「タカシ様、王家から正式な宣戦布告がありました。我らは『朝敵』だそうです」
「なんでだ……?」
唐突に持ち上がって来た話がタカシ・カナドにもたらしたのは強い困惑だった。
彼の視点──
彼はこの世界に降り立ち、教会の教皇、すなわち『聖王』に言われるまま、この世界にある脅威を取り除く活動をしてきた。
また、衛生観念やら文明やらがまだ発展の途上にあるこの世界に、自分が転移前にいた世界のような『優れた文明』を築かせようと、教育と
もちろん、貴族のお子さんを預かり教育をするのだから、筋は通した。幼い王子を含む貴族の子女たち、その親御さんたちが安心できるように、はっきりとやることを告げ、それを手紙にしてもらった。そうして、承諾を得たという話も聞いている。
聖王やハイネが自分に嘘をつくとも思えない。
その視点において、タカシにとって『王宮から教会への宣戦布告』は、青天の霹靂、寝耳に水といった事態だった。
「教会と王宮は、うまくやってたはずだろう!? 互いに国を支え、民を守る組織だったはずだ! だっていうのにどうして急に……?」
王政というものに疎いタカシは、『国王』がいるのに、教会の一番上が『聖王』を──『王』を自称することがどれだけの挑発行為なのかをうまく理解していなかった。
これは国家を二分する意図と、『自分の権限は王に及ぶ』という傲慢さが透ける物言いである。
そして、王政、特に専制君主制の場合の一番のメリットである『ただ一人の号令で他の者が一も二もなく従う』という『即応性』、モンスターが普通に出て、ダンジョンが普通にあり、魔王という世界の危機がいつ出現するかわからない、国民を一丸とせねばならない事態が急に発生する世界における『人類が生き残るための戦術』が、教会が権威を王宮と二分しにかかるせいでとれないこの危機的状況を、タカシはうまく想像出来ない。
これこそ、ヴォルフガングが教会を潰すべきだと強硬に主張する一番大きな理由でもあった。
……だからこそ、魔王という脅威が現人神タカシによって退けられた今のこの時代では危機感の共有が難しい。
『魔王は倒れたばかりなのだから、もう少し慎重に、血を流さず、懐も痛まない方法をとるべきだ。実際、教会はすでに神を失っているのだから、そんなに息巻いて潰そうとしなくても、問題にはならないだろう』──そう思う貴族があまりにも多すぎた。
現人神はいるものの、それはただ一人の人間である。
強いのは知っている。だが何も知らない小僧である。
だからこそ『利用』という選択肢が貴族たちにも生じるのだ。『普段の管理は力の弱った教会に任せ、いざとなれば自分たちの都合よく利用しよう』という、思惑。
……ようするに、『チートを持った異物』と、『これまで長らく王宮と権力を二分してきた教会という組織の政治的立ち回りノウハウ』を侮っているのだった。
恐れていたものが、『神を失う』という明確な弱体化をしていたからこそ──恐れていた分だけ見下し、矮小化し、嘲笑う。人間はどうしようもなくそういう精神、脳の働きをする。難しい、よくわからないことを言われた愚か者どもの反応が『ニヤニヤ笑う』というものになるのも、それらの中で矮小化をしないと『よくわからないもの』が『脅威』になり、『ストレス』になってしまう。だから、嘲笑って『見下していいもの』として頭の中で処理をしようとするのだ。
タカシは机を叩いた。
王宮からの宣戦布告という大事件を前にした動揺は、力加減をする余裕をタカシから奪っていた。
丈夫で光沢と歴史のある重厚な執務机が拳の威力で砕け、割れ、あたりに木片を飛び散らせた。
現人神用の部屋として、『総本山』に用意されたこの場所に、破壊がまき散らされる。
ただの拳の一打。加減せず力を奮えばこうなる。それは彼が幾度も死にながら己を鍛えたがゆえの弊害だった。
木片が飛び散った瞬間、タカシはハッとして、ハイネを木のクズから守った。
ハイネは嬉しそうに頬を染め、「ありがとうございます、タカシ様」と礼を述べた。
……どう考えても、ハイネはタカシに惚れている。
それこそ、タカシにもわかるほどに。
だからタカシは、ハイネの言葉を疑わない。
言葉を疑わないでこれまで過ごしてきて形成された『前提』を疑わない。
……愛ゆえに、嘘をつくこともあるのだという感情の機微は、彼には少し、想像するのが難しかった。
だから、ハイネの言葉を疑わず、王宮と仲の良かったはずの教会がいきなり宣戦布告された事実を、こう分解し、分析することになる。
「……あいつだ。『冒険者ギルド』! 冒険者ギルドが、貴族たちを脅しているんだ!」
ハイネはただ黙って微笑んでいた。
タカシはそれを『肯定』と受け取った。
「平和な世界が、ここまで乱されるのか。……わかったよハイネ。俺は……戦う。戦って、王宮を、教会を、この世界を、救う!」
「素晴らしいお言葉です、タカシ様。……きっと、いまだあなたのことを認めぬ者たちも、この戦いの先で、あなたを唯一の神と認めることでしょう。……あなたこそが、この世界にもたらされた希望の光。神なき世界の神なのです」
「……ハイネ……その、なんだ。……俺はさ、神なんかじゃないよ。人だ。……でも、ハイネが俺を頼ってくれるなら、きっと、俺は、それに応えてみせる。……だから、あーえー……そのー」
「……」
「……今回の事件を解決したら、伝えたいことがあるんだ」
何を伝えたいかなど、明白だった。
だが、ハイネは胸を抑えた。
神がお言葉をくださるのだ。
今まで察するのみだったその真意をつまびらかにしてくださるのだ。
神の言葉──神託というものを、教会は最重要なものとして扱ってきた。
それが、自分に下される。自分だけのために、下される。
敬愛する愛しき神の言葉が、視線が……心が、自分に向く。
ハイネは涙をこらえた。
心の底からの喜びが目から溢れ出しそうになったけれど、まだ、早いと自制する。
この喜びを表すのは、すべてが終わったあと。
「……お待ちしております」
だから喜びに震えそうになる声で、そう述べるだけに留まる。
タカシも照れて「ああ、うん、まあ、うん」と声を発し、
「戦うぞ。戦って、倒す!」
誤魔化すように、力強く述べた。
◆
「だいぶ『政治』がうまいんじゃないか?」
ディが気安く、からかうように述べる相手は、隣に立つヴォルフガングだった。
そのヴォルフガングは「ふん」と荒く鼻息を吐き出し、
「さんざん譲ったんだ。ここで立たないならもう、それは『王宮』に対する叛逆行為だ──っていう脅し文句も許されるぐらいにな。……やれやれだぜ。もっと早く、もっと大規模に、もっと一気呵成に行動を起こせれば、現人神なんつうもんが出る前に教会を潰せたはずなんだがなあ」
「あんたは目標が高いんだろう。……目の前の光景は、充分なものだと思う」
フォロー、ではない。
ディにそういった会話はまだ難しい。
実際に、そうなのだ。
『目の前の光景』──
王国とはいえ、王の号令ですべてが一丸になるわけではない──複雑な事情、教会による権威の二分化と、地方自治権の強化という妨害工作を経ての、現在の治世。
その『王侯貴族』が一丸となって、馬を並べ、槍の穂先を揃え、出陣の準備をしているのだ。
目標は、
「これでようやく、教会をぶっ潰せる。……跡形もなくな」
ヴォルフガングがすっと目を細めて静かに語る。
ディは、ヴォルフガングを見て、前に並ぶ兵たちを見て、その目が同じぐらいの真剣さを秘めているのを確認した。
「そのようだ」
根回し。政治。足並みを揃え、目的意識を揃えるまで、かなりかかった。
だが、ようやく揃った。
「進軍開始だ」
『王侯貴族』軍が教会総本山に攻め上る。
神の言葉に左右される時代を終えて、人が人の意思で生きていく時代を切り拓くために。