人には『参照すべきもの』が必要である。
手本だ。それを人は『光』と呼んだり、『神』と呼んだりする。
何かをする時、人は基準を欲しがる。自分はこれをしようと思うのだろうが、これは世間にどう評価されるのだろうか──人の目、あるいは『普通』、『常識』、『一般的かどうか』。もしくはもっと直接的に『それを行った場合の周囲からの評価』を測りたがる。
一神教の価値観において、その『評価』を測る──実際に行う前に、今からすることがどういう見方をされるか、そしてそれは
多くの人は正しくないことに耐えられない。
そして正しさとは『人々に後ろ指指されないこと』だ。
だが実際にどうなるかを予測するのは、多くの者にとって困難極まる。だからこその神の教え。だからこその神の言葉。
それは、自分の行いに前例がないほど、そして自分の
狂信者、と呼べる一団。
三万人に押し包まれ、多くの神官戦士たちが降参を選ぶ中、それでも強硬に抵抗をするのだから、その一団は『狂信的』と言って差し支えないだろう。
白亜の建物が左右に並ぶ石畳の上り坂。
その特に狭くなった場所に集まり、大きな盾を始めとして、思い思いの武器を手に、三万人ことごとく倒し尽くそうという気概を目に秘めて、その場から一歩も退かないこの者ども──
その者どもが頭蓋の中に響かせるのは、
──いいか、無理はしなくていいんだ。
──こんな状況になっちゃったけど……俺は、必ず勝つ。
──本当はみんなを前に立たせたくなんかない。でも、俺は、『ボス』に備えないといけないのも、わかるんだ。
──だから、ボスを引き出すまででいい。
──どうか無理なく、危なくなったら逃げてもいい。
──俺にとって、あんたたちの無事が、一番嬉しいことなんだから。
……この『お言葉』には、『裏』などなかった。
カナド・タカシは善人である。気の弱い善人だ。心の弱い善人だ。責められることに耐えきれない善人だ。『俺のために死んでくれ』などと言える心の強さがない、よくいる善人なのである。
心からの言葉だった。
彼の気弱な善意がたっぷり詰まった、彼の心の底からの真実のみを並べた言葉だった。
タカシに傾倒し、タカシを唯一絶対の神と──自分の行動の基準とした狂信者ども。
その者どもは、タカシにこれだけ『無理はするな』と言われたからこそ退けないのだ。『あの素晴らしき人がここまで言ってくださっている。だから、あの素晴らしきお方のために命を懸けられる。いや、懸けたい』と思ってしまう。
……女神インゲニムウスの御代から、そうだった。
神託とは言葉の通りに受け取られない。
ただ、察せられるのみのものである。
そもそもにして神の言葉はあいまいだ。あいまいであることが、普通だ。
だからこそ神の恩寵にあずかる人の身において、神の真意を考え、悩み、探ることが当然だった。神の言葉が届くこともあったこの世界において、神託とは『それをもとに神の真意を考えるもの』なのである。
だからこそ、言葉の通りにとらない。
逃げてもいい。逃げて
神は試されているのだ。信仰を。神の慈悲にすがらず、神のために戦う戦士こそ、真なる神の寵愛を注がれるのに足る者なのだ。
だからこそ、誰よりも命を懸ける。
同じ神を信奉する誰よりも、自分こそが、神のために苦しみを受け入れ、耐えることが出来る。
チキンレースだった。
彼らの敵対する者は、目の前に迫る三万の王侯貴族軍ではない。横で肩を並べる、同じ神に仕える信徒である。
横の者が倒れるまでは倒れられない。横の者が降参しないなら降参出来ない。
ただ一つの価値基準のみを気にするように洗脳された者たちの思考はこうなる。コミュニティ内でのヒエラルキー以外を木に出来なくなった者たちにとって、己の命や痛みさえも、マウントをとるための道具に成り下がるのだ。
だが、強い。だからこそ、強い。
実際、王侯貴族軍は、南から攻め上るルートの途上に出現したこの狂信者集団を相手に、攻めあぐねいていた。
ただの数十人である。
だが三万人の軍勢とて、数十人に一度に攻めかかれるのは、やはり数十人なのだ。
しかもこの『狂信者』どもは手練れの冒険者。
対人戦技能は兵士の方が上のはずだが、特有のコンビネーションと、ダンジョンにこもってモンスターを倒し続け、磨いた『才能』。その地力は一般兵を凌駕する。
……加えて言えば、これはあくまでも『亡き神を偲ぶ戦い』であり、『偽神に洗脳された同胞を救う戦い』だ。
だからこそ攻めあぐねる。威圧もする。脅迫もする。だが、実際に命を懸けられるとためらう。それがこの戦いに『亡神を偲べ』という大義名分をつけてしまったがゆえの陥穽であった。
もちろん、ヴォルフガングはそこまで理解していた。
だからこそ彼は、己の無力さが許せなかったのだ。
……なぜなら、偽神に騙されている同胞を殺す『悪』を担うことになる男がいるからだ。
「そいつらの相手は俺がする」
兵たちの隙間から現れたのは、二つのナイフを手にした男。
地味で目立たないが、どこか鋼のような印象を感じさせる黒髪の男──『神殺し』である。
今は協力関係だが、そもそも偲ぶべき神を殺したこの男にはいい印象を持っていない者も多い。
そこに加えて『被害者』を積極的に『殺しに行く』行動は、兵たちから殺意にも近い感情を向けられる『悪行』であった。
しかしディは視線を気にすることもなく、兵たちの前、そして狂信者たちの前に立つ。
ナイフを逆手に持ち、
「──
小指と薬指でナイフを保持したまま、
この『可能性』。
タカシへの殺人を意識した瞬間に渡ったこの可能性。
それは暗殺者ではあった。
だが、それだけではなかった。
……タカシにとって、この世界は『剣と魔法のRPG』である。
タカシの基準を分析したディは、その基準において、タカシや神が納得する、『なんでもあり』のものを志した。
なんでもありとは、まず、『人を殺す技術』を扱える。そして、『精神に作用する術を扱える』。そして、『魔法めいたことも出来る』。
……実際の『忍者』とは、そんなものではないが。
少なくとも、ゲーム世界における忍者とはそういうものだ。
そして何より、特に『精神に作用する術』の分野において──現人神タカシによる洗脳を解くという目的を達成するために重要なのは。
その『洗脳』というチートをどうにかするために重要なのは──
『実際にどうか』ではない。
『タカシが「そういうこともありうる」と思えるかどうか』だということを、将来的に、ディは看破する。
それゆえにこの可能性は、洗脳を解くことも可能となる。
現人神との戦いで何より重要なのは、『神本人の信仰を突き崩すこと』なのだ。
「『神は一人の転移・転生者に一つまでしか特典を与えられない』」
それは『規則』ではなく『法則』だ。
ただの人が剣で斬られれば、当然、傷を負う。『法則』とはそういうことだ。『複数の人々が知恵を絞って制定した決まり』ではなく、『自然とそうあること』こそが法則。
その法則に基づいて考えるに、人間の魂は通常、二つも三つも『特典』を得ることが出来ない。人の魂はそこまでの負荷に耐えきることが出来ないのだ──というのが、『特典を与える女神』の言説である。
……もちろん『例外』もある、ようだが。
タカシは例外ではない。
実際にタカシを見た『女神』の判断だ。
だから、タカシの得ている
その一つきりの特典が、『蘇生』と『洗脳』という、一見してなんの関連性もない二つの能力を発揮している。
だから、この二つを同時にこなせる一つの能力があるはずなのだ。
そこから推理し、察するに、タカシの能力の正体は──
「『決して倒れず戦い続け、すべての人に好かれる能力』。『そのように世界の法則を書き換える力』──」
ディが印を結び終えるのとほぼ同時、『狂信者』たちがとびかかってくる。
その目は正気ではなかったが、上げる声、突進で踏み鳴らす地面の震動、武器を握る手にはまぎれもない『熱意』や『使命感』があった。
空虚、ではない。彼らの中にはすでに『タカシ』という信仰対象が根付き、これに殉じることを厭わない精神が出来上がっている。
少し話しただけでこうまでのめりこむ。
それまでまったく人生に出て来なかったのに、その人と出会い、会話をしただけで、その人のために命を懸けることも厭わなくなる対象の名前。
すなわち、タカシの転移特典の名は、
「『主人公』」
物語。
多くの物語は、主人公を中心に展開するものである。
最後に滅びが約束されたカタストロフィもあるだろう。
いくらやっても何も報われず、ただただ掌から何もかもがこぼれていく無常を楽しむ悲劇もあろう。
あるいは主人公が複数存在し、そのうち誰かは悲劇的な結末を迎える群像劇も存在する。
だが、少なくともタカシにとっての物語は、そういうものではない。
主人公を中心に物語が展開し、主人公のみがあらゆる事件を大団円に持っていく運命を帯び、主人公と接した者たちは主人公に感化され、主人公を様々な形で愛するようになる、物語。
……それは、この世界によくハマるものなのだろう。
なぜならば、そもそも女神インゲニムウスは、『勇者』のためにこの世界を創って来た。
だからこそ可能な世界改変。人の身には余る事実の書き換えは、この世界がもともと『そういう場所』であったがゆえに、神の後釜と定義されたことで、より強い効果を発揮した。
つまり今のこの世界で強くなる方法──
シシノミハシラにおける『神楽舞』のように。
あるいは滅びかけていたあの世界における『ランクを上げる』ことのように。
この世界の今の神の加護によって力を増す方法は、神の思い描く世界観を分析し、自分の役割を得て、それを演じることである。
それすなわち、『ロールプレイング』。
ならば、『主人公』に傾倒する狂信者たちを元に戻す──『主人公から奪う』ためには、
──迫り来る狂信者たち。
だが今のディの速度は迫る者たちの視界から霞むように消え失せ、同時に複数人存在するとしか思えない速度で素早くあて身をし、息巻く狂信者たちの行動を止めることも可能。
止めた上で、幻を見せる。
「お前たちは『神』を捨て、俺の手に落ちる」
ディは『悪』と定義された。
が、ゆえに、主人公を追い詰めるための『展開』が可能。
最後に気持ちよく倒されるための非道が可能となる。
すなわち──
忍術による幻覚。それによる再洗脳。
「タカ……シ……様……」
倒された狂信者たちは、ディの忍術によってタカシへの忠誠心を失わされる。
それを成したディは、つぶやく。
「…………本当に出来るのか」
知識はある程度『渡って』きているし、出来るという実感もあった。
だが『本当にこれでいいのか』という気持ちを禁じ得ない。
そして、『本当に出来る』ということは、だ。
……ディの『異界渡り』が、彼に一つの知識を流し込む。
それはこの世界における『神の定めた決まり』。『神の恩寵を得て強くなる』という方向で己を鍛えようと思うならば、絶対に必要になる知識。
その知識は、『ロールについて』。
……この世界を『ゲーム』だと思わされている──確かに現実だというのに、現実でありながらもゲーム的であるという奇妙なバランスで認識させられているタカシという『現人神』が加護を与える条件。
主人公のもとから仲間を奪えるのは、
「つまり、俺が『打倒すべき悪』か」
最後に『主人公』に気持ちよく倒される、巨悪に他ならない。
そしてディの補正は、タカシの『洗脳』を解くほど強い。間違いなくタカシに『悪』認定されており、この補正ありきの強さしか奮えない場合、『さんざん悪事を働いたあと、最後には主人公に倒される』という運命から逃れられない。
強力な悪ほど、強力な主人公補正を前に負けるものだ。
だが──
「残念ながら、俺の方がこの世界のことをわかってる。……お前は『悪』に倒されるんだ」
客観的で冷静な視点が、『なんだか言動まで悪めいているな』と自己俯瞰する。
それを認識しつつ、ディは、
「なるほど、『悪』っぽい言動も、楽しいかもしれない」
なんとなく新しい感覚が開くような気がして、笑った。
その笑顔も、いつものディより、若干、あくどそうなものになっていた。