主人公は死なない。
なぜなら、そういうものだから。
「──
首を斬り飛ばされたタカシがすぐに再生する。
ディは幻惑するようなステップを踏みながら、再生したばかりのタカシの急所を狙う。
主人公はやられっぱなしにならない。
なぜなら、そういうものだから。
「その動き、見切った!」
ディの間合いと速度を幻惑するような歩法。
タカシは対応する。接近するディに切っ先を合わせることに成功した。
だがするりと抜ける。
ディは執拗な努力によって『乱数』を減らすことをライフワークとしている。
幾度殺しても死なない相手を前に最優先するのは、『攻撃をもらわないこと』。相手がどのように強力に奇跡を引き寄せようとも、そもそも確率が存在しなければ引き寄せるべき奇跡がない。人智を超えた努力と研鑽が、ディを神の権能殺しにまで進歩させている。
だが、
「そこだ!」
主人公はいつまでも攻撃をスカスカと外し続けない。
なぜなら、そういうものだから。
ディをすり抜けるように通り抜けた剣を、返して振る。
もちろん織り込み済み。それが命中する奇跡など存在しない。
だが、奇跡が生じた。
無から可能性が急に生じ、ディの腹を切っ先が薙ぐ。
深い傷ではなかった。だが、存在しなかった奇跡が、『皮膚一枚を裂く』という事態を急に生じさせた。
戦いが続けば、『殺す』奇跡も生じうるだろう。
ディは笑った。
悪は格を維持する限り負けない。
なぜならば、そういうものだから。
主人公は悪の心根の弱い部分を暴き、突き付け、悪の格を落とす。
なぜならば、そういうものだから。
「お前はこの世界の人々を愛していない。だから、お前は誰にも好かれない!」
タカシの言葉がディの心を抉るべく放たれる。
これに対してディは、
「そうでもない」
確信を持って受け流す。
悪は主人公の言葉を受けてひるむものだ。
だが、ディはとっくに『悪』をやめている。
「洗脳で得た愛情など、本物ではない!」
主人公は悪の間違いをつまびらかにし、必殺の言葉を突き付ける。
なぜならば、そういうものだから。
だが、ディはもはや、悪ではない。
「そうだな。同意しよう」
「……」
タカシは『感触』のなさに首を傾げた。
あらゆる悪を論破してきたのだ。魔王でさえも、論破した。
なんとなく、相手の心の弱い場所がわかる。その弱い場所をタカシ視点で語るならば、『間違い』という呼称になる。
悪というのは必ず間違えているし、間違いを悔いる心がわずかにある。
主人公の言葉は、その悔いる心を増幅させ、肥大化した間違いで悪の心を重くする。
そうして心が重くなれば動きが鈍り、隙が生まれる。
だが、ディには、そういう感触がない。これは、タカシが『すべてを肯定される主人公』としてこの世界に降り立ってから、一度もなかったことだった。
「お前は、何がしたくてこんなことをした?」
「知り合いが被害に遭っていた。奇妙な縁があるヤツに頼まれた。俺自身も、この世界を好き放題され、あまつさえ『勇者』を名乗られるのが気にくわなかった。だから、こうしている」
「そういえば、お前には神が憑いているんだな」
「ふむ?」
「その神にそそのかされたのか? だったら、正直に言ってくれ。俺が、その神を殺す!」
「……ふ」
ディは思わず笑った。
憑いている神を殺す──なるほどありがたい申し出だ。ディは、この結婚を迫り、自分の可能性を閉ざそうとしてくる女神を完全に殺すために、次元を渡って己の可能性を広げているのだ。
それは『目的』である。別に女神イリスの存在がなくたって、ディはライフワークとしての研鑽をやめたりはしない。だから、神殺しに協力者が出来たり、誰かにイリスを完全殺害してもらえるならば、それはいいことだ。
いいことだと、思っていた。
だから実際に、『お前に代わって神を殺す』と言われた時に浮かんだ言葉に、ディは思わず笑ってしまう。
「いや、悪いが──」
ディは背後へ意識を向ける。
そこには、ここまでなんの存在感もないが、確かにディの戦いに熱い視線を注いでいる女がいた。
女神イリス。
その、人間としての偽装体。
……なぜそれが相手にバレているのかはわからない。イリスがへまをするとも思えない。
何か特別な権能があるのか──などと考えながら、ディは、自然と浮かんでしまった、思わず笑ってしまう言葉を、口からこぼした。
「──あいつは俺の獲物だ。俺以外には殺させたくないな」
実質的なプロポーズにも等しい。
少なくともイリス側はそう表現しそうだ。そこまで思って、なお、口から零れるのを止められなかった。
タカシは、やはり、『言葉』に対する感触のなさに困惑していた。
……主人公とは、誰からも興味を向けられる。
だが、ディはタカシ本人にはまるで興味がなさそうだった。殺意はある。倒さなければいけないという気持ちもある。だが、それは『目的』ではないのだ。
それこそ、誰かが『自分がタカシを殺します』と言って、それをディが信じられるのならば、今すぐ、この場からでも投げたって構わない。そういう気持ちでいる。
だからタカシの言葉はまったくディに響かない。
ディにとって、タカシの存在も言葉もあまりに軽いから。
「タカシ・カナド、お前は邪魔だよ。だから、早めに処理したい」
「……」
「今のはかなり『悪』のような発言だったな? だがまあ、感謝もしている──と、これも悪っぽい。ふむ、もう少し『ロール』から脱却する必要があるのか」
「なんの話をしている」
「悪い、そう、お礼を言うべきことが一つある、という話だ。……お前を殺す方法は、いい『とっかかり』だった。おかげで、『死なない存在』の命に手を届かせる方法がわかったかもしれない」
ディの姿が唐突に霞むように消える。
タカシは最大限まで高めた警戒心で、ディの動きを感知。
主人公は奇襲では死なない。
なぜなら、そういうものだから。
だが。
タカシはもう、主人公ではない。
ディの刃がタカシの首を滑り、血を噴き出させる。
死。
当然ながら発動する
その光景はここまで繰り返された、『ディが殺して、タカシがものともせず復活する』というものと同じだった。
だが、向かい合う二者には変化があった。
より具体的には、タカシの顔色が、青ざめていた。
「……お前、今、何をした?」
声も震えている。呼吸も荒くなっている。
ディはナイフを見た。
そこにはタカシの首を斬った時の血がついている。
……時間遡行とさえ呼べる権能である『蘇生』。それは、飛び散った血さえ消え去る超常現象のはずだった。
だが、ディのナイフには、タカシからあふれた血が、ついている。
完全殺害はまだ成らないが、何かが進歩している。
「まだ足りないか」
「何をしたと聞いているんだッ!」
「この世界でどうやって神を殺すか、知っているか?」
「何をした!?」
「神の見ていないところで努力を続けるんだよ」
「だから、何をしたと聞いている!!!」
タカシの声は金切り声だった。
これまでどこか余裕があった彼の様子から、一切の余裕が消え失せている。
目は血走り、呼吸は荒く、だらだらと脂汗がたれ、手指が痙攣している様子もあった。
極度の緊張状態。
……まるで、人生で初めて『殺し合い』の場に立たされ、いきなり武器を持たされた者がそうなるように、タカシは緊張していた。
「殺し合いは初めてか?」
「だから、何を、何を……!」
「相手が何をしてくるかわからないのも、相手の刃が自分の命に届きそうなのも、初めてか?」
「だからぁ……!」
「歓迎しよう、タカシ・カナド。──ようこそ、異世界へ」
「!」
ディの姿が霞んで消える。
タカシは──
きびすを返して、逃げた。
「……」
あまりにも迷いのない逃げっぷりだった。
街中でナイフを持った通り魔に襲われたら、固まるか、逃げるかするだろう。
ちょうどタカシはそういう様子だった。固まる段階を、ディが声をかけることでやりすごした。だからあとは、自衛のために全速力で逃げる。それだけの行動だった。
ディは──
「まぁ、追いかけるしかないか」
視線を背後に向ける。
ディの横に、ピンク髪の女が並ぶ。
「向こうが気付いているようですね。……いったい、どういう手口を使ったのか」
ピンク髪の女の声には、かすかな怒りがあった。
どうにも神的には許しがたい不正が行われている気配がある様子だ。
ディは、肩をすくめる。
「まぁしかし、ここまで近づけばあとは、忍び寄って斬るだけだ。……行こうか、神を殺しに」
現人神と邪神。
二柱の神の首を挙げるため、ディとイリスが、教会に踏み入る。
白亜の建物の中で、空間がかすかに、笑うように震動しているのを、イリスは感知し、『笑い返した』。