「南からも、東からも、西からも、大量の敵が攻めかかってきております!」
「現人神様!」
「現人神様にどうか、お目通りを!」
「勇者様! 我らをお救いください!」
「「「「勇者様!!」」」」
タカシは、扉の外から響いて来る声を聞き、拳を握りしめた。
そして、床を見ながら、そばに侍る者に声を発する。
「なぁ、ハイネ……みんなは、どうなったかな」
『みんな』。
それはタカシに『洗脳』された──タカシ視点では『説得によってこれまでの悪事を悔い改めて、仲間になった』人たちだ。
特にタカシの洗脳が強い者は、タカシが街から街へ移動するのについて回りたがる。何をしてでも、何をおいても、ついてきたがる。
だからこそタカシは彼らに愛着を持っていた。タカシのいない場所では空虚でどこか自動的な反応がそら寒い『操り人形』のような人々は、タカシが目の前にいれば、情熱的で気さくな仲間なのだ。
善人であるタカシは当然、その安否が気になった。
ハイネは沈黙していた。
だが、
「タカシ様、裏切り者たちに死を!」
「あなた様にお役目を賜りながら、裏切った者たちに罰を!」
扉の外からの声が、タカシに情報をもたらす。
ハイネは思わず舌打ちをしかけた。
だが、こらえた。……タカシの前で、そのようにはしたないことをしたくなかったからだ。
「ハイネ」
「……はい」
「正直に答えて欲しい。みんなは、どうなった?」
タカシは戦いが始まってから、ハイネがずっと自分のそばにいたのを知っている。
だが、ハイネが外の情報を自分より持っているであろうことも、予想していた。
具体的にどういう手段を使っているのかはわからずとも、ハイネはいつでも、タカシに『正しい情報』をくれたのだ。であれば、なんらかの手段は持っているだろうという思い込みがあった。
実際のところ、ハイネはこの状況で『外』と情報のやりとりをする手段はない。
彼女がタカシにもたらした情報は『創作』がほとんどである。
そもそもハイネは、その物語を即興で生み出す能力と、見目の美しさをかわれてタカシにつけられた、『現人神を都合よく使うための娼婦』であった。
……だが、今のハイネは、タカシを想う一人の女である。
そして、タカシは紛れもなく、ハイネにとっての神であった。
その神が『正直に答えて欲しい』と仰せなのだ。
ならば自分は『神の助言者』としてのロールを誠実にこなさねばならない。
ハイネは、今聞こえて来た情報から、事実を予測する。
ロール補正により、彼女の『想像』は真実を言い当てた。
「……恐らく、タカシ様から心を離し、敵に寝返ったのではないかと」
「……みんな、いい仲間だった。みんな……過去にいろいろやったのは事実だけど、裏切るようなことをするような人たちじゃなかった。……命を惜しんでいるなら、それでいい。仲間だから、死ぬまで戦って欲しいわけじゃない。だが……裏切った、のか? 敵について……こちらに攻めてきている、のか?」
「恐らく」
ハイネが断言できないのは知らないからである。
だが、外から聞こえてくる言葉から察することが出来た。……今日は特に頭が冴えている。少ない情報からでも、どのような事実も予測出来るような確信があった。
「……そんなこと、あるのか? あんな、気のいいやつらが裏切るなんて……そんなの、そんなの、まるで、『洗脳』じゃないか!」
こう述べる時点で、タカシはあの『ナイフ使いの暗殺者』──すなわちディが、何かをしたのだろうと考えていた。
あいつなら何が出来ても不思議ではない、という思い込みがある。
なぜなら、敵は強大で悪辣なはずなのだ。
魔王を倒した果てにいる裏ボス。しかも、人間の組織を
敵はいくら強くてもいい。最後に打倒出来るのだから。
むしろ、敵が卑怯で悪辣で強いほど、最後の打倒が気持ちいいものになることを、タカシはよく知っている。
だからこそ、ディに可能なことは今、制限知らず、天井知らずになっている。
現人神が『かくあれかし』と望み、世界をそのように改変している。タカシの
だから、勝つのだ。
どのような悪も倒す主人公。
悪が悪としてなんでもアリのご都合主義を奮えるのは、主人公と向き合うまでの話なのだから。
ハイネは、タカシに言葉をかけたかった。
彼女の『主人公の助言役』というロールによって昇華された洞察力は、乏しい情報からでも答えを導き出すことを可能にしている。
だからこそ、わかるのだ。……『悪』と『主人公』を向かい合わせてはならない。あの『悪』は、『やられ役』ではない。『主人公』を殺しうる『
はっきりと表現が浮かぶわけではない。だが、わかる。
だからこそ、ハイネは、なんとしてもタカシをこの部屋から出したくなかった。
だから、タカシさえも疑うような下手な言い訳をこねくりまわして、タカシをこの部屋に留め置いている。
だというのに、扉の外の連中が、救いを求めて来る。
(人のための神ではない。神のための我らだというのに)
紛れもない狂信である。
だからこそハイネは、タカシをこの場から出さないためにならなんだってするつもりでいた。
たとえ、外の連中を蹴散らしてでも、留め置こうと思っていた。
だが、
「カナド・タカシ様」
……ハイネは、その声を聞くことが出来ない。
時が、止まっていた。
タカシと、その声の主以外の時が、停止していた。
その声の主は……
黒い、美しい、男だった。
「……あんたは!」
「記憶に残る形で顔を合わせるのは、久しぶりになりますね。私のことを覚えておいでですか?」
「もちろんだ。俺をこの世界に転移させてくれた、神様だろ」
「神様──」男は面白そうに笑った。「──ええ、確かに、そう呼ばれるモノであるべきでしょう」
「?」
「タカシ様、このたびは一つの助言を携えてまいりました。……相手方に、『神』が憑いているようです」
「なんだと!?」
「本来、人と人との争いに、神は介入してはならぬもの。ですが、向こうはその掟を破り、肩を持って介入をしている様子。……あなたの仲間は強い。しかし、神の介入を前には、無力に成り下がる。……あなたが出るしかない状況なのです」
「……そういうことか。あの暗殺者の強さ、やっぱり、トリックがあったんだな!」
「ええ、連中が定めた掟だというのに、まったくもって……ふふ。美しい」
「……美しい?」
「ええ。……やはりね、決まりきった、しかしその実なんの根拠もない、複数が合意してどうにか仕上げた決まりが古び、その決まりが、作り上げたモノの手によって叩き壊される──その破壊は本当に美しいものです。なぜならば、その破壊は進歩の始まりなのですから」
「……ええと」
「人は啓蒙されていい。そして、神も同様に、古びたモノを自ら打ち壊し、新しいものを生み出すべきなのです。……あなたという転移者は、この世界を壊し、新しくした。……つまりですね、『人々が幸せになれるための努力をしている』のです」
「……ああ。俺は──この世界のことが好きだ。ハイネが……その、なんだ、す、すき、だし……他の人だって好きだ! だから、この世界の人々を幸せにしたい」
「では、お力をお貸しください。……あなたは、『神憑き』を。私は、僭越ながら──ふふ。『神』を、壊しましょう」
「……ああ」
この時、タカシにはわずかな違和感、座りの悪さ、奇妙な心地が確かに感じ取れたのだ。
この神の言うままにしていいのか。この神は何かおかしいんじゃないのか。そういうことが、ちらりと頭によぎったのだ。
だが、無視した。
「俺はみんなを幸せにする。そのために、『裏ボス』を倒す」
それさえすればいい。
この人生には──裏切りはなく、努力も誠実も報われる。いかなる困難もクリア前提の、そういう世界だから。……そういう世界だと信じようとするからこそ、『そういう世界ですよ』と告げた者を疑うのは、怖くて、出来なかった。
タカシは心の弱い善人である。
ところが善人でない人間というのはこの世にいない。
ではなぜ世に『悪』と呼ばれるものが存在するかといえば、それは、人々から見て『悪』と思われる行為の中にも、その悪を成した者なりの善があるからだ。
絶対の正義と、すべての者に支持される善行と、絶対の悪は、同じ理由で存在出来ない。
人は視点を変えるだけで正義を悪に、悪を正義に、善を悪に、悪を善に出来る。どのような凶悪犯罪者にだって同情してみせる。そうして『理解』という快楽を得るのが人間だ。
この生態は生きていれば自然に学ぶ。
タカシはしかし、『すべての人が幸せになれるハッピーエンド』と、『絶対の正義』を信じていた。
……現実世界にはそんなものなかったことを思い知らされたけれど。
この世界にならあると、信じていた。
「出るよ。ハイネは……たぶん、俺を気遣ってくれてたんだと思う。でも、ここは、俺が出なきゃいけない。そうだろ、神様──ああっと、そうだ、名前、名前は、なんだっけ?」
黒い男は、にこりと微笑んで、大仰に、舞台役者のように一礼した。
「では、『ジョン・ドゥ』とお呼びください」
「なんか神様っぽくない名前……ああ、悪い。その、悪気はないんだ」
「ええ、存じておりますとも。……さ、あなたの高潔な魂において、『善』をお成しください。ともに、この世界に
「ああ。この世界に救済を」
タカシは拳を握りしめ、部屋を出て行く。
……一瞬後、『時間』が流れ始める。
その時、ハイネの目に映ったのは……
開けられた扉。
そして、先ほどまでいた場所から忽然とタカシが消えている事実だった。