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第90話 インゲニムウス教総本山の戦い

 インゲニムウス教総本山。


 ……そもそもにして、この世界においていちいち教会やその総本山のことを『インゲニムウス教』などと呼ぶことはなかった。

 なぜならば、この世界、このセヴァース大陸、セヴァース王国において、宗教というのはこれ一つきりなのだ。

 もちろん雑多な小さな宗教、信仰、その所作は無数に存在する。だが、それらの者どもも『神』とただ名前をつけずに呼べば、それは『女神インゲニムウス』のことだと理解する。何より、才能を与えし女神インゲニムウスへの信仰は前提として、その上で細かい土着の宗教的風習を取り入れている、といった者がほとんどだった。


 唯一絶対の、揺らぐことのない信仰。

 だがしかし、神が本当に殺されたことによって、その屋台骨は揺らいだ。


 この世界の人々は、神の実在を才能スキルという形で誰もが感じていたのだ。

 それがなくなったことは否応なくわかる。いくら王宮が『神は殺された!』と喧伝したとて、人々が『才能』というものの存在を感じているうちには、そんな宣伝は受け入れられない。

 まず、『才能がなくなった』という実感ありきで、そこに『神が殺された』という情報がもたらされた結果、納得があった。納得があったからこそ、人々は神の死を受け入れた。そういう背景がある。


 ……だが。


 それでもまだ、神の死を信じられない者はいる。


 正しくは『神の罰を信じている者』がいる。

『こんなことをして神はお怒りになられないだろうか?』という、惰性的信仰がまだまだ人の心にはこびりついているのだ。


 ゆえにこの一戦は、人々の心から信仰を払拭する戦い──


 とは、ならない・・・・


「押し包め! 教会総本山に詰める者どもは敵にあらず! これは亡神ぼうしんの最後の信者を抹殺する戦いではない! 偽神ぎしんに騙されている者どもを救う戦いである!」


 信仰は捨てきれない。それは、今まで確実に『いた』神が消え失せてもだ。

 才能という形で神の存在を実感出来ていたいた者どもは、『才能』が消え失せたのを確かに感じた。


 だが、神への畏れと憧れは未だ心にこびりついている。

 これは世代をまたぎ、才能を持たずに生まれてくる子たちが大人になるまでは払拭出来ないもの。今、この場で『王侯貴族連合軍』として立ち、教会総本山を攻める者たちにとって、神は確かにおり、その神の教えは未だに息づいている。いきなりそれを綺麗さっぱりと忘れることは、一部の者にしか出来ない。


 であれば、王侯貴族連合総大将ヴォルフガングは、どういうロジック──あるいはレトリック──を用いて兵たちを奮わせたのか?

 それは、


「包囲し、説得し、降参を引き出すのだ! 亡神への敬服を忘れぬ者ども! 偽神の洗脳・支配から同胞を救済せよ!」


 ──『悪』を仕立て上げること。


 亡くなられたインゲニムウスへの信仰未だ篤い者がいる。

 それは受け入れよう。それは、わかる。

 あの神は確かに『人の可能性』を定め、人の可能性を閉ざす者ではあった。

 だがしかし、それに救われていた者がいるのも事実と認めよう。


 であれば、亡き神を偲ぼう。

 そして……


 亡き神を偲ぶことを忘れさせられ・・・・現人神あらひとがみとかいう悪しき偽神に無理矢理・・・・従わされている哀れな・・・被害者・・・を救おう。


 これは──


 ──亡き神へ捧げる、最後の信仰である。


 こういった欺瞞レトリックだ。


 これを提唱するヴォルフガングにとって、使いたくなかったおためごかしである。


 なぜなら、これはどうしても『神殺し』に恨みを残す者が出る方法だからだ。


 ヴォルフガング個人が『神殺し』ディを気に入っている以上に、とっくに死んだ神や現人神なんかより、脅威の度合いとしては『神殺し』が上だと彼は位置付けている。

 だからこそ、『これ』の機嫌を損ねるような宣伝戦略はとりたくなかった。


 だがしかし、当人から薦められてはどうしようもない。


 ……インゲニムウスを偲べという戦略をなぜとらないのか、とディ本人に言われてしまっては、ヴォルフガングも腹をくくるしかなかった。


 かくして巨悪たる偽神、亡神のいなくなった隙に滑り込み、人心を惑わし、本来敬虔であるはずの教会の者たちを騙した・・・現人神タカシを倒すため、王侯貴族連合三万人は息巻いて総本山へ攻めかかる。

 ……この侵攻が終わったのちに槍の穂先を向けられるのは、『我々が未だ偲ぶ神』を殺したディであることは言うまでもない。


「結局、お前の言うことを聞いた俺の言えた義理じゃねぇがな」檄を飛ばし終えたヴォルフガングが、つぶやく。「……お前の意見には『自己保身』がない。なさすぎる。こいつは『高潔』でも『立派』でもない。ただの『命知らず』だ。俺は歓迎できねぇよ、やっぱり」


 つぶやく先、ヴォルフガングの隣で総本山を包囲する王侯貴族連合の背を見るのは、『神殺し』。

 ディは悩まし気に視線を落としてから、


「だが、見ろ」


 目の前を指す。


 促されたヴォルフガングが視線を向ける先にあるのは、王侯貴族連合。


 教会総本山は一つの都市である。

 山を取り囲むように城壁があり──城壁はモンスターが出るこの世界ではどこの都市にもある──そこからは南、東、西の三つの大門からしか出入り出来ない。

 街は段々と高くなるような構造になっていて、上り坂に敷かれた道を挟むように、整然と白い石で造られた建物が立ち並んでいた。

 すべての道は山頂に存在する『総本山』、教会の本部に向けてつながっている。


 教会の本部は三つの尖塔を備える白亜の城であり、かつては多くの信者たちがここへの参拝を一つの目標とした、歴史と伝統のある美しい建物であった。


 今はそれを目指し、鎧をまとった三万人が、東、西、南、それぞれの門から攻めかかっている。

 ディとヴォルフガングがいるのは南門を少し入ったあたりだ。


 石畳を踏みながら見る街並みは、きっとこのような状況でなければ感じ入るほど美しく思えたことだろう。

 街に漂う空気は、兵たちが怒号を上げ、神官戦士たちを威嚇しながら進んでいなければ、きっと神々しき静謐に包まれていたことだろう。


 だが、戦争が起こっている。


 それも槍を交えるより、怒号と数と武装で押し切るような、威圧・包囲の戦いだ。


 心を折る戦い。

 半端な利益、小癪な利得程度では『信仰』を繋ぎ留められないほどの、圧倒的な暴力の気配。

 もしもここまでやってまだ教会の肩を持つなら、その時は仕方ない──そういう気配で威圧する、相手の降参と投降を引き出す戦いである。


 ディは、言葉を続ける。


「多くの神官戦士が降参を選んでいる。それもこれも、王侯貴族連合の心が一つになっているからだ。これは、俺には出来ないことだし、ヴォルフ、あんたにも出来ない。神だからこそ、出来たことだ。これまで多くの者たちの信仰を集め、教え導いて来た女神インゲニムウスの遺したものだ」

「……そりゃあわかってんだよ」

「これだけの数が心を一つにして攻めかからなければ、きっと、敵に付け入る隙を与え……降参を選ばない神官戦士も、もっと多かった。多くの者が死なずに済むこの展開は、神の威ありきだ。……これだけは、人には出来ない」

「それも、わかってんだよ」

「では、何が不満なんだ」

「お前の『今後』を保障出来なかった俺自身の無力が、何より不満だ」

「あんたは目標が高すぎる。人の身に不可能なことはいくらでもあり、あんたの目標は『不可能なこと』の一つだ」

「……それも認めたかねぇがわかってる。だが、それで被害に遭う当人に慰められるのは……受け入れられねぇな」

「では誰に慰められたい?」

「慰められるような展開にしたくなかったって話を──ああ、もう、いい。俺もいい加減慣れたぜ。お前はこういうヤツだよ、神殺し」

「……現状は選びうる中で最も被害が少なく済むものだと思う。少なくとも俺にはこれ以上の展開は思いつかない。だから……」


 その時、南門から攻め上っていた軍の動きが止まる。


 気配と声でそのことを察したディ、ヴォルフガングが『動きの止まったあたり』を見れば、神官戦士の一団が、王侯貴族連合の大軍にまったくひるむ様子もなく抵抗しているのが見えた。

 奇妙にやる気が感じられる集団──


 タカシの、あるいは教会の『洗脳』が強く入った一団に間違いなかった。


「……『ああいうもの』への対処だけやれば済む」

「行けるか、神殺し」

「ああ。よく見れば顔見知りの冒険者もいる。必ず救う。……方法はなんとなくつかんでいるんだ。それとな」

「?」

「俺は『神殺し』という名じゃない。多くの者にとっては『神殺し』でいいが、あんたには名前で呼ばれたいな」

「…………ディ、俺は」

「それ以上はいらない。謝罪も反省もだ」

「……」

「ただ、俺という人間がいたことを覚えてくれている人がいる。そう実感出来るだけで、報われる心がある。……俺はそのことを知ったんだ。まあ、ごく最近だけどな」

「無欲な野郎め」

「欲しいものはあまりない。だが、欲しくなるものは、たいてい、得難い。その得難いものの一つが、あんたの記憶に残ることだよ。『人間』としてな」

「わかったよ馬鹿野郎! ……任せるぜディ。救える限りを救い、現人神をぶち殺せ」

「ああ。あんたは指揮を頑張れよ、ヴォルフガング」


 二本のナイフを持ったディが、とんとんと飛び跳ね、それから、姿が霞んで消えるほどの速度で移動をした。

 移動の勢いで起こった風が、ヴォルフガングの髪を揺らす。


「……お前は平民の生まれかもしれねぇが、お前こそが『貴族』だと思うぜ、ディ」


 ヴォルフガングは──


 これが今生の別れになるような気がしてつぶやき、


「……アンネの嬢ちゃんとも、こんなふうにあっさり、絵にもならねぇ別れをしたんだろうなあ。朴念仁めが」


 笑った。

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