変えてしまった。
今の彼女は教会の都合のいいようにタカシの行動を操る者ではなく……
「タカシ様の偉大さを知らしめる機会がようやく訪れたのです。……わたくしを抱いてくださらない彼に、わたくしがどれほど尽くしているかを知っていただくためには、彼を内々から支えるしかありません。『内助の功』というそうですよ」
タカシという存在を承認させるために暗躍する者、である。
支部長は冷や汗を垂らした。
(……遅きに失したか)
神が死んだ際に、『上のやつが抜ければ、自分がこの街の支部長になれる』と思って、教会から抜けない決断をした。
だが間違いだったかもしれない。もっと早く抜けておけばよかったかもしれない。
だが、もう、遅い。
「……神よ」
支部長は祈った。
死した女神インゲニムウスに。あるいは、それ以外の、『自分を救ってくれる何か』に。
「ええ。神よ。どうかご照覧あれ」
ハイネも祈った。
その祈りの対象は勇者──現人神タカシだった。