戦いは、戦いにさえならなかった。
というより、『戦い』に──『殺し合い』に発展してしまえば、ディの側の敗北も同然である。
威嚇と威圧により攻め上った。
途中で出て来る『狂信者』は、ディが『洗脳して』、タカシへの狂信を解いた。
……紛れもなく、ディのしていることは『洗脳解除』であり、一人たりとも殺してはいないのだ。
だが、ディへの視線がどんどんきつく、強くなっている。
許しがたい、生理的に嫌悪すべき汚物に向ける目だ。一刻も早く息の根を止めてやりたいのに、力の差か、あるいはなんらかのどうしようもない事情により、仕方なくその生存を認めねばならない悪に対する目だ。
周囲の、味方のはずの王侯貴族軍からの視線がきつく、強くなるたび、ディは力の高まりを感じた。
(なるほど、俺が『悪』としてどんどん仕上げられているのか)
今なら世界中から憎まれている自信がある。
タカシに近付くごとに、世界そのものが敵になっているかのような感覚が強くなってきた。
……何をしても報われず、何をしても過小に評価され、手柄も実力も認められず、努力さえ唾棄されて、『あいつは楽をしているわがままな横暴者で、成果はすべて他者から奪ったものばかり。たまたま運でうまくいっているだけで、評価すべき実力も、認めるべき人格も何一つない』と思われている心地。
かすかに覚えがあった。
勇者アーノルドとパーティを組んでいた時に向けられていた感情だ。
ただし、あの時はここまで『攻めた』視線はなかった。基本的に誰もディには興味がない。だが、たまに視界に入ると『勇者のおこぼれで美味しい汁を吸いやがって』というような目を向けられた。今の感覚は、その時の視線の毒素を千倍ぐらいに濃くして、さらにお立ち台にでものぼらされて、誰もが目を背けようとしているのに視界に入ってしまう、そういう感じだ。
悪。
(この状態でアンネやヴォルフガングに会ったらどう反応されるか、興味はなくもない)
通常であれば心が折れる敵愾心を向けられながら、ディはむしろ余裕があった。
……ディでなければ折れていただろう。よくも悪くも、自己評価が低く、根底のところで他者からの視線に興味がない性格が幸いしたのだ。
そうして攻め上り、ついに、『城門』。
総本山とただ呼んだ時には門前町まで含む。だが、今、まさに目の前にあるこの白亜の城こそが本当の『総本山』。
宗教的な施設である。ただ、防衛力も高い。それはもともと、女神インゲニムウスが剣と盾を備えた『戦う者』であったことに由来する──というか、それを言い訳にして、教会が防備と軍備を固めた末の産物であった。
その分厚い城門が、中から開く。
集まった兵たちがざわめている。
だが、ディは誰がそんなことをしたのか、予想がついた。
「暗殺者!!」
門を開き出て来た者は、予想の通り、タカシである。
ディは肩をすくめた。
「暗殺者ではないと言ったはずだ」
「……そうだったな。なんと呼べばいい?」
「ディだ」
「……ドゥ?」
「いや、『ディ』だ。デ、ィ」
「……そうか。ディ。……お前のしたことは、すべてわかっている。人々を洗脳し、こちらを裏切るように仕向け、ここまで差し向けた。王侯貴族の人たちを卑怯な手段で脅し、ここまで大きな行動をとらせた。……俺はこの世界を愛している。この世界には、愛する人がいる。だから──お前の行為を、許さない」
タカシが剣を抜く。
……この時。
この時、ディのそばにおり、ディに『なぜだかわからない』敵愾心を向けている人たちの中に、タカシの言葉に反応する者がいた。
それは、ディが救った──『洗脳した』人々である。
「何言ってんだお前! お前こそ、俺らを洗脳したじゃねーか!」
ディのことは『なぜだかわからない』が気に喰わない。
だがそれは、必ずしも、ディの敵を愛するというわけでもない。
洗脳され、再洗脳され、人格を取り戻し、タカシへの好感度が『もとに戻った』人たちは、タカシとの会話のあと、自分たちがまるで自分じゃないような状態だったことを覚えている。
タカシへの異常な好意がなくなれば、それはなんらかの精神に作用する術を使われていたことがわかるのだ。
だから、タカシの行為は彼らにとって、『根拠のある悪行』である。
ディへの根拠のない敵愾心と、タカシへの根拠のある敵愾心は両立する。
「俺たちをおかしくしやがって!」
「私たちに何をしたの!?」
「お、お前と話してから、何もかもがぼやけて、おかしくなった!」
「気持ち悪い! 本当に気持ち悪い!」
「何が現人神だ!」
再洗脳された人々が叫ぶ。
タカシは、一瞬、困惑した顔になった。
だが、すぐに瞳に怒りをたぎらせる。
「……ここまで強力に人の心を縛り、操るだなんて」
ディはさすがにため息をついた。
タカシはしかし、『彼なりの事実』に基づいて言葉を続ける。
「ここで決着をつけてやる、ディ。お前を倒して──お前に操られた人たちを救う!」
剣を構える。
ディは、手の中でナイフをくるくると回し、
「……特に言うことはないな。やはり、難しいものだ、『悪』というのも」
肩をすくめる。
それは狙ってやったわけではないが、まるで裏からすべてを操り、演技によって多くの人々を騙した、知能的な黒幕系のボスのようなセリフになっていた。
だからタカシが気炎を噴き上げる。
「おおおおおお!!」
叫びながら斬りかかる。
ディは軽くステップを踏みながら応じる。
かくして、教会総本山、城門前──
主人公と裏ボスの決戦が始まった。