「厄介なことになった」
王宮──
まだ『教会』への突撃は成らない。なぜならば、多くの貴族を動かす──『根回し』が必要だからだ。
『社会で生きていく』というのは一見必要には思われない無数の手間と時間をかけて、丁寧に、あるいは執拗に何かこまごまとしたことを執り行う必要がしばしば生じる。この『根回し』の時間はまさに、ディにとってそういう時間であった。
とはいえ、王やヴォルフガングを信用し、そういう時間を過ごしていたわけだが……
そのヴォルフガングが押し入るようにディの部屋に入り、念入りに施錠し、外の気配までうかがい、こんなふうに切り出したわけだ。
王宮の部屋はいわゆる『客間』なのだが、貴族用の客間であり、かなり広く、家具類も上等だ。
そしてディが『住みにくいな』と感じる要素なのだが、部屋一つで生活出来ないところにある。
どういうことかと言えば、着替えは着替え用の部屋があり、そのほか支度は支度用の部屋があり、食事は食事用の部屋がある。貴族というのは『やること』に応じて部屋を移動し、さらに言えば自分では『やること』をやらないのが普通なものだから、『従者がいる前提の広い部屋』が多いのだ。
この寝室も『眠る場所』というだけの機能しかないのだが、それにしては広すぎる。
結果としてディは、ちょっとばかし機能性のない暮らしをする羽目になっていた。
そのベッドしかない部屋(美観を損ねないための調度品はある)に押し入ったヴォルフガング、ディの座るベッドに迫ると、こんなふうに言葉を続ける。
「教会に、貴族の子女を『家に帰した』ことがバレてる」
「バレないように王宮で世話をしているのではなかったか」
「子供が戻ったことを知った貴族が家に引き取りたがったんだよ!」
「で、それに応じたと。『政治』か」
「そうだよクソッタレめ!」
ディにはよくわからない世界だ。
だから首をかしげつつ、
「そもそも子供を取り戻したことを言わない──という選択肢がないのはわかるが」子供を取り戻さないと貴族たちが力を合わせられないので、人質を取り返したというのが先ごろの『教会襲撃』の目的である。「それこそ、きちんと教会に悟られないように『政治』は出来なかったのか」
「言い訳になるが、俺の予想より三段階ぐらい愚かな連中だった」
「そうか」
「……子を持つ親の気持ち、と言われりゃわかるがな。いや、悪い、やっぱわからん。子を持つ親だからこそ、ここは堪えて、『子供たちの生きる未来』のために、教会の排除を最優先で考えて行動するべきだとしか思えん」
「やはり教会の脅威がうまく認識されていないのが問題のように思える」
「そうだな! 俺たちが侵入して、しかも『
「つまり俺のせいか」
「これをお前の責任にするヤツがいたら二度と口開けねぇぐらいボコボコにしてやる」
ヴォルフガングの
多くの貴族とヴォルフガングとでは、危機感の共有が出来ない。
住んでいる世界が違うからだ。
実際に刃を交えていないがゆえの危機感のなさ。『勝利(現人神との交戦を経た上での作戦目標の達成)』という報告と、人間に備わっている『安心したい欲望』が織りなす脅威の過小評価。
貴族たちに協力を求めるからには、『現人神は倒せない存在ではない。こちらにはそれに及ぶ、いや、それを超える力がある!』とアピールして士気高揚を求めるのは戦術として理解出来る。貴族は基本的に地方を自治する者であり、本当にいざとなれば『教会派』になることも視野に入っているはずだ。そういった日和見たちに力を合わせさせるために『勝てる確率の高さ』をアピールするのは間違っていない。
だがしかし、ちょっと安心しすぎている。……もともと、安心したかったところに降って湧いた『戦勝報告』だったのだろう。そうなるともう、人々の『安心』は止まらない。相手を過小評価し、行動は雑になり、恐れていたぶんだけ見下す。
もちろん、一部貴族はそうではないのだろうが……
ディは、笑う。
「貴族も人間なんだな」
「……はっきり言やあよ、今の貴族制度っていうのも、もう限界に来てる。『偉い家に生まれたから偉い』と思ってるヤツが増えすぎた。自分が脅かされるストレスに耐えきれないヤツが多くなりすぎたんだ」
「そういう話は俺の領分ではない」
「そういう話も出来そうな気配があるがな」
「出来るからしなければならない、ということはない。絶対にだ」
「……じゃあ、『教会に動きがバレて決戦の機運が急激に高まってるから、もう少し準備したかったところをいきなり出陣して、教会総本山に突っ込むことになりそうだ』って言ったら、どうする?」
「やろう。やる気があるから」
「……現人神、殺せるか?」
ディはヴォルフガングに、現人神タカシとの戦いの模様をざっくりと語っている。
その中でやはり『確実に殺したが蘇生する』『幾度殺しても幾度でも蘇生する』といった要素に、ヴォルフガングは強い危機感を抱いたようだった。
大男が重苦しく口を開く。
「教会のやりかたはうまい。『幾度殺しても蘇り、立ち上がる、強い男』ってのは、いい『象徴』だ。イメージ戦略もあって、タカシを殺さない限り、教会は死なない。……息の根を止めることが、教会を殺すためには必要になる。俺には出来ん。お前は、どうだ」
ディは、手を握り、開き、また握り、開く。
目を閉じて思い出すのは、タカシとの戦いのことだ。
あの時に断った命の感触。すぐさま蘇生し襲い掛かって来た様子。
あの
イリスの与えたものではないが、イリスが与えるぐらいの権能らしい。つまり、神の力の一端だ。
ディは神殺しだが、それは『絶対に死なないものを殺せる』というわけではない。乏しい確率ながら殺せる者を、乏しい確率を掴んで殺す、というような感じのことをやっている。
では、蘇生を繰り返すチート転移者を殺せるのか?
「殺せる」
「……」
「王宮で過ごす間、俺も遊んでいたわけではない」
「少しは遊んでて欲しいんだがな、お前にゃあ……」
「人生にはそういう暇はない。加えて俺は、遊ぶことが得意ではない」
「わかるから言ってんだよ。……いやいい。話が逸れたな。……まあ、方法は言わなくてもいい。どうせ俺には理解出来んだろう。俺は、仲間の言葉を信じるだけだ」
「ではこちらは、その信頼に応えるだけだ。……幾度でも蘇生する男を、完全に殺してみせよう」
「じゃ、始めるぞ」
「ああ、いつでもいい」
ヴォルフガングが手を差し出す。
ディはその手を掴んで、ベッドから腰を上げた。
……教会との決戦は、こうして幕を切って落とされた。